「イタチが……?」
ナナは見開いた目から、大粒の涙が流れ出すのを実感していた。
「イタチがお母さんを見つけたの……? お母さんの“檻”を破ったの……?」
散華したイタチの笑みが、鮮明に蘇る。
「彼は、“ここ”に来るのは
こんなところへ来てまで自分とサスケのことを想ってくれるイタチが、本当に大好きだった。
早く、イタチに逢いたかった。
彼の願いを裏切ってこんなに早くここへ来てしまったが、イタチはきっと笑顔で迎えてくれると思った。
「イタチ君に、とても愛されていたのね……ナナ……」
母の温かい手が、頭を撫ぜた。
うつむいたままうなずいた。拭っても、拭っても、足元に雫がこぼれ落ちる。
「イタチに……逢いたい……!」
素直にそう言った。
「お父さんにも……逢いたい……」
そして、母を見上げ。
「お母さんも、お父さんに逢いたいよね?」
そう当たり前の問いを投げかける。
自分のために、母は父の元へ逝く流れを自ら絶ち切った。イタチが来るまで、長い時間を独りきりで過ごしてきたのだ。
「うん。逢いたい」
母は綺麗に笑った。
それは少女のような笑みだった。
「でも……」
ナナは涙を拭いながら、川を見た。
戦いはまだ、続いている。カグヤは、鬼神のごとく暴れている。まだ、サスケもナルトも生きている。
その光景があるだけで、“橋”とやらは見えなかった。
(みんな……)
サクラの前に、須佐能乎が現れた。しかしそれは、サスケのものではなかった。
それを操っているのはカカシである。彼の眼に、オビトの写輪眼があった。
「カカシ先生……どうやって……?」
オビトの死は見ていた。カグヤによって、その身体はボロボロに朽ちてしまったはずだ。
もちろん、写輪眼も消え失せた。
「もしかしたら……」
母は静かに、予測を述べた。
「死後の世界から、あの瞳術でカカシ君の居る世界に戻ったのかもしれないわ……」
オビトには、時空間を行き来する力があった。
死して後も、それを使った可能性があるという。
「今、カカシ君たちがいる世界も、ナナが生きていた現実世界というわけではないから、異空間同士を繋げられたのかも……」
母の言葉を理解するのに、少し時間がかかった。
「じゃあ……オビトがカカシ先生に写輪眼をわたしたの?」
「きっとね」
辺りを見回す。
今居るこの場所が、まさに死後の世界であるはずだ。
だが、オビトはここへ来ていない。
「魂がどこに流れ着くかは、人それぞれなのよ」
母は優しく教えてくれた。
「私も、こっちの世界のことは詳しくないけど……。川の向こうへ渡る前に、誰かが迎えにきたり、誰かに逢えたりするのかもしれないわ」
はっとして母を見る。
「ナナと私も、ここで巡り合ったでしょう?」
そして……イタチが母を見つけたのもまた、“縁”というものなのか。
「そっか」
納得して、再びカカシを見る。
何の違和感もなく“親友”の形見であるその眼を使いこなしているようだった。
再び力を得たカカシとサクラ。そしてナルトとサスケが……とうとうカグヤを追い詰める。
ナナは祈った。
どうか皆、死なないで……。
まだここには来ないで……。
お願い、無事で……。
敵を倒して欲しいとか、世界を救ってほしいとか、そういう感情ではなかった。
ただ、彼ら……懐かしい第七班のみんなに無事でいてほしい……そう願った。
そして……哀れなカグヤにも祈った。
可哀想なカグヤ。
力しか信じるものが無くなり、我が子に封印され、望み通りの転生も叶わず……。再び、欲したチャクラを持つ二人……ナルトとサスケに封印されようとしている。
可哀想なカグヤ……。
だが、カグヤの支配は“人”のためには存在してはならない。
だからどうか……このまま再び眠りについて……。
「ナナ……」
思わず、両手を握りしめていた。神に祈ったことなどないのに、祈るようなポーズだ。
それを見た母が、肩に手を置いてくれる。
「お母さん……カグヤはどうなるの……?」
指の骨が軋んだ。
「ナルト君とサスケ君は、六道仙人の力を得ているわ。あの力で、カグヤのチャクラを封印するのよ」
「それって……」
ナナは懸命に頭を働かせて考える。
「六道仙人と兄弟が、最初にカグヤを封印したのと同じこと?」
「ええ……そうなるわね」
眼前の光景がブレた。
荒ましいチャクラの波が、空間を揺らしているのだろう。
「ねぇ、お母さん……」
この戦いはもう、最終段階だ。みんなはここで力を出し尽くす。
そういう予感がすると同時に、ナナは意図的に肩の力を抜いた。
「ナナ……?」
「ここからあの空間が“見える”ってことは、あの空間と“繋がれる”ってこと?」
「え……?!」
母は初めて驚いた顔を見せた。
無理もない。ナナ自身も、そう言い出した自分に驚いているのだ。
「オビトは……できたんだよね?」
「ナナ……まさか……」
鼓動が高鳴った。
間違いなく、かすかな興奮を覚えている。
「私にも……できるかな……あの写輪眼がなくても……」
「ナナ……」
「もともと、和泉流陰陽術には、転生とか、降霊とか……そういう術もあるもんね」
「あなた……何をしようとしているの?」
