火影岩を朝日が照らした。
代々の火影たちが左から並ぶ、その右端。どの顔よりも鮮明なそれは、はたけカカシのものだった。
数時間後には、この新しい火影岩の完成式典が開かれる。
就任式はまだ先の話だが、工事に携わった関係者だけで完成を祝おうというのだ。
その主役たるカカシは、火影岩に背を向けて里のはずれに来ていた。
元部下の二人を、送り出すためである。
―――――――――――――――
数日前……それは五影会談終了の翌朝。
てっきり、まだ身内を故郷に送り届けている道中だと思っていたナナが、アパートのエントランスに立っていた。
「先生、おはよう!」
疲れた様子もなく、元気に笑う。
そして、予定を早めて帰って来たことの説明をし、これから火影の元へ出勤するのに同行すると言った。
もちろん、ナナが火影邸への道筋を知らないわけじゃない。自分が同伴しなければ火影と面会できないわけでもない。
こうしてナナが自分を待っていたのには、理由があった。
「先生に、話したいことがあるの」
身構えるより早く、ナナはそう切り出す。
「少しだけ、時間、いい……?」
こちらが先にサスケの件を話し出す機会は奪われた。
ナナはおそらくサイの知らせで「知っている」はずなのだが、ナナが今からそのことを話すのかどうか、まったくわからなかった。
だから……。
ひと気のない建物の屋上で、ナナがこう言った時、思わずナナの顔を凝視した。
「私、サスケと一緒に行こうと思って」
一点の曇りもない、晴れやかな表情だった。
「カカシ先生……許してくれる?」
その顔のまま、ナナは問う。
許可を得るための発言ではあるが、その答えを求めてはいなかった。こちらの答えなど、取るに足らないとでも言うように。
「私ね、サスケと生きるって決めたの」
その言葉もまた、決意というにはあまりに緩やかにナナの口からこぼれ出た。
「ナナ……」
冷静にナナの様子を観察しながらも、思いがけず言いよどんだ。
正直、面食らっていた……。
ナナが自ら、「サスケと一緒に行く」と言い出すことなど予想もしていなかったのだ。
事実、サスケの望みを聞いてからずっと、『サスケを送り出したナナ』にどう向き合うかばかりを考えて来た。
むろん、サスケをなんとか木ノ葉に留まるように説得できないか……とか、どうにかしてサスケとナナが長期間離れ離れにならない方法はないか……とか、単純な思考も働いた。
だが、上司として二人を知るうえで、現実的にはやはり……『旅立つサスケ』と『彼を見送るナナ』の光景が見えてしまっていたのだ。
その先の二人が、どうなるのかはわからなかった。
そこで二人の想いが途切れるのか……あるいは互いに断ち切るのか……。それとも、離れていても二人はずっと繋がっているのか……。
カカシにはわからなかった。
だからこそ、『サスケを送り出したナナ』に対する正しい接し方を考え続けていたのだ。
だから、その正解を導き出さぬうちにナナが全く別の未来を示したことには愕然とした。
忍らしくもなく、上司らしくもなく、また自分らしくもなく、言葉を詰まらせるほどに。
「先生、ごめんなさい。勝手なこと言って」
マスクの下で口を引き結んだ自分に、ナナはそう言った。
その目に、あの影はない。陰を秘めつつも、強い輝きがあった。
「でも、私……」
「ナナ」
やっと、声が出た。それは、長年の経験からくる術などではない。
ただ単に……。
「お前のその言葉を聞けて、オレは嬉しいよ」
そう……、込み上げる喜びがそのまま声になっていた。
「カカシ先生……」
「正直、今……ものすごくビックリしたけどネ。お前がそう言いだすとは思わなかったから」
正直に戸惑いを口にすると、ナナは困ったように笑った。
「いや、でも……」
それを見つめて、己の感情を噛みしめる。
