ひと葉 ~参の巻~   作:亜空@UZUHA

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眼

 

 耳の奥から自分の鼓動が聞こえた。

 イタチは黙りこくったまま、走るスピードを少しも緩めない。

 彼の濡れそぼったマントから視線を逸らし、木々の下を垣間見る。

 予感はすでに確信だった。この感覚は、初めてではなかった。

 風に揺れ、雨水を滴らす枝の向こう……下方の根元に、“彼”は居た。

 

「ナナ……?」

 

 この距離では聞こえないはずのかすかな呟きが、鼓膜を震わす。

 

「サスケ……」

 

 思わず足を止めた。

 彼の眼は、薄闇の中で赤く光っていた。

 驚いたような……困惑した表情。

 そして視線は、イタチの影へ……。

 

「待て!」

 

 サスケは一瞬にしてナナを置き去りにし、ひた進むイタチの後を追った。

 

「ま、待って!」

 

 反射的に身体が動いた。

 イタチは止まらない。サスケはそれを追う。

 濡れそぼって千切れそうな心を抱えたまま、ナナはそれを追いかけた。

 

「イタチなのか?!」

 

 サスケの問いに、イタチは答えない。

 

「待てって言ってんだろうが!」

 

 サスケが須佐能乎(スサノオ)の手をイタチに伸ばす。

 それを……イタチも須佐能乎の手で払う。

 

「まさか……お前も須佐能乎を使えるようになっているとはな……」

 

 ようやくイタチが言葉を発した。

 

「なぜだ?! なぜアンタがここにいる!? アンタはあの時死んだはずだ!」

 

 サスケの戸惑いが、風を伝って来る。

 

「お前と話している暇はない。オレにはやらなければならないことがある」

「そんなの知るか! アンタには聞きたいことがある!」

「後にしろ……と言っても聞かないか……」

「アンタが前に言ったんだろ! オレと同じ眼をもってオレの前に来いと!」

 

 イタチはまた黙った。彼の思いもまた、同じ風を伝って来る。

 奥歯を強く噛みしめた。

 先ほどのイタチの言葉を思い出す。

 

『オレは全てひ(・)と(・)り(・)で(・)でしようとし、失敗した……。だから今度は……、今度こそ“仲間”に任せる』

 

 その意味はちゃんと理解したつもりだった。

 イタチはサスケをナルトに託したのだと、そう悟って納得もしたつもりだった。

 真実を求めるサスケと、それを拒否するイタチ。サスケの想いも、イタチの想いも、どちらもわかっている。

 一刻も早く、穢土転生の術を止めなければならないという事情も、ちゃんとわかっている。

 だが、

 

「待って、二人とも!」

 

 もうこれ以上……後悔をしたくないと、強く思う。

 

「待ってよ!」

 

 二人に声は届かない。

 

「オレはアンタの全てを知った! だから『木ノ葉を潰す』と決めたんだ!」

 

 まるで打ち返されるようにして、サスケの意志が突き刺さっても……。

 

「オレはもうアンタの幻術を見抜ける! これは……“アンタの眼”だ!! だから真実を話せ!」

 

 新たなる事実を突き付けられても。

 

「オレは死人だ……。今さら話すことはない……」

 

 イタチの拒絶を目の当たりにしても。

 

「待って! 二人とも!!」

 

 もうそれを、ただ見ていることはしたくなかった。

 互いに誰より大切に想いながら、だからこそ傷つけ合ってしまう兄弟を、今度こそ止めたかった。

 

「待ってよ!」

 

 何度叫んでも届かなかった声。

 

「イタチ! サスケ! 待って!」

 

 どんどん開くだけの距離。

 

「待ってってば!」

 

 無力だった己の存在。

 

「二人とも……!」

 

 もう、そんなのは嫌だった。遠ざかる二人の背を見ているのは、もう……。

 足元にチャクラを込めて、思い切り枝を蹴った。

 サスケを追い越し、イタチを追い越し、雨を追い越して……二人の前に回り込む。

 二人の、よく似た顔を見て、叫んだ。

 

