ひと葉 ~参の巻~   作:亜空@UZUHA

93 / 102
燦爛(さんらん)

 

 ()()()の監視と保護。それが、忍界が戦争に突入する時点で火影よりナナに下された命令だった。そしてナナ自身を護るための措置でもあった。

 それはシカマルも知っていた。旅立ちの前夜、ナナに会っていたのは自分だった。

 あの時のナナは、負った傷が深すぎて、まるでその輪郭までもを失いそうだった。

 うちはイタチ、サスケ、ナルト、ダンゾウ、里の重役たち……色々な人間との関わりがナナを苦しめ、よってたかって絶望の淵に突き落としているようだった。

 そんなナナの最後の願いを、あの夜、はっきりと聞いた。

 

『お前は……サスケに殺されるつもりか?』

『それが……私の最後の願い……』

 

 あの、星の瞬きのように澄んで儚いナナを……胸の痛みを押し殺して見送った。

 確かに予感した“永遠の別れ”。

 もう未来を望めなくなったナナの、せめて“その時”までは生きようとしてくれることだけを願っていた。

 

 だが……ナナはたったひとり、戦渦のただ中に現れた。見慣れた木ノ葉の額当てを、しっかりと絞めて。

 戦うことを辞めたはずのナナが、戦場で戦った。

 そして……幻の死。

 今でもまだ、思い出すと気が狂いそうになるほどの記憶。喉から手が出るほどに答えを知りたかった「あのナナ」の正体。

 それが今やっと、ナナの口から語られた……。

 

 

「じゃあ、ええと……。ボクたちのところに現れたナナは『影分身』みたいなもので、『本体』はナルトのところにいたんだね?」

 

 ナナが言った「ホクト」という存在の意味を理解しきれなかったのか、チョウジは()()()()を「影分身」と表現した。

 

「ホクトは、私が産まれた時に現れたっていう“三尾の白ギツネ”なの」

「さ、三尾?」

「キツネ?」

 

 ナナは至極難解で神秘的な説明をした。

 

「あの時にも言ったけど、私は和泉の当主と奥方の間に『和泉成葉の子供』を転生させて産まれたの。だからこれは私が勝手に思ったことなんだけど……、きっとホクトは、当主と奥方の間に『もともと授かった子供』だと思うの」

 

 皆の反応を面白がるかのように、ナナは笑みを浮かべていた。

 

「だからね、ホクトと私の“存在”は同じでも、“魂”が違うと思うんだ。だから、ホクトは『もうひとりの私』なの」

 

 シカマルも、この説明に対しては曖昧な解釈をするにとどまった。

 ナナはあくまで「ホクト」を「もうひとりの自分」と主張するが、()()()()()()の自我がまぎれもなくナナ本人だった以上、それを理解することは困難だった。

 

「服を取り換えてたから、ややこしくなっちゃったと思うんだけど。戦場へ行くのに一族の家紋が入った白袴姿じゃ大変だもんね」

 

 何より、そう茶目っ気さえ出して言うナナ自身も、「そんな気がする」という程度という印象だった。

 

「だからあの時、“私”は面の男に殺されたけど……亡くなったのは“ホクトの命”だった」

 

 ぽかんと突っ立つ自分たちを見回し、最後にシカマルに視線を合わせて、ナナはそう言った。

 ほんの少し、腕に残るナナの冷たさが薄れた気がした。

 ナナはそれを確かめたかのように、そのまま話を続けた。

 “本体”の方のナナも、その頃にはナルトとビーとともに戦場に向かっていたということだった。ナルトのヤツがそうそうおとなしくしているとは思えなかったから、この一連のナナの動きは理解ができた。

 戦争のことを察知して、頭に血が上った状態で監禁場所を抜け出すナルトと、その一歩後ろをついて行くナナが想像できて、少し安心した。

 が、その気持ちも束の間だった。

 途中、ナナは穢土転生で黄泉がえったうちはイタチと遭遇したのだという。

 ここは誰からもちゃんと知らされていなかったから、大いに緊張が昂った。自分もアスマと“再会”をさせられたから、ナナの気持ちの半分くらいは理解できるつもりだった。

 

 だが、ナナは口調も表情も変えずに、穏やかな調子のまま語った。

 イタチと暁の男……彼ら二人とはナルトとビーが戦って、ナナはイタチの魂を送り返すための術を準備していたという。

 聞き流せば普通のことだが、その時のナナの心境を想像すると息が苦しかった。

 死に別れたイタチと再会して、再び自分の手で別れをもたらさなければならない苦痛。

 それでも、それが務めと自分を保って、ナナは懸命に術を施そうとしたのだろう。

 だが、イタチは己の力で穢土転生の術者の支配から脱したのだという。

 死者の身体はそのままに、自分の意志で動くことを可能にしたという才覚は、さすがは「うちは」という印象を持たざるを得なかった。

 ともかくそれで、ナナがイタチと戦わずとも良くなったことに、再び安堵した。

 

「それからイタチは、穢土転生を止めるために、術者のところへ向かったの」

 

 そしてまた、未知の話は闇へと向かう。

 

「私は……火影様の命令を破って、イタチについて行った」

 

 その時、ナルトとナナの間で何が話されたのかは考えずともわかった。

 だが、そう決意したナナの心境を思うと、また胸が詰まるのだ。

 従順なナナが火影の勅命を破ったことに驚くわけではない。ナナは「サスケに殺されること」だけを願っていたはずだった。だからこそ、戦場には『ホクト』が現れた。

 そんなナナが、最後の願いさえ捨ててしまうほどの強烈な“想い”がそこにあったはずだ。

 しかし……。

 

