ひと葉 ~参の巻~   作:亜空@UZUHA

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幸せだった

 

「ナナ……」

「サスケ……お願い……」

 

 まるで二人だけが異空間に閉じ込められたかのように、サスケの耳にはナナの声だけが聞こえていた。

 

「私を……終わらせて……」

 

 言い終えて、ナナは咳き込んだ。

 血が口の端に滲む。

 それでも彼女に駆け寄る力が……いや、勇気が、サスケには無かった。

 

「終わらせろ……だと……?」

「もう……誰にも止められない……だから……」

 

 ナナの願いは、まるで呪縛のように……。

 

「だから……アナタが終わらせて……」

 

 サスケの首を絞めつけた。

 

「なに……言ってる……」

 

 ギュウと締め付けられた喉の奥から、懸命に声を絞り出した。

 

「どういうことだってばよ!?」

 

 よりはっきりと問い質したのはナルトだった。

 彼は枝をかいくぐって、再び近くまで来ていた。

 

「ナナ! それってば、どういうことだってばよ!!」

 

 ナルトの全身から、怒りが惜しげもなくほとばしる。

 が、サスケの心は凍てついたまま。そこから一歩も動けはしなかった。

 

「この樹を止めるには……私を……」

「そんなこと、できるわけねぇだろっ!!!」

 

 ナルトはナナの言葉を打ち砕いて、腹からそう叫んだ。

 彼に襲い掛かる樹さえも、躊躇うほどに。

 

「こんだけでっけぇ樹でも、みんなでちょっとずつ穴開けて……ぜってぇ切り倒してやるから! だから……!」

「この樹は倒せない……この、力は……」

 

 今度はナナが、彼の言葉を断ち切った。

 とても、静かに。

 

「ナナ……」

「わかってるでしょう……?」

 

 ナナはナルトを見て、サスケを見た。

 

()()()()()()()……もう、わかるよね……?」

 

 サスケは突き付けられたモノから眼を逸らした。

 

「私の……中にある……チカラ……」

 

 ナルトの声が遂に途絶えた。

 サスケが思い知ったこの想像を絶する力の形が、ナルトにも見えているようだった。

 何故なら……コレと同じ類のものが、自分と、そしてナルトの中にもあると実感していたからだ。

 その正体はわからない。何故そうなったのかもわからない。自分たちがそれを得た訳もわからない。

 が、確かにわかるのは、ナナが得た力と自分の中にある力。そして、ナルトの中にある力。

 それが……見えない縁で繋がっているということ。

 いつが始まりかも知らぬまま、誰が仕組んだかも知らぬまま。

 だが、それがたとえ“不変の真実”だとしても……。「運命」「さだめ」「宿命」……そんな陳腐な言葉で片づけられてしまう事実だったとしても。

 サスケは……。

 

「ナナ、お前は……オレが助ける……」

 

 どうしても、ナナの願いを肯定するわけにはいかなかった。

 

「約束しただろう……?!」

 

 約束をしたのだ。ナナをまもる……と。

 懐かしいあの場所で、ナナを傷つけたあの場所で、今度は護ると……。

 今度こそ“本当の想い”を告げたのだ。

 が……。

 

「そうだよ、サスケ……約束……してくれたでしょう……?」

 

 ナナは無慈悲にもこう言った。

 

「私を、もう……『誰にも利用させない』……って……」

 

 言葉を失った。

 確かに言った。だが、それはこんなことじゃない。

 

「サスケ……私、これ以上……こんな力で、みんなを……傷つけたくない……」

 

 自分のこと以上に他者を思うナナを、「終わらせる」ことじゃない。

 

「だから、お願い……」

 

 こんなところで、終わるためじゃない。

 

「ナナ! もうやめろ!! オレらが……」

 

 ナルトが何か叫んでいるが、耳に入らない。

 また足元の根がせり出して来たが、打ち砕くことはできない。

 

「やっと、わかったの……」

 

 ナナは笑っていた。

 

「私は、最初から存在しちゃ駄目だった……」

 

 痛みも悲しみもない、清々しい顔で。

 

「だから、生きることがこんなにも苦しかったの……」

 

 内側から、絶望が溢れ出した。

 

「愛されるはずが愛されなかったのも、話したいのに話せないのも、力なんていらないのに持っていたことも、殺したくないのに殺さなきゃならなかったのも……一緒にいたいのにいられなかったのも……全部……」

 

 絶望は血流に乗り、全身を硬直させる。

 

「全部……、私の命が間違っていたから……」

 

 ナルトさえも声を出せない。

 奇妙な静寂の中、ナナは言った。

 

「それがわかったから……私は今、すごく楽になった……」

 

 つまらないこじつけや強がりなんかじゃない……。

 ナナを良く知っている。だからわかった。

 

「仕方なかったって思えたら……やっと……楽になれた……」

 

 柵からの解放……。

 ナナは心から幸福そうに笑っている。

 

(なんで……)

 

