ウマ娘に恋してしまったトレーナーの話   作:かぃ

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アグネスタキオン③

 あの日、タキオンは圧倒的な力でレースを制した。

 

 まだレースも中盤で逃げすら背負いハナに立って出ると、そのままじわじわとリードを広げつづけ、結果としては二着から四馬身差を離して一着を獲ってしまった。

 

 あんなところから差すのは、もはや差しと呼んでいいものなのか。

 終わってみれば、掛かってしまっているのか? という不安が全く必要のない杞憂だと解らせられたレースだった。

 

 しかしそんなハチャメチャなレースよりも、今も目から焼き付いて離れない光景があの日にはあった。

 

 ウィニングターフで多くの声援に迎えられるタキオン。

 未だ上がっている息。それでもいつも彼女は薄く笑って応援してくれた人たちに感謝の言葉を述べる、今日もそのはずだった。

 

 それがあの日の彼女はゴール板を越えた後からずっと、薄く笑うというよりは嬉しさを抑えられない、といったニヤケ顔で、大喝采を沸き起こしていた観客たちも段々と不思議に思ってタキオンの顔を眺めていた。

 

「タキオン?」

 

 ウィニングランも終わり、こちらへ向かってくるタキオン。

 何か悪いことがあったわけではなさそうだが、あまりにもずっと表情が変わらないので心配になって声を掛ける。

 

「あぁ、トレーナー君じゃないか! 実験は成功のようだよ!」

 

 興奮冷めやらぬといった様子で、普段より声が上擦っている。

 両手の拳を胸の前にやるタキオンに、なんだか小学生の時にクリスマスプレゼントをもらった時の記憶が思い出された。

 

「タキオンにしか出来ないレースだったよ。役に立てたみたいで良かった」

 

 果たして俺の言葉がどれだけタキオンに影響を与えたのかわからないが、タキオンが喜んでいるので良しとしよう。

 

「ふぅン、殊勝なモルモットだね君は。さあ帰ってこの心理を一つ一つ紐解こうか! 原理不明だがレース前の心の引っ掛かりがいつの間にやらどこかへ消えてしまったのも気になる!」

 

「いや、この後ライブだよ!?」

 

 ルンルン気分で今にもスキップなんか始めそうなタキオンだった。

 もちろんライブはしっかりやってもらったので何にも問題はない。次に淹れる紅茶を甘めにすることを約束させられたこと以外は……。

 

 そんな印象深いレースがあって二日、休養日を入れてトレーニングを再開したのが今日だ。

 

 俺はいつものように、トレーナー室で彼女を待っている。

 

 サバラガムワの茶葉の香りが薄く俺を包んでいた。

 あとはもう二、三分待つだけで完成だ。

 

 トレーと角砂糖を準備していると、今日も今日とて髪を湿らせたままのタキオンが入ってくる。

 

 汗を流して制服を召した彼女は、机から紙とペンを取ると今日は定位置のパイプ椅子ではなく、ソファへと腰掛けた。

 人ひとりが寝ころべる大きさのそれは、タキオンの優勝祝いで買ったそこそこイイものだ。

 

 でも今日はどうしてそこに? と考えていると、タキオンがこっちを見て手招きしてくる。

 

「どうしたの?」

 

 なにやらわからないが、呼ばれたら行くしかあるまいと彼女の前に立った。

 

「モルモット君、君は以前からこちらへ熱い視線をくれていただろう?」

 

 A4紙を挟んだバインダーで顔を扇ぎながら、ニヤリと笑って問いかけてくる。

 長い前髪が風にあおられて、ゆらゆらと靡いていた。

 

 突然の言葉にえ!? とわかりやすく動揺してしまっていると、タキオンは首にかけたタオルを差し出してくる。

 

「私の髪に」

 

「あぁ、髪ね! そうだね、いつも濡れたままだったから気になってたんだ。でも……」

 

 とは言っても俺が彼女の髪を拭くなんてのは、さすがに立場的にも良くないような気がする。

 

「私に尽くすのが君の役目だろう? それに君だってその、私を好いているんだから私に尽くしたいと思っているはずだ!」

 

