火影会談を翌日に控え、サスケの居る病室で打ち合わせが行われていた。
サスケに書かせたこれまでの全行動に関する報告書の回収と、会談中に行われる彼への『尋問』に対する対応について話し合うためである。
この場に自分が呼ばれたことを、サクラは心から喜んでいた。
が、その喜びはサスケの平坦で突飛な言葉に、無残にも打ち砕かれた。
「オレは……木ノ葉を出て世界を旅することを願い出る」
一瞬で、指の先まで冷たくなった。
確か、綱手の「これから先の身の振り方」について希望を聞かれたその答えだった。
サスケは今、何と答えたのか?
「た、旅に出るって……?」
それは、すんなりと受け止めきれるものではなかった。
これからずっと彼が“ここ”に、この里に居るのだと……、彼は木ノ葉に「帰って来た」のだと思っていた。
憂慮すべきは、五影たちによってサスケの罪に厳罰が下され、彼が投獄されてしまうことだったはずだ。彼の自由が奪われることを、恐れていただけのはずだった。
それなのに……。
「ど、どうして……」
サスケは一度、視線をくれた。
やっと自分を見てくれた……そう思ったのも束の間、彼の言葉がわからなくなった。
旅の目的を、彼は淡々と皆に説明していた。
「世界を見たい」とか、「罪を償う」とか、「忍の未来」とか……。
それらは耳に入っては抜けて行き、とても理解できるものではなかった。
いや、理解などしたくはなかった。
“願い”はあったのだ。五影会談が終わった後、サスケは許されて木ノ葉の忍に復帰する……と。そうしてまた第七班として、ナルト、サイ、ナナ、サスケ……みんなで日々を過ごしたい、と。
甘い考えなのは認めるが、五影が理解を示してくれないとも限らなかった。
希望はあると思っていた。ナルトとナナ、二人の“功労者”が嘆願すれば、叶わぬ願いではないと思っていた。
だが。
「それがお前の望みってわけか」
「ま、理解はできるけどネ」
サスケの意志を聞き終えて、綱手もカカシも、最初の驚きを引っ込めた。そして質問などはせず、ため息のようにそう言った。
そこで初めて、サクラは周囲に気をやった。
サイは遠慮してここに来なかったが、ナルトとナナ……まだ二人も仲間がいるではないか。
「そ、そんなの駄目よ、サスケくん! せっかく帰って来たのに!」
うまく言葉が出て来はしなかったが、自分だけでそれを言うのではないと思った。ナルトもナナもきっと、自分に同意をしてくれるはずだから。
「だからよー、オレも何度もそう言ったんだけど……。どうしても、それが『最善』だって曲げねーんだ。コイツってば」
ナルトがふてくされたように言った。
彼は事前に、サスケからこのことを聞かされていたのか……。
「また一緒に任務できると思ったんだけどよー……」
そして、半ば説得を諦めてもいるようだった。
「そんなっ……」
サクラは勢いよく視線を別方向に投げかけた。
この乱れ狂う心を、共有しているはずのナナに……。
「ナナ! ナナからも説得してよ!」
ナナはじっとサスケを見ていた。
彼女は今、初めてサスケからこの意志を聞かされたようだった。
だからきっと、動揺している……そのはずだった。
が、不意にナナは笑った。
「いいと思う」
強がりとか、やせ我慢とか、投げやりとか……ではなかった。
そうでなかったのが明らかにわかってしまったから、サクラは言葉を失った。
「サスケの言ってることは納得できるし、サスケにしかできないことだと、私も思う」
……あの時とは違った。
サスケが里を抜けた時。
ナナはうつむいて、頑なに、サスケを追いかけようとはしなかった。引き留めることもなかったと、自ら告白した。
あの時感じた、どうしようもない怒りは湧かない。
それだけに……心に涼しい風が吹き抜けた。
変われてもなお……ナナが選ぶ“答え”は同じなのだと。
「でもよー、ナナ……。ちょっとくらい木ノ葉に居てからでもよくねーか?」
「まぁ、そうだけど……。サスケが言う『戦争の直後である今』じゃないと、見えないモノもあると思うしね」
ナルトは頭の後ろで手を組んでナナに同意を求めるのだが、彼自身もサスケの意志とナナの意見を変えられないことはわかっているようだった。
「せっかくまた第七班で任務できると思ったのによー……」
口を尖らせるナルトに同調する台詞を、サクラは必死で探した。
うつむけていた視線を上げ、まっすぐにサスケを見る。その、途中で削がれた左腕を……。
「綱手様が、柱間様の細胞で義手を作れるかもしれないって、この間おっしゃったでしょう? せめてそれができてからじゃ駄目なの?」
