同じ記憶が存在しているのだろうか……。ナナは伏し目がちにほほ笑んだ。
「すがることは傷つけることじゃないって、我愛羅は言ってくれたよね」
そして、この先何があっても決して消えることのない後悔を生んだ夜のことをつぶやいた。
「あの時、私はアナタにすがって……何もかもから逃げたかった」
その声は、まるで窓の外の闇に溶けるようだった。
聞くつもりは無かったのに、ナナのほうからあの時に遭ったことを語ってくれた。自分が暁に捕らわれた後の出来事を。
それはまた、冷たく、優しい、ナナだけの秘密だった。
ボロボロのナナの前に現れたうちはイタチ。彼のもとで「見た」という自分の死。全てに失望し、遂に……イタチと一緒に生きたいと願ったこと。告げられた彼の想い。そして、交わした約束。
『私……ここに……いてもいい……?』
あの時、そう言わざるを得なかったナナの境遇が、本人の口から語られた。洗いざらい、全部……。
それは、自分が生き返ったあの時に、喜んでくれているナルトや里の者たちと不自然な距離を置いていたことの“答え”だった。
ナナは驚きと戸惑いを……いや、困惑の表情を浮かべていた。
何故ならナナは、死んだ自分を送って、それまでの自身にけじめをつけるはずだった。そして翌朝には、うちはイタチの元へ旅立とうと心に決めていたのだ。
それが……“送る”はずの人間がチヨバァの術で蘇ってしまった。そして木ノ葉の仲間たちと再会してしまった。
ナナは、やっと選び取った道をあの時にまた見失ってしまっていたのだ。
だからナナは混乱していた。あからさまに、木ノ葉の連中を避けていた。彼らとの適切な距離感を見失い、接し方に戸惑っていた。
だから、あの台詞を言ったのだ。
『私……ここに……いてもいい……?』
あのナナの瞳に浮かんだ濃い闇の理由を悟って、今思う。
やはり、ナナを砂の中に閉じ込めて、護ろうとしなかったことを後悔している。
だが、あの選択が間違いだとも思わない。
別れの後のことも、ナナは話した。
屋敷を飛び出して辿り着いた庭で、日向ネジに会った。彼は『自分で選べ』と言ったそうだ。
彼らしい……と、我愛羅も思う。
が、その時のナナはさらに輪をかけて取り乱したという。
もうわからない……選べない……と。
そこでネジは、ごく当たり前のことを言った。
『迷う必要はない……。お前の心の“一番奥”を、見つめればいいだけだ……』
あの全てを見据えた白い瞳を、我愛羅も思い出していた。
「私は……」
ナナは彼を悼むように目を伏せて、その時導き出した答えを口にした。
「サスケに逢いたかった……」
我愛羅はほっと息をついた。
絶望の淵で見出したナナのその答えに、自然と満足できたのだ。
「お前の一番奥にあったのは、やはりソレだったんだな」
納得もできた。
自分がそれに気づいていたことが、少しだけ誇らしかった。
そしてやはり、あの選択が間違っていなかったことが嬉しかった。
「サスケに逢いたかった……。何もかもを捨てて、逢いに行きたかった……」
ナナはゆっくりと、だが淀みなく、あの夜の痛みを明かした。
「でも、やっぱりできなかった」
我愛羅自身も、一睡もできなかったあの夜。夜が明けたら、もうナナの姿が無くなって居ることを予感していた夜。
「なぜ、できなかったんだ?」
あの時の、清々しさと紙一重の空虚を思い出しながら問う。
ナナは初めて、口をつぐんだ。
だが、我愛羅は沈黙に耐えて待った。ナナが必ず、その答えを吐き出すことを知っていた。
「だって、私は……」
窓ガラスが耳障りな音を立てた時、ナナは再び口を開く。
「どうすれば良いのかわかっているくせに、全部が怖かったから」
案外、しっかりとした声だった。
「木ノ葉の忍として、姉を倒すこと。ナルトの側に居ること。それが、私が進むべき道だってわかってた。我愛羅も、わかっててくれたんでしょう?」
そう問われても、うなずくことなどできなかった。
