日が落ちた。空には丸い月が浮かんでいる。
戦乱は一時の収束を迎えていた。
嵐の前の静けさ……。
各戦場では、決戦に向けての束の間の休息を与えられていた。
いのとチョウジも医療班の手伝いがひと段落し、支給された食料を持って情報部のテントへ向かった。
「シカマル、はい、水」
「おにぎりも、シカマルの分ももらって来たわよ」
シカマルはテント脇に置かれた丸太に腰掛けて、外灯を頼りに地図を眺めている。
「ああ、サンキュ」
案外、素直にそれを受取って口にする。
いのとチョウジは、ひそかに顔を見合せて安堵した。
『こっちへ来る前、本部に現れたいずみナナが、“もうひとりの自分”がうずまきナルトと一緒にいる……って言っていたらしい』
部隊の撤退後、本部と連絡をとったダルイがすぐに彼らに教えてくれた。
それを聞いたシカマルは落ち着いた声で、
『雷影と火影を前に、いい加減なことは言わねぇだろ』
二人にそう言った。
そして明日の敵の出方を予測し、対応策を検証すると言って、この場に座り込んで地図と睨めっこを続けていた。
「明日は敵も総力戦で来るだろうな。今日以上に、臨機応変に対応しねぇと」
それ以来、シカマルの口から『ナナ』の名前が出ることはなかった。
あの額当ては、彼のベストの内ポケットにひっそりとしまわれたままだ。
「今の各部隊の配置をさっき聞いてきた。お前たちも見とけよ」
おにぎりをほおばりながら地図を広げて見せる仕草も、いつもと変わらない。口調もすっかり普段どおりに戻っていた。
が、いのとチョウジは再び顔を見合わせた。
二人とも、シカマルのことはよくわかっていた。幼いころから知っているし、三家は家族ぐるみの付き合いでもある。
それに、下忍になってからもシカマルだけが中忍になってからも、離れずにずっと一緒に戦ってきた。
だから、あの時のシカマルがどれだけの不安に押しつぶされそうになっていたのか、よくわかっていた。
『ナナは最期に……「信じろ」と言った』
じっと水面を見下ろすシカマルの瞳から、
『オレは……信じる……』
音もなく涙が零れ落ちた。
そんなふうに泣くシカマルを、二人は見たことがなかった。
いつしか二人は、シカマルの“分析”は完璧だと思っていたから、彼が自分で言ったことに不安を抱いていることなど信じられなかった。
シカマルは自分で二人に強く宣言しておいて、逆に自分に言い聞かせるようだった。
だから二人は、シカマルに同意する言葉を、シカマルに言い聞かせるように言ったのだ。
『信じるわ、私も』
『ボクも。ナナはちゃんと、まだ“ここ”にいるよ……!』
シカマルは大人びた顔でうなずいて、戦場に戻ろうとした。
いつになく頼りないその背に並びかけた時、いのとチョウジは再び見たこともないシカマルの姿に出会った。
『信じられるかよっ……!』
彼は肩を震わして、水面に吐き捨てた。
『いくら頭で分析して解釈したって……!』
その横顔は、怒りと恐怖、悲哀で壊れそうなくらいだった。
『オレの……この腕の中でっ……』
いのとチョウジは完全に言葉を失っていた。
『“ここ”で、“ナナ”は死んだんだぞっ……?!』
己の腕を見下ろし、消えゆくナナの命を思い出し、シカマルは震えていた。
『どんどん、力を失って……息を……すんのを止めて……!』
その姿は、二人に恐怖すら与えていた。
『こんだけ“ナナ”の死を感じといて……』
シカマルはついに膝をついて、海面を思い切り両手で殴りつけた。
『簡単に信じられるわけねぇだろっ!!!』
バシャンと跳ねた飛沫は、いのとチョウジの顔を濡らした。
『くそっ……!!』
そのままうずくまるシカマルに、やはり、かける言葉は見つからなかった。
三人はただ、情けなく水面で揺られるだけだった。
『シカマル……』
チャクラのコントロールさえ放棄して沈みかけたシカマルを、チョウジが無理やり引っ張り起こした。
シカマルはよろめきながら、だが、ちゃんと自分で立ち上がった。その表情はひどく冷たくで、まるで死人のようだった。
『たのむ……』
シカマルはうつむいたまま呟いた。
『こんなこと……お前たちにしか、頼めねぇ……』
珍しい彼の「頼み」とは……。
『オレに……“信じる”力をくれ……!』
初めて響く、悲痛な叫び。
『ガキの頃から、一緒にいるお前たちにしか……こんな情けねぇこと頼めねぇ……』
初めてさらす、
「信じる」と決めた。状況から分析して、たぶん大丈夫……。
彼の脳みそはそう判断している。
が、あまりに強烈な“ナナの死”が、彼の思考を乱す。決意を鈍らせ、心を犯し、不安をあおる。
何故なら……シカマルの心の中で、ナナの存在がそれだけ大きかったから。“ナナの死”でそこにぽっかり穴が開き、代わりに恐怖が棲みついた。
『気休めでもいい……』
シカマルはまさに、それに抗いながら二人に言う。
『信じさせてくれ……!』
いのとチョウジは視線を合わせ、同時にいつも二人を支えてきた頼もしき仲間の背を、どうじにポンと叩いた。
二人は同時にその背中を見つめる。
いつもどおり少し丸まっていて、だが萎れてはいなかった。
自分たちの存在が、彼の力になっているのだろうか……。
