ひと葉 ~参の巻~   作:亜空@UZUHA

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第6章 終末編
思慕


 

 そこは川のほとりだった。

 日暮れ時のような、いや、夜明け前のように薄暗い。

 目を凝らすと、向こう岸は森が広がっているようだが、霞がかかっていてあまりよく見えない。

 振り返って見ると、こちら側も同じように森があった。木ノ葉の里では見たことのない種類の木々が、整然と立ち並んでいる。

 風は無かった。寒さも暑さも感じなかった。

 そして、痛みもなかった。

 ただ、川の流れる音だけが耳に響いた。

 

「ごめんね……サスケ……」

 

 そっと呟いた。

 自然とうつむいたから、視界には自分の姿が入り込んだ。

 丈の短い草を踏みしめる足。草履を履いている。身に着けているのは、いつもの白い装束。布のどこにも汚れた“赤”は無い。

 そして、自ら切り落としたはずの左腕もちゃんとある。

 その手を胸に置いた。

 サスケが開けた穴も、そこには無かった。

 だが。

 

「サスケ……」

 

 どうしてだろうか。

 傷はすっかり無くなったのに、まだそこに在り続ける“心”。傷の痛みは消えたのに、胸の奥はひどく痛む。

 

(ごめん……ごめんね……サスケ……)

 

 涙が流れた。

 現世(うつしよ)に置いて来たはずのものが、まだここに在ることが憎らしい。とても悲しい……。

 “これ”から解放されなかったことに失望した。

 “これ”を抱えたまま、この先も過ごさなければならないのか……。

 いったいどのくらい?

 永遠に続くのだろうか?

 もう、決して許されることはないのか……?

 その時。

 

「ナナ……」

 

 絶望に憑りつかれた背に、声がかかった。

 

「え……?」

 

 ここで“人”に会うとは思いもよらなかった。ましてや、自分の名を呼ぶ者など……。

 ナナは涙を拭って振り返った。

 そこに居たのは。

 

「ナナ、やっと会えたわね」

 

 にこりと笑う、若い女。

 彼女を、知っていた。

 

「お母……さん……?」

 

 過去に飛んだ時に会った、和泉成葉。その人が、目の前に立っていた。

 この霞のなかでもはっきりと、その姿が目に映る。

 

「お母さん……!」

 

 記憶と憧憬、そして思慕。それらが一気に混ざり混ざって、ナナの足を動かした。

 

「お母さん!」

「ナナ!」

 

 しがみついていた。

 小柄な、だがナナよりも少し背の高い、母の身体にしっかりと。

 

「お母さん、お母さん……!」

 

 想いを母の胸に押し付けるように、ナナは何度もそう呼んだ。今まで一度も、口にできなかったその名を。

 

「『お母さん』って、呼んでくれるのね」

 

 母は嬉しそうに息をついて、しっかりと抱きしめてくれた。

 とても温かかった。

 

「『ナナ』……とても良い名を授かったわね」

 

 もう実体などないはずのこの身体で、母のぬくもりを感じていた。

 

「ちゃんと……あなたを産んであげられなくて……ごめんね……」

 

 母の手が、頭をなぜた。

 

「お母さん……私っ……」

 

 話したいことがたくさんあった。

 母につけられたのではないこの名の由来も、その名を背負いながらどうやって生きて来たのかも。

 聞きたいことも山ほどあった。

 自分がちゃんと産まれなかった訳、母の一生……。母の口から聞きたかった。そして何より、父のことを……。

 

「私、私ねっ……」

 

 だから、まず初めに言う言葉が見つからなかった。

 今ここに居る理由を伝えるべきだと思ったのだが、何ひとつうまく言葉にならないのだ。

 まだはっきりと感じるサスケの愛情が、胸を締め付けているから。とても、痛むから。

 

「わかってるわ、ナナ」

 

 母はなだめるように言った。

 

「よく……がんばったわね……」

 

 見上げると、母の目には涙があった。

 

「あなたは、立派に生き抜いたわ……」

 

 その粒が、滑らかに頬を伝った時、思った。

 ああ……少しだけ、許された……。

 母が認めてくれた。あの自分の決断を、認めてくれた。自分の生を、そして死を、母は「立派」だと言ってくれた。

 

「お母さん……見ていて……くれたの……?」

 

 母はうなずきながら、溢れ出る涙を拭ってくれた。

 

「辛かったわね、ナナ」

 

 止まらないそれを、何度も何度も、拭ってくれた。

 

