同じ眼……。
視界は繋がっていた。
カカシはひとり取り残された“異空間”から、現実に起こる光景を見ていた。
オビトの眼で。
そこに映ったのは、まっすぐな眼差しで戦うナルト。彼と共に戦うサスケ。
そして、空に浮かぶ碧い星……。もう、戦う強さなどとっくに剥ぎ取られてしまったはずの、ナナだった。
(ナナ……)
ようやく溜まったチャクラで、カカシは異空間から現実に戻った。
手にクナイを握りしめ、オビトの上で振りかざす。
決着を……けじめを……。
その覚悟だった。ナルトとサスケが駆けつけるより早く、終わらせてしまいたかった。
オビトももう力が尽きたのか、意思も枯れ果てたのか、ぼうっとこちらを見上げたまま動こうとはしなかった。
だが、振り下ろそうとした腕は師であるミナトに遮られる。
彼はナルトたちをマダラの封印に向かわせた。
そして、かつて『ミナト班』だった三人だけになると、静かに語った。
リンのこと……。彼女を守れなかった、悔恨を。死してなお背負い続けて来たもの全てを、さらけ出した。
オビトも語った。
リンを失って、この世界に希望などないと確信するばかりだったと。写輪眼をもってしても、何も見えなかった……と。
そこに伏すのは、絶望に染まり、孤独にまみえ、望みもへし折られた抜け殻の男だった。
彼は力尽きた今も、まだその目に迷いを浮かべている。
カカシは言った。
オビトの言うことは、本当は正しいのかもしれない。
だが、オビトがくれた眼を凝らして
そしてナルトという光が見えた……そう、伝えた。
「そうかもしれないな……」
遠くで強く弾けるナルトのチャクラを感じながら、オビトは呟いた。
浮かべた迷いは、徐々に薄れていた。
きっと、今ならわかり合える……。
カカシは自分の言葉を聞き入れつつある親友に、そんな予感がした。
だがその時、オビトは激しく咳き込んだ。
喉の奥から、赤黒い血が吐き出される。
「オビト……!」
もう自分で口元を拭えないほど、オビトは弱っていた。
ミナトが「十尾の人柱力は尾獣を抜かれても死ぬことはない」と説く。
正直に安堵した。
このまま別れるのは、やはりやりきれなかった。
この戦場にいる全ての忍、サムライにとって、オビトは“敵”で“仲間の仇”ではあった。
それでも、カカシは彼との時間が残されていることを嬉しく思えていた。
しかし当の本人は、ミナトとカカシのやり取りにかまわずこう言った。
「カカシ……ナナを……まもれ……」
弱く掠れた声だったが、それはカカシの耳の奥にまっすぐに届いた。
「え?」
「ナナを、早く……まもるんだ……」
この三人の間に『ナナ』の名があがったことに、違和感を覚えた。
しかも彼は「まもれ」と言い、またそれを急かしている。
「どういうことだい?」
一瞬早く動揺を抑えたミナトが尋ねる。
オビトはゆっくりと言葉を吐き出した。
「オレがナナを……ナナの眼を利用しようとしていたことは、さっき話したな……」
「まさか……」
悪い予感がした。
「それはもともと……マダラの計画だ……」
思わず背後を振り返った。
見えるはずのない、ナルトたちとマダラの戦域。
「マダラはとうとう寿命が近づいたとき、オレに“最後の計画”を打ち明けた……。うちは一族の、石碑に記されていたことだ……」
オビトの口から、マダラの計画とやらが語られる。
「無限月読は神樹の花が開いたときに完成する……。その花が開くためには“和泉一族”の血が必要だと……」
それは予感していたとおり、ぞっとする内容だった。
「オレもその後、実際に石碑を読んだ……。蕾が成るまでは吸い上げた人間のチャクラでいい。が、開花には人類で最も尊い和泉一族の血が必要になると、そこには確かに書かれていた……。だからナナの血が、今、最終段階で利用されようとしている……」
ナナの血が、まるで神樹に与える“肥料”とでも考えられていたようで、カカシは憤りを隠すことができない。
が、これで全てではなかった。
「そして……」
オビトはさらにおぞましいことを告げたのである。
「マダラは……さらなる写輪眼の“進化”をも夢見ていた……」
「どういうことだ?!」
憤りが頂点に達した。
オビトの言葉を、ただじっと耳に受けることができないでいる。
「マダラは、写輪眼の変化が『輪廻眼』で完成するのではなく……、この先もっと強大な力を持つ眼へ進化する可能性を語っていた……」
オビトは、目を伏せて語った。
「ゼツが探して来た“和泉成葉の産まれなかった子供”という存在は、うちは一族と和泉一族の混血であり……、写輪眼の“さらなる進化”を成し遂げるにふさわしかった……」
「だから……お前は……」
「そうだ……。マダラの言葉を信じたオレは、さっき言った通り、この世に“ナナ”を転生させるよう仕向けたのだ……」
カカシはオビトから目を逸らした。
