どのくらいそうしていたのか……。
暗い洞窟の中で、時間の経過はわからなかった。
ただ、疲れていた。横隔膜が激しく痙攣を繰り返し、眼と、頭が酷く痛んだ。
それをなだめるように、いつの間にかサスケの手が、そっと背中をさすっていた。
「サスケ……」
情けなく、すり切れた声だった。
すぐ側に彼の顔があった。まだ、眼は見られない。
「サスケ……」
呼びかけてみたものの、言葉が見つからなかった。
いや、言うべき言葉など見つけられないことに気づいた。
「うっ……」
喉の奥から、声にならない音が出る。
「ナナ……」
サスケはゆっくりと体を起こし、
「眼は、大丈夫か?」
あっさりと、この眼を見つめてきた。
「痛むか?」
返事どころか、うなずくことすらできない。
だが、サスケは答えを求めはしなかった。ただゆっくり、ぐちゃぐちゃの顔を袖で拭ってくれた。
それでもにじみ出る涙を見て、サスケはフッと笑った。
漆黒の眼に、闇はなかった。
その代わり、澄んでもいなければ、光もなかった。
「サスケ……」
知らずとしがみついていたサスケの背中を、改めて掴みなおした。
「いつ、開眼した?」
もう一度指で涙をすくいあげて、サスケは問う。
この答えは、待っているようだった。
「……イタチが死んで……アナタと別れた後……」
しゃっくり上げながらも正直に答える。
サスケは「そうか」とだけ言った。
答えに何を感じたのか、声と表情からはわからなかった。
「サスケ……」
震える胸を押さえつけ、今度は逆に問う。
「どうやって……ここへ、来たの?」
別に今さらどうでもよかったのに、自然と口を付いた問いだった。
「陰陽術のことを、オレもイタチも少し知っていた」
サスケは小さく笑いながら、そう答えてくれた。
写輪眼による“縛り”の術はともかく、陰陽術の結界はそう簡単に破られまいと思っていた。
が、イタチのことだから、和泉の里に伝わる陰陽術のことを調べていたのだろう。
それに……サスケは“姉上”を知っていたのだと思い出し、合点がいった。
「そっか……」
ガンガンと、頭の後ろ側で痛みが響いた。
「無茶な使い方しやがって」
サスケは慰めるように、頭を撫でた。
不自然なくらい彼は優しく、そして落ち着いていた。
「サスケ……」
違和感はあった。彼の心がつかめなかった。こんな感覚は初めてだった。
「これも……なんとかしないとな」
サスケはそんな戸惑いなどお構いなしに、そっと左の首筋に触れる。
そしてそのまま、頬に手を添えた。
「カブトの細胞が、少し同化しているようだ……」
不快感を表わしながらも、指の感触から躊躇いは伝わってこない。
「痛むか?」
彼が何故、こんなにまで落ち着いているのか、穏やかでいられるのか、わからなかった。
こんなサスケに全てを“押し付けて”泣いたくせに、今さら彼のことを気にかけている自分が滑稽だった。
「ナナ?」
答えを促され、かろうじて首を横に振った。
その時、気がついた。
サスケの眼が、深海のごとく暗く静かなのは……。
「ナナ……オレは今、これからどうすべきか迷っている」
気づいたことが形になる前に、サスケは告げた。
はっきりと、瞳に浮かべた「迷い」を言葉にして告げたのだ。
「サスケ……?」
「復讐自体は迷ってはいない。木ノ葉への憎しみもさらに深くなった」
こんなにも質実に心を打ち明けられたことがあっただろうか。
「だが、イタチの真実を知って……イタチの想いを知って……」
さらけ出されたサスケの想いに竦んでいた。
「イタチとは……うちは一族とは……里とは……忍とは何なのか……オレはあまりに知らなすぎることに気づかされた」
迷いも葛藤も、そして焦燥も……サスケはありのままを見せていた。
「そして、オレはいったい……」
サスケはそうつぶやいて、目を伏せた。
こんなサスケは、見たことがなかった。
これまでずっと「わかる」からお互い言葉にしてこなかった。不安も怒りも戸惑いも、何も口にしないままここまできてしまった。
それが、今になってサスケは己の感情を口にする。
その姿に驚いて、ただ戸惑った。惰性で流れていた涙も止まるほどに。
「サスケ……私は……」
“何か”を言いかけた。
が、途中で糸が切れたかのようにプツンと止まってしまった。
何を言おうとした? 何か、彼に答える言葉は在ったのか?
