龍地洞……仙人モード……龍……。
カブトが何か耳障りな単語を並べ立てている。
が、そんなことはどうでもよかった。
イタチとサスケが並んで、戦っている。
それがただ、うれしかった。
眼が激しく痛んだが、つむっているのがもったいなかった。この眼にちゃんと、二人の姿を焼き付けておきたかった。
向き合って傷つけ合うのではなく、隣り合って共に戦う姿を。
できるだけこの時間が続けばいいと思いっていた。
戦争……そのことは忘れたわけではないけれど。
ただ、ほんの少しのわがままが許されるなら、一分でも、一秒でも、二人の姿を見ていたかった。
それなのに、視界は突然奪われた。
蛇だか龍だか……醜く姿を変えたカブトの術だった。
洞窟内は目も開けられないような閃光に包まれ、高い不協和音がこだまする。空気が振動し皮膚にビリビリとした衝撃を与えた。
視界と聴覚が奪われた。骨が軋んで全身が麻痺するようだった。
だが、どうせ動けぬ体では何の意味もなかった。
ただ二人の姿が見られないことに苛立った。
耳を塞ぐのも億劫で、無防備に座り込んでいた。
と……、身体がふわりとかすかに温かい空気に包まれたのがわかった。
不快な空気が消えたから、うっすら眼を開けた。
何かに身体が囲われている。紅蓮と紫炎の二重に……。
それはまるで焔の揺らめきのようだった。
「まさか……君たちはボクのチャクラを感知できているのかい?」
術を成したカブトが、向こうの方でわずかに驚いている。
「いや、ちがう」
ぶっきらぼうに、サスケが答えた。
そして。
「お前がどこを狙うかはハッキリしていた。だからそこを守ればいいだけだ」
イタチが冷静に言う。
それでナナも理解した。
身体を包むのは須佐能乎の手だ……。今、二人に守られた……。
「なるほど! それが君たちの絆……、いや、愛ってやつかい?!」
カブトは饒舌だった。自分の身に起きたことを語り、遂には大蛇丸を超えた存在と宣言し、その力を誇示した。
そして得意の心理戦を展開したつもりか、イタチの生き様を愚弄した。
イタチが根っからの「嘘つき」だと。
そして自分もイタチと一緒だと。イタチも自分も己や周囲に嘘をついて木ノ葉のために働いたのに、見返りは汚名と不名誉だった……と。
それはイタチ自身を追い詰め、そしてサスケを動揺させる台詞のようだった。
もちろん、少し離れたところでそれを聞かされるナナにとっても、確実に“攻撃”となった。
だが、イタチは示した。
「里がどれだけ闇と矛盾を抱えていようと、オレは木ノ葉のうちはイタチだ」
己の存在を。
ふと、また昔のことを思い出した。
こんな時にも、それは鮮明に瞼の裏に映し出される。
一人で和泉の里へ自分に会いに来てくれた、まだ子供だったイタチ。少し汚れた忍装束をまとい、忍刀を背にし、額宛てをしっかりしめて。
あの頃から、イタチはきっと心に闇を抱えていた。一族と里の狭間に立ち、それぞれから背負わされたものを受け止めていた。
それでも確かに、イタチは木ノ葉の忍である自分自身を誇りに思っていた。
まだほんの幼い子供だった自分にもそれは理解できた。詳しい話など聞いたことはなかったが、少なくともイタチは戦うことから背を向けてはいなかった。
何故なら……、そんなイタチを見て育ったからこそ、忍に憧れた。木ノ葉隠れの里に行ったら、忍になると決めていた。
それが、あの頃の自分にとって未来へのただひとつの希望だった。
そして今、サスケと自分は、イタチを思って里への憎しみを抱えた。
だがイタチは……。イタチの愛は、深すぎる……。
「イタチ……」
過去の姿と、現在の姿。少しも変わらぬその生き様に、胸が痛んだ。
そして、イタチに並ぶサスケが今何を思っているのかを考えて、眼が痛んだ。
この痛みには耐えるから……。だから、どうかもう少しこのまま……。
そんな浅はかな願いが叶うはずはなかった。
うちはの二人は強かった。二人の兄弟は強かった。
やがて、カブトの動きが突然止まった。
イザナミ……。
かつて同じ時を過ごした兄弟にしか成し得ない術でカブトを追い詰め、イタチがそれを発動したのだ。
術の内容はよくわからなかった。
が、
「これより穢土転生の術を止める」
唐突にイタチが告げた。
瞬間、これで全て終わったのだと悟った。
二人が勝った。二人の力が合わさって、勝ったのだと。
それは本当にうれしかった。
だが。
「なら……兄さん、アンタも……」
サスケが口にした。
そうだ。穢土転生を終わらせることは、イタチとの別れを意味する。
今度こそ、永遠の別れ……。
「オレは木ノ葉隠れの忍として、もう一度この手で里を守ることができた」
イタチはそう言う。
「だからもう、この世界に未練はない」
サスケとしっかりと見つめてから、こちらを向いて。
「なぜだ!? 兄さんを苦しめた木ノ葉のために、なんでまた兄さんが犠牲になる!」
サスケの背が、震えた。
「兄さんが許せても、オレが木ノ葉を許せない!!」
それは鎮まるはずのない、確かな怒りだった。
「この世に未練がないだと!? オレたちをこんなふうにさせたのは兄さんなんだぞ!」
「オレたち」……と、サスケは言った。さっきから一度もこちらを見ないのに。
眼の奥と、胸の奥が同時にズキリと軋んだ。
「お前を変えられるのは、もうオレじゃない」
なだめるように、イタチは言う。
「ナナを護るのも、オレじゃない」
サスケと、やっぱりこちらを見つめて。