それこそが、ナナを突き放した理由であり、
「でも……木ノ葉に帰るのは辛かった。いろんな秘密を抱えたまま、優しいみんなと過ごすのが怖かった。サスケを……連れ戻そうとするナルトやサクラちゃんたちと……関わるのが怖かった」
だから、ゆっくりと、だがしっかりとした口調で話すナナの口元をみつめた。
「アナタの側に居ることも……『逃げ道』だったから、後できっと苦しくなるってわかってた。アナタは優しくて強かったけど、アナタにすがったら私は、もう戦えなくなっちゃうと思った」
あれほど弱々しかったナナの強い芯の部分が、
それはとんだ皮肉だった。
「サスケのところへ行くのは……一番望んでいても、一番怖かった」
ナナの目を見た。
視線が、まっすぐ律儀にこちらへ向いていた。
「その結果、木ノ葉の忍を辞めることになって、みんなを裏切っちゃうことも。使命とか、姉のこととか、全てを放り出すことも、全部が怖かった」
その底知れぬ恐怖感を乗り越えた、強い光がそこに在った。
「何より、サスケが受け入れてくれないと思って……それが、本当に怖かった」
その光が、美しく揺れる。
ナナは照れたように笑った。
「だって、私はイタチのことをサスケに黙っていた負い目をずっと抱えていたし、サスケが里を出るのを止めもしなかった。イタチを恨むサスケを憎んだし、サスケが殺したいイタチのことが大切だった。ずっと、それで……ちゃんとサスケに向き合えなかった」
痛みを全部さらけ出し、笑った。
「ナナ……」
あの時、無残に血を垂れ流していたその傷は、もうカサブタになったのか?
その問いは、声にはならなかった。
「だから……結局、イタチと一緒に行くのが、私にとって一番楽な道だった」
ナナの全てを知る者。ナナの大切な者。
彼と一緒なら、ナナは全てを捨てられたのだ。使命も、戦いも、仲間も……。
彼と一緒なら、捨てた苦しみを味わわなくてすむと知っていたのだ。
うちはイタチだけが……あの、傷つき果てたナナを包み込むことができたのだ……。
だがナナは、あの夜、その選択を捨てた。一番楽な道を……ナナは歩こうとはしなかった。
その理由は、ナナが言わずとも我愛羅にはわかっていた。
「一番楽な道を捨てられれば、一番辛い道を歩けると思ったの」
滅茶苦茶な理由だ。あまりに極端で、軽率な結論にも聞こえる。
だがやはり、ナナらしい。
「わかる?」
「ああ、わかる」
一番楽な道を捨てる痛み……それを乗り越えられたのなら、一番辛い道の痛みを受け入れられる。
そんな、屁理屈のような理由……。
が、ナナはそれを実行した。
どれだけ泣いたのか……翌朝、皆の前に現れたナナの目は真っ赤だった。
その姿はまるで、踏み倒されても、懸命に咲き続けようとする、名もなき花のようだった……。
それを見て、前夜のことを密かに後悔していた。
もし、あのままナナを抱きしめていたら。ナナの問いかけに、素直にうなずいていたら。
いや。もし、暁の襲撃を返り討ちにしていたのなら……。ナナが傷ついて、うちはイタチに会うことはなかった。
だとしたら……。
「もし……」
ナナは、心を読み取ったかのようにつぶやいた。
「あの時、暁を倒せていたら……」
その言葉は、やけにゆっくりと耳に届く。
「私は、あのままアナタの側に居させてもらったかもしれない……」
驚かなかった自分に、心なしか驚いた。
「砂隠れの里に行ったときは、ただ姉を倒すっていう意志だけで……サスケのことは考えたくなかった。だから、サスケを連れ戻そうとする木ノ葉のみんなと向き合うのが怖かった。だから、まっすぐに木ノ葉へ帰ろうとしなかった。そんな自分が、臆病で卑怯で、嫌だった……」
ナナは強い眼差しをくれた。
「だから……アナタが話を聞いてくれて、側に居てくれて、私が護るはずなのに護ってくれて……嬉しかったの」
必死で、想いを伝えようとしてくれているのがわかった。