「一回くらい私の話を聞いてよ!!」

 

 印を結ぶ。体内のチャクラを、いや、想いを沸騰させる。

 二人の足がようやく止まった。

 いや、身体全体が固まった。

 

「ナナ……?」

「ナナ?!」

 

 本当に……よく似ている……。

 そう思いながら、その場に膝をついた。全身の力がにじみ出ていくようだった。

 

「おい!」

「ナナ!」

 

 心配そうな声が、ふたつ……。

 

「二人とも……お願いだから……私の話を聞いて……」

 

 息が切れていた。

 が、立ち上がった。

 二人の目が見開いた。

 

「その……眼……」

 

 どちらからともなく、つぶやく。

 

 

「写輪眼……なのか……?」

 

 

 イタチの驚いた表情は久しぶりに見た……と思うと、少し笑えた。

 

「まさか……! “青い写輪眼”だと……?!」

 

 サスケの戸惑った顔も懐かしい……。

 

「やっと、私を見てくれた……」

 

 正直な感想だった。

 二人が見てくれている。嬉しかったから、目が酷く痛むのはどうでもよかった。

 

「ナナ、お前……」

「その眼……」

「イタチ、サスケ、少しだけでいいから私の話を聞いて」

 

 同時に話し出す二人を、ナナは制した。

 やっと、彼らと向き合えている自分を実感したから、ちゃんと立っていられた。二人の眼を、まっすぐに見つめることができた。

 今まで本当に臆病だった。

 二人が傷つけ合うのを直視するのが怖くて、止めることができない自分の弱さが嫌で、少し離れて傍観するだけだった。彼らの過去と向き合うことも、未来を見出すことも、怖くてできなかった。

 今は違う。

 もう、二人を見ているだけの自分じゃない。

 

「サスケ」

 

 立ち尽くすだけのサスケに向いて、言う。

 

「今、穢土転生の術が戦争に利用されている」

「戦争に……?」

「そう……死者が蘇って、忍のみんなと戦わされてる……。イタチも、呼び覚まされた一人だった」

 

 もう諦めてくれたようで、イタチは口を挟まなかった。

 

「でもイタチは自分で術を破ったから、術者の支配を受けていないの。今は自分の意思で動いてる」

「自分で術を破っただと?」

「それでイタチと私は、穢土転生を止めるためにその術者のところへ向かっていたの」

「術者が誰だかわかってるのか?!」

「薬師カブト……よく、知ってるでしょう?」

 

 皮肉めいた口調に、サスケは黙った。

 

「サスケ……」

 

 サスケが疑問ばかり口にするのも無理はない。

 だが、ひとつひとつに答えている時間はなかった。

 

「戦場のみんなは……穢土転生で蘇った“大切な仲間”と戦わされている」

「…………」

「シカマルたちも……アスマ先生と戦わされていた」

 

 怒りと疑問、焦りが交わった朱い眼。

 

「私とナルトも……イタチと……」

 

 その奥に見える、確かなもの。

 

「この術で、みんなが負わなくていい傷を負わされる……だから……だから、一刻も早くこんな術は止めなくちゃならない」

 

 サスケはわずかにうつむいた。

 

「ナナ、術を解け」

 

 それを見て、イタチが言った。

 

「お前が言うように、急がなければならない」

 

 だが、術は解かなかった。

 

「イタチ……」

 

 今度は彼を向いて言う。

 

「アナタがサスケと話そうとしない理由はわかってる」

 

 イタチの顔に、またかすかな驚きが浮かぶ。

 

「アナタが死者だから……本当はここにいるはずはないから、だからサスケに話しをするべきじゃないって思ってるんだよね?」

 

 珍しく、彼が言葉を探している。

 

「アナタがサスケのことを“生きている仲間”に託したことも……。それが、“私じゃない”ことも……」

 

 サスケは小さく身じろいだ。

 

