まるで、あのガマブン太が直上に跳躍し、着地した時のような振動だった。
「な、なんだってばよ?!」
反動で彼らの身体は跳ね上がった。
反射的に着地点を探そうと足元を見る。が、安全な地面などなかった。
「見て! 根が……!」
「うわ!!」
宙に浮いた彼らを刺し殺すかのように、無数の木の根が地中から突き出して来たのだった。
「くっ……!」
サスケは大きく息を吸って全身を大きくひねった。
いつの間にか、身体の呪縛は解かれている。
耳のすぐ横を土まみれの根が通り過ぎて行ったとき、辺りに狂乱の風が吹いた。
悲鳴、爆音、地鳴り……周囲に集まり始めていた忍たちは、巨木の根から逃げ惑う。
蕾を付けたまま静止していた神樹が、生き物のように活動を始めたのだ。
地が割れ、根が天に向かって伸びたかと思うと、そこからさらに幾重にも別れた根が、人間を絡め取ろうとしている。
それはまさに、オビトが最初に神樹を口寄せした時のような光景だった。
サスケももちろん、その様子を思い出した。
そして、思った。
樹の活動の激しさは先ほどの比ではなかった。
今はもう、忍たちが地に足をつけることも危ういほど、樹は地底と地上とで縦横無尽に暴れ回っている。
「見ろ。神樹があれだけ喜んでいる。さすがは本家の血だ」
マダラはナナに囁いた。
と……。
「フフ……」
不意に、笑い声がした。
サスケが足場を確保しながら視線を向ける。
笑っていたのはナナだった。
「どうした? 自分の血で仲間たちが死んでいくのがおかしいか?」
マダラがありきたりな皮肉を吐く。
「これほどの力が宿っていたことを知って嬉しいか?」
が、サスケの耳にはそれが入ってすぐに流れて行った。
「ナナ……?」
ナナは蒼白のまま確かに笑っていた。それは見たこともない笑みだった。
「やっと今、わかった……」
ナナは言葉を発した。
「私は最初から……」
細くとも、この騒乱にかき消されぬ声で。
「産まれて来ちゃ駄目だったんだ……」
ナナはそう言い、息をついた。
失望でも絶望でもなかった。
ナナは明らかに、清々しい顔をした。
「なんだ……。そういうことだったんだ……」
身体は起こしたものの、切り裂かれた傷口を抑えることもしないから、溢れ出る血が地面に浸み込んでいく。
それでもその口元には笑みが浮かんでいた。
「ほう……。悟ったようなことを言う……」
そう返したマダラにも、口の端を上げて見せた。
恐ろしくも美しい……まさに、その表現が合っていた。
あれが“ナナ”でなければ、サスケ自身の脚も竦んでいたことだろう。
が、その顔がすぐに歪められる。
何かがナナの背後からものすごい速さで伸びて来て、ナナの血まみれの腕に絡みついたのだ。
サスケは赤い眼を凝らした。
新樹の幹から生えた細い蔓が何本も、ナナの腕の傷口に入り込んでいく。
それはまさに、ナナの体内の血をむさぼらんとしているようだった。
「ナナ!!」
次から次へと襲い来る根が邪魔をして、ナナの元へ駆け寄ることは困難だった。
それどころか、根は意思を持っているかのように、サスケの身体を確実に仕留めようと襲って来ていた。
ナルトとサイとの距離も開いた。
「これは想像以上だ。さすがは和泉一族本家の血……いや、和泉一族と我がうちは一族の “珠玉”の血だ……!」
マダラは自身にも向かって来る根を飛び越えながら、感嘆の声をあげた。
「これほど神樹が狂喜するとはな!!」
サスケは奥歯を噛みしめた。
あの男を倒すにも、この乱舞する樹をどうにかしなければならない。かといってここで須佐能乎を発動することはできなかった。
この樹は人のチャクラを喰らうのだ。
強大なチャクラを体現した須佐能乎は、樹にとっての大好物だろう。逆に力を与えることになるのは間違いなかった。
