「ナナ……」
「サスケ……お願い……」
まるで二人だけが異空間に閉じ込められたかのように、サスケの耳にはナナの声だけが聞こえていた。
「私を……終わらせて……」
言い終えて、ナナは咳き込んだ。
血が口の端に滲む。
それでも彼女に駆け寄る力が……いや、勇気が、サスケには無かった。
「終わらせろ……だと……?」
「もう……誰にも止められない……だから……」
ナナの願いは、まるで呪縛のように……。
「だから……アナタが終わらせて……」
サスケの首を絞めつけた。
「なに……言ってる……」
ギュウと締め付けられた喉の奥から、懸命に声を絞り出した。
「どういうことだってばよ!?」
よりはっきりと問い質したのはナルトだった。
彼は枝をかいくぐって、再び近くまで来ていた。
「ナナ! それってば、どういうことだってばよ!!」
ナルトの全身から、怒りが惜しげもなくほとばしる。
が、サスケの心は凍てついたまま。そこから一歩も動けはしなかった。
「この樹を止めるには……私を……」
「そんなこと、できるわけねぇだろっ!!!」
ナルトはナナの言葉を打ち砕いて、腹からそう叫んだ。
彼に襲い掛かる樹さえも、躊躇うほどに。
「こんだけでっけぇ樹でも、みんなでちょっとずつ穴開けて……ぜってぇ切り倒してやるから! だから……!」
「この樹は倒せない……この、力は……」
今度はナナが、彼の言葉を断ち切った。
とても、静かに。
「ナナ……」
「わかってるでしょう……?」
ナナはナルトを見て、サスケを見た。
「
サスケは突き付けられたモノから眼を逸らした。
「私の……中にある……チカラ……」
ナルトの声が遂に途絶えた。
サスケが思い知ったこの想像を絶する力の形が、ナルトにも見えているようだった。
何故なら……コレと同じ類のものが、自分と、そしてナルトの中にもあると実感していたからだ。
その正体はわからない。何故そうなったのかもわからない。自分たちがそれを得た訳もわからない。
が、確かにわかるのは、ナナが得た力と自分の中にある力。そして、ナルトの中にある力。
それが……見えない縁で繋がっているということ。
いつが始まりかも知らぬまま、誰が仕組んだかも知らぬまま。
だが、それがたとえ“不変の真実”だとしても……。「運命」「さだめ」「宿命」……そんな陳腐な言葉で片づけられてしまう事実だったとしても。
サスケは……。
「ナナ、お前は……オレが助ける……」
どうしても、ナナの願いを肯定するわけにはいかなかった。
「約束しただろう……?!」
約束をしたのだ。ナナをまもる……と。
懐かしいあの場所で、ナナを傷つけたあの場所で、今度は護ると……。
今度こそ“本当の想い”を告げたのだ。
が……。
「そうだよ、サスケ……約束……してくれたでしょう……?」
ナナは無慈悲にもこう言った。
「私を、もう……『誰にも利用させない』……って……」
言葉を失った。
確かに言った。だが、それはこんなことじゃない。
「サスケ……私、これ以上……こんな力で、みんなを……傷つけたくない……」
自分のこと以上に他者を思うナナを、「終わらせる」ことじゃない。
「だから、お願い……」
こんなところで、終わるためじゃない。
「ナナ! もうやめろ!! オレらが……」
ナルトが何か叫んでいるが、耳に入らない。
また足元の根がせり出して来たが、打ち砕くことはできない。
「やっと、わかったの……」
ナナは笑っていた。
「私は、最初から存在しちゃ駄目だった……」
痛みも悲しみもない、清々しい顔で。
「だから、生きることがこんなにも苦しかったの……」
内側から、絶望が溢れ出した。
「愛されるはずが愛されなかったのも、話したいのに話せないのも、力なんていらないのに持っていたことも、殺したくないのに殺さなきゃならなかったのも……一緒にいたいのにいられなかったのも……全部……」
絶望は血流に乗り、全身を硬直させる。
「全部……、私の命が間違っていたから……」
ナルトさえも声を出せない。
奇妙な静寂の中、ナナは言った。
「それがわかったから……私は今、すごく楽になった……」
つまらないこじつけや強がりなんかじゃない……。
ナナを良く知っている。だからわかった。
「仕方なかったって思えたら……やっと……楽になれた……」
柵からの解放……。
ナナは心から幸福そうに笑っている。
(なんで……)
出逢いさえも「間違い」だったというのだろうか……。
そんな疑問は独りよがりだとすぐに気がついた。