「私はもう、イタチを独りで戦わせたくなかったから」

 

 ナナはそれらを、馬鹿正直にさらけ出す。

 

「イタチが穢土転生を止めて、イタチ自身が消えちゃうってことになっても、私はそれをちゃんと見届けたかったの」

 

 誰も、何も言わなかった。

 実際、この中で自分よりもナナとイタチの関係を認識している者はいないだろう。

 チョウジとキバとリーは、受け止めきれないような表情をしている。女子たちは、何かを察した様に顔を切なげに曇らせる。サイとシノの表情はわからなかった。

 

「ごめん」

 

 彼らの顔を見て、ナナは笑った。

 

「イタチのことも、ちゃんと話してなかったね」

 

 抱えてきた秘密を、本当にもう全て吐き出すつもりのようだった。

 ナナは改めて口にした。

 幼少の頃、一族どうしの思惑でうちはイタチと許嫁の間柄になったこと。うちはと和泉は、婚姻によって深く結び付くことで、木ノ葉の上層部に対抗しようと考えていたこと……。

 たとえそういうふうに引き合わされても、当人同士は心を許し合ったこと。イタチが秘かに、和泉の里まで会いに来てくれて……それが修業漬けで孤独な毎日において唯一嬉しかったこと。

 そして、ナナにとってイタチだけが大切な存在だったこと……。

 包み隠さず明かされた二人の事情は、清廉なものだった。

 「一族殺しの抜け忍」というイタチに張られたレッテルを、綺麗に剥がしてしまうほどの想いと想い出が、ナナの可憐な口から語られたのだ。

 

「ずっと、黙っててごめんね」

 

 ナナには重大な秘密が多すぎた。

 それは決してナナ自身の責任だけではなく、故郷の里や木ノ葉の意図も絡み合っているはずなのだ。何より、それを()()()()言えなかったナナの心の重みは計り知れない……。

 が……ナナはそんな自分に半ば苦笑して、先を続けた。

 

「それで、ナルトと別れて、イタチと二人で術者のところへ向かったんだけど」

 

 ナナはさりげなく、「その術者ってカブトだったんだけど」と挟んでからこう言った。

 

 

「途中でサスケに会ったの」

 

 

 ナナとイタチの言葉で表すことができないような関係と、その秘密を抱えたままサスケの側に居たナナの心境にまだ想いを馳せていたところ、さらなる衝撃が訪れた。

 皆が一斉に息を呑んだのか、空気の揺れを肌で感じた。

 戦争が終わってから、サスケとナナが途中で行動を共にしていたことをなんとなく知らされていたが、そんなタイミングで遭遇していたなど、想像もしなかった。

 

「サスケはイタチと話したがってて、でも、イタチは急いで穢土転生を止めなきゃって言って……また兄弟げんかを始めたから、私が二人を足止めしたの」

 

 そんな想像しがたい状況のことを、ナナは軽い口調で話す。

 

「私が穢土転生を止めるから、二人でちゃんと話し合って……ってね」

 

 それに対し、リアクションをとれるものなど自分を含めて誰一人居なかった。

 

「結局、私がカブトと戦ってる最中に、二人とも私の術を破って来ちゃったんだけど」

 

 ナナは固まる自分たちにはお構いなしに、晴れやかに笑った。

 

 

「初めて二人で一緒に戦う姿を見られたのは、すごく嬉しかったんだ」

 

 

 とても幼げな笑みが燈火に映えた。

 その光景が本当に……ナナにとって幸せなものだったのだろう。たとえ、ほんの束の間だったとしても。

 

「最後はイタチがカブトに術をかけて穢土転生を止めたけど……私、本当はもう少しこのままでいたいって思っちゃった」

 

 少し申し訳なさそうに言うナナを、誰が責められよう……。

 

「でも、そんなことが許されるはずなくて……。イタチはまた、消えちゃった。それを、サスケと二人で見送ったの」

 

 その時の光景を想像して、うら悲しさにゾッとして……。同時にある光景を思い出した。

 それは自分が見たものではなく、感じたものだった。

 腕の中で、しがみついて慟哭するナナ……だ。

 自分ではない、()()()()()()()()だ。

 そしてそのナナを、哀れにも愛おしく抱きしめるサスケの深すぎる想い……。光となって戦場に降り注いだサスケの想いが、胸に蘇っていた。

 

「私はまた思いっきり泣いて、ワケがわからなくなって……それでもう、考えることを止めにしたの。サスケが、もう考えなくていいって言ったから」

 

 ナナは肩をすくめた。

 自嘲しているようだったが、それには同調できなかった。あのサスケが受け止めたナナの哀絶を知ってしまったから、皆、一様にうつむいた。

 ナナはそれでも、流暢に語り続けた。

 そこでサスケの仲間だった水月と重吾が登場したこと。彼らは歴代火影の口寄せの術式を手に入れていて、それを見たサスケが大蛇丸を復活させたこと。サスケが歴代火影と話をするため、木ノ葉へ進路をとったこと。

 それらを……ナナは人形のように意思なく傍観し、ただサスケについて行ったこと……。

 木ノ葉に戻って、初代から四代目までの火影たちを大蛇丸が穢土転生させ、サスケは彼らと語ったという。

 その内容を話していたナナが、その流れを急転換させた。

 

「その二代目様の言葉に思わずカチンと来ちゃって、そうしたら急に力がこみ上げて来て……その時に初めて“私の中の力”に気づいたの」

 

 それは、任務の途中で思いがけずトラップにかかるのと同じ感覚だった。

 