自問する。
それを見透かしたかのように、サスケは大人びた笑みを浮かべてやさしく頭を撫でた。
「ナナ……お前は少し休め」
「え……?」
サスケは全部わかっているかのようにこう言った。
「何も考えなくていい……。自分自身の想いも、何が正しいのかも、考えなくていい」
息を呑んだ。
「最期……イタチに言われただろう?」
サスケの声に誘われるように、ついさっき贈られた言葉が蘇る。
『お前はもう、何も背負わなくていい』
イタチがそう言った意味をまだ理解できてもいないのに、サスケはそれを軽やかに誘う。
「もう強くあろうとしなくていい……。少し休め」
そして、イタチの言葉と同調する。
「サスケ……」
枯れたはずの涙が、またそぼそぼと流れた。
初めてだった。
選ばなくていいことも。何が正解なのか考えなくていいことも。意志を持たなくていいことも。心を預けられることも。
こんなふうに、サスケの側にいられることも。
「お前はオレと同じ傷を負っていたのに……、いつもオレを受け止めてくれていた……」
サスケがわずかにうつむいて、
「だから、これからは……」
憂いを浮かべた顔をして、言った。
「何があろうと、オレがお前を受け止める」
それが……この姿の訳か……。
頭が痺れているかのように、ぼんやりとそう納得した。
サスケがこんなに静穏としているのは、二人の過去に共感したからか……。
いや、それだけじゃない。
イタチの記憶……真実を知って、憎しみの的を見失ったからだ。
自分自身で口にしたように、彼は進む道を迷っている。
今までずっと、「復讐」という道を歩んできた彼にとっては、立ち止まらざるを得ない状況になってしまったのだ。
ようやく、彼の心が理解できた。
それはとてつもない安堵だった。
「サスケ……」
それは決して、幸せな気持ちなどではなかった。
お互いに。今さら、痛みは癒せない。漂う悲壮感も消せない。笑い合うことなどできない。
だが、
「ありがとう」
素直な気持ちを、言葉にした。
「手を握っていてくれて……」
もしサスケがいなかったら、こんなに辛くはなかっただろう。
この苦しみも悲しみも……こんなふうに“二人分”の絶望を感じることはなかったはずだから。
だが、彼がいなければこの安堵感もなかった。イタチが散り逝く様を、ひとりで見送らずにすんだ。サスケが手を握って、隣にいてくれたから。
「あの時みたい……」
ふと浮かんだ記憶。
「お前の姉が死んだ時か?」
サスケは見透かしたように言う。
「お前、あの時はオレの前で泣けなかったな」
そして、懐かしそうに小さく笑む。
「あの時もオレは、自分ばかりが傷つき、憎しみを抱えていると思い込んでいたから……お前のことをちゃんと受け止めてやれなかった」
その台詞に、あの時のもどかしい気持ちが克明に蘇った。
「私……イタチが去ってからは……絶対に泣かないと決めていたから……」
今なら、あの時のことが話せる気がした。
「私は……『イタチのことを知ってる』って、サスケに言えなくて……ずっと……苦しかった」
声は情けなく掠れていたが、驚くほど淡々と、あの頃のことが口をついて滑り出る。
「ああ、わかってる」
サスケも、心を揺るがすことなく聞いている。
「アナタを騙してるみたいで、嘘をついてるみたいで……。ときどきどうしようもなく、アナタの目をまっすぐに見られなくなった」
「ああ……」
「あの時も、サスケが海まで連れて行ってくれて……そこでイタチの話をしてくれて……『私もイタチを知ってる』って言いたかったのに、どうしても言えなかった」
「ああ……」
「なんにも言えないまま、私はアナタが里を抜けるのを黙って見送った……」
静かに相づちをうつサスケの手を、握った。
「私がアナタのことをこんなに好きじゃなかったら、もっと早く、イタチのことを話せたのに……」
罪悪感と愚かさに、自然と口の端が上がった。
「ナナ」
サスケは言葉の代わりに、手を握り返してくれた。
「怖かった……」
きつくもなく、緩くもなく、ほどよい強さで指が絡む。
「アナタが憎んでいたイタチが、私にとっては大切な人だったから……。イタチのことを話して、アナタに背を向けられるのが怖かった」
だから、躊躇わずに想いを吐露することができた。
ぼろぼろの心が、少しだけ軽くなった気がした。
「ナナ、オレは……」
手が再び離れた。
そしてサスケは、もう一度しっかりと抱きしめて言った。
「もう二度と、お前に背を向けない」
指の先から力が抜けた。
サスケの声には熱など少しもこもっていなくて、むしろ冷めたように聞こえたが、それでも心は安らいだ。
互いの過去……幼い姿に出逢って、全てを知った。迷いも、罪も、後悔も、言葉にしてさらけ出した。互いの心に、同じ傷を見た。互いに相手の存在こそが傷を抉っていると気づきながらも、その存在に安堵していることを知った。
心が……深いところで繋がっているのを感じた。
「サスケ……」
今、彼への想いが何の色をしているのかわからない。
同情か共感か、依存か……例えば愛じゃなくとも。
「ありがとう」
ここに居てくれてよかったと心から思った。
彼の言葉に安らいでいた。
だからもう、サスケに心を……全てを預けた。