あまりに馬鹿馬鹿しい理想を明かされ、憤りが一気に冷めたのだ。
「お前たちの目論見どおり……ナナは“青い万華鏡写輪眼”を開眼したというわけか……」
吐き捨てるように言った。
胸に湧くのは軽蔑以外の何物でもなかった。
「オレが仕向けるまでもなく……ナナはあの眼を得た。その力も……たった今、証明された。尾獣たちを、そこに実体がないにもかかわらず、いっぺんに……支配する能力……。それを、マダラも見ていたはずだ……」
異空間から見えた、ナナの瑠璃色の眼……。
その真新しい記憶が、やっとカカシの中の正常な心の形をとどめていた。
「オレは……ナナがオレと同じ絶望の淵に転がり落ちるところを見ていた……。そして、オレの理想との同調を期待した……。が、ナナは何度も立ち上がった。今も……希望など無いのに、それでも戦った。おそらく、すでにナナ自身も気づいているはずだ……。この計画に、自分の存在が利用されようとしていることを……」
カカシは思わずため息をついた。
ナナは見かけによらず鋭いところがある。冷静に物事を見つめ、自分の役割を考えて、まさに忍のように影で立ち回るのだ。
だから、「すでにナナ自身が気づいている」と言ったオビトの言葉は正しく思えた。
「だったらマダラを一刻も早く封印しよう。マダラをナナちゃんのところへ向かわせなければいいんだろ?! カカシ、君はナナちゃんのところへ……!」
ミナトが冷静に言う。
カカシはかろうじてうなずいた。
「カカシ……」
オビトは立ち去ろうとしたカカシを呼び止めた。
「ナナはおそらくお前に、『自分を殺せ』というはずだ……」
一瞬、言葉を失った。
が、すぐに納得した。
自分の存在を利用されることが避けられないと悟った以上、ナナはそれを願うはずだ。
ナナはそういう子だ。良く知っている。自分の犠牲など少しも考えない子なのだ。
「いいか、カカシ……」
そんなナナの強さが憐れだと……何度、思っただろう。
ナナを想うカカシに、オビトはさらに言った。
「ナナはとっくに……自分で自分の存在を始末しようとしたはずだ……」
また、不意をつかれて息を呑む。
「良く知っている」と自負したばかりの自分が、またオビトの言葉に深く納得してしまっていた。
そうだ……。
ナナならば、それに気づいた時点で自分で事を収めようとする……。
ナナはそういう子なのだ。
「だが、それは叶わないんだ……」
急に焦りで熱くなった身体を冷やすように、オビトが言った。
「ナナには産まれた時から、“二つの術”がかけられていると言ったな……」
異空間で対決した時、オビトは今とは違う顔で愉快そうにそう言っていた。
その意味を、オビトは今になって明かす。
「ナナには……決して自決できないように、『封じの術』がかけられている……」
カカシは反射的にミナトを見た。
もう、オビトから語られるナナの真実に頭が割れそうになっていたのだ。
ミナトはその視線を受け止め、静かに言った。
「その術をかけたのは誰だい?」
「和泉の人間だ……。オレと繋がっていた一族の者が、そう言っていた。ナナが……己の“使命”に絶望しても、決して逃れられないように、実の父らが術をかけたのだと……」
カカシは黙った。
何に抗議していいのかわからなかったし、言葉が浮かばないほど感情が激しく渦巻いていた。
「だから、カカシ……」
オビトはそんな彼に、ただ淡々と言った。
「ナナを……異空間に隠せ……」
それは助言だった。
さっきまでナナを利用しようとしていた者の、ナナを護るための助言……。
「そこなら……“今のマダラ”では、手が出せないはずだ……」
カカシは彼のうつろな目をじっと見た。
息をするのもやっと……というほど弱っている。さっきまでの、理想を追い求めて世界に楔を打った男の姿からはずいぶんと変わり果てていた。
かといって、昔の親友のまっすぐな眼差しともかけ離れている。
が、これはまぎれもなくうちはオビトだった。
戦いに敗れ、全てを失い、起き上がることさえままならない、かつての親友。昔、火影を目指していた男なのだ。
「ナナの姿を捉え次第……有無を言わさず、飛ばすんだ……」
「ああ、わかった」
カカシは彼の助言にうなずいた。
オビトがナナに対してどんな感情を抱いているのか、聞いてみたかった。
さっきまで“利用”することしか考えず、そのために自分が意図して産み出した存在と言い捨てていたナナを……今、オビトは確かに守ろうとしているように見えるのだ。
それは、ナナへの共感か……憐みか……贖罪か……。
が、その話をしている余裕は無かった。
「先生、あとを頼みます。オレはナナを探します……!」
改めて決意を固め、カカシは思い出したように全身に力をこめた。
そして手のひらに自らの鮮血を塗り、印を結ぶ。
口寄せの術である。忍犬を呼び出し、ナナの居場所を感知しようとしたのだ。