「え?」

「どういうこと?」

 

 久しぶりに、誰かが口を挟んだ。

 

「写輪眼が進化した『万華鏡写輪眼』っていうのを開眼したみたいで……、それで力が解放されたからかな。自分の中に、自分だけじゃない力があるっていう感覚が……ってよくわからないよね!」

 

 誰も理解はできなかった。

 だが、ナナに聞き返すこともせず、隣の者と顔を見合わせるだけにとどまっているのは、やはり、“心当たり”はあったからだ。それこそが、あのナナのめちゃくちゃな主張と、理不尽に思えたナナの死の“答え”なのだと。

 

「私はその力が、戦争で利用されることを恐れたの」

 

 その断片を、ナナはすぐに口にした。

 

「自分でもその時ははっきりわからなかったけど。マダラが戦場でホクトに、『お前は必要ない』って言ってたから、私を初めから戦争に利用しようとしていたことはわかってたし……」

 

 そして、再び嫌な記憶を呼び覚まさせた。

 

「だから、サスケが火影様たちの話を聞き終えて『戦場に行く』って決意をしたとき、私は行かないことにした」

 

 マダラに刀で貫かれたナナの姿を押し込めた時、今度は記憶ではなく想像が浮かんだ。

 今夜はやけに、脳味噌が素直に働いてしまう。ナナの言葉のひとつひとつを、そのまま思い描いてしまっている。

 だからわかった。

 ナナとサスケの、何度目かわからない別れの光景がどんなものだったのか。

 

「サスケ君は、何て言ったの……?」

 

 それを、サクラはナナの口から聞きたがった。

 彼女なりのこだわりなのだろう。気持ちはわかるから、それを止めなかった。

 

「わかってくれたよ。力のことになんとなく気づいていたみたいだし、特殊な眼のこともあるし。だから……」

 

 ナナはサクラの食い入るような視線を、正面から受け止めた。

 サクラだけじゃない。いのもまた、両の拳を握りしめてナナを見つめている。

 シカマル自身も、息を止めてナナの言葉を待っていた。

 

「私を誰にも利用させないっ……て。安心して『待ってろ』って」

 

 懐かしそうな声だった。

 

「全てが終わったら……二人でイタチの話をしようって……」

 

 憂いも愉楽もない、ただ温かい声だった。

 サクラといのの肩から、安心した様に力が抜けていくのが見えた。そして自分も、溜めていた息をそっと吐きだした。

 別れを告げたナナと、そのナナに再会を約束したサスケの姿……。それは確かに、満足のいくものだった。

 が、結末を知っている今、それがハッピーエンドには結びつかないことも知っている。

 皆もそうだ。だからまだ、口をつぐんで続きを待っているのだ。

 

「だけど私は、またサスケに嘘をついた」

 

 重い石の塊が、腹の底に沈んでいく。

 いたたまれなくなったのか、チョウジが言った。

 

「そ、それって、サスケにもう会うつもりは無かったってこと?」

 

 感情を押し殺すのがそろそろ限界に達したかのように、キバも早口でそれに続く。

 

「じゃあお前、その時からすでにもう……!」

 

 ナナは優しくうなずいた。

 

「本当に怖かったから、『自分がどうなるのか』が。だから……私はその時に、自分を終わらせることにした」

 

 空気の質量が、今までで一番重く感じられた。

 キバが奥歯を噛みしめる音が聞こえてきそうだった。ヒナタが両手を握り合わせる音が聞こえてきそうだった。

 死を訴えたナナの姿がまた……死神のように奥の闇から浮かび上がって来そうだった。

 

「それで私は、里の外れの和泉神社っていうところに行ったの。そこには一族の人が居て、母の形見を守っているはずだった。それを受け取りに……」

 

 ナナはかまわず話し続けた。

 

「その形見は一族に伝わる短刀なんだけど、それには特殊な術式がかけられてて……、それで魂を封じれば、あとから転生したり、させられたりすることがないはずだった。だから私はそれで自分を終わらせようとしたの」

 

 シカマルは思わずうつむいて、両目をつむった。

 こめかみがズキズキと痛んだ。

 その特別で残酷な「短刀」は今、自分が預かっているのだ。あれ以来……冷たい刃をそっと閉じ込めたまま。ナナに返すことを恐れて、誰も知らない場所にしまっている。

 

「でも……その短刀は私を刺してはくれなかった」

 

 あの時に言った言葉を、ナナは繰り返した。

 

「自分じゃ始末をつけられないように、私の身体は誰かに術をかけられていたの。たぶん、父だと思うけどね。私が自害して“使命”を放棄しないようにっていう保険だったんだと思う」

 

 憤りを感じる間もなく、ナナは続ける。

 絶望を感じ、『終末の谷』でひとり泣いていたこと。どうやってでも死にたくて……死ななければならないと思い詰めて……死にきれないことの恐怖に冒されていたこと。

 そしてそこに……。

 

「ネジ君がね……来てくれた」

「ネ、ネジが……ですか?!」

「うん。そう。ネジ君が」

 

 ほんの少しだけ、温かい風が流れた。

 

「ヒナちゃんにはこの間話したけど……、戦場で亡くなったはずのネジ君が、魂だけになって私のところへ会いに来てくれたの」

 

 「魂だけになって会いに」……ということが、どんなものかは知らなかった。単純に、ネジの幽霊がナナの前に現れたところを想像するしかなかった。

 が、それを不思議には思わなかった。滑稽とも思わなかった。

 ネジの想いは知っていたから、それはシカマルにとっても、とても自然なことだった。

 

