終戦後、改めて正式に開かれた五影会談でのナナの態度は、実に落ち着いたものだった。
我愛羅自身、若くして風影となり、他の里長とは経験値が明らかに異なるとはいえ、少なくとも砂隠れの里が彼らに侮られないような振る舞いはしてきたつもりだった。
だが、ナナはそんな気負いや気迫は一切なかった。
にもかかわらず、五影は改めてナナの纏う、明らかに他者とは異なる雰囲気を認めていた。
いや、むしろ圧倒されたと言っても言い過ぎではないだろう。
ナナが持つ、他には無いモノ。
それは血と……そして名だ。
これは、血統と家名がそのまま実力と結びつく忍の世界では、未だ重みがあった。
しかも、ナナが持つそれは、究極の武器となり得るそれである。
『和泉』と『うちは』……。
前者だけでも神話の域に達するというのに、後者は忍の世界に轟く名であり、恐れられる力を伴っている。
加えて、ナナはそれに相応しいというか、それを持っても余りあるほどの器だった。
我愛羅はそれを知っていた。
ずっと前から……彼女がまだ、幼い少女だった頃からそれを知っていた。
だが、今の彼女を見て、改めて他の里長たちと同様の衝撃を受けていた。
今のナナには、『経験』の二文字ではあまりに味気ない、計り知れない絶望と希望の果てに身に着いた『風格』があった。
柔らかな笑みで人を気圧すほどの……かといって、威圧ではない。
ナナが醸す空気は、依然として優しく涼しげな、春風のようなものだった。
『地上の神』と……、神話の中の和泉一族はそう言われている。
それが、ひどく納得できた。
その一族の話を、ナナはどこにでも存在する人間のように話をした。
彼らの里が、自らがつくった結界に囲われ、火の国のある山奥にひっそりと存在すること。自分たちの血を狙う輩から身を隠すため、
そのくせ、各国の大名や豪商たちからの依頼を高値で受け、取るに足らない陰陽術で尊厳を保とうとしていること。
そして、木ノ葉隠れの里とは秘密裡に手を結び、相互扶助の関係を築いて来たことは、木ノ葉隠れにとってもおそらくは最重要機密のはずであったが、ナナは火影の顔色をうかがうこともなく、さらりと言ってのけた。
ナナがそうしたように、今さらナナが語ることは“秘密”ではなかった。
だが、改めてその渦中の人間から明かされると、やはり衝撃を受けざるを得ないというものである。
そして何よりも、ナナがその一族の里の出身でありながら、そこに今も存在するという里長に対して少しの敬意も自尊も無いことに、多大な違和感を持った。
自分たちにとって、伝説の一族の長とはほとんど神に近い存在だった。
実際、どこの国にも存在する神話や伝説、おとぎ話の中では、彼らは『地上の神』して描かれていたのだから当たり前なのだ。
その幼き頃から刷り込まれていた心象と、ナナが語る現実はあまりにかけ離れていた。
ナナはむしろ彼らを軽蔑していた。
おおよそ、ナナはそんな感情を持ち合わせていないと、我愛羅は勝手に思い込んでいたのだが、一族を語るナナの声の端には、明らかにそれが感じ取れた。
同時に明かされたナナの出生の秘密を知ってしまっては、それも納得せざるを得ないのだが、それにしても、口元に笑みを浮かべながら整然と語るナナを見ていると、空恐ろしさすら覚えた。
我愛羅は己自身のことを思い出した。
自分も父親を軽蔑していた。
父よりも力があったから、父を恐れなかった。
望まずぬうちに力を持って産み出されたというのに、父からも、周囲からも畏怖の目で見られていた。あからさまに嫌悪されていた。
それでも自分を抑え込めない無能な父らを、軽蔑していた。
そうか……。
と彼は思った。
ナナは自分と同じ……いや、自分がナナと同じだったのだ。
ナナの真実を知らされて、あの日受けたナナのぬくもりを、もっと深く知った。
あれはナナが生まれ持った博愛の心だけではなかった。
自分と同じ……そう思っていたから救ってくれたのだ。
他里の忍であり、自分の住む里を破壊し、仲間を殺そうとした自分を、ナナは慈愛と共調の心で救ってくれたのだ。
だからこそ、察することができた。
ナナが和泉の里で、どれほどの重いものを背負わされてきたのか。
そして、あのナナにこんな声音を出させるほど、今はまだ語られない辛い記憶が確かに存在するということを。
「では、いずみナナ……まずはお前の提案を聞こう」
『歴史』と『実態』を聞き終えて、雷影が口を開いた。
ナナとは正反対の、非常に重い口調である。
無理もなかった。
どの影も、付き人も、サムライ頭も、皆一様に困惑した表情を隠さない。
普通は、表情を隠すのが忍の務めではあるが、この件に関してはどこも対等の立場だった。全ての忍やサムライにとって、未知の領域と言っても過言ではないと思えた。
そんな中、やはり唯一、涼しげな顔をしたナナが、すらすらと言葉を述べた。