だが、その手が地面につく前に、突然オビトが叫び声を上げた。
「オビト!?」
ミナトさえも不意をつかれていた。
カカシは、オビトの顔の横から黒い手が二本、突き出したのを見た。
「うぐっ……!」
黒い手はまるで蛇のようにうごめき、あっという間にオビトの腕に絡みついた。
そして、その頭部が地面から表れる。
「く、黒ゼツ……!?」
オビトはそう言った。
『黒ゼツ』……それは、本部からすでに「捕らえた」という報告があった敵の名だった。
それが今、目の前で実際に動いている。
「ぐっ……!」
「オビト?!」
オビトはなけなしの力で必至に抵抗しようとしている。
だが、黒ゼツはカカシとミナトが止める間もなく、ニカワのようにベッタリとオビトの身体にとりついた。
「オビト!」
阻止しようとしたが無駄だった。
黒ゼツはあっという間にオビトの身体と一体化した。攻撃を加えればオビトの身体にも傷をつけてしまうのが明らかだった。
「オビトをどうするつもりだい!?」
ミナトが殺気を込める。
が、黒ゼツは不気味な低い声で平然と言った。
「悪イナオビト……。オレハコノ瞬間ノ為ニイタンダヨ……」
そしてオビトの腕を我が物のように動かし、印を結ぶ。
「何だ?!」
何の印か……カカシは見たことがなかった。
ミナトも同様に息を呑む。
オビトは抵抗しようとしていたが、その手は最後の印を結び終えたようだった。
こちらに対する攻撃……ではない。
「オビト!?」
黒ゼツはニヤリと“口の部分”を歪め、オビトの身体から離れた。
そして上半身だけ地面から出した状態で、じっとオビトの顔を見下ろす。
「な、何をした?!」
解放されたオビトは、残っていた最後の一滴まで搾り取られたように弱り切っていた。
彼は息を切らしながら、苦しげにこう答えた。
「マダラが……生き返って……しまった……」
カカシは耳を疑った。
が、すぐに思い出した。
ペインの木ノ葉崩しの時……一度死んだはずの自分がこの世に“生き返った訳”を思い出したのだ。
「オビト……コレデオ前ハ用済ミダ。『輪廻転生』ヲシタオ前ハ、モウ死ヌ」
「輪廻転生」……その言葉、いや術の名を、確かに聞いたことがあった。
「オビトの身体を使って、輪廻転生の術でマダラを蘇らせたのか?!」
そう叫んだ。
だが、黒ゼツはカカシの声など耳に入らないかのように、オビトを見つめたままその手を伸ばす。
「サテ、最後ノ仕事ダ。オビト、ソノ左眼ハ返シテモラオウ」
反射的に身体が動いた。
オビトの身体から離れたのなら、黒ゼツへの攻撃は可能だった。
そう気づいたのはもちろんミナトも同じで、二人は同時に黒ゼツに飛びかかる。
だが一瞬早く、黒ゼツが動いた。再びその身体を自在に変化させ、影となってオビトにまとわりついたのだ。
「オレガ取リ付イテイル間ハ、少シクライ長持チスルダロウ」
オビトのちょうど左半身が、黒ゼツに覆われた。
「君はいったい何者だい? 人間……ではないね」
ミナトは慎重に問う。
「人間ではない」という師の言葉に、カカシも賛同していた。
「オレノ存在ハ“マダラノ意志”ソノモノ……。マダラノ邪魔ヲスル者ハ、オレガ排除スル」
死にかけのオビトが、黒ゼツに半身を奪われて立ち上がった。
「マダラノ策ヲ遂行デキナカッタ役立タズダ。コイツガ死ヌマデノ間、コノ体ヲ使ッテオ前タチト戦オウ。最後グライハ役ニ立ッテモラワネバナ」
この状態からオビトをどうやって助け出せばよいか……。いや、どうやってこの黒ゼツと戦えばよいか……。
カカシは急速に頭を回転させた。
だが。
「カカシ……」
黒ゼツを見据えたまま、ミナトが言う。
「君はナナちゃんのところへ!」
「先生……」
「君がナナちゃんを守るんだ! 君はあのコの師だろ?」
ミナトの横顔は少しも変わらなかった。
ずっと憧れ、慕っていた、知的で強い眼差しだ。
「ハイ……!」
カカシは昔そうしていたように、勢いよくうなずいた。
しかし……。
「ソウハサセナイ。“和泉菜々葉”ハマダラノモノダ」
黒ゼツは、こちらの意図など最初から全て承知しているといった速さで攻撃を仕掛けて来た。
カカシの足もとから黒い影が二本飛び出し、彼の足首を絡めとる。
「和泉菜々葉ハ、マダラガ造ル世界ニ必要ナ存在ダ」
カカシは懸命に黒ゼツの拘束から逃れようとした。
いや、この際足を切ってでもナナのところへ向かおうと思った。
「カカシ!」
ミナトがそれを察知して救出に来る。
九尾のチャクラを纏った片腕で手刀をつくり、それを足元へ向けた。
カカシはタイミングを合わせて動けばよかった。
かつての師弟……互いに声をかけずとも合わないわけはなかった。
「よし! 抜けたよ!!」
ミナトの攻撃は、黒い手を二本とも断ち切った。
「カカシ! 行くんだ!!」
「ハイ!」
今度こそ、ナナの元へ……。
ざわつく胸を押さえながら、カカシは遂に走り出した。