ナルトもそのあたりは心得ているようで、むやみにチャクラを放出するのを抑えているようだった。
サスケは根の“攻撃”を交わしつつ思案するナルトを横目で見た。
が、一段と大きな地震が起こり、彼らはバランスを崩した。
「こ、この樹……、クラマたちまで……!!」
ナルトの視線をサスケも追った。
解放されたはずの尾獣たちが極太の根に巻き付かれて、再び自由を奪われている。
もちろん、彼らのチャクラは人間の比ではない。当然、それを喰らう樹はますます勢いを増していく。
忍たちが次々に倒れていくのも視界の端に映った。
サスケはナナに視線を戻した。
彼らを気にかけている余裕はない。今は一刻も早く、ナナを救い出さねばならなかった。
が、ナナは蔓に引っ張られ、その身体は完全に神樹の幹に捕らわれていた。
「ナナ!!」
もうその声も届かないほど、ナナから距離を開けられてしまった。
サスケは千鳥で迫る根を薙ぎ払う。
しかし、ナナの血はあまりにも神樹に愛されすぎたようだった。
「サ、サスケ!! 空がっ!!」
ナルトが叫んだ。
ナナを見つめていた眼を、わずかに上に向ける。
と、いつの間にか空の色が塗り替えられていた。
いや、違う。月の色が変化しているのだ。
先ほどまでは、不気味な赤い月だった。赤く不快な光が、天から地上に降り注いでいたはずだった。
それが今、月は赤から紫へ……そして、青へ……じわりじわりとその色を変えようとしていた。
そして改めて見上げて眼に入ったのは、神樹の梢に堂々と陣取る蕾だった。
あれほど赤く張り詰めていたはずなのに、今や蒼い塊となっている。
その色が何を、いや、“誰”を意味するのか、サスケにはすぐにわかった。
息を呑むほど厳かな紺青……。戦慄するほど清雅な青白い光……。
蕾はナナの血に染められ、月はナナの血に照らされている。
「お前は……神樹をも支配するか?!」
マダラは感嘆した。
……いや。
「この力……強すぎる……!」
先ほどまでのそれは一転、明らかに憂慮へと変わっていた。
根を吹き飛ばしながら、マダラはナナへ向かって行った。
それでもサスケはそこへ辿り着けない。
「もう十分だ。お前もこれ以上、血を流しては死ぬ」
マダラはその辺りに落ちていたサスケの刀を再び拾い上げ、ナナの頭上にかざした。
ナナの腕を狙っていた。
もう、蔓がぐるぐるに巻き付いて、ぎゅうぎゅうに締め付けられ、幹に吸収されかけたような、ナナの細い腕を。
「やめろ!!」
とっさに出した須佐能乎は、あっという間に根や蔦に絡めとられ、情けなく途中でしぼんだ。
だが、その刃が再びナナに突き刺さることは無かった。
ナナは、マダラを見上げた。
サスケはかろうじて、その様子を見た。
ナナは虚ろだった。鈍く首を動かしてマダラを見上げた。
その眼は、白かった。
「お前……!」
マダラが怯んだ瞬間、ナナの背の幹から数本の枝が伸びてマダラの胴体を直撃した。
その身体を突き破ることはなかった。
が、マダラはそのまま後ろに突き飛ばされて行った。
まるで、ナナの意思が樹に働いたようだった。
「ナナ……!!」
この計画を打ち立て実行した張本人のマダラでさえも、脅威に感じたその力。予想を大きく上回り、途中で止めねばならないと判断したこの力。
ナナが“あの時”から本当に恐れていたものは……?
火影岩で突然、昔のことを話し出したナナの眼を思い出した。
その完全な隙をついて、樹の枝がサスケの身体に襲い掛かった。
「サスケ! 避けろってばよ!!」
ナルトの声で、辛くも避ける。
腕を少しかすった。それだけでチャクラが急激に減ったことを感じた。
このナナの力はマダラも制御できない。もちろん、ナナ自身も。
いったいどこまで膨れ上がる?
この樹はどこまで成長する?
もう、花は咲くのか……?