「まず、木ノ葉と和泉の秘密の関係ですが……特に両者の利益になるようなこともなかったので、できれば不問にしていただけないでしょうか。先ほどお話した『うちは一族と和泉一族が共謀したクーデターの件』は、木ノ葉側で関わっていたのはうちは一族の一部だけですし……」
ナナは全く悪びれないといった様子でいた。珍しく、このような場に適した言い回しを使いこなしている。
我愛羅はその顔を注意深く見つめた。
組んだ腕に、熱が籠るのを自覚する。
ナナは今、木ノ葉が「抜け駆け」のような形で和泉一族の存在を把握し、その益を得ようとしていたことを、他里に対して「見逃せ」と言ってのけた。
いや、それは良い……。
先ほどの説明だけでもナナの心境を察して胸が痛むというのに、『クーデター』の件をこうもあっさりと再び口にするとは……。
それはつまり、ナナとうちはイタチの「婚約」を意味するのだから、ナナにとっては間違いなく最も辛い過去の事実であるはずだった。
「何度も申し上げますが、和泉一族は忍里ができた頃にはもうとっくに衰退していました。だからこそ、忍の力に守ってもらおうと木ノ葉と取引をしたんですが……。実際は、九尾の襲来を占うこともできなかったし、ましてやそれを抑えることもできなかったんです。力を持つ者が“分家”には何人か現れたようですが、それでも木ノ葉を救うことは無かった……。だから、苦し紛れに私が産み出されることになったんですけど」
そしてナナは改めて、一族の、特に自分の属する『本家』の無能さをにじませた。
「だいたい、今回の戦争にも、何の手も貸そうとはしませんでしたし、できなかったというのが事実です」
冷たい言葉に、疑う余地はない。
「木ノ葉が秘かに和泉一族を
雷影がおもむろに自慢のひげをさすった。
ナナはそのつぶやきに肯定も否定もせず、微笑を浮かべた。
美しくも、逆らえない笑みだった。
「木ノ葉が和泉一族と組んで事件を起こしたという事実がない以上、追及しても時間の無駄になりそうですわね」
最初に水影がその笑みに屈した形になった。
「木ノ葉だけじゃなく、和泉の方を追及するということもあると思いますが」
ナナは無邪気に言った。
それがまた、この場の室温を一度くらい下げるのだった。
「触らぬ神に祟りなし……ぜよ」
その空気に促されるように、土影がぼそりと言った。
言い得て妙だ。
今まで知らなかった手の届かない『神』のような存在を、わざわざ探すことも無い。
それこそ藪から蛇だ、と思う。
「一応聞くが、五代目火影はその歴史を知っていたのか?」
「ああ……」
火影はひとつ咳払いをして、難しい顔で質疑に答えた。
「木ノ葉の奥地に、『和泉神社』という神社がある。そこに和泉一族の方が住み、我々と一族とのパイプ役になっていた。そのうちの一人がナナの母親……和泉成葉だ」
ナナが一瞬、懐かしげな瞳をしたのを、我愛羅は見た。
「実を言うと、私自身はそこに行ったことはないし、一族の方には会ったことがない。交流があったと思われるのは、歴代火影と人柱力だけと思われる。和泉の里から『ナナ』を受け入れる話を取り決めたのは、三代目火影だそうだ。今の木ノ葉の重役も、何か知っているかもしれんが……」
火影がちらりとナナを見ると、ナナはコクリとうなずいた。
「それ以前には、四代目火影が成葉殿に九尾のことで相談をしていたようだ。それ以外は知らん」
そう答えた火影の言葉に、嘘は無いようだった。
だいたい、ナナのこの態度を見せつけられては、和泉一族が木ノ葉の忍を利用しようとしたことの想像すらできなかった。
イメージできるのは、ただ火の国のどこかの山奥で、威光を飾りつつ外界に怯える弱き「人」の姿だ。
「問題ない」
ここで、我愛羅は口を開いた。
ナナの視線を感じつつ、思った言葉を述べる。
「結果的に、いずみナナが木ノ葉の忍になり、和泉一族の力と忍の力を使って戦いに貢献した。それだけでも、木ノ葉の『抜け駆け』を見逃す理由になる」
私情はたっぷりとある。
が、全くの正論だとも言いきれる。
「ワシはもともと和泉の力にはさほど興味ない」
「木ノ葉の人柱力が代々うずまき一族で……そのうずまき一族が和泉の支流とあらば、特に繋がりが強いのも至極当然ぜよ」
「土影様のおっしゃるとおりと思いますわ。うちは一族もまた、和泉一族が祖先ということですし……」
他の影も、あっさりとなびいた。
火影とカカシはほっとした様子だったが、ナナは礼を言うだけで表情を変えなかった。
「して、これからはどうするかの」
「今まで通り、和泉一族は秘匿された存在でなければならないのですよね?」
問われて、ナナは火影と視線で確認し合ってから話し始めた。
「力は無くても、『血』が利用される危険はあります。この数百年で結界が破られそうになったことは無いそうですが、それでもやっぱり、結界の中で暮らすのが『世界にとっての安全』と思います。それに、一族の者も外界と関わろうとはしていません」
その声から異様な冷たさは消えていたが、やけに事務的な口調だった。
