「うそ……」
そう、呟いた。
「そんな……」
膝から力が抜け、その場にへたり込んだ。
右の手も、母の手の中から滑り落ちた。
「どうして……」
また、今はもうあるはずのない感情が激しくうねった。
難なく視界に映し出したあの世界。少し前まで居た戦場……そこではまだ、戦いが続いていた。
それは予想ができていた。
自分の死でマダラを倒せたわけではない。決着がついたわけではなかったのだ。
だからまだ、生き延びた忍たちが戦っているはずだった。
しかし……。
その戦いに、もうサスケの姿は無かった。
「サスケ……!」
土煙の中、サスケは倒れ伏していた。
傷はよく見えない。
だが、背中の赤い丸の中心が危険な場所にある。
それに……ここからでも感じた。彼の魂が、その身体から抜け出ようとしているのが。
「なんで……?!」
反射的にナルトを探した。サスケと共闘していたはずの彼を。
ここからでは、視点を自在に動かせる。
だから、彼を想うだけで彼の居る場所が見えた。
「ナルト……!?」
ナルトは我愛羅のつくる砂の雲の上にいた。
目をきつく閉じている。あれほど生き生きとしていた彼の顔に、すでに血の気はない。
サクラが、懸命に蘇生措置を施している。
「どうして……」
「ナナ……」
震える肩を、母が抱いてくれた。そのぬくもりも、乱脈を押し留めることはできなかった。
何があったのか……自分がここへ来て母と話している間に、二人の身に何が起こったのか。
いや、そもそもここでの時間と向こうでの時間は、等しく流れているのか?
この光景は真実なのか?
混乱はすぐ、恐怖に変わる。
「ダメだよ……!」
こんなはずじゃなかった。
放り投げては来たけれど、全部を押し付けて来たけれど、それでも、「こんなはずではなかった」と強く思う。
決して、戦いの行く末を楽観視はしていたわけではない。
だが、二人がこんな姿になることは全く想像していなかった。
とても……信じられなかった。
「まだ、ダメだよ!」
届くはずのない叫びをあげる。
「こっちに来ちゃ、ダメだよ……!」
理不尽に叫ぶ。
せっかく自分が護ったのだから。サスケとの未来を捨ててまで、サスケを怖ろしく傷つけてまで、みんなを護ったのだから。
「生きて……欲しかったのに……!」
無意識のうちに、音がするほど激しく首を振っていた。
「私の分まで……生きて……」
「ナナ……!」
母は強く抱きしめてくれた。
その細い腕に、力いっぱいすがりつく。
「お母さん……! サスケと、ナルトがっ……!」
「ナナ……」
やだ、やだ……と、母の腕の中で子供のように駄々をこねる。
「このままだと死んじゃう……! わかるの……! わかるから……」
もう、自分で何を口にしているかわからない。
涙で滲む向こうの景色は……。サクラが必死でナルトを救おうとしている。香燐がサスケに泣きすがる。
二人の少女の顔を染める、“絶望”の色……。
「私は……」
胸がひどく痛む。
「もう……何もできないっ……!」
覆いかぶさるような、無力感。こんなところへ来てまで、こんな気持ちにならなければならない憤り。憐れ、情けない、虚しい……そんな言葉が、泉のように胸に湧く。
「ナナ、落ち着いて」
「お母さん!」
母はゆっくりと背中をさすってくれた。
「お母さん! 私っ……!」
何のために命を捨てたのか。
何のためにサスケの想いを殺したのか。
何のために死んだのか。
「ナナ、こっちを向いて」
「私っ……」
こんなはずじゃなかった。
マダラを倒して欲しかった。
戦いを終わらせて欲しかった。
みんなに生きて欲しかった。
サスケに、幸せになって欲しかった。
「ナナ……大丈夫よ」
母は、声になりきらない想いをわかってくれたように、「大丈夫」と、そう言った。
少し悲しくて、とても優しい声で。
「ナナ、私の話を聞いて」
「おかあさん……」
母の手が濡れた頬を包み、上向かせた。
母の目は、愛に満ちながらも悲しげに揺れていた。
そして、言った。
「二人は大丈夫よ、ナナ」
何のことだかわからなかった。
それほどに感情が激しく渦巻いていて、母の言葉の意味を理解する余裕を無くしていたのだ。
「二人はまだ“ここ”へは来ないわ」
「え……?」
母はフっと笑って、頬の涙を拭った。
「サスケ君とナルト君……二人には特別な力がある」
思わず目を見開いた。
「あなたも、知っていたんでしょう?」
ぐちゃぐちゃになった頭の中に霧がかかった。
そしてゆっくりとそれが晴れていくと、思い出す……。
“現世”で秘かに感じた、二人の中の“同種の力”。互いに“対”となり、それでいて“二つでひとつとなる力”。まるで、陰と陽のような……。
「お母さん、それって……」
「気づいていたのよね?」
「う……うん……」
母は、あの曖昧な感覚を説明してくれるのだろうか。
そして……。
「も、もしかして……二人の力って……私の中にあったモノとも……関係……ある……?」
もっとあやふやな予感も。母がここで、説明してくれるのだろうか。
でも、何故……?