母は不安げな顔で見つめてきた。
ほんの少しの罪悪感を覚えながらも、ナナは思ったことを口に出した。
「カグヤの“チャクラ”はナルトとサスケに封印されても……」
確信はない、ただの予感を。
「カグヤの“魂”は……また“次の器”を探して彷徨うことになるんだよね?」
母の澄んだ両目が見開かれ、そして悟ったように伏せられた。
「そうでしょう? お母さん。私が
口をつぐんでいるが、母のその表情は肯定だった。
「ナナ……あなたは……まだ……」
そして、ナナの中に持ち上がった新たな意志を察していた。
「私にまだ、できることがあるなら……」
本当は、決心したわけではなかった。
そんな強いものではない。
「カグヤが……私なら……」
もう、強い心は向こうへ置いて来てしまった。
今は、ただ……。
「カグヤの魂は、私が連れて逝かなくちゃ……」
まるで我儘を言うように、母を見上げた。
カグヤが自分なら……
いや、カグヤは自分なのだ。説明のつかない感覚がそう告げている。
あの絶望に堕ちた女の姿は、きっと、自分のなれの果て……。勇気、正義、その挙句の……欲望、絶望、そして孤独。
こんなにもすんなりと理解ができている。
転生する者とされる者は、いわば同魂なのだ。
「私にしか、できない」
唐突に湧いた確信だった。
「和泉流陰陽術で扱う術は、こちらの魂を現世へと呼ぶ術なのよ? こちらから現世へ戻る力ではないわ」
「それはわかってる」
「空間を繋げられたとしても、あなたの魂を保ったまま向こうへは行けないかもしれない」
「でも、やってみる……」
なだめる様に、が、半分は諦めたように、母は懸念事項を並べる。
「向こうへ行けたとして、あなたの力が使えるかどうかもわからない……」
「うん……」
「カグヤの魂を封印できたとしても……ここへ戻って来られるとも限らないのよ」
「うん……」
「もしうまくいっても、黄泉へ渡り切れるかも……わからない……」
「うん、わかってる……」
全ての言葉にうなずいて、唇を噛みしめた。
もう、母には逢えないかもしれない。カグヤを連れたまま、向こうへ渡れないかもしれない。
向こうへ渡れたとして……カグヤが転生するのを阻止できるかどうかもわからない。
向こうで、父と母、それに、イタチやネジを見つけられるかもわからない。
が、まるで今、カグヤの魂に引き寄せられるように、“新たな使命”が頭をもたげている。
悪あがきでも、偽善でも、そして……ただのワガママでも……。まっすぐ……進みたいと心が動いている。
「ナナ……」
母はため息をついた。
やっと会えた母を、失望させてしまった。
罪悪感がチクリと胸を刺した。
が、母は言った。
「そういう頑張りすぎちゃうところ、お父さんにそっくり」
「え……?」
その顔は笑っていた。
「頑固なところは、私にそっくり」
目の端に光るものを浮かべて、母は笑った。
「さっすが、私たちの娘ね!」
「お母さん……」
母は決心したようだった。
その強さが、ナナにとって誇らしく嬉しかった。
「まっすぐ、あそこに飛び込みなさい。川に入ったら時空は歪むはずだから、私が……私がここでそれを抑えるわね」
母は別れを覚悟していた。
ナナも改めて、それを思った。
「お母さん、ここから見ていてくれるよね?」
少し心細くなって聞く。
もちろん、「あたりまえよ」という言葉が返って来た。
「お母さん、もし私がここに戻ってこられなかったら、先にお父さんに逢いに行ってね。そして伝えて……。私も必ず逢いに行くからって」
「ええ……」
「それから……イタチにも……」
「わかってるわ」
最後に、母はしっかりと抱きしめてくれた。
そのぬくもりを、ゆっくりと感じている時間さえ与えられなかった。川面に映し出された光景は、まさに激闘の頂にある。
「行かなくちゃ」
自分を鼓舞するようにつぶやいた。
「ナナ、あなたに逢えてよかった」
「私も、お母さん」
きっとまた逢える……今度は川の向こうで……。もっと、幸せな場所で……。
そう思って、ナナはそれ以上を言わなかった。
母も、もう引き留めようとはしなかった。そういう顔もしていなかった。
大きく深呼吸する。
不思議と、あそこへ行ける自信があった。
あの時空を思い浮かべるとか、強く念じるとか、まして術を発動させるとか、そんな難しいことは必要ない。
ただ、想えばいいのだ。サスケの魂を……。
「お母さん」
川に足が触れて、最後にもう一度振り返る。
母は強い眼差しを向けてくれていた。
「本当はね……今、一番思ってることは……」
整理のつかないまま、母にただ思うことを告げた。
「私も第七班のメンバーなのに、私だけが一緒に戦えないのが嫌なの」
母は笑ってくれた。
そして、
「そういう意地っ張りなところも私にそっくりよ」
と言った。
心に絆を抱いて、川に足を踏み入れた。
目の前に浮かぶみんなの姿が歪む。
が、すぐに修正された。
母の力だ。
知っているから、もう振り返りはしなかった。
意識をあそこへ……。
仲間のもとへ。
サスケの隣へ……。
川の水は冷たくなかった。
心の奥も、冷たくはなかった。