「私は戦争の後、当主に事情を説明し、今後の意向を聞きました」
「当主」ということはつまりナナ自身の父親ということを示すのだろうが、あまりにその言い方が冷たすぎたため、皆、かすかに身構える。
「一族の扱いはこれまでどおり……と、そう希望しています」
ナナは作り笑いを浮かべて言った。
「ただ、一族の存在が知れ渡った以上、その力が求められることがあると思うので、望まれれば協力する……だそうです」
また、冷ややかな声音に変わった。
まるで、「協力」などできるはずがないと悟っているようだった。
「まぁ、私のせいで、一族の特殊な能力や術について知られてしまったので、仕方なくそう宣言したんだと思いますけど」
「確かに、忍の力でないものも、戦いに必要になることがあると、ナナが証明しましたわね」
「特に封印術や結界術は、忍が使うものよりもはるかに優れているようだ……お前自身の能力もあるのだろうが……」
雷影が言うと、ナナは謙遜することなく、自身の考えを述べた。
「和泉の力が必要な場合は、私が承ります」
それはとても軽薄な意見に聞こえた。
が、ナナの考えは的を射ていた。
「任務状況によって私が出られない場合は、里へ『術師要請』の連絡を入れます。木ノ葉の和泉神社に常駐していた一族の人間は、高齢のため里へ帰すことにしたので、他に連絡方法を確立します。ですから、“何か”あれば木ノ葉へ依頼を出すということにしていただけませんか?」
今、最も懸念されるのは、和泉一族の存在を知った者たちが、その力を求めて各々が暴走することだ。
そうならないために、こうしてナナを呼びつけてしたくもないであろう話をさせている。
だからナナの言う通り、公式のルートを設立しておくことで、『掟』を定め、均衡を保つことができるのだ。
そしてナナの言う“何か”とは、他里の協力を得てまで遂行しなければならない重大な事を指す。
つまり、そのくらいの大事でなければ、和泉一族の力を頼るな……という意味にもとれる。
「うーむ」
雷影は腕を組み直した。
我愛羅自身はもちろんナナの意見に賛成であったが、彼の気持ちも良くわかる。
先ほどは「和泉の力に興味が無い」と言った雷影ではあるが、この機は雲隠れと和泉の外交を開始するチャンスではあるのだ。
ナナに、「雲隠れから直接和泉の里と連絡を取りたい」と、要求することができるはずだった。
他の里も同じだ。岩隠れも霧隠れも、サムライだってそうだ。
和泉の力を利用したいのなら、木ノ葉を通さず、直接交渉する機会を得たいに違いなかった。
「忍術の基盤は陰陽術……と、忍になるものは誰もが習う……」
不意に、土影が口を開いた。
「我らが扱う忍術の根源を知りたいと思う者は、少なくはないじゃろう。お前の力を目にし、その力を持つ一族がどこかに存在していると知った今は、特にな」
ナナは土影をじっと見つめていた。
「それでも……」
土影はその視線を受け止め、皆を見回しながら言った。
「やはり我々にとって和泉一族は神話の一族であり、その力も犯すべき領域の類でないと思う」
水影が小さくうなずく。
「それに、ナナの言う通り一族の力が衰えているのであれば……まぁ、実際に世界に混乱を起こすことも、混乱を鎮めることも不可能な実態と知らされてはいるのじゃが……まさに『触らぬ神に祟りなし』としておくのが最善の処置ぜよ……」
結論の言葉は彼から出た。
尊敬すべき長年の経験から吐き出される、深い声だった。
「だいたい、我らにはナナが居る」
皆の視線が、ナナを向く。
「和泉の力が必要とあらば、必ずお前を頼る」
影たちの目が、伝説の一族の最強の術者へ向けられる。
「ありがとうございます」
謙遜も気負いもなく、ナナは礼を述べた。
その細い肩に、一族の命運と、世間の調停とがのしかかっていたのだが、ナナの背は真っ直ぐに伸びていた。
「相変わらず」だな……と我愛羅はこっそり苦笑した。
どれほど冷めた声で話しても、周囲が懸念するほど緩く笑んでいても、結局、ナナは「背負う」ことを放棄しないのだ。
ただ、今回ばかりは、「秘かに」と「孤独に」の二つが伴わないことが安心だった。
「では、当主にそのように伝えます」
「承諾していただけるのか?」
「はい、大丈夫です」
ナナは確信を持って言った。
最後に、ふと、ナナがこちらを見た。
それはあまりに唐突で、ナナがやっと椅子に腰かけるタイミングだったのだが、ナナは確かに笑みをよこした。
瞬間、「ありがとう」と聴こえた気がした。
まるで、この議題が始まってからずっと、腹の奥に感じていた痛みを知っていたかのように思えた。
我愛羅は微笑を返す。
これからまだ、話し合わねばならない頭の痛い議題が残っている。まだ、礼を言われる立場には無かった。
が、ひとまずは安堵した。
ナナ自身がひとりで抱える荷だけは、ここで下ろさせることができたのだから。
星孔雀……復活の喜び