驚き、戸惑い、それが過ぎ去れば……在るのはただただ、喜びの感情だけである。
ナナが去ることへの寂しさも、六代目火影としてナナを頼れない不安も、そそくさとなりを潜めた。
ナナが自分から自分自身の幸福に手を伸ばしたことが、それほどに喜ばしかった。
「後のことは心配しなくていいから、サスケと行っておいで」
少し照れくさい想いを、上司らしい言葉で隠す。
「サスケと生きろ、ナナ」
ナナは目を輝かせた。
それが先ほどとうって変わって幼げだったから、カカシはやっと、いつもの調子を取り戻せた。
「ナナ、お前……オレが反対なんてしないって、わかってたでショ?」
わざと意地悪く言ってみると、ナナは「だって」と笑った。
そして生意気にも、こう対抗してくる。
「先生は私のこといつも甘やかすから!」
図星だったが、言い訳はしなかった。
本当はずっと知っていた。
ナナは他の同年代の忍に比べて、体躯も、仕草も、言葉も、幼いところがある。それに加えて素直だから、つい面倒をみてしまうところはあった。
だが、「甘やかす」のはそれだけじゃなかった。
ナナは他のどの忍よりも、忍耐強く、聡明で、慈悲深かった。ナナは自分なんかよりずっと強く、優れた人間性を身にまとわせる者だと知っていた。
だから、「甘やかす」には尊敬の念も含ませていたようにも思うのだ。
「でも、先生。綱手様にお許しをいただかないと」
「五代目にはオレも一緒に頼んであげるから」
「本当?!」
こんなやり取りにも、“ナナらしさ”を感じている。
「お前ネ……最初からそのつもりだったんでしょ?」
「ふふ、バレちゃった?」
ナナは初めから自分が反対しないことを知っていた。たとえナナの言葉を想像だにしなかったとしても……。
それはもちろん、ナナが自分を軽んじているわけではない。ナナは自分を、心から信頼してくれているのだ。
たとえば、
「ま、五代目もお前の頼みならきっと聞いてくださると思うけどね」
「うーん、どうかなぁ」
「反対されても行くつもり?」
「うん」
即答だった。
火影に反対されても里を出るということは、いわゆる『抜け忍』になるということなのだが、ナナは迷わずうなずいた。
が、自分で言ったとおり、きっと綱手もしかめ面をしながらも承諾するのだろうと思った。
ナナに期待をかけているだけに、ナナ不在の痛手を痛感して小言を漏らすくらいはするだろうが……。
当面、シズネとともに“八つ当たり”の矛先になることを覚悟せねばと思った。
だが、綱手はおそらくそうなるとして……。
「他のみんなには話したの?」
自分が持て余す部分は否めない。
それをナナにぶつけてみた。今のナナなら、ちゃんと話してくれる気がしていた。
「えーとね、シカマルとサクラちゃんはわかってくれた」
その二人の名前には納得ができた。
シカマルはナナを想い、サクラはサスケを思い続けていた。
二人とはここ数日、ちゃんと顔を合わすことがなかったら、ナナの決意を聞かされていたことは露ほども知らなかった。
いったいどんな気持ちでいるのだろう……。
ふと、そう考えていると。
「あのね、先生、実は……」
ナナは申し訳なさそうな顔をして、こう告白した。
「二人にはけっこう前から話してたの。サスケが『旅に出たい』って言い出した日に……」
一瞬、それがどんな日だったのかわからなかった。
五影会談を挟んだことで、その日がやけに遠く感じたのだ。
「たしかお前は、病室でその話をしてた時、途中で抜けたよね?」
「うん、そう。あの日の夜、二人に……」
あの日……サスケの意志を聞いて、失望と納得という曖昧な感情を持て余したことを思い出す。
そして、事前に知っていたであろうナルトの、納得してはいなくても諦めたような仏頂面。 サクラは……当然のことながら、動揺し、反対した。
あの時ナナは。