 良い淀むなら言わなければいいのに……。

 互いに顔を赤くして数秒が過ぎると、ほら! と言いながらタキオンは俺の手にタオルを握らせた。

 

「後ろに回ってやってくれ。前に立たれると集中できないからね」

 

 タキオンも何か考えがあってこう言っているんだろうし、別に俺も嫌というわけではない。

 しょうがないなあ!と嬉しさが顔に出ないよう努めながら彼女の後ろに立って髪を拭き始めた。

 

 お風呂上がりの甘い匂いに脳をやられないように息を浅くしたが辛くなってやめる。

 至近距離でこれを嗅いでいると、なんだかもはや試練を受けている気分にさえなってきていた。

 

 でもタキオンの髪は見た目通り毛量がすごいな。一から五まで研究な彼女は髪を切る頻度もかなり低かったりするのだろう。

 それにしてもこの長いアホ毛には驚く、いくら梳いても独立してふにゃふにゃと浮いている。

 

 ダメだこりゃ、と諦めて次にいくとタキオンが少し顔を上げて話しかけてくる。

 

「み、耳周りはゆっくり拭いてくれるかい? くすぐったいんだ」

 

 笑いを堪えられないといった表情で切に訴えかけてくる。

 あまり見たことのないタキオンの表情は胸に来るものがあった。

 

「ごめん、強くしすぎたかな……」

 

 でもこれ以上優しくって難しいな、と思いながらもタオルで髪と耳を撫でていく。

 

「ク、クク……モルモット君! もしかしてわざとやっていないかい?」

 

 どうやらこれでもくすぐったかったみたいだ、咎める声が聞こえてくる。

 でもわざとじゃないから勘弁してほしい。

 

「まさか、ただタキオンの髪を拭くってだけでもういっぱいいっぱいだよ」

 

 弁解するもタキオンはふぅン? とまだ疑っている様子だ。

 まあもう髪もかなり乾いたみたいだしこれで終わろう。

 

「ほら、もう終わり!」

 

 使ったタオルを彼女の頭に被せると、彼女はソファの背に凭れて俺の顔をジーっと見つめてくる。

 妖しい目に吸い込まれてしまいそうだった。

 

「耳まで真っ赤だ。嘘はついてないようだね」

 

 いつの間にかまっすぐと伸びてきた手が俺の耳に触れている。

 ゆっくりと耳を撫でてくる彼女の手をやけに冷たく感じていた。

 

 呆気に取られてどれほど時が過ぎたのかわからないが、タキオンが口を開くと意識が戻ってくる。

 

「少しはその気持ちにも慣れたかい?」

 

 そう言われてタキオンの意図に気づく。彼女は多分、触れ合いを増やすことで俺にとってこの恋心を当たり前のものにしようとしているのだ。

 そうすれば、俺がタキオンに緊張することもなくなって彼女に迷惑をかけることもなくなる。

 

「いやでもこれは逆に悪化しそうだよ……」

 

 いくら俺が鋼の意志でトレーナーらしくあろうと、タキオンがこうもお構いなしだと俺もどうなるかわかったもんじゃない。

 

「ハーッハッハ! これからも長い付き合いになるんだ、君が思い詰めてしまう前にどうにかしなくてはならないからね」

 

「タキオン……!」

 

 彼女の優しい言葉に思わず感動してしまう。

 

「それに君がいなきゃ私の面倒を見る人がいなくなってしまうし。君の激しく揺れ動く心理状態も記録しなければならないしね!」

 

 うーん、それは思っていたとしても言わずに俺を感動させたままにしておいてほしかったな。

 

「さ、それでは糖分補給に紅茶でも飲もうかな。用意してあるのだろう?」

 

 書き終えたメモを手にもって立ち上がるタキオン。

 

「あ、淹れっぱなしで忘れてた! 冷めちゃったかも……」

 

 髪を拭くのに夢中になって、時間を忘れてしまっていた。

 なんだって! と驚くタキオンを宥めながら、紅茶の温度を確認するのだった。

 

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