「私は……ネジ君に『連れて行って』って頼んだ。一緒に、黄泉の世界へ逝きたかった」

 

 その思いを聞かされてネジがどんな顔をしたのかも、容易に思い浮かべることができる。

 

「でも、『ダメだ』って。ネジ君……優しいから」

 

 ナナは今、そのネジを想って慈しんでいた。

 どこかでネジがこの様子を見守っているのなら……、彼は満面の笑みでも浮かべているのだろう。

 そう、思えた。

 

「ネジ君がひとりで逝くのを見送って……、私はネジ君に勇気をもらったから、誰かに短刀を託そうともう一度立ち上がった。その時に……」

 

 その時に、九尾に呼びかけられたのだという。

 ナナは九尾のことを、「クラマ」という名で呼んでいた。

 クラマがそれを成し得たのは、ナナの中にクラマのチャクラが残っていたからということだった。

 何故、ナナの中にクラマのチャクラがあったのかは察しがついた。

 が、「残っていた」と表現したように、その特殊な繋がりが断たれていた経緯は知らなかった。

 だが、そんなことを聞き返す余裕はなかった。もうすぐ先で、自分たちが知っている記憶と結びつく。

 

「クラマに、『十尾から尾獣を引き抜け』って言われたの。最初は、戦場に行ったら“利用される”から怖くて行けないって言った。逃げたいっていう気持ちもあった。私の力が通用する自信なんてなかった。でも、クラマが……」

 

 ナナが言うクラマという名は、とても親しげだった。

 その存在に、自分の存在が苦しめられてきた者とは思えないほどだった。

 

「私はみんなを見捨てることなんてできやしない……って言ってくれて……。だから私、その瞬間になって初めて、自分の“忍道”を見つけられたの」

 

 ナナの視線が、今までで一番強くなった。

 「まっすぐ、自分の言葉は曲げねぇ」と豪語する、誰かの目に似ていた。

 

「たとえ“その先”がどうなろうとも、目の前の“できること”に背を向けない……」

 

 そして、初めて聞かされたナナの忍道は、まっすぐに胸に刺さった。

 

「クラマが信じてくれたから、私はもう一度戦えた」

 

 ナナは嬉しそうに笑った。

 友愛と、誇りと、半ばヤケクソ……。あの時、星となって浮かぶナナがそれらを抱えていたことを知って、少しだけ力が抜けた。

 

「そのあとは、みんなが知ってるとおり」

 

 あの時のことは、ナナは簡潔に話した。あの痛みを繰り返されたくなかったから、それでよかった。

 だが、ナナは謝罪した。あの時、皆を傷つけてすまなかったと。何度もそう言った。

 そして、しっかりとシカマルに向き合って。

 

「本当にごめんね、シカマル」

 

 この胸の痛みにそっと触れた。

 

「いや……」

 

 ロクな台詞が出てこなかった。

 本当は、ナナがこんな顔でそう言うのがわかっていたから、返す言葉を考えていた。いつものように面倒くさそうにして、「もういいって、べつに」とか言うつもりだったのだ。

 が……やはり。声は出なかった。

 

 ナナも目を伏せたのがわかった。

 仕方がなかった。

 

「でもよ。結局お前は、マダラに捕まったんだろ?」

 

 気を使ったのか、それとも先を急いたのか……キバが言った。

 その声には、やりきれなさが滲んでいる。

 

「うん……。私はマダラに、口寄せされた」

「口寄せ……」

「産まれた時に、一族の誰かが私の頭蓋骨に口寄せの式印を刻んでたらしいの。その“式”を、あの白いゼツっていうのが持ってて……マダラに渡したみたい」

 

 またも重ねられた残酷な運命に、キバもまた押し黙った。

 

「キバ」

 

 その彼にも、ナナは静かに言った。

 

「私を守ってくれたのに、消えちゃってごめんね」

 

 応えは無かった。

 それもまた仕方のないことだったのだと、この場に居る者全員が知っている。

 ナナはここで初めて息をついた。自分の行いに対する、深い悔恨のため息だった。

 だが、それを慰める言葉も、否定する言葉も、誰一人見つけられなかった。

 ナナは続けた。

 

「全てがマダラの計画だったらしいの。神樹の花を咲かせるには、和泉一族の人間の血が必要だって、うちは一族の碑石に記されていたんだって。だから、和泉の人間を神樹の前に口寄せするために、口寄せの式印を一族の“誰か”に埋め込むことを、ずっと昔に計画していた」

 

 また、ナナは肩をすくめた。

 

「それがたまたま“私”だったんだけど」

 

 実際に、そう仕組まれたのはマダラ亡き後……つまり、実行したのはオビトだったという。

 そして“ついで”のように、和泉成葉ではなく、和泉とうちはの血を引くその“娘”を転生させるように、オビトが一族の人間を仕向けたとも語った。

 

「それじゃあ、オビトは初めから、お前が和泉一族とうちは一族の混血であることを知っていたのか?」

 

 珍しく、シノが口を開いた。

 無理もない。吸収するばかりのナナの情報で、脳がパンク寸前なのは皆同じだ。

 そしてナナがためらいもせずに肯定すると、口々に質問が吐き出される。

 

「オビトはお前の写輪眼を狙ってたってことなんだろ?」

「だいたい、ナナ自身はそれを知っていたの? 自分がうちは一族の血も引いてるって」

「そんなこと、下忍の時も言ってなかったわよね?」

「だったら、写輪眼はいつ開眼したの?」

 

 ナナは漆黒の眼に皆を映しながら答えた。

 