「まずは、二人の力のことから話すわ」
母は少し顔を曇らせて、そう言った。
実体の無い身であるはずなのに、ドクンと、確かに鼓動が鳴った。
「ナルト君とサスケ君の中に、“六道の力”があるが見えるの」
初めに、母はそう言った。
衝撃的な台詞とは程遠いように感じた。
「つまり、二人は『六道仙人』の力を受け継いでいるのよ」
その名前もすでに知っている。和泉一族の流れを組み、『忍の祖』と呼ばれる者だ。
そして、尾獣の生みの親でもあることも聞かされている。
九尾を宿すナルトの意識に入り込んだことがあるから、その繋がりを明らかにされても驚かなかった。
「どうして……?」
だから、浮かべる疑問はその程度だった。
どうして二人がそれを受け継いだのか……という理由。
母は、少し躊躇ってから答えた。
「二人はね……六道仙人の息子、『アシュラ』と『インドラ』の転生者なのよ」
急いていた心が、一気に落ち着いた。いや、呆けたといったほうが近かった。
「六道仙人の息子の……転生者……?」
母が始めた御伽噺は、この状況にそぐわないように思えたからである。
「兄インドラは六道仙人の力を受け継ぐ天才。そして弟アシュラは、いわゆる落ちこぼれ、だったそうよ」
だが、イメージは容易に浮かんだ。
「落ちこぼれだった弟アシュラは、自身の努力と仲間との繋がりによって、兄のインドラに並ぶ力を手にした……」
インドラはサスケ、アシュラはナルトに……それぞれ転生したのだろう。
そう結果を導くことも、簡単だった。
「だから六道仙人は、自らが開いた『忍宗』の後継者にアシュラを選んだ。それを、インドラは認めることができず……二人の争いが始まったの。それは決して終わることがなく、お互いに何代も転生し続けて……それが、今のサスケ君とナルト君なのよ」
(ああ、だから二人は……)
対の力を持つだけでなく、争うこともまた運命だったのか……。
また、終末の谷の光景が目に浮かんだ。
それを振り払うように、母に尋ねた。
「も、もしかして……サスケとナルトの
あまり関係のないようなことだったが、何かを言わねばならない気がした。
が、母はその問いに大きくうなずいた。
「そう。千手柱間様とうちはマダラよ」
その答えは、ナナが思うより重要なことだった。
母は、マダラが転生者を終える前に、この転生のサイクルを“壊す”行為に及んだのだと明かした。
「柱間様の細胞を、マダラは取り込んでしまった。そのことで、六道仙人のチャクラを導き出し、輪廻眼というものを開眼してしまったのだそうよ」
長きにわたる間、何度も何度も転生し、争いを繰り返した兄弟。
その不毛なループが、柱間とマダラの代で崩れた。
「輪廻眼……」
ナナは思わず眉をひそめた。
輪廻眼の性能の恐ろしさは目の当たりにした。そして、マダラの異常なチャクラと強さも体感している。
母はその顔色を見てか、一呼吸おいてから言葉を続けた。
それは、この御伽噺を終わらせて、一気に確信に迫るものだった。
「六道仙人は黄泉の国へ逝くこともなく、この争いをずっと見て来たの。何世代も、決して終わらない争いを……。今はきっと、マダラを止めて欲しいと、強く願っているはずよ」
六道仙人、インドラとアシュラの兄弟、柱間とマダラ、そして……サスケとナルト。彼らの存在が、ぼんやりと線で繋がるのを感じた。
六道仙人が、今この世代で息子たちの生まれ変わった姿を見ているのなら……それはつまりサスケとナルトを見守っているということ。
であれば。
「じゃあ……今のサスケとナルトのことも、六道仙人は見ているんだよね?」
思ったこと、そして期待をそのまま口にした。
母は微かに笑った。
「きっと今頃、二人の精神世界に現れて、この真実を告げているはずよ」
ナルトの腹の中、九尾の檻、そして、尾獣たちが集まった場所。
あの、不可思議な空間を思い浮かべる。
「そこで話をしているってことは、六道仙人は……」
期待が大きすぎて胸でつかえ、続きを言えなかった。
代わりに母は言う。
「二人に力を与えるでしょう」
よかった……。
言葉にはならなかった。
色々と聞かされたことよりも、今の母の言葉が何よりも重要だった。
「じゃあ……二人は、助かる……?」
チラリと横目で“現世”を見やる。
まだ、動かないサスケ。香燐が傍らで泣いている。
ナルトは……姿が消えている。
探そうにも、彼の魂を感じられなかった。
「お母さん!」
再び湧き上がる焦りと恐怖のまま、母の袖を握りしめた。
「ええ……。六道仙人は、必ずマダラを倒す力を二人に与えると思うわ」
確かな台詞と共に、母の目が紫苑色に煌めいた。
ホクトが時折見せた瞳によく似ていた。
この瞳で、母には何かが見えている。
今さらながらそう思った。
『ナルト君とサスケ君の中に、“六道”の力があるのが見えるの』
「見える」と、最初にそう言っていたではないか。
母にはきっと、そういう力が備わっているのだ。希代の陰陽師……そう言われていたのだから。
「よかった……」
あえて口に出してみた。
できれば二人の精神世界に飛んで、その様を見届けたかった。
六道仙人が本当に二人の前に現れたのか。二人に真実を話したのか。ちゃんと、二人に力を与えてくれるのか。
この目で確かめたかった。
が、それはもう叶わない。
“こちら側”へ来てしまったから、生きている者の精神と繋がることは叶わないと思った。
「お母さんが言うなら、大丈夫だよね!」
諦めるように潔く、そう言った。
わずかに残る不安は胸の奥でくすぶっていたが、母のまっすぐな瞳が希望を与えてくれていた。
だが。
(あれ……?)
