マダラの右手の下に、ナナの頭があった。
サスケが最初に見たのはそれだけだった。
「ナナ……!?」
マダラに頭を押さえつけられ跪いたまま、ナナは視線を彷徨わせていた。
「どう……して……?」
ナナは空気の漏れるような声で言った。
その顔は死者のように血の気が失せ、眼だけがキラリと光っていた。
「ナナ!!」
近くでナルトが叫んだ。
だがサスケはまだ、言葉を発することができなかった。
「ナナ、今助けるってばよ!!」
ナナは震えていた。
ナルトの声に気づきもしないで、自身の身に起きたことに激しく動揺しているようだった。
こんなナナを見るのは、初めてだった……。
「“ナナ”というそうだな」
そんな感想など構いもせずに、マダラが声を落とした。
「お前が驚くのも無理はない。この口寄せの契約は、お前が知らぬうちに交わされていたはずだ」
紫色のナナの唇がかすかに動いた。
「どういうことだってばよ!?」
代わりにナルトが問う。
「全てはこのオレの計画ということだ。オレはオビトに、『和泉一族の人間に接触して、この口寄せの術式を一族の“誰か”の身体に埋め込ませるよう仕向けろ』と命じていた」
「伝説の和泉一族っていうのも、今じゃたいしたことありませんからね。オビトの幻術にさえ簡単にひっかかるヤツがいるくらい。うちはの眼と和泉の血は天敵って話も、ただの伝説になっちゃったみたいですね」
白ゼツは場にそぐわぬ、明朗な笑い声をあげた。
「お前のこの
マダラはナナの頭から手を離さぬまま、言った。
「和泉の人間であれば誰でもよかったんだが……。まさか、うちはの血をも引く人間を手に入れることができるとはな」
「そうそう、そこんところはオビトもわりとうまくやりましたよね。まぁ、黒ゼツの情報があったからなんですけど」
攻め込む隙を与えぬまま、白ゼツは饒舌にマダラに説明してみせる。
マダラが死んでのち、うちはの男と和泉の女……『和泉成葉』の間に双子が授かったこと。
出産は、オビトが九尾を使って木ノ葉に攻め込んだ年だった。
ひとりは産まれてすぐ陰陽術にかけられて居場所を隠され、もう一人は産まれることなく母体と共に死んだこと。
翌年、和泉一族が九尾の人柱力の“抑え”として、類稀なる才があった『和泉成葉』を転生術によって蘇らせようとしたこと。
その情報を得た黒ゼツがオビトに報告し、オビトは一族の者に幻術をかけ、『和泉成葉』ではなく、うちはの血をひくはずの“その子供”を転生させるよう仕向けたこと。
それが、『和泉菜々葉』だったということ……。
そして和泉菜々葉が産まれるとすぐ、オビトはマダラの計画に従って、和泉菜々葉の身体に口寄せの式印を刻むよう再び和泉一族の人間を操ったのだと。
改めて聞かされるナナのあまりに悲しい“生”に、ナルトとサイは攻撃意欲を削がれていた。
ナナ当人は、無防備にマダラの前で跪いたまま表情もない。
サスケは……、意外なほど怒りを感じなかった。ナナに対する憐みもなく、心はおそろしく静まっていた。
「さて……お前をどうするかだが。あのうちはのガキに『見せてやる』と言ったからな。さっそく始めよう」
その言葉に、ビクンと肩を震わしたナナに。
「ナナ」
サスケは静かに声をかける。
「サスケ……」
ナナが初めてサスケの眼を見た。
その表情に浮かぶのは、驚嘆と絶望だった。
こうなることを恐れて、ナナは木ノ葉の里に残ったはずだ。
ナナは全部わかっていた。全部、“あの時”からこの状況を察していた。
だからナナは今、驚きもなく、怯えもなく、ただ絶望している……。
「ナナ、大丈夫だ」
ナナのことはよくわかっているつもりだった。他の誰よりも。ずっと前から、そうだったはずだ。