サスケはこちらを向いてくれた。
かつてないほど、淀みなく、冷たくもない目で。
「この身体だからこそ、見えるものがあると思っている」
「で、でも……」
「すまない、サクラ」
謝罪の言葉が胸に刺さった。
彼からのやさしい言葉が何より嬉しいはずなのに、今はただ、痛いだけだった。
その目が、「心配をしてくれてありがとう」と素直に言っているような気がして、思わず目を伏せた。
「本当にいいんだな? ナナ」
低い声で綱手が問う。
ナナは、間髪入れずにうなずいた。
「じゃあ明日の会談では、サスケの意見を認めてもらえるよう、お前も嘆願するってことでいいんだな?」
「はい、そうします」
諦めたようなカカシの声にも、ナナはすがすがしく答える。
会談では、ナナがサスケの赦免を「嘆願」できる機会があるという。
それにも関わらず、サスケが「里を去る」ことを嘆願しなければならないことが、もどかしくもあり、歯痒くもあった。
自分なら……「一緒に行く」と、この場で言うのに。
暴発しそうな想いを必死で押し込めて、ため息をつく。
いくら未来が広がっていたとしても、重ならなければ意味がないではないか。
そうやって、この期に及んで“強く”いられるナナが、やっぱり、歯痒かった。
せめてこの苛立ちに似た感情を少しだけ表に出してみようかと思った時、部屋の扉が遠慮がちに叩かれた。
向こうから名乗ったのは、シズネだった。
綱手の許しで扉が開くと、シズネは奇妙な表情でナナを見た。
「あのー……。和泉の……なんていうか、お使いの人……? が来てるのよ。なんか、怖いのが」
「はぁ? 何をいっているんだシズネ」
めったに見かけないシズネの歯切れの悪い様子に、綱手のみならずサクラも驚いた。
「ああ、式神ですね」
「そ、そうなの? そのシキガミっていうのが、『迎えの者が間もなく木ノ葉に到着します』って」
得体の知れないモノを見て、シズネはよほど戸惑っているようだ。
「『迎え』とは例の件だな?」
「あ、はい。行ってもいいですか? 綱手様」
「本当にここへ迎えなくていいのか?」
「はい。非公式でとのことなので。それに、“火影様”も会わないままのほうが、いろいろと都合がいいですよね?」
「そうか……」
綱手は少し考えて『行く』ことへの許可を出した。
「里長たちの到着は明日の早朝だ。出迎えはできるか?」
「それまでには戻ります。里門で待機ですよね?」
そう言うと、ナナは皆に挨拶をして、いつもの調子で朗らかに去って行ってしまった。まるで、今まで話していたことの“重さ”など、感じていないかのように……。
その姿は、鬱々とした感情を持て余す自分とは、まるっきり正反対だった。
「師匠、『例の件』て何なんですか? 式神ってことは、和泉の里の関係ですよね? ナナはどこへ行ったんですか?」
それを少しだけぶつけるように、師に問うてみた。多少のイライラは隠しきれない。機密だと言われても、食って掛かるつもりだった。
今している話より、ナナにとって重要なことがあってたまるか……という気持ちなのだ。
「ああ……。和泉神社の巫女が、近々、和泉の里へ帰られることになったんだが。けっこうなお年寄りらしくてな。和泉の里から迎えの方が来ることになっていたんだ」
綱手はあっさりと内容を答えてくれたのだが、困ったような顔をしていた。
「もともとは、ナナが送って行くってだけの話だったんだが……。恐らくは和泉の里からの『目付け役』ってとこだろう」
その理由を言ったのはカカシだった。
「和泉神社にも、和泉式陰陽道に関する文献とかがあるだろうからね。それが木ノ葉に渡らないかとか……まぁ、そんな懸念を持っているんだろう」
秘せられた一族への畏怖と、一族のことを語ったときのナナの冷たい声が蘇った。
同時に、ナナはもともと『和泉神社の巫女として生きる』はずだったということを思い出した。
それを、どうしても忍になりたくて
その理由は、一族への反発と自立心。そして、うちはイタチへの憧れだった……と、ナナは言っていた。
だからこそ、今もナナは木ノ葉の忍として精力的に働いている。
誰もが認める、木ノ葉になくてはならない忍にまでなった。その名を里外にも轟かせ、里長たちの信頼も得ている、特異な存在だ。
きっと、これからも……。
それがナナの生き方なのだろうと、そう思った。
自分は……。
やっぱりまだ、全てを捨ててでもサスケを選ぶ気持ちがあった。
たとえ木ノ葉の忍であることを放棄しても……。サスケと一緒にいたいと、そう思っていた。