「私はもともと、自分は『和泉成葉の転生者』だって聞かされてたから、自分が和泉一族の純血だって疑わなかった。当主と奥方の娘だって……。でも……最初にサスケとイタチが戦った時に、イタチの口から知らされたの。私は和泉成葉とうちは一族の男との間にできた子供の転生者だって。だから、うちはの血を半分引いているって」

 

「そんな……」

 

 その状況をいち早く想像したサクラが、声を詰まらせた。

 

「でも……自分では全く信じられなかったの」

「サ、サスケ君も……知らなかったのよね?」

 

 恐る恐る尋ねる彼女に、ナナは優しい眼差しでうなずいた。

 

「オビトが仕向けた“転生する魂の変更”は、一族の人間さえ誰も知らなかったみたいだから。きっと今頃、あの人たちもびっくりしてるはず」

 

 サクラが黙り込むのと同様に、ナナも息をついた。

 優しい瞳に、悲しげな闇が浮かんだ。

 

「でも写輪眼を開眼して……、私自身、そこでやっと実感した」

 

 聞くつもりはなかったのに、ナナは写輪眼を開眼する“条件”まで話して聞かせた。

  “喪失”“失意”……それらを深く感じた心の作用で、開眼が果たされるという。そんな悲しい条件を。

 

「最初にイタチが死んだ時に写輪眼を……それから、二度目にイタチが死んだことで万華鏡写輪眼を開眼したみたい。色が青いから、なんかちょっとヘンだけどね」

 

 思わず、ナナの漆黒の双眸を凝視した。

 視線が合わさる恐れを、この時は忘れ去った。

 その眼はどれほど深い悲しみの情景を映したのか……。あんなに悲壮なイロに変わるほどに……。

 だが、ナナの生に対しての衝撃と憐みを処理する間もなく、ナナは言った。

 

「私が写輪眼を開眼したことも、マダラにとって都合が良かったみたい。和泉の血も引いていて、まさに一石二鳥だと喜んでいたと思う」

 

 そう、笑みさえ浮かべながら……。

 それが悲しい自嘲なのか、虚しい強がりなのか、それともうちはの血を引く誇りなのか、喜びなのか……シカマルにはわからなかった。

 

「そういうわけで、マダラは戦場で計画通り私を口寄せして、私の“血”を使って神樹の花を咲かせようとした。……あの時、サイも居たんだよね」

 

 ナナに見つめられ、サイは唇を引き結んだ。

 そんなサイの表情を見たのは、シカマルも初めてだった。

 

「サイもナルトもサスケも……みんなが私を助けようとしてくれたけど、ダメだった。だって……私自身、マダラじゃなくて神樹に捕らわれちゃったから……」

 

 神樹がまるで意志を持った生き物のようにその身に喰らい付き、成長を始めたのだとナナは言った。

 あの、地の底から迫り来る馬鹿デカい神樹の根が、その話を裏付けていた。

 大地を割って暴れ回り、悪魔のようにチャクラを吸い取る巨大樹。空にはナナの目の色と同じ、青の月。

 “人外のモノ”に触れることの恐怖を、改めて感じた瞬間だった。

 

「樹と、身体の一部が一体化して、私ははっきりわかったの」

 

 ナナはその記憶に重ねる様に、こう告げた。

 

「私の中に在る力は、“怖ろしい誰か”のもので……、それを神樹が欲しがっているんだって」

 

 沈黙が流れた。

 そう長いものではなかったはずだが、最高潮に張り詰めた空気が息苦しかった。

 

「お、“恐ろしい誰か”って……」

 

 サクラが口を開いた。

 答えを知っていて、尋ねているような口ぶりだ。彼女はその「恐ろしい誰か」と実際に戦ったと聞いている。

 

「その時はわからなかったけど……、それが『大筒木カグヤ』だった」

 

 やはり、答えはそれしかなかった。

 ナルトやサクラから聞いていたから、この話の流れは知っていた。知っていたが、納得ができずにいた。

 “ソレ”を見ていないからということもある。カグヤという存在を想像するのは難しかった。

 が、それだけじゃなく……。

 

「なんで、カグヤがお前に?」

「そうよ、なんでなの?」

 

 皆が口々に言った。

 皆も納得ができていないのだ。

 ただその話を聞いていただけなら、ナナの運命を理不尽だと憂い、憤ることに留まる。だが、今はその感情すら受け入れられない。

 何故なら……あの光景を見ている者がいる。必死で己の死を願うナナの姿を、その声を……。

 

「私が産まれる前から……」

 

 皆の気持ちを汲んでくれたのか、ナナは言いにくそうに告げた。

 

「カグヤの転生者として選ばれていたから」

 

 まただ……。また、“ナナの生”が闇に覆われる。

 この時初めて、ナナは母親のことを語った。

 無限月読から目覚めた時、サスケとナルトの前に現れた、ナナによく似た人。光に包まれて、優しい眼差しを浮かべていたあの人のことを、ナナの母親だと信じないわけはなかった。

 そして、彼女がしたということも……理解できない訳は無かった。

 残酷だが、愛があった。

 世界を護ろうとする人間の愛。そして、娘を思う母の愛。愛を持って、ナナの母はナナを産まず、共に世を去った。

 ナナの口調で、それが十分に伝わった。

 だから残酷なのは、その想いを台無しにした和泉一族の人間と、マダラ、オビトという輩だ。

 彼らのせいでナナは……。

 

「私は、カグヤを止められないことはわかっていた。私だけじゃなくて、誰の力も及ばないと……そう思っていた。だって、自分のことは自分自身が一番よくわかるでしょう?」

 

