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レース翌日。
疲れを癒すための休養日なのだが、悲しいことに何もすることがない。
かと言ってせっかくの休日を無にするのもなんだし、俺は何の気なしにトレーナー室へと足を運んでいた。
さて、何をしようか。
少しの間考えてみてもなにも思いつかず、結局昨日のレースの振り返りをやることにした。
昨日帰ってきてからもやったから二度目になるけれど、まあ何度やっても悪いことではない。
トレーナー室には資料を見るためテレビが置いてある、サイズは少し大きめの。
例えばこれで映画を見たりしたなら、かなりの迫力が……。
「トレーナー!あなたに私と一緒に映画を観る権利をあげる!」
「っびっくりした……。映画?」
DVDだろうか、何かしらのパッケージを掲げたキングが突然トレーナー室へ乗り込んできた。
少し震え声なのはなぜなのだろう。
「そう!後輩からおすすめされたのよ。この年最恐のホラーだから、誰かと一緒に観てみてくださいって……うぅ」
それで入ってきたとき空元気に見えたのか、ホラーはどうもキングの天敵みたいだからな。
それにしても嬉しくはあるが、どうして俺に頼みに来たのだろう。
休日にキングが会いにくるなんてことは、今まで数えるくらいしかなかったはずだ。
「ほかの子はどうしたんだ?予定が合わなかったとか?」
訊かれて、口に出しにくいのかキングは少し俯きつつ答えた。
「それは、あの二人が頼れる大人のひとと、って言っていたから……。でも私の身近に大人の知り合いがあなたぐらいしかいなかっただけよ!勘違いしないでくれるかしら?」
俺を調子に乗らせないためか、言葉の槍が「頼れる大人」という俺の評価を刺しては消した。
「なにも言ってないけど……」
ヨヨヨと悲しみつつ言葉を返す。
暗に頼りないと言われたのはショックだが、ともかく頼られているのだからそれに応えよう。
「何か飲みながら観ようか」
そうね、という相槌を聞きながら立ち上がって、何があったかなと辺りを見回す。
そう言えばもらい物の紅茶があったな。
袋に入ったままのそれを取り出し、たはいいものの淹れ方がてんで分からない。
緑茶用のガラス製の急須はあるが、これで淹れられるものなのだろうか。
「キング、紅茶の淹れ方って知ってるか?」
茶葉の入っている袋をためつすがめつしていた俺の後ろで、ウズウズしていたキングが来た!と話し出す。
「もちろん!私はキングヘイローよ?一流の紅茶の淹れ方を教えてあげるわ」
その後は、キングってホントに一流なんだ……と思わせる手捌きであっという間に二人分の紅茶を淹れ終えてしまった。
「これであとは二、三分蒸らすだけ。格式高く見えるけど、意外と簡単でしょ?」
ポットの熱を逃がさなようにタオルをかけながらキングがそう言う。
部屋を柔らかく包む紅茶の香りが、彼女によく似合っていた。
「意外とな。でも一人でいるときにはちょっと大変かも」
なんだかずっと目を合わせているのも恥ずかしくて、茶葉の袋を閉じつつ答える。
「あら、それなら毎日私のために紅茶を淹れる権利をあげてもいいわよ?」
一瞬プロポーズみたいだ、なんて思ってしまったのは恋に侵されてしまっているせいだろうか。
照れ隠しに「気が向いたらね」、なんて答えるのだった。
思ったより長く感じる三分間。
何か話そうと思えば思うほど逆に何も出てこないもので、先に口を開いたのはキングの方だった。
「それにしても、いると思って来ておいてなんだけど休息は大事よ?休日までトレーナー室だなんて。あなたにも趣味の一つや二つくらいあるでしょ?」
「トレーナー業も好きでやってることだから……」
と答えると、思うところがあるようでムッとした顔で戒めてくる。
体調に気を遣ってくれているみたいだ、苦笑してゴメンと軽く謝りをいれる。
「それで趣味は?いくら一流と一言に言っても、少しくらいはキングのことを考えない時間があってもいいのよ?」
寛容さを微笑みと身振りで表しながら彼女は改めてそう尋ねる。
近頃、キングのことが頭から離れることのない俺にはなんとも耳が痛い言葉だ。
「んー昔は料理にハマってたけど、最近はめっきりだな、一人で作って一人で食べるのも……って感じだし」
手間のかかる料理を自分のためだけに作るのはどこか虚しかったりするのだ。
「あ、キングは料理したりするのか?」
キッチンに立つキングを想像しながら訊いてみる。
一流な彼女だけど、思いの外エプロンが似合いそうな気もする。
「え、と、当然よ!卵焼きだって作れるし、そんなの朝食前だわ!」
なにやら慌てているが口振りからするに、卵焼きにこだわりがあるのだろうか。
確かに卵焼きって家庭ごとに味付けが違ったりするものだしな。
「そうなのか。甘いのと……」
「そ、そろそろ出来たみたいね!紅茶!さ、映画の準備、してくれるかしら」
キングと趣味の話ができることが嬉しくて少しばかり舞い上がってしまったが、もう紅茶が出来上がったらしい。好きな味付けを聞こうかと思ったんだけど……。
もはや彼女にとってこの映画を観るのは好きで、というよりノルマとかミッションの体を成しているようで、できる限り早く片付けてしまいたいのかもしれない。
「あ、ありがとう。じゃあこれ、持っていくな」
キングが完成した紅茶をカップに注いでくれているのを見て、デッキにDVDをセットしに行く。
タイトルは詳しくない俺でも知っているような有名作品の続編のようで、怖さにも面白さにもかなり期待できそうだ。
でもキング、これ大丈夫か……?