『いいと思う』
そよ風のようにそう言っただけだった。
だが、ナナがサスケの意志をその時初めて聞いたのは確かだった。反射的に目視したナナの表情は、確実に驚きを浮かべていたのだから。
それから一瞬でサスケの望みを認めたのは、動揺を押し殺していたわけではなかった。
持ち前の心の強さを発揮したわけでもなく……ただ……瞬間的にこの“答え”が出ていたからなのだ。
だからこそ、その日の内にナナは告げた。
自分を思ってくれているシカマルと、サスケを想っているサクラに。
そしてたぶん、自分を後回しにしたのは……ナナが自ら言った通り、自分がナナの願いを認めることをわかっていたからだけじゃない。五影会談の前にナナの意向を聞いていたとしたら……おそらくサスケの希望を嘆願することに複雑な心境になっていたことだろう。
きっと……いや、絶対に、ナナはそこまで考えていたはずだ。
それがあの、確信犯的な笑みに秘められていたのだ。
「あとね……、我愛羅にも会って話したの……」
名前を付け加えながら、初めてナナはうつむいた。
他里の者に事前に話していたことを申し訳なく思っているのだろう。
「『会って』って……いつ?」
「昨日。木ノ葉に帰って来る途中で」
聞けば、和泉静葉を行程の途中まで送ったところで、静葉本人がナナを木ノ葉へ帰したのだという。
それでナナは、五影会談を終えて帰路につく風影を道中で呼び止めた。
そして、この予め決意していたことを風影に話したのだそうだ。
それも、「良かった」とカカシは素直に思った。
順番が後回しになったことは気にならなかったし、風影……我愛羅にとって、ナナが特別な存在であることはすでに知っていた。
そして、ナナもまた彼に厚い信頼の眼差しを向けていることにも気づいていた。
ナルトやシカマルに向ける視線とはまた違った……どちらかというとサスケへのそれに近いような……。
だから、ナナが直接彼に会って己の気持ちを伝えられたことは、本当に良かったと思えた。
「そうか……」
もう一度、「良かった」……と噛みしめた。
今度は我愛羅に向けて。
会談の時、風影として必要最低限の台詞しか吐き出さなかった我愛羅が、最後の最後にこう発言した。
『うちはサスケと、二人で話す時間をくれないか?』
サスケの差配が決まった直後だった。
『今さらヤツと会って何を話す?』
ようやく話がまとまって緩みかけた気が再び張り詰めた。その場に緊張感が漂ったのを肌で感じたのだ。
だが、警戒するような雷影の問いに、我愛羅は全く動じずに答えた。
『オレは、うちはサスケとは中忍試験で特別に縁ができた。だから個人的に、新たな未来に向けてと、ナナのことを話したい』
我愛羅を睨んでいた影たちの視線が、一斉に火影へ向いた。
もちろん、火影が許可を出せることではない。
火影もカカシも、困惑しながら黙りこくっていた。
すると、ため息交じりに雷影が言った。
『これからどこぞへ旅立つ“いち忍”に風影が接触したところで、何の危害もないわ』
彼は警戒を解いた。
次いで、土影が……。
『それに……“どっちも”正当な理由ぜよ』
含み笑いをしながら、そう言った。
五影の中でもその座に長く就いている二人が軽口を叩いたことで、ミフネも水影もあっさり同意した。
火影は面会の場を用意すると遠慮がちに言った。
あの後……実際に、我愛羅とサスケが何を話したのかは知らない。
「サスケの旅のこと」それから、「ナナのこと」。
我愛羅が何をサスケに聞いて、何を願って、何を約束させたのか……。
考えるまでもない……と、その時は思っていた。
だが今、思い返すとわからなくなった。
サスケはあの時にその意志を我愛羅に伝えたのか?
我愛羅はナナの意志を予測していたのか?
そして、改めてナナに会って意志を聞かされて……何を思った?
