まだ明るい空に、金の星が瞬いていた。
成葉の光は、それに引き寄せられるように天へと昇っていく。
我愛羅の操る砂粒よりも、もっと細かい金の粒。キラキラと輝きながら、音もなく、煙のように立ち昇る。
ナルトは、自然と頬を伝う涙を拭い、息を吐いた。
サクラのすすり泣く声が、隣から聞こえる。少し離れたところで、イノやヒナタも同じように泣いている。
他の者たち……この状況を把握していないはずの輪の外側の者たちまでもが、何故だか厳かに空を見上げていた。
可憐な光が、空に昇っていく様を。
その理由が、ナルトにはわかる気がした。
“あの時”、サスケの腕をすり抜けて天に舞い上がった光。そして、皆の肩に優しく降り注いだ光……。
あの光と、今立ち昇るこの光が同じ輝きをしていることに、皆も気づいているのだ。
(ナナ……!)
“あの時”と同じように天を見上げながら、ナナを想った。
ナナは天から降り注ぐ光になって、この地上を見守ってくれているのだろうか……。
いや、今はカグヤを『説得』して『あの世』に連れて逝くのだと、彼女の母が言っていた。
だからやっぱり、ナナは今もどこかで戦っている最中なのだろう。
サスケが言ったように、カグヤのことは適当に片をつけて、生まれ変わってくれないだろうか。
成葉はちゃんと、ナナに伝えてくれるだろうか……。
グスリと鼻をすすって、もう一度涙を拭う。
少しずつ身体を這いずる疲労感に改めて気がついたとき、ナルトはサスケを見た。
同じ痛みを、いや、誰より酷い痛みを負っているはずのサスケの横顔は……とても、静かだった。
祈っているようでもない。諦めているようでもない。
悲しんでいるのでも、後悔しているのでも、絶望をしているというわけでもない。
サスケはただ顔を上げて、黒い瞳で、光の行く末を見つめていた。
彼の表情から、感情を読み取れるとしたらひとつだけ……。
最後の言葉を、ちゃんとナナに伝えてくれるよう、ただ成葉に願っているだけだった。
大きくため息をついた。
と同時に、その場には終焉の風が吹いた。
戦いの幕切れに対する達成感、疲労感。亡き者たちへの哀惜。自身への悔恨。そして新たな時代への期待、希望。
それらが入り混じった風だった。
それは、傷つき、疲れ切った忍たちの、張り詰めていた気を和らげた。
ナルトは、遠くの輪の外側のほうが、徐々に形を崩していくのを感じた。
奇妙な静寂が終わり、生き残った者たちの声が放散し始める。
彼自身も息を深く吐き、周囲を見回した。
サクラは涙を拭っている。カカシもため息をついていた。シカマルたちは互いの状態を確認し合い、我愛羅はまだ物思いにふけっていた。
さらにその向こうには、歓喜と嘆きの混在した表情が見え始めた。
だが、その時。
すぐ近くで、息を呑む声が聞こえた。
誰もが緊張感から解き放たれつつあった。
が……隣でサスケは。
「サスケ……?」
彼はまだ、天を仰いでいた。名残惜しむかのように、消えきらない光をまだ見つめていたのだ。
その彼の、もどかしいほどに静としていたはずの瞳が、揺れ動いた。
「サスケ……?」
つられるようにして、ナルトは空を見上げた。
霞のように漂う、金の粒。それは風にかき消されるでもなく、ユラユラと宙でくゆる。
そして、天に向かっていたかと思っていたそれが、頭上に留まっているのに気がついた。
「こ、これってば……」
もう誰も視線を向けなくなった最後の光が、徐々に輝きを取り戻すかのようだった。
少なくとも、ナルトにはそう見えた。
ごしごしと目をこする。
疲労した眼球のせいではなく、確かに光は粒子の数を増していた。
それは煙のように漂いながら、だんだんと“形”を形成し始める。
一体何が起きているのか。
これは錯覚なのか。
疑問で胸をざわつかせながら、ナルトはサスケの判断をうかがった。
サスケは……戸惑いを隠そうとしないまま、フラフラと右腕を伸ばした。まるでその光を、受け止めるかのように。
「サスケ……?」
ナルトは彼の横顔と、光を見比べる。
「サスケ君?」
「サスケ?」
サクラとカカシも、彼の行動に気づき首を傾げた。
そして、彼の視線の先を目にしてハッとする。
その様子に、ナルトは自分の見ているものが幻でないことにようやく気がついた。
と同時に、サスケに見えているものを知った。
「サ、サスケ……!」
高鳴る鼓動をそのままに、ナルトは弾かれたようにサスケの隣に立ち、彼と同じように左腕を伸ばした。
光はそれに呼応するように、粒を増していく。小さな金色の蝶が、天藍の空に乱舞しているようだ。
それはとても美しかったが、そんな感想を持てるほど、ナルトに余裕はなかった。
同じように動揺を……いや、“予覚”に揺れるサスケを感じながら、光の行く末を食い入るように見つめた。
光は“気配”を持っていた。
そしてゆっくりと、凝縮しながら二人の腕に降りて来る。
最初にそれが触れた時、じんわりとした温もりが伝わった。心地の良い湯に身体を浸した時のような感覚だった。
だが、肌は濡れてはいない。
「サ、サスケ……、な、なぁ……!」
光の粒は、少しずつ重量を増した。
徐々にその“重み”を腕に感じる。
「サスケ……こ、これってば……」
大きさはちょうど二人で受け止められるほどになり、ぼんやりと輪郭が生まれ始める。
「も、もしかして……こ、これ……」
それは“人”の形になった。
「サスケ……!」
ナルトは喘ぐように言っていた。自分でも何を言っているのか、完全に理解しきれないまま。
周りの者たちも口々に何かを叫んだりつぶやいたりしているようだが、言葉は耳に入らなかった。
サスケはただ、黙っていた。息を震わしながら、強い視線を光に向けていた。
懐かしい風が吹いた。
その時、光が弾けた。
と同時に、腕にはっきりとした重みを感じた。
ずしん……という衝撃。
二人の腕が受け止めたのは、人の身体だった。
人……。
白い袴。白い羽織。白い肌。
黒い髪。
これは……。
その質量を実感するかのように、二人はゆっくりと膝をついた。
そして、目の前に横たわる姿を凝視した。
白い着物……あれほど赤く染まっていたそれは、綺麗な純白に戻っている。左腕……自ら切り落としたそれも、ちゃんとある。
まつ毛が揺れていた。
間違いない……、間違いなくナナだった。
「な……」
何故……?