すぐ近くでナルトがナナに何か言っている。
だがサスケは言葉を失っていた。
わかっているのだ。ナナがどれほど苦しんできたか。
イタチを失って流した涙の冷たさは、まだこの腕の中にある。
ナナの心は傷つき果て、もうズタズタに引き裂かれているのだ。
そこには当然、自身がつけた傷もある。無意識に、仲間たちがつけた傷も。ナナ自身、避けようとしなかった傷もある。
それでもなお、何度も立ち上がり、前に進もうと必死で生きてきたことも。
よく、わかっている。
それらが全て「仕方がなかったこと」と、ナナは理解したのだ。
どんなに足掻いても、正しくあろうとしても、最初から間違っていたのだから正すことはできなかった……と。そして、これからも……。
「だからもう、終わらせなくちゃ……」
全身から力が抜けて行った。
迫り来る樹の一部を掃う気にもなれなかった。
「サスケ!!」
ナルトの背が視界に入った。が、何を言っているのか理解ができなかった。
「サスケは叶えてくれるでしょう……?」
聞きたくはない、ナナの声しか聞こえない。
「私の……」
まっすぐに見つめてくる、瑠璃色の視線しか見えない。
「……願い……」
その残酷な笑みしか……。
「サスケ……」
ナナはマダラが落として行った刀へ右手を伸ばした。
左腕は樹に飲み込まれていて、身体は完全に自由を奪われている。少し顔を歪め、懸命に身体をよじって、やっと刀を握った。
そして唐突に、その刀で己の心臓を突き刺した……。
「ナナ!!」
ナルトの悲鳴が鼓膜を揺らした。
刃を握ったナナの手のひらからは鮮血が流れ出ていた。
が、胸からのそれは無い。
刀は“盾”に当たって動きを止めていた。
また、あの青白い星の光だ……。
「サスケ……ごめんね……」
ナナはそんなことをしておいて、それだけ言った。
それだけでも、サスケにはわかった。
ナナがそうしたのは、きっと今が初めてではない。
いつ……?
「あの後……か……」
サスケは喘いだ。
「……うん……」
ナナはやはり肯定する。
あの時すでに、ナナはこうすることを決意していたのか……。じゃあ、あの場所で唐突に七班が始まった時の話をしたのも……。
「ごめんね……サスケ……」
イタチの話をしよう……と言ったことも、ナナは……。
「私に……未来なんて、無かったのに……」
また、だ……。
また、ナナのことを一番よく知っていると自負しておいて、また、ナナを独りで行かせてしまった。
「でも、仕方がないよね……」
何故そんなふうに笑うのか、仕方がないことなんてない……近くでナルトがそう叫んでいる。懸命に枝や根を払い除けながら。
ときおり無防備に立ち尽くすサスケの腕を引っ張って、立ち上がらせようとする。
だが、サスケはナナだけを見ていた。
「もう、終わりにしよう……」
その眼が、ガラス玉のように光った。
「サスケ……」
儚い願い。強い意志。
相反するその姿が、とても美しく、哀れだった。
そしてそれは、サスケにとってこの上もないほど冷酷だった。
「お願い……」
ナナは手にした刀を差し出した。
重い鉄の棒でも持たされているかのように、その腕は震えていた。
「私を……まもって……」
理不尽な誘いは、とても美しかった。
が……。
「うっ……」
その笑みが突然歪んだ。
「ナナ!」
呼びかけたのはナルトで、やはりサスケは動けなかった。
「ほら……」
ナナは刀を落とし、手で額を抑えた。
しかしすぐにその手で乱れた前髪をあげた。
「ほら……見て……」
視線だけまっすぐにナナを捉えながら……サスケは見た。
ナナの額が醜く蠢いているのを。
「もう……止められないの……」
肌の内側で何かが激しく動いている。
そして……ナナが軽く咳き込んだ時、そこには真横に一線の筋が通った。
「もう、止められない……」
そこが上下に開きかけたその時、ナナは再び手で額を隠した。
その左眼は、白く濁っていた。
「私が私でなくなる前に……このまま……」
それでも、ナナの右眼の奥には確かに意志があった。
「“私”のまま……終わらせて……」
その光は、いつもサスケの心に在り続けた。
消そうとしても消えない光。決して強くはない儚げな光。
「サスケ……」
ナナのそれが、ずっと愛おしかった。
「私は……」
風が吹いた……。
「アナタを愛せて……幸せだった……」
幻のように、ナナは笑っていた。
「この想いが……消されちゃう前に……」
綺麗に笑って爽やかに言った。
「私を……殺して……」