「アナタはすごく、あたたかかった……うまく言えないんだけど、あたたかかったの……」
砂漠の月に照らされた儚い笑みを、鮮明に思い出す。
青白い頬も、昏い目も……。
「アナタの側は、とても心地が良かったから……優しいアナタに甘えて、すがって……全部から逃げたかった……」
そうだ……。
きっと、この“答え”がわかっていたからこそ、だ。
だからこそあの夜、ナナの手を放すことができたのだ。
「だからもし、アナタと離れることがなかったら、きっと……」
ナナは、たとえ一刻だったとしてもこの腕の中で確かに安息の時を過ごしていた。
だから、自分がナナを癒せる存在であることを確信し、それで満足だった。
そして結局、逃げられないナナの弱さと強さを愛しているのだと、実感できた。
「だけど……アナタが最後に突き放してくれたから、私はもう一度戦えた」
あの選択に、ナナは勲章をくれた。
「姉とちゃんと戦うことができたし、もう一度木ノ葉の忍になれた。それに……何より、『イタチとサスケの戦いを止める』っていう、一番持たなくちゃいけなかった意志がやっと持てたの」
それはこの上なく、光り輝いている勲章だ。
「我愛羅……」
ナナは少し言葉を詰まらせ……そして満開の笑みで言った。
「私を導いてくれて、ありがとう」
「導き」という名の勲章が、胸で光る。
少し重く、冷たく……だが、誇らしかった。
「オレはお前を愛していた」
唐突に、その奥底にしまい込んでいたはずの言葉がこぼれ出た。
だがやはり、そんな自分に驚くことはなかった。
「我愛羅……」
ナナは唇を震わせた。
「お前を愛せて良かったと思っている」
テーブルの上にあるナナの手を、そっと握る。
冷えた手の、温度を変えぬくらいの強さで。
「お前はオレに『すがった』というが、オレもお前に大切なものをもらった」
ナナは視線を合わせたまま、その手を柔く握り返した。
「オレはかつて、お前やお前の仲間たちを本気で殺そうとした“敵”だったはずだ。にもかかわらず、お前はオレの命を助けてくれた。“無償の愛情”というものを教えてくれた」
そして微笑した。
この話は、砂漠の夜に伝えていた。
あの時の穏やかな時間をナナも思い出したのだと思った。
「それに、誰かを愛するという気持ちも、お前がオレに教えてくれたんだ」
照れくさい台詞だが、躊躇することはなかった。
全てが本当のことだった。
「だから、ナナ……」
そして今、伝えなければならない本当の想いがある。
「これからも、オレはお前の友として在り続ける」
カタチは変わっても……ナナとの距離は同じだと思う。
これからも、ずっと。
この想いはきっと、永遠に枯れることはないのだ。
「うん!」
ナナの頬に赤みがさした。
「ずっと……ずっと、大切だからね!」
それは今まで見たどの表情よりも、綺麗だった。
胸がかすかに痛んだ。
が、それを喜びで覆い隠す。
ナナはこれから、未来を生きる。もう使命も秘密の過去も無い。初めて未来を見つめて、自分で選び取った道を歩いていくのだ。
その細い背に、自由の羽を……。
それを、ナナの「一番近く」で見守ることができたことが、至高の喜びだった。
そして自分も。新たな道を歩もう。
あの時交わした言葉も、ぬくもりも……互いに本当の想いだった。
それをこうして確かめることができたから、この先へ進むことができる。
「これからは、もっと笑って生きろ、ナナ」
「うん、そうする!」
ため息のように零した願いを、ナナはしっかりと受け止めてくれた。
恋……というには歪だった。
愛……というには足りなかった。
だが、ナナにとって自分が特別な存在であったこと……それはとても幸せだった。
「我愛羅、ありがとう」
そっと指先に力をこめるナナに、ありったけの感謝を……。
「オレのほうこそ……」
ありがとう……ナナ……。
仙人掌(サボテン)……あたたかい心、枯れない愛