「で、みんなは話を聞いて何て?」
我愛羅も、そしてサクラもシカマルも、今の自分と同じ気持ちになったのだろうか。
ナナに対する感情はそれぞれ違う。
シカマルと我愛羅は似ているようで、どこか別の角度からナナに接しているように思う。 サクラは、親友であり忍術や恋のライバルでもあるという関係だ。
いずれにせよ、『上司』という枠組みに当てはまる自分とは、彼らの受け止め方が違うと思えた。
「みんな、びっくりしてたけど……」
若干の不安を抱える自分に対し、ナナはまっすぐこちらを向いて答えた。
「カカシ先生と同じ。『良かった』って、みんな言ってくれた」
祝福を受けた……にしては、少し陰りのある笑みだった。
だが、以前よりそれが薄れているということは、やはりナナは
他人を傷つけることを極端なまでに恐れていたナナは、その弱さに気づいてきっと変わったのだ。
自分の想いを、まっすぐぶつけられるほどに。
「そっか」
あえて、短く返す。
ナナはおそらくその胸中に、ひとりひとりの顔と言葉を思い浮かべながら、幸福そうに笑った。
半分、肩の重荷が降ろせた気分になった。
が、まだ、半分ある。
それを、口にした。
自分もまた、変わらなければと思ったからだ。
「サスケは反対しなかったの?」
今まで見て見ぬふりをしてきた、ナナの一番隠したいコト……その穏やかな笑みの影に隠してきたナナの核心へ触れた。
「サスケには昨日の夜、話したの」
ナナは逃げなかった。
「昨日……?」
真っ先に話さなければならない相手であるはずなのに、順番は……4番目……。
てっきり、「他のみんな」にはカウントされず、一番最初に想いを伝えていたと思っていた。
だから意外だった。
それをまた素直に口にしてみる。
「サスケも“後回し”だったのか?」
「だって、サスケが何て言うかわかってたから」
ナナは悪びれずにそう言った。
「……ま、アイツなら反対するだろうね」
罪を償う過酷な旅に、大切な人を連れてなど行けない……。
本当は誰より愛情深いサスケが、そういう想いでいることはカカシにさえもわかった。
問題はそれでサスケが“終わり”にするのかどうか、ということだったのだ。
が。
「私もそう思った。サスケが考えてることはわかるって自信があったから」
「お前たちは昔から、言葉にしなくてもわかり合ってた部分があったからね」
過去の話をしても、ナナの視線は揺るがなかった。
こちらも、すでに“答え”が出ていることの安心感があった。
だから、さらに先へと話を進める。
「どうやって説得したの?」
だが、ナナは突然、面白そうに笑いながら首を振った。
「違うの、先生……!」
そして、ほんのわずかに頬を赤らめて言った。
「『一緒に来てほしい』って、サスケが言ったの」
それはとても意外なことだったと、ナナは言う。今までのサスケならば、そんなことは絶対に口にしなかった……と。
もちろん、カカシもそう思った。
ついさっき、ナナの意志を聞いた途端に思い描いた光景は、『ナナの木ノ葉での幸せを願うサスケ』と、『それでも一緒に行くと言って譲らないナナ』である。
サスケは……最初、ナナに“別れ”を告げたのではないかとさえ思っていた。
旅立つ自分を、「待っていなくていい」……という決別。愛するが故の別離。
自分ならそうする気がした。
だからナナの決意は、そのサスケの想いすら否定する強いものだったと……。
だが……。
「私が生き返った時に、『もう私を泣かさない』って誓ったんだって。だけど……、『木ノ葉に残れ』って言ったら私が泣くと思ったって……。それで、『一緒に来てほしい』になったんだって」
そのはにかみながらの説明が、カカシの腹の底にストンと落ちた。
最初から、奇跡にして運命の再会を果たした二人には“別れ”の選択肢など存在していなかった。
光の中から産まれたナナを、しっかりと抱きしめるサスケの背が思い浮かんだ。
あの瞬間に、もう、二人には新たな未来が始まっていたのだ。
「木ノ葉に帰って来てからわりとすぐに、『自分がどうするべきか』の意志は固まったんだけど……『私に何て言うか』をずっと悩んでたんだって。バカでしょう? ウスラトンカチだよね?」
病室で、無気力というか、なかば抜け殻のように過ごすサスケを見て来た。
誰の問いにも生返事で、ぼうっと窓の外を眺めていた。
彼が何かを考えているのはわかっていたつもりだった。
