ひと葉 ~参の巻~   作:亜空@UZUHA

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しっそう

「キバ……」

「黙ってろ……!!」

 

 ナナが口を開けば何を言うかわかっている。

 だからキバは、何も言わせたくなかった。それを聞きたくはなかったから……。

 それを正面切って言われたシカマルの痛みはよくわかっていた。

 必死な顔で「自分を殺せ」と懇願されて……ナナに……懇願されて……。

 今、彼がどんな思いを抱えているのか。

 とうてい、自分には耐えられないと思った。

 

 

『シカマル、アナタがこれを罪に思わないで……。アナタはこの世界を守るし、私を救ってくれるんだから……』

 

 

 ナナがそう言って笑んだ瞬間、ナナとシカマルの周りの空気が変わった。

 キバの鼻でも“理解不能”な、不思議な空気だった。

 気づいたときにはもう、二人との間には境界線ができていて……いのたちと一緒にシカマルを止めようとしたのだが、声は届かなかった。

 ナナの周りの地面に星が描かれていた。

 ついさっき、空に浮かんでいたのと同じ青白い星……。

 それが、ナナがつくった“結界”なのだとわかっても、思い切り見えない“壁”を叩いた。

 シノまでもが二人を止めようと声を荒げている。赤丸も爪で“壁”をひっかいた。

 が、どうすることもできなかった。ナナの結界を破れる術などなかった。

 向こうの声も聞こえない。ただ二人の間に漂う悲愴感だけが見えている。

 シカマルは、明らかに普通じゃない目つきで刀を握った。いや、握らされていた。

 そして、それをナナに向ける。

 叫びは届かない。

 いのもヒナタも悲鳴のような涙声だ。シノのあんな叫びは初めて聞いた。

 シカマルの左手がナナの肩を掴み、引き寄せる。

 その瞬間まで、「そんなはずはない」と思っていた自分に気づかされた。

 戸惑いは恐怖へと変わる。

 だが、止めることは叶わない。

 シカマルは刃を持つ腕を、思い切り引いた。

 目に浮かぶ、悲しい結末。いや、鼻をつく血の匂い……。

 喉がちぎれんばかりに叫んだ。拳の骨が軋むくらい強く結界を叩いた。

 シカマルは……、ついにその刃を思い切り突き立てた。

 

 ナナにではなく、地面に。

 

 結界の中のその音は聞こえなかった。

 が、何かを打ち砕くような音が確かに聞こえた気がした。

 ゆっくりと、星の光はその刃に吸い込まれていった。

 同時に、触れていた結界の“壁”が溶けていく。

 

『シカマル……』

 

 ナナはかすれた声で言った。

 

『どう……して……?』

 

 ナナが本気で失望していることが、キバにもわかった。

 胸が痛んだ。

 生きることに失望しなければならないナナが、とんでもなく哀れだった。

 だが、それを目の当たりにしてもまだわからなかった。

 どうしてそこまで、ナナは未来を決めつけるのか。何故、それしか選ぼうとしないのか……。

 

『できるわけねーだろ!!』

 

 困惑と安堵を引き裂くように、シカマルは言った。

 

『お前を殺すなんて……。オレにできるわけねーだろ!!』

 

 彼の肩は震えていた。刃を握ったままの手も、その声も……。

 ナナのことはさっぱりわからなかったが、シカマルのことは理解できた。

 

(シカマル、お前……本気で……)

 

 改めてシカマルの想いを知った。

 今までいつか彼をからかってやろう……と、そう思う程度だった。

 ナナがもっと元気になって、サスケのこともうちはイタチのことも風化したら……シカマルをめいっぱいからかってやろう。それだけだった。

 だが、想いの深さを突き付けられて、足がすくんだ。

 

『けどな……オレにはできねーんだ……!』

 

 シカマルはナナの言葉を理解しつつも、こう言った。

 

『たとえこの選択が世界を滅ぼすとしても……。お前と世界をハカリにかけても、お前を選んじまうほどオレは……』

 

 普段よりもっと、大人びた声で……。

 

『そんくらい、オレはお前に惚れてんだ……!』

 

 はっきりと、そう告げたのだ。

 そしてナナをこの腕に託した。ナナを逃がせと、彼は言ったのだ。

 それは彼の“願い”であったが、顔色を見る限り“希望”ではなかった。

 何故なら、シカマルは「わかって」いたからだ。

 正直、二人が交わした会話の内容を十分に理解できているかといえば、そうではなかった。

 ナナは、自分がマダラ……未だ活動を続ける“本物”のマダラにも、利用されることが決まっている。

 そんなふうに言っていた。

 「最初から決められていた」と、ナナはそういう言い方をしたのだ。

 そしてシカマルは、ナナの言うことを「わかっている」……と。

 