という言葉すら、出てこなかった。
激しく渦巻く疑問とともに、沸き立つ期待と、それが裏切られた時の絶望までもが、ナルトの中で無秩序に暴れ回っていたのだ。
目の前のこの「ナナ」は、本当に「ナナ」なのか……。今、現実に「ナナ」を見ているのか?
助けを求めるように、サスケを見た。
誰より先に、この「ナナ」の気配を感じ取ったサスケを。
そして今、誰よりも狼狽しているはずのサスケを。
「サスケ……」
痛ましいほどに見開かれたサスケの瞳は、しっかりとナナを見つめていた。
彼は唇を震わしながら、右腕でナナの肩を抱き起す。
そして。
「ナナ……!」
その名を呼んだ。
風が、ナナの前髪を揺らした。
「ナナ……!」
もう一度、サスケは呼んだ。
ナルトは瞬きもせずにナナの顔を見つめた。
そして、もう一度、サスケがその名を呼んだ時……。
「ナナ!」
ナナの瞼が、静かに持ち上がった。
いつの間にか固唾を呑んで見守っていた周囲の者たちが、いち早く歓声をあげた。
「ナナ! お、お前っ……」
ようやくナルトも声を出す。
喉の奥が乾ききっていたので、少しむせた。
ナナはまだ、夢かうつつか……まどろんでいた。
だが徐々に、漆黒の瞳は光を浮かべる。
「ナナ!」
サスケは、想いを弾けさせるようにその名を叫んだ。
「…………」
自分の名前を思い出したかのように、ゆるりと、ナナは首を回す。
その頼りない視線は、足元のナルトを通り過ぎ、千切れたサスケの左腕を通り過ぎ……遂に、サスケの顔を向いた。
「ナナ……」
先ほどとは打って変わって、恐れを滲ますサスケの声。
ナルトには、この友の心境が痛いほど良くわかった。
だから、黙って見守った。左の拳を握りしめて、ナナの唇が動くのを願った。
と……。
「……サスケ……」
聞き慣れた声で、聞き慣れた名を呼んだ。
サスケは安心するどころか、驚いた顔でナナを見つめ返す。
「ナナ……お、お前は……」
情けなく震える声。
サスケが言いたいことはわかっていた。
『お前は生き返ったのか?』
と単刀直入に聞いてしまえればそれでよかった。
だが、サスケにはそれができない。
もちろん、ナルトにも……息をひそめる仲間たちにも。ただ、ナナを見つめるしかなかった。
が、ナナの唇は確かに動いている。
サスケを見上げながら、瞬きをしている。
頬は青白いが、ほんのり血の通う色が見て取れる。袖の中の指先も、かすかに動いた。
ナナは……確かに生きている……
ナルトはそう確信したにもかかわらず、それでもまだ言葉を発せずに口をつぐんだ時だった。
この状況を、本当は最初からわかっていたかのように、ナナは囁いた。
「生きて……って……」
その顔に、感情はなかった。
夢と現実の狭間に居るような、呆けた顔をしていた。
「お母さんが……」
それでもサスケだけを見つめて、ナナは自然と出て来たような言葉を囁いた。
「サスケと……生きて……って」
自分で言った言葉を、ナナ自身が噛みしめるように、ゆっくり瞬きをした。
サスケもその意味を、即座には理解できてはいなかった。
当の二人が、この現実を受け止めるのに時間を擁していた。
「サスケ……!」
先にそれを理解したナルトは、嗚咽がこみ上げるのと同時に、サスケの肩に手を置いた。
周りの者たちも、今度は正真正銘の輪をつくる。
空気が揺れ、サスケもやっと……身体を動かした。
「ナナ……!」
言葉もなく、ただ、しっかりとナナの身体を抱きしめる。
片腕でも、離れようがないほど、強く。
ナナの顔色も、変わった。
初めは少し、驚いたように瞳を開き……そして、震えるサスケの肩に気づくと……、やっと、かすかな笑みを浮かべた。
「サスケ……」
ナナはようやく、消滅したはずの“未来”の存在に気がついたようだった。
そしてそれを祝う声など聞こえないままに、躊躇いながらサスケの背に腕をまわした。
「サスケ……」
それ以上、言葉はなかった。
強すぎる想いに、答える言葉など要らなかった。
遠慮がちにサスケの汚れた着物を掴むナナは、喜びに満ちたというより、安心したような顔をしていた。
ふとナルトが顔を上げると、仰ぎ見た藍色の空には小さな星がひとつ……綺麗に瞬いていた。