だから、ただ一言だけでよかった。
「“約束”しただろう」
ナナは唇を噛みしめた。
涙が一滴、頬を伝う。
早く、あれを拭ってやらなければ……。
サスケは単純に、純粋に、それだけを思った。
「死んだ人間の計画が、この世で実行されると思うなよ」
サスケはマダラに対して刀を構えた。身体の底から強烈に沸き起こる殺意を押さえつけながら。
それはマダラに対するものだけではなかった。
ナナの産まれに関わった者たち……ナナの運命を握りしめてほくそ笑んだ者たち全員に対する、冷えて滾る思いだった。
「サスケ……」
ナナは唇を引き結び、立ち上がろうとした。
が、すぐに膝をつく。
すでに自力で立つこともままならないほど、ナナに力がないことは明白だった。
「さっきの術で力を出し尽くしたか? アレは見事だったぞ」
マダラがナナを見下ろし、その襟首をつかんだ。
「この白い装束はたしか……。そうか、お前、本家の者だったか!」
そして、またナナの“生”に気づく。
「すっかり言い忘れてましたよ、マダラ様。『和泉菜々葉』の転生は本家の娘に対して行ったんでした。でもそれはボクやオビトが仕向けたわけじゃなく、一族の当主らが勝手にそうしたんですけどね」
「なるほど、ますます興味深い」
ナナは眼を伏せ、こぶしを握りしめた。
ほとんど力が入らないのが、サスケの目には明らかだった。
(大丈夫だ、ナナ。もう、お前は何もしなくていい……)
そう告げた。
そして一気にマダラへ向かって跳ねた。
すぐにナルトが続くのがわかった。
だが、マダラも動いた。
「石碑に書かれた最後の文について説明しろと言ったのはお前だろう。これからちゃんと見せてやるから邪魔はするな」
マダラは薄く笑うと、ナナを軽々と小脇に抱え上げた。
「だが舞台はここじゃない。柱間、残念だがお前はそこで見ているんだな」
そしてそう言い捨てて走り出した。
方角は神樹……。
周囲の忍たちをまさに虫けらのように踏み倒し、薙ぎ払いながら、マダラは恐ろしい速さでそちらへと向かって行った。
「行くぞ、サスケ!!」
ナルトに声をかけられたとき、サスケはすでに口寄せの術で大鷹を呼んでいた。
その背に乗って飛び立つまで、サスケは一言も声を出さなかった。
口を開けば、どす黒い怒りの塊が腹から飛び出てきそうだった。それを抑えて冷静にならなければ、ナナを助けられないとわかっていた。
風を切り裂くようにして飛んだ。
少し後ろを、墨の大鳥がナルトとサイを乗せて飛んでいる。
下は見なかった。
地上はマダラの登場に気づいて混乱していることだろう。そして、そのマダラが抱えるナナの姿を視界に捉えている者がいるだろう。
そこに、ナナを救える者がいるとは思わなかった。
マダラは神樹の根本で足を止めた。
ナナは狩られた獲物のように、だらりと四肢を揺らしていた。
サスケはまっすぐに、マダラの正面に降り立った。
ナルトが横に並ぶ。その向こうにサイも。
「ナナを返せってばよ!」
サスケの頬にまで、ナルトのチャクラがほとばしる。彼は今にも突っ込んで行く勢いだった。
が、そうしないのは、まさにナナが人質のように囚われているからだ。
「ようやく舞台が整った」
マダラはナナを地面に転がした。
瞬間、サスケはマダラとナナのわずかな間に天照を発動させた。
同じタイミングで、ナルトがチャクラを手の形状にしてナナに伸ばす。サイも墨の虎を襲わせた。
サスケの天照とサイの虎が陽動となって、ナルトの“手”で一気にナナを奪い返す算段だった。
もちろん声など掛け合ってはいない。
が、三人同時に一瞬の隙を突いたつもりだった。