 しかし、キバにはそこまで理解できていなかった。

 ナナの一族がどんな存在なのか、そこも詳しいわけではなかった。

 が、ナナが和泉一族であることを知った時、自分なりに慣れない調べ物をしたのだ。

 ただの伝説、おとぎ話……そう思ってきた存在が、身近にいたことには強い衝撃を受けた。

 そしてナナの力を知った。その使命も。木ノ葉隠れの里に来たわけも。

 しかし、ナナにはまだ秘密があった。

 さっき見せた眼。あれは『写輪眼』だという。

 サスケと同じ、うちは一族しか持ち得ない写輪眼……それをナナは得ていた。

 

「ナナ……」

 

 キバは、ナナの漆黒の目を見つめた。

 焦りと諦めとが、混濁した目。

 初めて出会った時は、もっとずっと澄んでいた。

 だが、感情は浮かべていなかった。

 あの時から、ナナのことは決して嫌いではなかった。

 どちらかというと、忍者学校(アカデミー)の頃から気になる存在ではあった。

 それはシカマルがナナに対して抱く感情とは違っていたが、例えば子犬の頃の赤丸に抱いていたものによく似ている気がした。

 そのナナは、いつのまにか遥か遠くの存在となっていた。

 こんなにも強く抱いているのに、つかみどころのない存在に思える。

 変わったのはいつからか……?

 中忍試験……いや、その後だ。ナナの存在を知るきっかけとなった、サスケ奪還作戦。

 共に戦ったあの時に、ナナの本当の強さを知ったからだ。

 我ながら鼻が利かない……。

そう思った。

 “姉”とやらにめちゃくちゃにされて、心身ともにボロボロになったナナを目にして、初めてナナの本質に気づくとは……。

 

(ナナ……お前は、どんな気持ちで自分を……)

 

 あの時のナナと、今のナナ……。

 同じように儚さを感じる。

 

「キバ……」

 

 ナナが再び口を開いたとき、すでに負傷者たちが退いた地点まで来ていた。

 マダラのいる前線からはかなり離れることができた。

 赤丸の体力も限界だったが、よく頑張ってくれている。

 

「ナナ、しっかりつかまってろ……」

 

 やはり、ナナの言葉は予め遮った。

 いったいどこまでナナを連れて走ればいいのか、キバにはわからなかった。ただただ、マダラの存在が消えることを願っているばかりでもなかった。

 何もわからなかった。

 今のキバは、ひたすらナナを抱いて、赤丸とともに「遠く」へと疾走することしか考えていなかった。

 

「キバ、止めて……!」

 

 それでも……ナナはか細い声で訴える。

 

「お願い、降ろして……!」

 

 失望したナナはまだ、“希望”を口にする。

 

「いいから、黙ってろって……!」

 

 乱暴な言い方しかできない。

 それは、先ほどのシカマルの叫びに少し似ている気がした。

 

「お前はオレと赤丸で逃がす! シカマルに託されたんだ……!」

 

 まっすぐ前を見た。

 まだ開けない夜の闇。ところどころに横たわる、負傷者と遺体。

 医療班はすでに前線に赴き、この戦場の外れで治療にあたる者はない。

 

「でも、キバ……言ったでしょう? 私は……」

「聞きたくねーよ!」

 

 苦しげなうめき声がする中を、キバは切り裂くように叫んだ。

 

「お前のソレはもう、聞きたくねー!!」

 

 ナナはかすかに身じろいだ。

 いや、力を込めて身体をよじろうとしたようだが、すでにその力さえも失っていたのだ。

 

「キバ……!」

「オレはっ……!!」

 

 赤丸の毛が逆立つのを感じた。

 同じ思いだ。

 赤丸のことは誰より知っている。まるで分身のように、いつも一緒にいるのだ。

 だから、キバは赤丸の分まで叫んだ。

 

「オレはシカマルみたいに頭がよくねーから、わからねぇんだよ!!」

 

 ナナは、色の薄い唇を真横に結ぶ。

 

「ナルトたちがマダラを封印するってことを……お前はどうしても信じられねーのかよ!」

 

 喉に不快な塊があるのを意識しながら、キバは口をつぐんだナナに言った。

 

「サスケだって、今は一緒に戦ってんだろ!!」

 

 その目は静かに伏せられた。

 キバはつられたように、声のトーンを落とす。

 

「お前は、もう運命は決まってるみたいに言うけどよ……。そんなのわかんねーだろ……?」

 