「本当に、よく頑張ったわ」

 

 そして、もう一度しっかりと、抱きしめてくれた。

 

「おかあさん……!」

 

 それは初めての感覚だった。

 与えられるぬくもりに全てを委ねることを、許されると感じるのは。

 イタチにさえ、あるがままの心を押し付けることができなかった。我愛羅にも、カカシにも、シカマルにも、全部を吐き出すことはできなかった。

 サスケには、ひとかけらの真実を口にすることさえも怖気づいていた。

 だが、母の前では……。

 

「私っ……私ね……サスケを……!」

 

 胸を締め付けるどうしようもない塊を、そのまま母にさらけ出した。

 

「サスケに全部を……背負わせたっ……!」

 

 痛みも、後悔も、懺悔も……。そして、諦めも、少しの誇りも。

 

「全部、サスケにっ……」

 

 彼への想いも、全部。もてあますほどの想いを、全部。

 

「ナナ……」

 

 苦しくて苦しくて仕方がなかった。

 こんなところまで来て、こんな痛みを引きずらなければならないことも、やり場のない怒りだった。

 それも、母は受け止めてくれていた。

 しばらく黙って、嗚咽をなだめてくれていた。

 静かに頭を滑る手が、ほんの少しだけ痛みを和らげていくようだった。

 

「あなたたち二人は……」

 

 やがて、母は温かい声で言った。

 

「とても深く、想い合っていたのね……」

 

 慰めるような、優しい、どこか嬉しそうでもある声だった。

 

「あなたとサスケ君の魂は、とても強く結ばれていたのね」

 

 そして、そうやってナナとサスケのことを表わした。

 深く想い合って……。魂はとても強く結ばれて……。

 母の口からそう表現されて、まるで初めてわかったような気がした。

 自分とサスケ……二人の関係が“何”だったのか。自分がサスケをどう思って、サスケが自分をどう思っていたのか。自分にとってサスケがどういう存在で、サスケにとって自分がどういう存在だったのか。

 そして、自分がどれだけサスケを愛し、サスケもまたどれほど自分を愛してくれていたのかも。

 そう……今さら、自覚した。

 

『アナタを愛せて幸せだった』

 

 サスケに押し付けた台詞が蘇った。

 あれは、真実の言葉。

 苦しいばかりでも、痛いだけの想いでも、最期は幸せだったと思えたから。

 サスケの愛も、今さら心を熱く満たした。

 最期の願いを叶えてくれた、ただ一人の人。全部を背負う覚悟で、死をくれた人。

 最期の時、サスケの眼に自分が映っているのが見えた。

 その顔は満足していた。

 「別れ」ではなかった。ただ感謝と……愛を伝えたかった。

 

 サスケを、愛し抜いた……

 

 そんな自分を、自分でも認められた気がした。

 

「お母さん……」

 

 顔を上げた。

 母の優しい微笑に、こう尋ねた。

 

「お母さんと、お父さんも……そうだった……?」

 

 おそるおそる……。

 父のことをあまり想像すらしなかったから、わからなかった。ミナトと静葉の言葉だけでは、二人を思い描くことができなかった。

 そもそも、幸せな夫婦なんて知らない。

 だが、自分とサスケがはぐくんだものが「愛」だったのなら、父と母にもそれがあったのかを知りたかった。

 それを知ることで、自分とサスケのそれが、より客観的にわかる気がしたから。

 

「ナナ……」

 

 母は微笑した。

 それだけで、答えがわかった。

 

「もちろんよ!」

 

 その笑みが、とても幸福そうだったから。

 

「あなたももう知ってると思うけど、私たちの関係は、和泉の里にとっても木ノ葉の里にとっても、あまり歓迎されるものでもなかったの」

 

 母は遠い記憶を見つめながら話してくれた。

 

「でもね……、それでもどうしようもないくらい、お互いに惹かれ合っていた……」

 

 ドクンと胸が鳴った。

 「まるで、自分とサスケみたい……」と思えた自分に驚いた。

 

「お、お父さんて……うちはの……?」

 

 サスケの残像が浮かんで、そう聞いた。

 

「そうよ」

 

 母は楽しげに答えた。

 

「うちはアケル……。うちは一族の人で、立派な木ノ葉の忍だったわ」

 

 そしてとても誇らしげだった。

 

「うちは……アケル……」

 

 父の名をつぶやきながら、今度はイタチの面影が浮かんだ。

 イタチとサスケ……二人と同じ一族の男。それが自分の父だった。

 だからやっぱり、この身体には彼らと同じ血が流れていたのだと改めて実感した。

 もう、この“身体”は実体ではないのだけれど……。

 