 出逢いさえも「間違い」だったというのだろうか……。

 そんな疑問は独りよがりだとすぐに気がついた。

 すぐ近くでナルトがナナに何か言っている。

 だがサスケは言葉を失っていた。

 わかっているのだ。ナナがどれほど苦しんできたか。

 イタチを失って流した涙の冷たさは、まだこの腕の中にある。

 ナナの心は傷つき果て、もうズタズタに引き裂かれているのだ。

 そこには当然、自身がつけた傷もある。無意識に、仲間たちがつけた傷も。ナナ自身、避けようとしなかった傷もある。

 それでもなお、何度も立ち上がり、前に進もうと必死で生きてきたことも。

 よく、わかっている。

 それらが全て「仕方がなかったこと」と、ナナは理解したのだ。

 どんなに足掻いても、正しくあろうとしても、最初から間違っていたのだから正すことはできなかった……と。そして、これからも……。

 

 

「だからもう、終わらせなくちゃ……」

 

 

 全身から力が抜けて行った。

 迫り来る樹の一部を掃う気にもなれなかった。

 

「サスケ!!」

 

 ナルトの背が視界に入った。が、何を言っているのか理解ができなかった。

 

「サスケは叶えてくれるでしょう……?」

 

 聞きたくはない、ナナの声しか聞こえない。

 

「私の……」

 

 まっすぐに見つめてくる、瑠璃色の視線しか見えない。

 

「……願い……」

 

 その残酷な笑みしか……。

 

「サスケ……」

 

 ナナはマダラが落として行った刀へ右手を伸ばした。

 左腕は樹に飲み込まれていて、身体は完全に自由を奪われている。少し顔を歪め、懸命に身体をよじって、やっと刀を握った。

 そして唐突に、その刀で己の心臓を突き刺した……。

 

「ナナ!!」

 

 ナルトの悲鳴が鼓膜を揺らした。

 刃を握ったナナの手のひらからは鮮血が流れ出ていた。

 が、胸からのそれは無い。

 刀は“盾”に当たって動きを止めていた。

 また、あの青白い星の光だ……。

 

「サスケ……ごめんね……」

 

 ナナはそんなことをしておいて、それだけ言った。

 それだけでも、サスケにはわかった。

 ナナがそうしたのは、きっと今が初めてではない。

 いつ……?

 

「あの後……か……」

 

 サスケは喘いだ。

 

「……うん……」

 

 ナナはやはり肯定する。

 あの時すでに、ナナはこうすることを決意していたのか……。じゃあ、あの場所で唐突に七班が始まった時の話をしたのも……。

 

「ごめんね……サスケ……」

 

 イタチの話をしよう……と言ったことも、ナナは……。

 

「私に……未来なんて、無かったのに……」

 

 また、だ……。

 また、ナナのことを一番よく知っていると自負しておいて、また、ナナを独りで行かせてしまった。

 

「でも、仕方がないよね……」

 

 何故そんなふうに笑うのか、仕方がないことなんてない……近くでナルトがそう叫んでいる。懸命に枝や根を払い除けながら。

 ときおり無防備に立ち尽くすサスケの腕を引っ張って、立ち上がらせようとする。

 だが、サスケはナナだけを見ていた。

 

「もう、終わりにしよう……」

 

 その眼が、ガラス玉のように光った。

 

「サスケ……」

 

 儚い願い。強い意志。

 相反するその姿が、とても美しく、哀れだった。

 そしてそれは、サスケにとってこの上もないほど冷酷だった。

 

「お願い……」

 

 ナナは手にした刀を差し出した。

 重い鉄の棒でも持たされているかのように、その腕は震えていた。

 

 

「私を……まもって……」

 

 

 理不尽な誘いは、とても美しかった。

 が……。

 

「うっ……」

 

 その笑みが突然歪んだ。

 

「ナナ!」

 

 呼びかけたのはナルトで、やはりサスケは動けなかった。

 

「ほら……」

 

 ナナは刀を落とし、手で額を抑えた。

 しかしすぐにその手で乱れた前髪をあげた。

 

「ほら……見て……」

 

 視線だけまっすぐにナナを捉えながら……サスケは見た。

 ナナの額が醜く蠢いているのを。

 

「もう……止められないの……」

 

 肌の内側で何かが激しく動いている。

 そして……ナナが軽く咳き込んだ時、そこには真横に一線の筋が通った。

 

「もう、止められない……」

 

 そこが上下に開きかけたその時、ナナは再び手で額を隠した。

 その左眼は、白く濁っていた。

 

「私が私でなくなる前に……このまま……」

 

 それでも、ナナの右眼の奥には確かに意志があった。

 

「“私”のまま……終わらせて……」

 

 その光は、いつもサスケの心に在り続けた。

 消そうとしても消えない光。決して強くはない儚げな光。

 

「サスケ……」

 

 ナナのそれが、ずっと愛おしかった。

 

「私は……」

 

 風が吹いた……。

 

 

「アナタを愛せて……幸せだった……」

 

 

 幻のように、ナナは笑っていた。

 

「この想いが……消されちゃう前に……」

 

 綺麗に笑って爽やかに言った。

 

「私を……殺して……」

 

 幻術にかけられたように、サスケの足が一歩動いた。

 

「ナナ……」

 

 名前を呼んだ。心でいつも呼び続けていたその名を。

 

