ひと葉 ~参の巻~   作:亜空@UZUHA

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 ずっと凍えていた。

 この世界には、感覚も感情も存在しないと思っていたのに、大きく当てが外れた。

 酷い寒さと、悲しみと、怒り……そして悔恨。長い間、たったひとりでそれらに苛まれて来た。

 あれからどのくらいの時間が経ったのかわからない。

 お腹の我が子が……陰陽道の術によって、奪われた時から……。

 死者が川を渡り行く光景を何度も見てきた。

 その中に、知っている者の顔は無かった。

 彼らは皆一様に、白い死に装束を着て無言のまま橋を渡って行く。

 現世(うつしよ)への未練を断ち切り、黄泉の国に住まうことになった者の前にだけ現れる橋だ。

 それは清々と繰り返される儀式だった。

 誰も、この“檻”の存在に気づかない。声も届かない。

 もちろん、相手に聞こえたとしても、声をかけるような馬鹿な真似はしなかった。

 そんな中、遂に現れたのである。

 この檻の前に立つ、懐かしい“赤い眼”が……。

 

「あなたはもしかして……」

 

 “彼”は自分が目にしている光景に驚きつつも、落ち着いた声で話しかけてきた。

 

「和泉……成葉さん……ではありませんか……?」

 

 彼のことは知っていた。

 いや、実際は彼の顔も名も知らなかった。

 知っていたのはその眼と……彼の“姓”だ。

 

「あ、あなたは……?」

 

 自分のことを肯定する前に聞き返す。

 久しく使わなかった声帯は、すっかり干からびていた。

 

「うちはイタチと言います。木ノ葉隠れの里の、うちは一族の者です」

 

 やはり……。

 彼は夫のアケルと同じく、写輪眼を扱えるうちは一族の人間だった。

 

「ど、どうして私のことを……?」

 

 だが、「イタチ」という名をアケルの口から聞いたことはない。

 いや、聞いたことがあるはずはないのだ。

 もう自分が死んで何年になるのか……。

 この、ここへ来るにはまだ年若いイタチという男が、自分の死後に産まれた存在である可能性は大いにあった。

 

「“ナナ”に、とても良く似ているからですよ」

「ナナ……?」

 

 彼は知らない名前を口にし、懐かしそうな眼差しをこちらに向けた。

 「ナナ」という名も、もちろん知らなかった。自分に似ているということは、「ナナ」も和泉一族の人間なのだろうか。

 

「この封印は誰が……? まさか……あなたが自分で……?」

「え、ええ……」

 

 イタチはあまりに素早い予測をたてると、ため息をついた。

 そして急に核心を突いた。

 

「それは……あなたの子が、うちは一族と和泉一族の両方の血をひいていたせいですか?」

 

 息が止まった。

 彼は、思った以上に自分のことを知っている。思わず、腹に両手を置いていた。

 

「二人目の子は、『産めなかった』のではなく、『産まなかった』のですか?」

 

 答えられるはずはなかった。

 カグヤのことは誰も知らないはずだったが、答えてしまえば彼が何かを察してしまうような予感がある。

 その聡明さは、アケルを思い出させた……。

 

「でもその子はもう、“そこ”にはいない……」

 

 彼は目を伏せた。

 心が騒ぐ。

 彼は何を知っている? どこまで知っている?

 思わず、柵から後ずさった。

 

「この“檻”はもう、必要ないはずですね?」

 

 有無を言わさぬような口調で、彼は言った。

 ごくりと唾を呑み込み、ゆっくりとうなずいた。

 不思議とそうせざるを得なかった。だが表情は変えなかったつもりだ。

 

「これは……和泉流陰陽術の封印ですか?」

 

 彼は“檻”の全体を見回した。

 どうやら、この“檻”……封印を破るつもりでいるようだった。

 その口調も視線も迷いがなく、失敗を予感していることはないようであった。かといって自信家でもなく……冷静で聡明に見えた。

 そんなところも、やはり少しアケルに似ている。

 

「無理よ……。自分自身でも解けない封印だもの」

 

 彼を見て、夫の姿を重ねてしまっている自分に気づいていた。

 が、こみ上げる不思議な懐かしさは止めようがなかった。

 ここに封じられているがために、彼に会うことも叶わずにいるのだから。

 

「“天敵”の関係にある自分になら、破れるかもしれません」

「え……?」

「少し、下がっていてください」

「な、なにを……?」

 

 イタチは少しだけ思案して、片手の印を結んだ。

 忍の印だ……。

 またアケルを思いだした時、イタチが術を発動させた。その術は黒い炎を産み、檻をあっという間に焼き尽くした。

 

「え?! うそ……」

「良かった。天照が効いたようです」

 

 彼は笑った。

 ほんのかすかに無邪気さを残す笑み。歳の頃も……初めて会った時のアケルと同じくらいか。

 

「あ、あの……」

 

 酷く戸惑った。

 この“檻”を破れる者の存在など、全く頭になかった。いや、“檻”が見える眼の存在も知らなかった。

 もっとも、彼の眼のことは良く知っている。

 夫も持っていた、うちは一族に伝わる「写輪眼」という特別な眼。それはとてつもなく強力な瞳術を扱えるのだ。

 だが、あの眼にこれ程の力があることは知らなかった。

 

「出られますか?」

「は、はい……」

 

 イタチが差し伸べた手に、素直に捕まって焼け焦げた檻を出た。

 彼の背丈も、アケルと同じくらいだ。

 