 だから、ナナは……。

 

「だから、シカマルにあんなお願いをした……。ネジ君にも……」

 

 またぶり返す、胸の痛み。

 ナナの言葉は、あの時抜いた冷たい刃のようだ。

 

「神樹は私の血を吸って、カグヤの力と同調して……世界を壊し始めた。みんなのことも、傷つけ始めたでしょう?」

 

 じわりじわりと、後悔が押し寄せた。

 あの時とった行動に対してや、己の無力さに対してではない。この残酷な物語を、ナナの口から聞きたがったことへの後悔だった。

 だが、ナナは決意をしていたのだ。今夜、仲間である自分たちに、本当に全てを話すのだと。

 だから、耳をふさぐことはしなかった。

 うつむいていた顔を上げて、ナナを初めてしっかりと見つめた。ナナが打ち勝ったものから、逃げてはいけないと思った。

 

「だからもう……」

 

 ナナは少し安心したような顔をしながら、言った。

 

「サスケにお願いするしかなかった」

 

 その言葉を、ちゃんと正面から受け止めた。

 そして、痛みに鈍る脳で考えた。

 死を願うナナを前にしてサスケは……自分と同じ心境だったのだろうか……と。

 

「みんな、一生懸命に神樹を倒そうとしてくれてたみたいだったけど、ごめんね」

 

 ナナは詫びた。

 

「私は、それ以上みんなを……傷つけたくなかったから」

 

 わかっていたはずのナナの想いが漂った。

 

「私の力でみんなを傷つけることは、死ぬより辛いことだったから……」

 

 自分はそのナナの優しさに背を向けたのだ。願いを思い切り撥ね付けた。

 だが、サスケは……。

 

 

「だから、サスケに殺してもらった」

 

 

 荒れ狂う神樹。うなる千鳥。光る稲妻。

 そして……胸を貫かれたナナ。

 ほんの一瞬の光景が、何故だか脳裏にはっきりと焼き付いている。

 突然のことで、訳もわからず茫然と……ナナの死を受け入れられなかったはずなのに。倒れ込むナナを、慌てふためきもせずにそっと抱きしめるサスケ……その光景を、しっかりと覚えているのだ。

 あの時、サスケは……。

 

 

「サスケは知ってたのか?」

 

 

 思わず、声になった。

 あの時からずっと、憤りと無力感と喪失感が渦巻く心の中で、かすかに存在していた“疑問”が。

 皆の視線が集まるのを感じた。

 

「お前はサスケの千鳥に飛び込んだ……。お前がそうすることを、サスケは知っていたのか?」

 

 ヒナタとテンテンが息を呑んだ。サクラといのが勢いよくナナを見た。チョウジとキバは思い切り眉を寄せていた。

 

「た、確かに……サスケはまるで、わかっていたようだった……」

 

 サイが同意した。

 

「そ、そうなんですか? ナナ!」

 

 リーが答えを促す。

 だが、皆、ナナの答えを急いていながら、それに対して怯えてもいるようだった。

 何故なら……その答え次第では、あの光景がもっと悲しいものになる。

 

 

「うん」

 

 

 そこに吐き出されたのは、この上もなく簡潔な答えだった。

 あの光景をさらに残酷に色付けしながら、ナナは言う。

 

「“黒いの”が私を……ていうか、私の中のカグヤを狙っていた。転生者である私を死なせるのはマズイと思ってたみたい。だから、あのままサスケが私を殺そうとしても、“黒いの”に阻止されると思った。サスケもそれに気づいてくれて……、だから神樹に穴を開けるフリをしたサスケの前に、私が飛び出して行ったの」

 

 ナナが言った「黒いの」とは、黒ゼツのことだろう。サクラが、アレが黒幕だったと言っていた。アレこそが、ナナの中のカグヤを呼び覚まそうとした張本人……。

 

「ちょうど近くにサスケの刀が落ちていたから、神樹に捕らわれた方の腕を斬って動くことができたの」

 

 その自分で切り捨てたという腕は、今は確かにナナの身体に存在している。

 全ては過ぎたことだ……。終わったことだ……。

 だが、ナナの話はあまりにも悲惨すぎる。

 

「私の中の力がみんなや世界を壊さずに済んで、良かったと思ってる」

 

 それでもナナは、凛と立っていた。己の運命を呪う言葉も、恨みごとも無い。

 そう……。

 

「後悔はしていないの」

 

 ナナは己の決断に、微塵も後悔していなかった。

 

「みんなのこと、傷つけちゃって本当に申し訳ないけど……」

 

 ただただ、優しさだけを引きずっている。

 

「ごめんね」

 

 ナナは許しを乞うていた。

 ひとりひとりに視線を向けて、自分がつけた傷跡を確認し、そこにそっと薬を塗っているようだった。

 

「ごめんもなにも……」

「そ、そうよ……」

 

 サクラといの何かを言おうとしたが、言葉は続かなかった。

 少し、沈黙が流れる。

 シカマルは、無意識に拳を思い切り握りしめていたことに気づいた。じっとりとした汗を、手のひらに感じながら、息を吐きだす。

 ナナの強さと優しさを持て余してうなだれる皆を代表して、ナナに言わなければならないことがある。それはとっくに、ちゃんとした台詞になっている。

 もうずっと前から……。

 

「ナナ」

 

 ナナの両目が見開かれた。

 自分でも驚くほど、しっかりとした声だった。

 

「正直、オレらはお前の死に……お前が死を願ったことに納得しちゃいなかった」

 