落ち着きを取り戻すにつれ、違和感を覚えた。
母が「見えた」と言ったのは、サスケとナルトの中の六道の力だ。
だが、母はその力が備わった“理由”まで、全て説明してくれた。
『兄“インドラ”は、六道仙人の力を受け継ぐ天才。そして、弟“アシュラ”は、いわゆる落ちこぼれ、だったそうよ』
そう……そう言った時からだ。この違和感が芽生えたのは。
「だったそうよ」とは、誰かに聞いたことを別の者に伝えるときに使う言い回しだ。
一体誰に……?
何故、母は全てを知っているのか?
母の眼はそこまで「見える」のか?
何故、聞き伝えるような言い回しをしたのか?
「お母さん……どうして、この話を知ってるの?」
簡潔で、他愛もない回答を期待した。
が、母は複雑な答えを示した。
「私は……直接、六道仙人に聞いたの。もちろん、まだ生きている時に」
「あ、会ったの……? 六道仙人に……?」
それが可能であった母の能力。そして、先見性。
それを、ただ誇らしく思うことができればよかった。
だが、ナナの頭はその先を考えてしまう。
何故、その必要があったのか……。
そうしなければならない理由があったのではないのか……。
そしてその予感は、いつも悪い方へ矢印を向けているのだ。
「ナナ……」
母の綺麗な瞳が曇った。
紫苑から漆黒へ戻ったというのではない。母の表情には明らかに影が差し込んだ。
(やっぱり……何かが……)
そう思ったが、口をつぐんだ。
ただ母の言葉を待つしかなかった。
「あなたは、自分の力がサスケ君とナルト君……二人の力と関係があるって、気づいているのよね?」
母に問われた瞬間、また鼓動が跳ねた。
そして記憶が蘇った。
『貴様の兄はよくやってくれた。うちはの者が自ら一族に手を下してくれたことは、里にとってまさに理想だ』
たしか、そんな言葉だった。二代目火影がサスケに対し、イタチのことをそう言った。
その瞬間、怒り、悲しみ、憎しみ、失望……それらがいっぺんに爆ぜて、ひどく目が痛んだ。
つむった目の奥に、確かに見えた。
深い闇に浮かぶ白い眼。そこから発せられるおぞましく強大な力。それが、自分の魂に覆いかぶさるような感覚。
そして、マダラに利用され、神樹と一体化した時にはっきりとわかった。
その力は、この世界をも支配し得る。それを望む力でもある。
それが人なのか、ただの力なのか、尾獣に似たモノなのかはわからなかった。
だが、サスケとナルト……二人の中にある力と同じ“匂い”がした。
二人の力と、根源が同じであるような……同じ性質のような……曖昧な感覚ではあった。
が、きっと、二人もアレに気づいていたのだと思う。
そして、アレの果てしない大きさ、強さに、絶望したことだろう。
自分と同じように。
だから……だから、サスケはアレを葬り去ってくれた。アレに呑まれる前に救ってくれた。
だから自分はここに居るのだ。
少し、身が震えた。
「サスケとナルトの力と関係があるってことは……私の中にあったあの力も、“六道”の力ってこと……?」
恐る恐る尋ねると、母は両肩に手を置いてくれた。
が、その視線は悲しげなものだった。
「お母さんは、あの力のことも知ってるの?」
そして、さらにその視線を川の方へと逸らす。
「し、白い眼が見えたの……! とても強くて、世界を破壊するような恐ろしい力だった……。私はそれを利用されそうになって……その力に取り込まれそうになったから、サスケに……」
「サスケの手で殺してもらった」とは、まだ口にはできなかった。
が、躊躇う母に向け、さらに言った。
「ここから見ていてくれたんだよね? そのときに、あの力のことも見えたの?」
母は目を伏せた。
「あの力は、六道仙人と関係あるの?!」
唇を噛み、それから息を吐く。
「お母さん?!」
母の手をとって強く握りしめた。
と……母はようやく、口を開いた。
「あなたの中にあった力は……」
初めて目にする、母の苦しみ。
そして告げられたのは……。
「大筒木カグヤ……六道仙人の母親の魂よ……」