二人はもう一度顔を見合わせた。
その時、テントから情報部の忍が飛び出して来た。
彼はぐるりと辺りを見回し、誰かを探して走り去った。
テントに吊るしてあった外灯が大きく揺れ、彼らの影も揺らめいた。
「夜明けまで戦闘はないだろう。交代で寝とけよ」
シカマルはそう言って、いつもどおり眠そうに伸びをした。
とりあえず……いつも通り。
あれから二人が彼に何かを言ったわけではなかった。気休めの言葉も、特に口にしなかった。
が、『ナナが生きていること』を心から信じることにした。『ナナは生きている』と信じ込んで、シカマルと接した。
それが、『ガキの頃から一緒にいる』二人にとって、シカマルに「信じさせる」最良の方法だとわかっていた。
「ふぁ~……」
シカマルはまた、普段と同じ調子であくびをした。
いのとチョウジもようやくほっとして、少し笑った。
と……。
「おい、お前たち!」
先ほどの情報部の忍とともに、ダルイが走って来た。
そしてたった今、本部から届いたばかりの情報を告げた。
「雷影と火影が、今しがた“ナナ”に会ったそうだ!」
一瞬、三人はポカンとする。
今まで、意識して信じてきたコトが現実となって、逆にすぐに飲み込めない状態だった。
「ちゃんと“ナナ”は生きてるぞ!」
ダルイはもう一度、きっぱりそう言った。
「やっぱ、そうっスか……」
いのとチョウジは、またシカマルの見たこともない顔を横目で見ながら、抱き合って喜んだ。
「ったく、ナナのヤツ、ちゃんと説明しろっつーの!」
やっとのことで彼らしい台詞を言いながら、シカマルは懐にあるナナの額当てをギュっと握っていた。
「“もうひとり”なんて言われたって、ボクたちにわかるわけないじゃないか!」
「そうよ! ナナったら、忍者学校の頃から、いーっつも言葉が足りないんだから!」
三人は大げさにため息をつきながら笑った。
説明されたところで、あの“ナナの死”を目にした以上、どの道同じ心理状態になることはっわかっていた。
が、三人はわざわざ憤慨してみせた。
「あ! 今思ったんだけど、ナナの術って、綱手様のカツユ様みたいなもんだったんじゃない? “分身”じゃなくて“分裂”的な?」
「ああ……なるほど! それならわかるよ」
安心……それを強く感じたかったから、軽口を言う。
「けどよ、ナナとナメクジなんて、結びつくわきゃねーだろ」
「それもそうか……」
そして、声を上げて笑った。
「お前ら、いくらなんでも陣中で不謹慎だぞ!」
「なによー、シカマルだって珍しく声出して笑ってんじゃない!」
「二人とも、さすがに声が大きいって……!」
月の下、そう言いながらも笑い続ける三人の目尻に、同じような光の粒が滲んでいた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
猪鹿蝶の三人が泣き笑う少し前、綱手は“ナナ”と対面していた。
参戦を巡って雷影とナルト、ビーが争っていたが、すでに決着がつき、ナルトとビーの参戦が認められていた。
ようやく空気が鎮まって、綱手は改めてナナを真正面から見下ろした。
「ナナ……」
白袴姿のナナを見た瞬間から、綱手は安堵と不安の入り混じった感情をおぼえていた。
その姿にどんな意味があるのか……。色々と考えてしまって、言葉が見つからない。
「本当に、もうひとりいたのだな」
すると、綱手の気持ちを代弁するように雷影がナナに言った。
「しかし、本部に現れたほうとは、姿形は同じだが雰囲気が違って見えるが……」
綱手は雷影の言葉に同意していた。
ナルトとビーが雷影の説得をしている間、ナナはその様子を少し離れたところで傍観していた。終始ひとことも口を挟まず、ナルトの仕草ひとつひとつを、ただ見つめている……そんな感じだった。
さっそうと本部に現れて、半ば必死な形相で参戦許可を訴えた“ナナ”と比べ、その目に強い光が無かった。
「ナナ……お前……」
このナナの顔を知っていた。
「極秘任務」を言い渡した時の無感情な様子。全てを諦め、ただ流れに身を委ねたような、絶望に飽きた女の顔。
目の前のナナはそれだった。
「“もうひとり”のお前は、マダラに倒されたと戦場から連絡があったが……大丈夫なのか?」
だが、綱手は敢えて“身体”の方の心配をした。
「はい。完全に
「すでにカツユを通して連絡してある。……だが、“お前”も相当疲れているように見えるぞ?」
綱手にとっては、顔色を見ただけで相手の体の状態を知ることはたやすかった。
「“私”の方は、暁の鬼鮫って人と戦ってから、まだ力が戻ってなくて……」
雷影と綱手の視線をかわすように、ナナはさらりと言ってのける。
「でも、私はナルトと一緒に行きます」
それが任務だったからではなく、自分の意志として言ったことが、綱手には救いだった。
ほんの少しだが、任務を言い渡した時とは違っているような気がした。
「わかった。行ってこい」
綱手は、そのほんのわずかな変化に賭けた。
「はい、行ってまいります」
ナナは決意などまったく籠らない目で答え、ナルトとビーの後に続いた。
登り始めた朝日は、ナナの白い袴を赤く染めはしなかった。