 再び、皆の視線が集まった。

 大丈夫。みんなの言いたいことはわかっている。ちゃんと今、この口でナナに伝える。

 

「戦争が終わって、ナルトやカカシ先生たちに事情は教えてもらったが、それでも理不尽な結末に対する怒りを抱えてた。その元凶だった『黒ゼツ』や『カグヤ』ってヤツと、直接やり合ったサクラでさえな」

 

 サクラが視界の隅で目を伏せた。

 

「ただの説明なんかじゃあ、あの時のお前の“台詞”と、あの時の“光景”を拭い去ることなんてできなかった。お前が生き返って、目の前にちゃんとお前が居るにしてもだ」

 

 今度はナナも、目を伏せた。

 

「だが……」

 

 言葉を吐き出すことで、胸の痛みは徐々に和らいでいた。

 怒りも、憤りも、やるせなさも……声と共に宙に溶かせるような気がした。

 きっと、みんなも……。

 

「今、お前の口から事情を聞くことができて、なによりお前が後悔してねぇってことを知って……」

 

 それぞれが、ゆっくりと顔を上げていた。

 その目で、ナナを見つめていた。

 

「やっと、前に進むことができそうだ」

 

 ナナの頬に、灯りがともった。

 ただ単に篝火の炎が揺らめいただけかもしれなかったが、シカマルにはそう見えた。

 

「シカマル……みんな……」

 

 心から安心したような笑顔を素直に見せたナナに、皆、口々に同じような言葉をかける。

 泣いている者が多かった。シノでさえも、サングラスの奥で目を潤ませているようだった。

 そして、ナナも泪を浮かべていた。

 

「みんな……ありがとう……」

 

 心の繋がり……“絆”というものが、この場に居る全員の間にはある。それがいっそう太く、深く、強くなったような想いだった。

 そしてシカマルは、今この時に改めて、本当に心の底からナナがここに居ることの喜びを感じていた。

 

「よかった。これで色々スッキリしたわ!」

「話してくれてありがとう、ナナ」

 

 サクラといのが、涙を拭きながらいつもの調子を取り戻し始めた。

 

「まぁ、『理不尽だった』ってことには変わりねぇけどよ、とにかくお前が生き返ったから良しとしよう……って気にはなれたぜ!」

 

 キバも、これまでの彼に似つかわしくない悩ましげな表情をやっと崩し始めている。

 

「もっと早くに話したかったんだけど……、許可をもらうまで時間がかかっちゃって」

 

 ナナはまた、すまなそうに肩をすくめた。

 

「許可……」

 

 そこでようやく、シカマルは当然の事情に思い当った。

 何故気がつかなかったのか……。ナナが話した内容は、里にとって、いや、忍連合にとっての最重要機密事項ではなかったのか?

 ナナの転生についても然り、オビトやマダラのことも然り、黒ゼツやカグヤのことも然り、和泉一族のことも然り……。

 だから、“今夜”だったのだ。

 二度目の五影会談を終え、五影に対しての全ての報告が済んだ。そこでようやく、自分たちにも事情を説明しても良いという許可を得るに至ったのだ。

 シカマルは心の中でナナに詫びた。

 自分の痛みと鬱積に惑わされて、周りが見えなくなっていた。立場と状況を考えて、冷静に、だが忙しく行動していたナナのことを、わかってやれなかった。

 

「火影様や他の里長の方たちも、和泉のことも、私と木ノ葉との関係も、それから……カグヤのことも“信頼できる仲間”になら話していいって言ってくださったから」

 

 ナナは嬉しそうにそう言った。

 「信頼できる仲間」と改めて言われて、嬉しかったのはこちらの方だった。

 

「それでね、カグヤとかのことなんだけど……」

 

 皆の表情がようやく和らいだ。

 ナナはそれに気づいて、安心した様にまた話し始めた。

 正式に許可を得た今でも、おそらく重要機密である内容を。惜しげもなく、包み隠さず、流暢に。

 

 そこで語られた六道仙人やカグヤの話は、抽象的なイメージしか持てなかった。

 悠久の時の中で繰り返された“転生”の話も、正直、物語のような感覚で聞いていた。ナルト、サスケ、ナナ……そこに繋がる初代火影とマダラの話も、おとぎ話でしかなかった。

 だが、全てが真実だった。

 ナナが話す物語が、全て真実だと信じられたから、すんなりと受け止めることができた。

 その中で、ナナと和泉成葉の話は唯一心が温まる想いだった。

 もちろん、成葉が選んだ道は残酷で悲惨なものだった。が、“黄泉の手前”というところで、母親と出逢ったというナナの話しは、確かな母子の愛を知らしめた。

 ナナも、母を想って幸福そうだった。

 あの、光から現れた優しげで快活そうな女性の……ナナへの想いを改めて感じた。

 

「ずっと気になってたんだけど……」

 

 言いにくそうに口を開くのは、やはりサクラだった。

 

「ナナのお母さんが、ナナのことを生き返らせてくれたってことなの?」

 

 和泉成葉は、己の命と引き換えにナナを蘇らせようとしたサスケを、“向こうの世界”から止めに来て……「ナナが望んでいないから」とサスケを説得した。そして、ナナの最期の願い……“サスケの幸せ”を願って去った。サスケに「これからもナナを愛して欲しい」と言い残して。