己自身の罪に対する反省や、今後の身の振り方についてとしか思わなかった。もちろん、ナナを殺めたあの時のことも含めての……。
しかし、あの彼らしくない表情の裏では、ずっとナナのことばかりを考えていたのだ。
ナナにとっての幸せと、正しい選択。ナナの想いと、ナナへの想い。
日々、揺れ動いていたのだろう。
あんなに静としたたたずまいの中に、混とんとする想いを秘めて。
「ナナ」
改めて、若き部下を見つめた。
秘密の中に秘密を抱えて、それでも穏やかに笑っていた日から数年……。
傷ついても抗って、命をも削って、今は……。
「必ず、幸せになれ、ナナ」
その入り口に立っている。
「うん!」
自分の未来なんて望まなかったはずのナナが、そこに向かって歩き出そうとしている。
「でも、先生、ごめんなさい。火影になるのに、傍でお手伝いできなくて」
だから、そんなことはどうでも良かった。
「里を出ていても、木ノ葉の忍でしょ?」
「うん、もちろん!」
「じゃあ、ピンチの時は助けてもらうから、そのつもりでいてくれればいいよ」
小さな傷がたくさんついた額当てが、ナナの額で鈍く光る。
「定期的に連絡は入れること」
「はい!」
「変わりがなくてもちゃんと伝えてよ。サスケと仲良くやってるってことをネ」
「うん、わかった!」
一息ついて、ナナの頭を撫ぜた。
くすぐったそうに笑うナナの姿は、今までと変わらなかった。
が……やはり、どこか違うのだ。
今まで一族や里が作った囲いを、自らの手で壊したナナは……例えば、さなぎが蝶になったように。
「でもその前に、やっぱり綱手様にお許しをいただかないと!」
「ああ、そうだね。ま、でも大丈夫でしょ」
走り出すナナの背を見て、カカシは思った。
この胸の中心にある温かくてちょっぴり尖った塊……これが、“親心”ってやつなのか……と。
―――――――――――――――
木ノ葉の門前。
旅支度をして現れたナナは、あの日よりも少しだけ大人びて見えた。
心配事も厄介ごとも片づけて、義理も果たして……すっきりとした顔をしていた。
ナナと話しをした後、火影の執務室で予想通り盛大なため息を浴びた。
火影もシズネも、ナナの言葉には心の底から驚いていたようだった。
そして困惑していた。
だが結局、火影も自分と同じだった。
動揺が去ってみれば、それが一番良い形だと思える自身に気がついたのだ。
だからあっさり、ナナの願いは受け入れられた。
相当渋い顔をしてはいたが……。
その後でまた二人になると、ナナはこうつぶやいていた。
『もし許可が下りなかったら、「サスケの監視役」とか「和泉の人間が木ノ葉に居たら迷惑になる」とか、色々と理由を考えてたんだけどな……』
その時はやはり、苦笑が漏れ出た。
そんな子供じみた言い訳も出さぬうちに、自分も火影も安々と陥落したのだから。
「毎晩この薬を塗って、包帯を替えてあげてね。痛みが出るようだったらこっちの薬を2錠飲ませて」
「うん、わかった。ありがとうサクラちゃん」
「サクラ、色々とすまない」
目の下にクマをつくったサクラが、ナナに医療道具一式を手渡して説明している。
彼女の心中を思うと胸が痛むが、それでも……晴れやかなナナの姿は喜ばしかった。
そして、サスケも……。
サスケとは、昨日までにじっくり話をした。
こんなに長く話をすることも今まで無かった……などと思いながら、情報伝達の方法や暗号の方式、差し当たっての目的地を話し合った。
隣でムスっとしながら聞いているナルトも含め、こちら側の不安要素を取り除くくらいには至ったと思う。
もっとも、サスケは終始落ち着いていて、すでに先のことまで良く考えていたようだった。
だから、上司として彼に言うことはひとつだけだった。
『ナナを泣かすんじゃないよ』
サスケは真摯な眼でこちらを向いた。
『ああ……。約束する』
それは単に部下としてではなく、ひとりの男としての約束に聞こえた。
「サスケ」
もう、鬼胎はなかった。
「これからはあまり無茶しないでよ。オレの責任になっちゃうから」
それでも、そう言ってみる。
「ああ……すまない」
何度も口にした言葉を、サスケは言った。
繰り返しても、決して薄っぺらには聞こえなかった。
そしてその隣では、ナナが清らかに笑んでいる。
それを見て、ずっとむくれていたナルトが、意を決したかのようにサスケに向かって左腕を突き出した。
「ん……!」
その手には、汚れた額当て。
