何かが失われていくのを、サスケは感じた。
愛しき者は、目の前に居る。
が、たった一人のそのひとが、この目に映らなくなってしまう。
奪われる。いや、消されゆく。
それは時が流れることと同じように、抗えないことのように思えた。
ナナが愛おしかった。
絶対に折れない心……その哀れさも強さも。少し浮世離れして天然なところも。苛立つほどに好きだった。
笑顔が可憐だった。
たとえその裏側に必死で闇を押し込めていようとも、それはやはり可憐に見えた。
苛立ち、怒った顔も、特別だった。
自分だけに見せる顔だったから嬉しかった。
涙は……今も、とびきり綺麗に光っている。身を削るような哀哭でも。絶望を超えた透きとおる雫も。全てを受け止めていたかった。
短くて癖のない黒い髪も、漆黒の双眸も、青白い頬も、目を奪われた。
気配を抑えて過ごす控えめな振る舞いも、悲しい理由を察しつつも惹かれていた。
何より自分にとって一番の、いや、唯一の理解者だった。言葉で伝えなくても、いつの間にかわかっていてくれる特別な存在だった。
春風のような涼やかさと、柔らかさが、心地よかった。
何気ない仕草にも、目はナナだけを追っていた。
本当は、最初からナナを護りたかった。ずっと側にいたかった。触れたかった。抱きしめたかった。
出逢ったあの日から、ナナを想わない日は一日もなかった……。
今さら……。そんな自分を思い知る。自分の想いを確認する。愛が、これだけ深かったのだと気づく。
ナナがどれほど愛おしかったか、胸の痛みが証している。
目の前で、息も絶え絶えに“己の死”を懇願するナナは、やはり美しかった。
髪は乱れ、顔はぞっとするほど青白く、身体の半分が血まみれで、左腕は醜い木肌にめり込んでいる。
それでもやはり、美しかった。ずるくても、残酷でも、清白だった。
そのナナが……奪われる。
何か手出しができない力に、消されようとしている。
サスケにははっきりとわかった。
きっと、ナルトも……。
ナナの幻妖な瑠璃色の眼から、弱くても美しかった光がしぼんでいく。
徐々に白濁していく瞳は、ナナのものではなかった。額には醜い何かが現れようとしている。
ナナはそれを恐れている。
はっきりと恐怖を口にした。いや、助けを求めた。
愛しいひとに救いを求められること。決して折れない心が弱る様を、さらけ出されること。全てを抱え込むほどの強いひとに、最後の頼みにされること。その“たったひとり”になれること。
嬉しかった。
ずっと、そうしてほしいと願っていたことでもあった。
この手で突き放し、傷つけ、それでも捨てきれなかった存在。同じこの手で、本当は護りたかった。
だから、ナナ……。
心は決まった。いや、初めから答えは決まっていた。
ナナを護る。
誰よりナナを愛した自分だから……そう自負しているから。
サスケは両のこぶしを握った。
力はまだある。ナナの眼を見つめ、それを確認する。
たとえ込めた力が片っ端から奪われようとも、枯れないだけの想いがあった。
「ナナ……」
応えはなかった。
萎む光。濁る瞳。止んだ風。
が、ナナは笑んだ。
それでもう、十分だった。
サスケは左の腕に千鳥を発動させた。
千の鳥が泣き喚く。
それを余すことなく喰らい尽くそうと、樹が激しく動いた。
サスケは跳んだ。
ナナの……
チョウジがそこに体当たりをした。シノの虫たちもチャクラを吸い尽くされるまで穴にへばり付いた。墨の虎も噛みついた。
樹は砕け、穴は格段に広がった。焦げた臭いと白煙、そして木っ端が舞う。
サスケはそこへ突っ込んだ。
雷を纏った左腕をまっすぐに突き出した。
煙を散らすと、行く手には焦げ付いた穴……いや、木肌にできた“傷”が見えた。そして乾いた樹皮が、見る間にその傷を塞いでいく……。
その光景が、“白い影”に遮られた。
煙ではない。風……だった。
千鳥は風を切り裂いた。
青白い稲妻が爆ぜる。
ドン……と、風の向こうの樹が爆音をあげた。
この腕に痛みはない。痛むのは胸の奥だ。息もできないほどの、痛みだ。
あたたかかった。柔らかい風だった。まだ涼やかな、春の匂いがした。
視界が歪んだ。膝が震えた。
だが、前を見た。目を見開いて、目の前を。
ナナが、笑っていた。
(ナナ……)
この安らかな笑みは、自分だけのものだった。
憐れな生を受け、壮絶な道を歩き、それでも可憐に生き抜いたナナは、最期に笑ってくれた。
ナナを、愛し抜いた。
深く想い合って、魂で繋がっていた。
そんな、互いに唯一の存在だったからこそ……。
だからこの手で護り通さなければならなかった。自分こそが、救わねばならなかった。
懺悔、悔恨……それらを全部忘れて、ただひたすら愛のために、この身を捧げた。
左の腕を、引き抜いた。
崩れ落ちる体を、強く抱きしめる。
身体はすでに冷たくなっていた。
あの術のせいだとわかっていたが、最期まで“つれない”ところがナナらしいと感じた。
だが、この手で開けた胸の穴と、もぎ取られた左腕の傷口から溢れ出る……命。
それは確かに温かかった。清らかで気高い命が、サスケの身体を温めるようだった。
ナナの純白の着物が紅く染まりゆく。それさえも美しく見えている。
顔を見た。
口元の花笑み。それは泥と血とで汚れているのに、この世のどんな花よりも綺麗だった。
ナナを愛し尽した……。
この笑みは、ナナが遺したその証だった。
だから涙は出なかった。
それでも、心は静かに音をたてる。
ナナ……お前の願いを、オレは叶えてやれたのか?
お前にずっと巻き付いていた枷を、本当に取り去れたのか?
お前は本当に幸せだったのか?
オレは、お前を救えたのか……?
あれほどわかり合えていたはずなのに、疑問の泡がぷくりぷくりと湧き上がる。
が、応えはもうないのだ。
その唇も、まぶたも、想いも……永遠に鎖されてしまった。
『アナタを愛せて……幸せだった……』
あの言葉を抱いて、この世界で息をし続けるしかないのだ。
ナナのいない、この世界で……。
あの言葉がナナの真実だったなら、それほど幸せなことはないのだから。
ナナ……。お前は、オレを愛してくれていたのか?
応えは、ない。
長いまつげは、もう風に揺れることもなかった。
ナナ……。オレは、お前を愛し抜いた……。
この想いに代わるものは何もない。永遠に消えることはない。ほんの少しも薄れることはない。
ずっと変わらず、この胸にあるから……。
だから、ナナ……。
お前はオレの永遠になった。
ナナ……。
たとえこの命が尽きても、想いは変わらない。
ナナ……。
これからは、ずっと……。