「ナナ……」

 

 ナナの可憐な笑みに誘われた。

 あれを歪ませてはならないから。もう、悲しませたくはないから。これ以上、傷つかないでほしいから。約束を果たさなければならないから。

 だから……。ナナの願いを叶えてやらなければならない……。

 

「サスケ!!」

 

 肩をグイと掴まれた。久方ぶりに、耳に騒音が響く。

 視界には、いくつもの棘を生やした太い枝が迫って来ていた。

 

「さがれってばよ!!」

 

 ナルトの声がして、目の前で枝が木端微塵に散った。

 周囲には数人のナルトが息を切らして立っている。

 

「サスケ!!」

 

 一人のナルトが、肩を強く揺さぶった。

 

「お前っ! ナナを殺すなんて、お前ができるわけねぇだろ!!」

 

 そう叫ぶ彼の目の奥には、怒りの他に見たこともない色が彩られている。

 

「ナナを『まもる』んだろ?!」

 

 その色を、サスケはよく知っていた。

 

「お前がナナを()()()から救い出さねぇで、どうするんだってばよ!」

 

 相変わらずの、強い言葉……。

 だが、その色は“強さ”じゃない。

 きっと、ナルトが初めて浮かべているであろう、単純な“恐れ”だ。

 

「カカシ先生が穴を広げようと神威で頑張ってる! シカマルたちもこっちに向かってる!」

 

 ナルトも悟っている。

 

「オレらもあそこの一点を狙うぞ!!」

 

 強気の言葉と裏腹に、ナルトはすでに悟っている。

 ナナの……宿す力の恐ろしさを。そして、変えられない未来を……。

 

「ナルト……お前……」

 

 本当は、わかっている……。

 

「ナナは左腕を樹に食われちまって、目の前でみんなが倒れていくから、ちょっと弱気になってるだけだってばよ!」

 

 ナルトはこの状況には不自然な、やけに軽い口調で言った。

 

「このまま影分身で連続攻撃すっから、お前も千鳥で続けってばよ!」

 

 そして顎に滴る汗をぬぐった。

 すでに、彼でさえも疲弊しているこの状況……。

 サスケは改めて、周囲を意識した。

 樹の動きはだいぶ鈍っていた。

 もう、枝や根はこのあたり一帯を埋め尽くしていたから、それで満足しているのか、それとも自らの枝が邪魔して成長速度が落ちただけなのか……。

 枝や根に囲まれて逃げ場を失った忍たちは、成すすべなくチャクラを吸い上げられ、そのほとんどが倒れていた。

 抵抗する者はまだあったが、樹を破壊すると同時にそこを補うように別の根が伸びて来て、もはや脱出も不可能だった。

 サスケの目で見通しても、この神樹の森の切れ間は見つからなかった。

 尾獣たちは向こうで抵抗し続けていたが、地の揺れが弱くなっているところを考えると、彼らのチャクラのほとんどが、神樹の肥料となっているようだった。

 

「サスケ……」

 

 ナナの声がサスケの視線を引き戻した。

 もう、全く血の気の無い顔。唇に滲む血。赤く染まった着物。血みどろの左腕。白く濁った右眼と、冷たく光る黒い左眼。

 それでもやはり、ぞっとするほど美しかった。

 

「サスケ! 行くぞ!!」

 

 胸をギュウとつかまれるような感覚を遮るように、ナルトが言った。

 

「樹を止めて、ナナを助け出すってばよっ!!」

 

 サスケが抱く想いと、ナルトが秘める迷い……。そして、ナナが滲ませる恐れ。

 それらを一刀のもとに断ち切るように、彼はいつも以上に大きな声を出す。

 

「カカシ先生ー!! もういっちょ頼むってばよ!!」

 

 ナルトの分身が一体、力尽きて煙と消えた。

 が、ナルトはそれを無視して下方の根に膝をつくカカシに叫ぶ。

 

「穴が修復する前に、オレらが攻撃する!!」

 

 カカシは大きくうなずいて、先ほどから狙う一点に神威を発動させた。

 幹がゆがむ。根や枝が怒りの咆哮を上げながら、カカシに襲い掛かった。

 サスケの足場も、大きく揺らいだ。

 

「行くぞ! サスケっ!」

 

 ナルトは分身を連れて、そこへ一気に駆け出した。

 一瞬、彼の膝から力が抜けたのを見た。

 が、かまわず障害となる枝や根を打ち砕きながら、走って行った。

 ナルトの背からまた、ナナに視線を戻した。

 

「サスケ……」

 

 左眼が……白く濁った。

 下で爆音が上がった。

 ナルトが、かろうじて形を保ったままの螺旋丸を、カカシが開けたあの穴に投げ込んだのだろう。

 また、大きく足元が揺れた。木片ときな臭い煙が二人のところまで上がった。

 ナナはそれらに覆われながらも、サスケを見つめ続けていた。

 光を失いゆく眼で……。

 

「サスケ……お願……い……」

 

 切れ切れにそう言うと、額を抑えていた手をだらりと下ろした。

 もうその腕に、力は少しも残っていなかった。

 

 

 

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