「お前、まだ持ってたのか……これ……」
木ノ葉のマークに、真一文字の傷……。
サクラがそっと息を呑む。
「返す……!」
ナルトは低く言った。
その額当ては、かつてサスケが身につけていたものに違いなかった。
「もう
「……ちゃんと取っておく」
「約束しろ!」
「ああ……約束する」
サスケの右手がマントからするりと出て、それを受け取った。
瞬間……風が吹いて木ノ葉が二人の周りを舞った。
その涼しくて清らかな風は、まるでナナからの祝福のようだった。
「サスケ君、ナナをよろしくね……。ちがった……」
二人の絆を見届けて、サクラは言った。
「ナナ、サスケ君をよろしくね……!」
涙をこらえているのがわかった。
彼女が、それを敢えて隠そうとはしていないことも。
「サクラちゃん……」
それは、サクラ自身も前へ進もうとする言葉だった。
ナナもサスケも、それに気がついていた。
サクラが言葉にするのは、もうサスケへの想いではない。
大切な友へ、それを託したのだ。
「もう、サクラちゃんを悲しませるようなことしないから。サスケも、私も」
ナナはそれに応える。
「私も約束する」
「うん」
サクラはナナを抱きしめた。
二人を見つめて、ナルトの表情がほんの少しだけ和らいだ。
そしてサスケも……。
「サクラ……ありがとう」
温かい声はサクラの決意を鈍らせるはずだったが、彼女は気丈にほほ笑み返した。
「ナルト」
最後にナナが、ナルトに向き合った。
一蓮托生……運命を共にするはずだった二人は、静かに見つめ合った。
「クラマによろしく」
ナナはそれだけ言った。
その名前こそが、二人の絆そのものだった。
「ああ」
ナルトは腹に手を当てて、こう返した。
「サスケにはわりぃが、オレたちには特別な繋がりがあるってばよ!」
ナナは面白そうに笑い、サクラは呆れたようにため息をつく。サスケはフンっと鼻で笑い飛ばした。
懐かしい、第七班の光景だった。
思いがけず、熱いものがこみ上げる。
そして。
「それじゃあ、カカシ先生。サクラちゃん。ナルト……」
本当に嬉しそうに皆を見回して、ナナは言った。
「行ってきます!」
先に広がる未来への期待というより、ナナの“今”この瞬間に心底満足しているようだった。
「連絡は欠かさないでネ」
それだけ言った。
今さら手向けの言葉はいらなかった。サクラの言葉で、もう十分……。
ナルトもまた、何も言わなかった。
まだきっと、サスケの意志に納得しきれていないのもあるのだろうが、それよりも。木ノ葉の忍として二人と共に過ごせないという失意でいっぱいのようだった。
それがまた、二人を大切に想うナルトらしくもある。
「行って来る……」
サスケが最後にチラっとナルトを見て、別れの言葉を言った。
それはもう、決別ではなかった。
再会を約束した、旅立ちの言葉……。罪深き男の、希望に照らされた贖罪の旅へ。
林の向こうに消えていく二人は、程よい距離で肩を並べていた。
これまでずっと、傷つけ合って、苦しんできたことが嘘のように。まるで最初から、こうして光に包まれて、同じ方向を向いてきたかのように。
「あーあ、行っちゃった……!」
サクラがわざと、大きくため息をついた。
「サスケ君ったら、綱手様の『研究』の見通しが立つまで待てばよかったのに!」
そして、悪態づく。
ナルトは答えなかった。
「さてと。式典の準備を手伝いに行こうっと。カカシ先生、今日だけはぜーったいに遅刻しないでよ!」
「はいはい」
サクラは自分とナルトに別れを告げて走り去った。
見られたくないモノが、込み上げていたのだろう……。
「身体の調子もだいぶ戻ったし、オレも修業すっかなー」
ナルトが左腕を前に突き出した。
断ち切れない想いを無理やり振り切って、気合いを入れているように見えた。
「あんまり暴れると、後でサクラに怒られるよ」
「わかってるってばよ! じゃあカカシ先生、後でなー! 遅刻すんなってばよ!」
ナルトもまた、さっさと立ち去る。
彼もきっと、左の袖で顔を拭っているに違いないと思った。
「さーて、オレも新たな門出と行きますか」
捕らわれていた過去から脱却し、やっと未来を見据えた二人。親友、想い人、運命共同体、恋敵、……との別離を乗り越えようとしている二人。
自分も、若い彼らに負けては居られなかった。
冷たい冬の空気を吸い込んで、前を向く。
巨大な自分の顔が、悠然とこちらを見下ろしていた。