しかし、黒い炎が立ち上がると同時に、マダラはほんのひと息の風で振り払ってしまった。
それはナルトのチャクラさえもかき消し、同じく虎も跡形もなく消えた。
側にいたナナは、ぼろ布のように無残に吹き飛ばされて、神樹の壁のような幹に身体を打ち付けた。
術も策も簡単にあしらわれたが、それで諦めるわけではなかった。
今度は正面から攻撃にかかった。ナルトの影分身が二体並ぶ。もうどちらが陽動でもよかった。
刀に千鳥を流し込み、それをマダラに向けた。
稲妻がマダラの心臓めがけて走る。
だが、それが到達する前に、マダラがこちらを向いた。
視線……ただ、それだけだった。
それだけで指一本も動かしてなどいないのに、サスケの身体は動きを止められていた。
ナルトの影分身もまた、ピタリと足を止める。それどころか、勢い余って前につんのめる体制であるのに、倒れることすらなかった。
勢いに乗った刀だけが、手からすり抜けてマダラの足もとに転がった。
稲妻は消え、刃が土埃にまみれる。
金縛り……そんな単純な術でないことはわかった。
幻術にかけられたわけでもない。
いったい何の力が、細胞の活動を留めるのか……。
「く、くそ……」
「う、うごけない……」
それは、後ろの二人も同様だった。
「ナナ……!」
ナナは目の前にいる。
だが、手を伸ばすことすらできない。
マダラは転がった刀を拾い上げ、横たわるナナに歩み寄った。
「お前たち、よく見ておけ」
そして、ナナの左腕をつかんで引っ張り上げた。
袖が落ち、細く、折れそうな白い腕が露わになる。
ナナはもがくことすらしなかった。
いや、すでにその力は身体にも心にも、ひと欠片さえ無かったのだ。
「や、やめろ!」
誰が叫んだか、もうサスケにはわからなかった。
自分か、ナルトか、それともサイという奴か……。
止める者がないまま、マダラはナナの肌をゆっくりと刃で切り裂いた。
「ナナ!!」
ナルトの声が頭に響いた。
だが、サスケは気管が潰れたように声を出せなかった。
息も、できない……。
ナナの腕にできる一本の紅い筋。それが白い肌と着物を紅く、紅く染めていく。
「さぁ、これでいい」
マダラは満足げに言って、ナナをただ地面に放り投げた。
ナナは声を上げることもなく、その場に倒れこむ。
溢れ出る鮮血が地に浸み込んだ。
マダラは刀に付いた血を舐めとってこう言った。
「これが、あの神樹の花を咲かせるための“養分”だ」
サスケは耳を疑った。
「うちはの石碑に書かれていたのは
マダラが何を言っているのかわからなかった。
この目障りな大木のことが、うちはの石碑に書かれていた。そしてこの大木とナナの血に繋がりがあった……。
それらを結び合わせて考えたことなどなかった。
「もともとチャクラの実を成す神樹は、太古の昔に和泉一族が植えたものだ。その花を
マダラは味気ない結論を言いつつ、ナナを見下ろした。
ナナの顔色はますます蒼白で、苦痛すら感じることもできないほど、意識を失いかけていた。
サスケは懸命に身体を動かした。
全身のチャクラを駆け巡らせて……いや、それはただ本能的に動いただけだった。
やっと足が少し、砂利の音をたてる。
「案ずるな、この娘を殺しはしない。殺せばその眼が使い物にならなくなるかもしれんからな」
マダラは誰に言うともなくつぶやいた。
「だがこれでもう、あのやっかいな陰陽術は扱えまい」
ナナは虚ろな目を動かした。
マダラを見上げ……そして、サスケを見た。
さらに、その視線は神樹の遥か梢の方をとらえたようだった。
「逃げて……」
それは声にはならなかった。
だが、サスケの耳には確かに聞こえたのだ。
そして次の瞬間、はるか地底から突き上げるような振動が体を襲った。