 光となって、天に昇ったナナの母。まるで、娘のナナと同じように去って逝った。

 一部始終を、聞いていた。

 互いに片腕を失くしたナルトとサスケの一番近くに居たのは、ここにいる仲間たちだ。

 枯れ果てたようなサスケの想いも耳にした。

 それが究極に深すぎて、哀れにもならなかった。

 気がつけば、彼に対する怒りや恨み言は消えていた。

 あったのは、ほんの少しの同情と、憤りと、共感……だった。

 その時、急に諦めがついたのを覚えている。

 薄情にもナナの死を受け入れた。そして、ナナへの想いを終わらせることを決めた。

 サスケがナナの生を諦めたのだから仕方なかった。サスケのナナに対する想いが、あまりに必然だから諦めた。

 ナナが“想い出”になった時だった。

 

 だが、その瞬間に奇跡が起きたのだ。

 新たな道へ向けたはずの首を振り向けてみれば……そこにナナが居た。両の眼を開いて、息をしていた。

 永遠の別れを受け入れた直後の、奇跡の再会。

 何が、どうして、そうなったのか……。喜びが疑問を遥かに凌駕したから、あまり考えもせずに、それがナナの母の“贈り物”なのだと解釈をしていた。

 それが、自然だった。恐らく、ここにいる者たちにとっても。

 

 ナナは少し斜め上を見て、曖昧に、だが、嬉しそうに告げた。

 

「あんまりよく覚えてないんだけど……。私、カグヤを連れて“川”を渡ろうとしていたの」

 

 現世から連れ出したカグヤの魂を、ナナは離さなかったのだという。

 カグヤの手を引いて、無理やりに“黄泉の世界”へ逝こうとした。

 カグヤは抵抗したが、力はもう無かった。だから引きずるようにして、冷たくもない川へ入り、速い流れに足を取られそうになりながらも懸命に渡り切ろうとした。

 その時に。

 

「母が来て、『カグヤを連れて行くのは自分の役目』って言ったの」

 

 ナナはかすかに視線を彷徨わせた。その時の母親の姿を見つめているようだった。

 

「カグヤが私なら、カグヤは自分の娘ってことだから……って」

 

 そうして、成葉はナナの手をカグヤから引きはがし、“現世”へ戻るように言ったのだという。

 ナナはやはり、それには抵抗したと告白した。自分じゃなきゃ駄目だから、自分しかできないから……と。

 

「でも、母が……」

 

 ナナは幼げな笑みを口元に咲かせた。

 

「一度くらい、母親らしいことをさせて……って言うから」

 

 ただ守られるだけの幼い子供のように、ナナは言う。

 

「自分の分まで生きてって……、そうやって“親孝行”してって言うから……」

 

 娘を想うナナの母親の表情を、鮮明に思い出した。

 優しい、温かい光に包まれて、ナナのために“禁”とやらを犯して自分たちの前に現れたナナの母……。

 彼女の願いが、わかるような気がした。

 

「それで私は、母に命をもらったの」

 

 少しだけ照れくさそうに言うナナと、彼女は本当によく似ていると思う。

 

「“産まれなかった私”の命を……母はくれたんだと思う」

 

 ナナのその言葉を聞いて、最後の一手が決まった時のような、すっきりとした感覚を覚えた。

 たしか、成葉は最後にこう言っていた。

 

『さっさと生まれ変わってオレの前に現れろ……』

 

 そう伝えて欲しいと言うサスケに。

 

『ええ……そうするわ……!』

 

 と。

 「そうする」とは、「ナナにサスケの言葉を伝える」ことの意思表示ではなかった。「さっさと生まれ変わらせる」ということを意味していたのだ。

 だから……『これからも、あの子を愛してあげて』と、サスケに言い残したのだ。

 何故、成葉がそうしたのか。

 ナナの意志を尊び、サスケにナナの居ない世界で幸福になって欲しいと願うのではなく、ナナをこの世に生き返らせた訳……。そう考え直した訳。

 今さらながら、その理由がわかる気がした。

 サスケの言葉、視線……ひとつひとつを思い起こせば理解できる。

 あんな……立ち枯れた人間を目にして、未来もなにもあったもんじゃない。

 あの愚鈍なまでにナナを愛したサスケの正直な想いが、成葉の意図を変えたのだ。

 娘の英断も、世の理も、サスケの諦観も……全てがどうでも良くなった。サスケとナナの間に存在する愛に比べれば、そんなものは存在しないも同然だった。それら全部を捨て去るほどの価値が、二人の愛にはあった……。

 成葉はそう感じたのだろう。

 彼女の気持ちもまた、十分に理解できた。

 そして彼女のしたことこそが、英断だと思った。

 

 その母の決断によって蘇ったナナが、今は“もらった命”……いや、“本来の命”をその身体に留めている。

 持て余してはいない。拒絶も無い。後悔もしていない。ちゃんと、笑っている。

 母の願いを、ちゃんと、受け容れている。

 

 

「もう一度、生きたい……って思った時、私はココにいた」

 

 

 ナナが未来を向いて歩き出した……。

 それを見留めて、今までで一番深い安堵を感じた。

 

「だから……」

 

 ナナは皆を見回した。長い語りの中で、最も鮮やかに光り輝く笑みで。

 

 

「これからも、よろしくね、みんな!」

 

 

 それに応える声は、夜の森を騒がせた。

 あの時のように、胸の奥から勢いよくあふれ出す喜びではなかった。じわじわと、心地よく染み渡るような喜びだった。

 驚嘆と歓喜ではない。安堵と悦楽がこの場所に満ちていた。

 ふと、足元を見下ろした。

 灯りに揺れる薄い影が、ゆらゆらと頼りなげに揺れている。

 目をこすってもう一度見た時……己の影はくっきりと、足元に張り付いていた。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。