「万華鏡写輪眼といいます。写輪眼が少し進化した眼で……より強い瞳力が備わっています。だからあなたのことが見えました」

 

 イタチは成葉の疑問を少しずつ解消するように、先回りして淡々と答えた。

 

「写輪眼は御存じですね?」

「ええ……」

「うちはの力と和泉の力が、時に相殺することも?」

「そ、そうだったわね……」

 

 彼の眼は漆黒に変わり、まっすぐにこちらを見つめてきた。

 

「どうやらオレも、さっさと“向こう”に渡らなければならないようなので、あまり時間はなさそうですが……。ここであなたに出会えたのなら、どうしても話しておきたいことがあります」

 

 その視線は強く、わずかに熱を帯びているように思えた。

 初めて聞こえる川の流れにのって、彼の低い声が耳に届く。

 

 

「あなたの娘……『ナナ』のことです」

 

 

 無意識のうち、また腹に手を添えた。

 そこからいなくなった我が子。一族の者たちの術によって、奪われてしまった娘。

 

「『ナナ』……」

 

 自分が産むはずだった子の名を、呟いた。

 

「あなたがお腹の子供とともに亡くなった翌年、本家の娘として『和泉菜々葉』が転生しました。オレは『ナナ』と、そう呼んでいました」

 

 イタチは『ナナ』を語った。

 言葉に感情は込められてはいなかった。ただ淡々と、『ナナ』の生を伝えるだけ。

 が、声からはしっかりと、『ナナ』への想いが滲み出ているのがわかった。

 

 

「そう……だったの……」

 

 娘の許嫁だったという彼の話は、強く胸を打った。そして、真実味があった。

 我が子を一度も抱くことが叶わなかった自分が、初めてほんの少しだけ母親としての実感が持てた気がした。

 

「ちゃんと、友達もできたのね……」

 

 涙が流れた。

 “檻”の中で、どんなに苦しくても、悲しくても、流れなかった涙は温かかった。

 

「辛かったでしょうに……頑張って生きて来たのね……」

 

 イタチから聞かされる娘の生き様が誇らしかった。淡白な事実でも、娘の気持ちがよくわかった。

 そして、語るイタチの想いも。

 それから……彼が話してくれた娘の友達……。『ナルト』と、そして『サスケ』という少年たちとの交流も。

 

「おそらくまだ、“戦争”は終わっていないでしょう……」

 

 イタチは一番近い現世の記憶を語った。

 

「ナナは……オレがまたひどく傷つけたので、泣いているかもしれません……」

 

 そして彼は、最後に見たナナの姿を思い浮かべているようだった。

 

「それでもまだ、きっと……ナナは戦うと思います」

 

 彼の『ナナ』を信じる言葉は、『ナナ』の本質を余すことなく伝えてくれていた。

 それがとても嬉しく、側にいてあげられなかったことが悲しかった。

 

「ナナは……」

 

 イタチは霞がかった川面に視線を滑らせながら、呟いた。

 

「儚く、強く、美しかった……」

 

 イタチの想いの深さに、また涙が流れた。

 

「オレが知っているナナを、あなたに伝えられてよかった……」

 

 イタチは笑んだ。

 

「もう行きます。橋が消え始めましたから」

 

 彼には“橋”が見えていた。

 もう、現世に未練はないのだ。

 その橋も、こちら側に長居をしすぎると消えて行ってしまうようだ。そうなれば、魂は黄泉へ逝けずに彷徨うことになるのだろう。

 

「ええ……」

 

 手の甲で頬に伝う涙を拭った。

 自分にはまだ、向こうへ渡る橋は見えない。

 

「できればまだ、ナナがここに来ないといいですね」

「あなたの弟さんもね」

 

 彼が語ってくれた戦争のことは、正直、うまく想像ができなかった。

 だが、忍の世界の過酷さは少し知っている。

 あっけなく奪われる命。「また今度」の約束が、果たせないままに破られることも。

 

「イタチ君……ありがとう」

 

 川の方へ歩き出した彼に言った。

 

「娘のことを教えてくれて、本当にありがとう」

 

 イタチは振り返った。

 その足はもう、橋にかかっている。

 

「ナナを……愛してくれて、ありがとう」

 

 返された笑みは、とても穏やかだった。

 彼のナナへの愛情が、胸いっぱいに広がった。

 

 ゆっくりと、イタチの背は霞に溶けた。

 それを見届けてから、もう一度、腹に手を置いた。

 

「ナナ……」

 

 誰かがつけたその名も、もうすっかり自分の娘の名になっている。

 

「ナナ……強く生きてくれて、ありがとう……」

 

 残酷な使命を背負わされ、それでも父と同じ忍の道を選び、強く、たくましく生きていた。

 和泉一族の者としては考えられないほどたくさんの絆を結び、愛し、愛された……。

 今まさに、戦場で戦っているかもしれない娘を想い、手を合わせる。

 

「ナナ……どうか、無事でいて……無事で……。まだこっちに来ちゃだめよ。まだ……。イタチ君も、まだ再会を望んでいないから……。だから……お母さんもあなたに逢いたいけれど……それはまだ先でいいの……。ナナ……どうか、幸せに……。サスケ君と……どうか……」

 

 思いっきり願いを詰め込んだ風が、成葉の身体を吹き抜けて川面へと流れ込んだ。

 

 目を開けると、そこに、自分とよく似た娘の姿があった。

 

 

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