 少しの沈黙。

 夜風がいっそう冷たくなって、ナナは口を開いた。

 

「わかるよ……」

 

 ぽつり……と、雫を一滴、こぼすように。

 

「ナナ……!」

「わかるんだもん……」

「未来が見えてるってのか? その眼で……!」

 

 苛立ちともどかしさに、徐々に恐れが加わるのを感じた。

 

「見えたよ……」

 

 ナナは不意に、顔を上げた。

 

「見えたの……。白い……眼……」

「白い目……?」

「3つの……目……」

「みっつ……?」

「どうすることもできないような……強い、力……」

「力……」

「それが、私を……覆い尽くす……」

 

 ナナの言葉はまるで呪文だった。

 返すことなど初めから無いような、一方的な言葉だった。

 

「すごく……こわいの……」

 

 そのままナナはすすり泣いた。まるで小さな子供のように。

 

「私は……これ以上、生きられない……」

 

 キバの恐れは苛立ちを飲み込んだ。

 

「皆を傷つける存在になる前に……終わらせたいの……」

 

 それは焦りも戸惑いも取り込んで、彼の肌を泡立たせた。

 

「私が、私でなくなる前に……」

 

 小さく身震いした。

 赤丸も気づいてか、走るスピードが遅くなる。

 

「ナナ……!」

 

 恐らくひとりではこの恐怖に飲みつくされていた。

 が、赤丸がいたおかげでキバはもう一度、ナナを抱く手に力を込めることができた。

 

「だめだ、ナナ! シカマルが言っただろう……!?」

 

 あの、キレ者で面倒くさがり屋で、人一倍仲間想いのシカマルが言ったこと……。

 

「たとえ、お前が言ったとおりの未来が決まっていても……」

 

 自分も同じ想いで吐き出す。

 

「オレはお前を殺すことも、殺させることもできねー!!」

 

 たとえそれが、今のナナには届かなくとも。ナナの言う未来が変わらなくとも。

 ただ、ナナがこの腕に居続けることだけを願った。

 

「じゃあ、せめて……」

 

 しかし、ナナは暗んだ声で言った。

 

「私から離れて、キバ」

 

 皮肉にも、それは今までで一番しっかりとした声だった。

 

「マダラがいつ、目の前に現れるかわからない……」

 

 キバは思わず、言葉を失った。

 

「もう『殺せ』なんて言わないから……。だから、私から離れて……」

 

 ぐるぐると、いろいろな想いが頭を駆け巡った。

 ナナは死を諦めたのか……?

 それにしては、未来が変わることを期待している顔じゃない。

 自分に「殺せ」と言うことだけを止めたということは、また他のヤツにそうさせるつもりなのか?

 だが、もう周りに人はいない。

 この身体で、さっきのところまで戻るつもりか?

 

 いや、そうじゃない。

 

 キバは思い切り唇を噛んだ。人より鋭い犬歯が、かすかにそこを裂く。

 

「何、言ってんだ……!」

 

 はっきりと、胸に湧く熱を感じた。

 

「オレは……お前の仲間じゃなかったのかよ?!」

「キバ……」

「サスケ奪還任務の時、シカマルが言ってただろ?!」

「え……?」

「仲間は命がけで守る……!」

「…………」

「それが木ノ葉流だって、言ってただろ?!」

 

 あの時のことを思い出させても、遠慮は無かった。

 ナナに対する怒りを吐き出さずにいられなかった。

 

「だから、ナナ!!」

 

 そして、怒りと共に……。

 

「オレはお前を命がけで守る……!」

 

 確かな愛情を。

 

「頼むから……」

 

 ほんの少しの、後悔と共に。

 

「オレをただの“知り合い”にしねーでくれよ!!」

 

 全部、ナナにぶつける。

 

「キバ……」

 

 受け止めきれるはずなどないことは、わかっていた。

 こんな状況で、わけのわからない未来まで見据えてしまっていて、おまけに身体も弱り切っていて……。

 不安も、絶望も、焦りも、そして想像もつかないような恐怖を抱えたナナに、自分の言葉が受け止められるはずない。

 だが、そうせずにはいられなかった。

 義務ではない、意志。薄っぺらじゃない絆。

 わかって欲しかった。

 本当にマダラが今、目の前に現れて圧倒されても、それでも死をいとわずに戦うと。必ずナナを護って戦うと。

 全てを無くしたナナに、それだけはわかって欲しかった。

 

「な! 赤丸!!」

 

 ナナの頬を伝う涙を拭いながら、キバは明るい声で言った。

 赤丸はすかさず大きく吠える。

 

「キバ……赤丸……」

 