「だからせめて……、この術を止めることがオレの今できること」
眼が合って、イタチが何を言うのかわかってしまった。
「あとはナルトに託した……」
ああ……そうだった。サスケの怒りと同調していたから、半分忘れかけていた。
イタチがサスケのことをナルトに託したのだと、あれほどしっかり理解していたつもりだったのに。
それなのに、今はあと少しの時間を欲している。二人の間に流れる時間を止めてしまいたいと思っている。穢土転生なんて、止まらなくていいと思ってしまっている。
「イタチ……」
そう呟いたのを見届けるようにして、イタチはカブトと向き合った。
ゆっくり、立ち上がる。膝から崩れ落ちそうだったが、ここで止まるわけにはいかなかった。
(イタチ……)
去りゆく彼を、ちゃんと見送らなければならない。
とうとう、イタチの幻術にかけられたカブトが穢土転生を解く印を結び始めた。
「もう……何を言っても無駄か……」
低い声で、サスケが言った。イタチの背を見つめたまま、想いを。
「トビやダンゾウの言ったことは本当だったんだな……」
サスケも自分も、イタチに会って確かめられた。皆に聞かされたイタチの真実が、本当に“真実”であることを。
だが、サスケが知ったのはそれだけじゃなかった。
「アンタといると昔を思い出す……。兄を慕っていた、幼い頃の気持ちを……」
イタチを誰よりも慕っていた頃の気持ちが、今もまだ心の中に色濃く残っていることを、サスケは思い知ったのだ。
(サスケ……)
彼はわずかにうつむいていた。
「だからこそなんだ……!」
そして葛藤を吐露した。
イタチを慕っていた気持ちがあるからこそ、イタチを理解するにつれ、イタチを苦しめた木ノ葉への憎しみが募ることを……。そしてそれが、どんどん増していくのだと。
「アンタがオレにどうしてほしいかわかっているつもりだ。アンタはオレの兄だからこそ、オレの意思を否定するだろう」
やっと、サスケの側まで来ていた。
「でもオレも、アンタの弟だからこそ止まらない……」
その震える背を見つめながら、彼の言葉をはっきりと聞いた。
「ここで兄さんが里を守ろうとも……、オレは必ず木ノ葉を潰す……!」
憎しみ……ではなかった。
サスケの声には逃れられない何かがまとわりついていて、サスケ自身もそれを知っているようだった。
その想いは今もなお、手に取るようにわかった……。
「サスケ……」
サスケの拳が、ゆっくりと握られた。
そしてイタチは何も答えぬまま、カブトが印を結ぶさまを見守っている。
「さよならだ……」
大人びた声音で、サスケが言った。
それは今までで一番、心の奥深くに突き刺さり、冷たく鈍い痺れを与えた。
その瞬間。
「ナナ……?」
身体はサスケの想いに突き動かされたように反応し、サスケを通り越してイタチの前に歩み出ていた。
右手が、しっかりとカブトの手首を掴んでいる。
印が止まった。
言葉も出てこなかった。
「ナナ……」
イタチが困ったような顔でこちらを見下ろす。
その顔も、もう涙で滲んでほとんど見えなかった。
「待って……」
言葉も千切れて、情けなくこぼれ出るだけだった。
「もう少し……」
左の手で、イタチのマントを強く握る。
「もう少しだけ……!」
何に願えばよいのかわからなかった。
が、
「お願い……!!」
懇願した。
「あと少しだけっ……!!」
どうか、時間をください……と。どうぞ、許してください……と。
「ナナ、お前には感謝している……」
イタチはかすかに笑った。懐かしい笑みだ。
「お前のおかげで、オレは何の未練もなく逝ける……」
この優しい声も、懐かしい。
「イタチっ……」
「嘘つき」と、そう叫びたかった。
嘘ばかり。サスケと話なんかしなかったくせに。サスケのことをナルトに託したって心配なくせに。自分に、サスケをたのむとは言ってくれないくせに……。
それらのひとかけらすらまともに言えなくなった自分に対し、イタチは……。
「さよならだ、ナナ」
そう、言った。
「イタチ……!」
肩が震えるほど強く、彼のマントを握った。
「いかないで……!!」
最後の願いを吐き出して、唇を思い切り噛みしめる。
イタチは笑った。本当に、綺麗に笑った。
そして、
「サスケ」
弟の名を呼ぶ。
「イタチ……!!」
左の手が、イタチの両手に包まれた。
「やだ! やだよ!!」
体温などない、死人の手……。
「お前と出逢えて、幸福だった」
今度こそ、それは別れの言葉だった。
願いは届かなかった。あと少しの時間も許されなかった。イタチの意志を揺るがすことなどできなかった。
手が、引かれる。
少しよろめいて、カブトの手を放した。もう、身体に力が入らなかった。
そしてイタチは、黙って側に立ったサスケを向く。
左手からイタチの冷えた手が離れ……代わりにサスケがそれを握った。
「イタチ……」
イタチは再びカブトと向き合った。
サスケに手を握られたまま、それを見守ることしか、もうできなかった。
サスケは何も言わない。イタチも黙っている。
カブトが静かに印を結ぶ。
ナナの呼吸音だけが、哀れに響く。
そしてついに、カブトは最後の印を結んだ。
風が起こり、イタチの身体から天に向かって光が生まれた。
サスケの手が、ほんのわずかに力を強めた。自分の手が、情けなく震えているのがわかった。
(いかないで……)
性懲りもなく、まだ、そうつぶやく心。叫ぶこともでずに、ただ、涙とともに想いをこぼすだけ。
サスケの手を、握り返すことさえもできないで……。