「お母さん……私、お父さんに会いたい……!」

 

 涙を止めて、そう言った。

 思い描いたことすらなかった“父”に会いたかった。

 

「どこにいるの? すぐに会える?」

 

 久方ぶりに、心が躍動していた。

 

()()()でずっと一緒だった?」

 

 今になって初めて、自分の“家族”というものを意識した。懐かしい“期待”というものが押し寄せた。

 

「ナナ」

 

 母は笑った。

 そして、漆黒の瞳にほんの少しだけ影を浮かべて、こう言った。

 

「お父さんに会いに行く前に……まだ、やらなくちゃいけないことが残っているわよ」

「え……?」

 

 思わず母の袖を握りなおした。

 

「見届けなくていいの?」

「え?」

 

 母は両頬を包んで言った。

 

「あなたが護ったあの世界の行く末を、見届けなくていいの?」

「あの世界……?」

「そう……あなたが遺して来た人たちの戦いを……」

 

 再び胸がドクンと揺れた。

 

「わ、私にも見られるの?!」

 

 そして深く考える間もなく、口を突いて出た言葉。

 母はそれにうなずいた。

 

「ここからでも見られるわ。あなたなら」

 

 見える……。あの世界が。少し前まで、自分がいたあの世界が。

 あの後、どうなっただろう。

 神樹の暴挙は止めたはず。この命と、サスケの心とを引き換えにして……。

 だが、戦争はまだ終わっていない。

 マダラはまだ生きていたし、樹に吸われたチャクラを返したとはいえ、忍の皆の力は弱まっている。樹も、完全に枯らせたわけではないだろう。

 まだ、マダラの計画は止まっていないのではないか……。

 

「ナナ……でも、もう終わりにしたのなら、このままお父さんのところへ行きましょう」

 

 母は寛大だった。何も語っていないのに、心の迷いに気づいてくれた。

 そして、別の道を示してくれた。

 

「お母さん……」

「あなたは最期まで立派に戦った。だからもう、終わりにしてもいいのよ」

 

 母が気遣ってくれていることが嬉しかった。

 もう、終わりにしたい……。

 それを強く思っていた自分がいるのを、知っていたから。

 だが。

 

 あの後……サスケはどうなっただろう……

 

 そう考えずにいられなかった。

 自分が傷つけた彼の姿を見るのは怖い。とても怖いのだ。

 だが、せめて彼の戦いを見届けなくてはと、思わないはずもなかった。

 まだ、ここには来てほしくないから。

 

「私……ちゃんと、見届ける」

 

 涙一粒と引き換えに、そう告げた。

 

「戦争を……サスケを……見届ける」

 

 たとえ、ここからではもう何もできなくとも。

 だからこれは使命なんかじゃない。それはもう果たしたはずだ。

 ここからは、ただ無責任に覗き見るのだ。遠く離れたこの場所から、ただ傍観するのだ。

 せめて、彼らがここに来ることが無いよう……祈ることはできるから。

 

「お母さんも、一緒に居てくれる……?」

「もちろんよ」

 

 心細さをそのまま表すと、母はぎゅっと手を握ってくれた。

 そして、川の方へ歩き出す。

 

「川の流れは時の流れ……」

 

 まるで呪文のように母は言った。

 

「あなたのいた“時”も、この川の流れの中にあるの」

 

 促されるまま、つるばみ色の川面を見た。

 この川が、何というか知っている。

 あの故郷の川と似ているのは、きっと偶然ではないのだ。

 

「だから、あの世界のことを思い浮かべて、川の流れに映すようにすればいいのよ……って、これじゃあわかんないわよね」

 

 母は自身の言葉に少し笑った。

 が、ナナにはすでにどうすればよいのかイメージができていた。

 同じような術を、見たことがあったからである。

 そう……姉の琴葉が、終末の谷近くの川に、ナルトとサスケの姿を映し出したあの術だ。

 

「やってみる」

 

 目を閉じて、少し強く母の手を握った。

 そして、想う。あの世界……いや、サスケのことを。

 

(サスケ……サスケ……)

 

 アタナはまだ、戦っている?

 まだ、無事でいるよね?

 ナルトと一緒に、戦っているよね?

 

 いろいろな想いが渦巻いて……。

 

(ごめんね……)

 

 やっぱりそう想った時、川面にはあの戦場が浮かび上がっていた。

 

 

 

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