「わかってるけど……昔みたいに私の我がままを聞いてほしいの」

 

 雨音が邪魔だった。

 が、言うべきことははっきりしている。

 

「サスケの話を聞いて。サスケに話をしてあげて」

「ナナ……!」

 

 そして、やるべきことも決まっていた。

 

「穢土転生は、私が止めるから」

 

 ほんの少しの間、雨音だけが三人の間に響いた。

 

「何を言う、お前では……」

「無理じゃないよ」

 

 先に口を開いたイタチを制す。

 イタチの不安も、サスケの困惑も、ちゃんとこの眼に映っている。

 

「私にも考えがある」

 

 二人が、この眼に映っている。

 

「ナナ、駄目だ。お前一人で行かせるわけには……」

「だって……」

 

 三人で、ここに居る。

 

「今、ほんのちょっとだけ、私の夢が叶ったんだもん」

 

 胸が詰まった。

 

「夢……?」

「ナナ……」

 

 「夢」と認識したのはだいぶ成長した後だった。

 が、その単語を知ってからは、これが確かに「夢」だった。

 

「イタチとサスケと私……いつか木ノ葉の里で、三人で遊べたら……って、子供の頃、思ってた」

 

 二人がわずかに息を呑んだ。

 

「ここは木ノ葉じゃないし、楽しく遊んでるわけじゃないけど……」

 

 交互に、ついに黙りこくった二人を見る。

 

「イタチがいて……サスケがいて……私もここにいる……」

 

 強がりじゃなく、そう思った。

 

「夢が、叶ったような気分なの」

 

 もう、二人が戦う必要は無い。サスケがイタチを憎む必要は無い。イタチがサスケを傷つける必要もない。

 だから……。

 

「だから、すごくうれしくて……、今ならちゃんと戦えると思えるの」

 

 両手を握った。

 指先まで冷えていたが、こぶしの中にはちゃんと力の種がある気がした。

 

「ナナ……」

 

 それでも、二人が納得しないのはわかりきっていることだった。

 

「イタチ……本当は、アナタは私が“送る”はずだった。そしてアナタが穢土転生を止めるなら、アナタが逝くのを見届けようと思った……」

 

 雨が少し、弱まった。

 

「それなのに、私がこれからアナタを消すことになっちゃって……ごめんね」

「ナナ、お前は……」

「でも……」

 

 この兄弟の鬼胎を振り切って、雨の向こうへ進まなければ。

 

「サスケがアナタを見送るから、いいよね?」

 

 二人はまた、「術を解け」と繰り返す。

 雨粒が二人の周りで弾けていた。

 

「だからイタチ……、私はアナタとここでお別れだから……」

 

 それは薄明りの森の中でも、とても、きれいに見えた。

 

「最期のお願いを聞いてくれるよね?」

 

 イタチに向けて……。

 

「サスケと話して」

 

 二人にとって最初で最後の、真実の刻(とき)を願い。

 

「サスケ……」

 

 サスケに向けて……。

 

「また、会えてよかった」

 

 手向けの言葉を残し。

 

 

「穢土転生は、私が必ず止めるから」

 

 

 決意を突き付ける。

 

「ナナ!!」

「ナナ、待て!!」

 

 二人は激しく動こうとした。

 が、何度やってもその両足を浮かすことすらできなかった。

 

「いい加減、仲直りしなよ、二人とも!」

 

 そんな二人に、笑って見せる。

 満足だった。二人がこれから過ごす時を思うと、この上なく幸福だった。

 たとえそれがほんのわずかでも。それをこの手で終わらせることになってしまっても。

 この瞬刻が二人にとって貴いものになると信じている。

 

「…………」

 

 さようなら……は言いかけてやめた。

 もう、去ろう。その一言すら残さず、綺麗に雨霧の中に消えてしまおう。

 

 どうか二人の、この刻を……。

 

 願いを込めて二人を見つめ、森の奥へ走った。

 後ろから聞こえる二人の声は、すぐに雨音にかき消された。

 

 

 

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