 ナナが流す涙は温かかった。頬は死人のように冷たいのに、涙だけは温かかった。

 

「ありがとう……」

 

 その言葉にも、ちゃんと想いが通っていた。

 

「つーか、そんなのあたりまえだろ!!」

 

 頭にぽんと手を置くと、ナナは少し笑った。

 だがやはり、ナナの姿はあまりに儚すぎた。

 純白の着物に色を失った肌。異常に冷えた体温。今にも透けてしまいそうなほど、ナナは儚く見えた。

 

「ナナ、寒いか? ほら、もっとちゃんとつかまれ」

 

 少しでも風に当たらないよう、キバはナナを引き寄せる。

 ナナの身体は腕の中に、すっぽりと収まりそうだった。

 

「もうだいぶ戦場から離れた。今頃、ナルトのヤツがマダラをぶっ倒してるかもしれねーぞ」

「うん……」

 

 くぐもった声に、キバはようやく少しだけ安堵した。

 

「サスケもとりあえず一緒なんだし。ムカツクけど、あいつはやっぱり強ぇーしな」

「うん……」

「シカマルもいつも以上にキレまくってるからよ、そう簡単にマダラを戦場から逃がしはしねーだろ」

「うん……」

 

 ナナはわずかに身じろいで、キバの顔を見つめた。

 

「キバ……」

「な、なんだよ……」

 

 その眼差しがあまりにまっすぐだったから、キバは前方に視線を移した。

 

「忍者学校の頃から、私のこと、気にかけてくれて、ありがとう」

 

 涙声は、胸を突いた。

 

「そ、そりゃあ、お前が里の外からの転入生で、チビで、細っこくて、ナルトとドベ争いすんのが可愛そうだったからよ……。あ、赤丸も珍しく最初っから懐いてたし……」

 

 思わず口ごもる。

 

「うれしかった……」

 

 ナナは呟くように続けた。

 

「いのちゃんやサクラちゃんも……みんな私の面倒をみてくれて……。ヒナちゃんやシノ君、チョウジも、私のこと、心配して声をかけてくれた……」

 

 賑やかしい忍者学校での最後の一年が、キバの脳裏によみがえる。

 

「みんなが、私の初めての友達なんだ……」

 

 あの時のナナを思い出して、そして今のナナを見る。

 「初めての友達」と言われて、それが大げさでも嘘でもないことはもうわかっていた。

 だから、嬉しくて悲しかった。

 

「だから、私は……」

「ああ、わかってるよ……!」

 

 ナナの想いをくみ取って、そう告げた。

 

 その時、赤丸が大きく跳ねた。

 大きな岩が点々と転がる川辺に辿り着いていた。

 赤丸には何も告げていないから、最初からずっと赤丸自身の判断で走り続けている。臭いと勘を頼りに戦場から、いや、マダラから逃げている。

 赤丸はこのまま岩を避けつつ、上流へと上るつもりらしかった。

 

「ナナ、しばらくは足場が悪い。しっかり捕まれ」

 

 手を離せば、軽いナナの身体はすぐに転げ落ちてしまいそうだった。

 キバは腕をナナの腰にしっかりと回し、片手で赤丸の毛を掴みなおす。

 ナナは、一瞬ためらった。

 が、素直にうなずいて……その手をようやく、キバの首に回した。

 

 だが……。

 キバがそのかすかなぬくもりを感じることはなかった。冷たい身体を、今度こそちゃんと抱きしめてやることはできなかった。

 

 ナナの存在が、突然腕の中から消えたのである。

 

「え……?」

 

 たった今までしっかりと抱えていたはずのナナのが、こつ然と消えたのである。

 

「あ、赤丸!!」

 

 赤丸が気づきもしないほど、唐突に……音もなく……。

 

「ナナ……?!」

 

 急いで辺りを見回した。

 赤丸が立ち止まるより早く、来た方向へ走った。

 が、ナナはどこにもいない。

 だいたい、しっかりと抱きかかえていたのに落とすはずはない。

 もともと臭いの薄いナナを、懸命に感知しようとした。

 が、赤丸の嗅覚をもってしても、ナナを見つけることができなかった。

 

「ナナ?!」

 

 声を張り上げた。赤丸も流水音をかき消すほど大声で吠えた。

 下流へ向けて走った。

 猛スピードで走りながら、岩の影にも、川面にも、そして闇の向こうへも目を凝らした。

 

「ナナ?! どこだ?!」

 

 それでも、初めからその存在など無かったかのように、何の痕跡も得られない。

 

「ナナ?!」

 

 ナナは、完全に彼らの前から消え失せた。

 

 

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