幻術にかけられたように、サスケの足が一歩動いた。
「ナナ……」
名前を呼んだ。心でいつも呼び続けていたその名を。
「ナナ……」
ナナの可憐な笑みに誘われた。
あれを歪ませてはならないから。もう、悲しませたくはないから。これ以上、傷つかないでほしいから。約束を果たさなければならないから。
だから……。ナナの願いを叶えてやらなければならない……。
「サスケ!!」
肩をグイと掴まれた。久方ぶりに、耳に騒音が響く。
視界には、いくつもの棘を生やした太い枝が迫って来ていた。
「さがれってばよ!!」
ナルトの声がして、目の前で枝が木端微塵に散った。
周囲には数人のナルトが息を切らして立っている。
「サスケ!!」
一人のナルトが、肩を強く揺さぶった。
「お前っ! ナナを殺すなんて、お前ができるわけねぇだろ!!」
そう叫ぶ彼の目の奥には、怒りの他に見たこともない色が彩られている。
「ナナを『まもる』んだろ?!」
その色を、サスケはよく知っていた。
「お前がナナを
相変わらずの、強い言葉……。
だが、その色は“強さ”じゃない。
きっと、ナルトが初めて浮かべているであろう、単純な“恐れ”だ。
「カカシ先生が穴を広げようと神威で頑張ってる! シカマルたちもこっちに向かってる!」
ナルトも悟っている。
「オレらもあそこの一点を狙うぞ!!」
強気の言葉と裏腹に、ナルトはすでに悟っている。
ナナの……宿す力の恐ろしさを。そして、変えられない未来を……。
「ナルト……お前……」
本当は、わかっている……。
「ナナは左腕を樹に食われちまって、目の前でみんなが倒れていくから、ちょっと弱気になってるだけだってばよ!」
ナルトはこの状況には不自然な、やけに軽い口調で言った。
「このまま影分身で連続攻撃すっから、お前も千鳥で続けってばよ!」
そして顎に滴る汗をぬぐった。
すでに、彼でさえも疲弊しているこの状況……。
サスケは改めて、周囲を意識した。
樹の動きはだいぶ鈍っていた。
もう、枝や根はこのあたり一帯を埋め尽くしていたから、それで満足しているのか、それとも自らの枝が邪魔して成長速度が落ちただけなのか……。
枝や根に囲まれて逃げ場を失った忍たちは、成すすべなくチャクラを吸い上げられ、そのほとんどが倒れていた。
抵抗する者はまだあったが、樹を破壊すると同時にそこを補うように別の根が伸びて来て、もはや脱出も不可能だった。
サスケの目で見通しても、この神樹の森の切れ間は見つからなかった。
尾獣たちは向こうで抵抗し続けていたが、地の揺れが弱くなっているところを考えると、彼らのチャクラのほとんどが、神樹の肥料となっているようだった。
「サスケ……」
ナナの声がサスケの視線を引き戻した。
もう、全く血の気の無い顔。唇に滲む血。赤く染まった着物。血みどろの左腕。白く濁った右眼と、冷たく光る黒い左眼。
それでもやはり、ぞっとするほど美しかった。
「サスケ! 行くぞ!!」
胸をギュウとつかまれるような感覚を遮るように、ナルトが言った。
「樹を止めて、ナナを助け出すってばよっ!!」
サスケが抱く想いと、ナルトが秘める迷い……。そして、ナナが滲ませる恐れ。
それらを一刀のもとに断ち切るように、彼はいつも以上に大きな声を出す。
「カカシ先生ー!! もういっちょ頼むってばよ!!」
ナルトの分身が一体、力尽きて煙と消えた。
が、ナルトはそれを無視して下方の根に膝をつくカカシに叫ぶ。
「穴が修復する前に、オレらが攻撃する!!」
カカシは大きくうなずいて、先ほどから狙う一点に神威を発動させた。
幹がゆがむ。根や枝が怒りの咆哮を上げながら、カカシに襲い掛かった。
サスケの足場も、大きく揺らいだ。
「行くぞ! サスケっ!」
ナルトは分身を連れて、そこへ一気に駆け出した。
一瞬、彼の膝から力が抜けたのを見た。
が、かまわず障害となる枝や根を打ち砕きながら、走って行った。
ナルトの背からまた、ナナに視線を戻した。
「サスケ……」
左眼が……白く濁った。
下で爆音が上がった。
ナルトが、かろうじて形を保ったままの螺旋丸を、カカシが開けたあの穴に投げ込んだのだろう。
また、大きく足元が揺れた。木片ときな臭い煙が二人のところまで上がった。
ナナはそれらに覆われながらも、サスケを見つめ続けていた。
光を失いゆく眼で……。
「サスケ……お願……い……」
切れ切れにそう言うと、額を抑えていた手をだらりと下ろした。
もうその腕に、力は少しも残っていなかった。