「サスケェ! とにかくこの木を倒すってばよ!!」
ナルトはまだ諦めてはいなかった。
「これじゃあナナんとこに辿り着けねぇ! ナナの腕も木と一体化しちまって、簡単に引き抜けねぇみてーだ……!」
まだ、これを止められると思っていた。
「みんなで一点を狙うってばよ!!」
「ナルト! オレが“本体”に穴を開ける! そこを狙え!!」
いつの間にか、カカシがこの場に辿り着いていた。
「カカシ先生! 樹に触ってなくてもチャクラが吸い取られるから、術は一瞬しか出せねーってばよ!」
「ああ、わかってる。だが、それを繰り返すしかない!」
尾獣が暴れ、いっそう地が揺れた。いっそ絡みつく根を地面ごと引き裂こうとしているようだった。
逃げ惑う者、諦めずに攻撃する者……彼らの行為もまた、この狂気を加速させる。
軋む根、そして枝の音。
樹はすでに自身の根と枝とを複雑に絡み合わせ、この戦場を全て覆い尽くす檻を作ろうとしているようだった。
騒乱で、カカシとナルトの声もかすかにしか耳に入らない。
生きた“檻”となった樹は、触れていずとも周囲の生物のチャクラを吸い取っていく。
「ナナ……」
口内で呟いてチャクラを練ろうとした。
この檻を全て切り裂き、ナナへの道を切り開きたかった。
が、チャクラを形態化することすら、彼にも困難となっていた。
「神威!」
「螺旋手裏剣!!」
相次いで、カカシとナルトの声がした。
カカシが万華鏡写輪眼で睨みつける先……ナナが居る位置より下方の幹が、醜く歪んで引き裂かれるのがわかった。
だが、すぐにその動きは萎む。
開けられた穴は、直径1メートルにも満たなかった。
が、すぐさまナルトが頭上に掲げたチャクラの塊を“穴”へ向けて投げつけた。
それは急速に威力を弱めながらも、進行を妨げる樹を薙ぎ払いながら進む。
「そのまま行けぇ!!」
ナルトの叫びは祈りに似たものだった。
そして、
「サスケ!!」
同時に彼を促すものでもあった。
「ああ、わかってる!」
サスケは、ナルトの萎みかけた螺旋手裏剣がかろうじて穴に当たるのと同時に、そこに天照を発動させる。
眼の奥が痛んだ。
目いっぱいチャクラを練ったせいで、膝から力がすり抜けて行った。
幹は悲鳴のように軋んだ。
が、螺旋の炎もすぐ、煙となって無くなった。
「くっそー! もういっちょう!!」
ナルトが言った。
だが、彼もチャクラをうまく練られない状態になっているのは明らかだった。
サスケは顎の汗をぬぐった。
焦りが疲労を増幅させる。
早く……早くナナを……。
ナナへの視線を遮るように眼前に伸びて来た枝を、サスケは思い切り拳で叩き割った。
乾いた欠片の向こうに、再びナナの姿が映った。
ナナはこちらを見ていた。虚ろな、瑠璃色の眼で。
いや、それは不意にまた白く光った。
「サスケ……」
ナナがそう言った。
とてもか細い声だったはずなのに、確かにサスケの耳にはナナの声が聞こえたのだ。
「ナナ、待っていろ……!」
ナナの左腕は、もう完全に幹にめり込んで同化していた。
めくれた袖には枝が食い破った痕がある。
サスケは足元を狙うように襲い掛かる根を避け、前方に跳んだ。
ナナが呼んでいる……だから、行かなければならなかった。
ナルトがもう一発、螺旋手裏剣を放った。
先ほどより少しだけ大きいチャクラの塊が、元の穴をえぐる。
振動でサスケはバランスを崩した。それほどに、自身のチャクラも枯渇している。
「サスケ……」
また、ナナの声が聞こえた。
はっきりと、耳の奥で。
「ナナ……!」
「サスケ……お願い……」
ナナは虚ろな眼に、光を浮かべた。
「お願い……私を……終わらせて……」
また、ナルトがアレを投げた。
サスケの近くを高い音を立てて飛んでいく。薙ぎ払われた樹の破片が、サスケの頬に当たった。
サスケはそこに膝をついた。
衝撃が強かったわけではない。
「お願い……サスケ……」
まるで、ナナの願いが命を吸い上げたようだった。