以前怖い話をしたら絶縁とまで言われたのに、と思い出を振り返りながらソファに腰掛けて彼女を待つ。
とその時、一瞬地震が来たのかと思わせるような物音を立てて、手足を震わせたキングが紅茶を運んできて俺の隣へ座る。
「結構怖そうだし、あんまり無理しない方が……」
誰しも苦手なものくらいあるんだし、わざわざ自分からそれに飛び込んでいくこともない。
「お、おーっほっほっほ!キングの辞書に諦めるなんて言葉はないんだから!ほら、さっさと開始なさい!」
恐怖を吹き飛ばそうと彼女は高笑って俺を指差した。
後輩との約束のために、ここまで頑張るだなんて……。
「限界のときは言ってくれ、俺が止めるから」
とキングの優しさに胸を打たれながら再生ボタンを押した、のだが、結果から言って俺が映画に集中できた時間は一秒たりともなかった。
開始一秒、まだ導入部分だというのに既に俺の腕をとっているキング。
近い、近すぎる……。こんなの男女がとるべき距離感じゃない、この距離感は男女の関係のそれじゃないか!(?)
「ま、まだ怖いのはもっと後だぞー……」
もし力を込められたりすれば腕が逝ってしまうので、できるだけ落ち着かせようと声をかけてみる。
「だ、誰が怖いなんて言ったのよ!全然余裕なんだから!」
どうやら腕を抱いているのは無意識らしい。
怖くても本人の真面目な性格からか、決して画面から目をそらさないのが印象的だった。
そう思えた俺は、キングのことばかり見てしまっていたのだけど。
いつの間にやら導入部も終わっていて、なぜ出てきたのかも分からない悪霊に登場人物が襲われ始める。
分からずともこんなに怖く思えるのだから、彼女の方はなおさらだろう。
様子が気になって、横目で彼女を窺う。
「ひ、はゃ……」
もはや叫ぶこともままならず、ぐるぐる目でもう気絶寸前まで行っていた。
手も腕をとるというよりはもうほぼ抱き着くような形になっているし、キングが限界じゃなくても俺が気恥ずかしさに限界だ。
手に持っていたリモコンで映画を止める。
「ぁ……あれ、トレーナー?どうして止めるのよ!」
魂を取り戻したキングが不服を申し立ててくる。
でもここで止めなきゃ、どちらかの魂はこの世を去ることになっていただろう。
「いや、限界みたいだったし……」
自分が照れて限界だったことは言えるはずもなく、半分言い訳でそれに答える。
「そんなことあるはずないじゃない!全くもって余裕よ!」
……さっきの様子を映像に撮って見せてやりたいが生憎できないのが悔やまれる。
「でもまさか好きで抱き着いたりしないだろう……?」
「え?あ、うぅ……」
言われて初めて気付いたのか、悔しそうにゆっくりと体から離れるキング。
だが、ここで引くキングでもない。
「こ、これはトレーナーのせいで私が痺れを切らしたのよ!いくら一流とはいえホラーなんだから、人肌はリラックス効果があると言われているんだし……!」
「お、俺のせい……?」
いくらなんでも無理を言いなさる。俺からキングに触れるなんてできるわけないじゃないか。
「そうよ、あなたが一流のトレーナーとしてキングを気遣わないから……!」
「む、無茶苦茶だ……」
さすがに理不尽なことを言った自覚があるようで、キングは申し訳なさそうにカップのふちを撫ぜている。
でも、一流のトレーナーか……。
そう言われてしまっては、俺も簡単に諦めるわけにはいかないし、変わらなきゃならない。
全身全霊でキングを気遣ってみせよう。
「……じゃあ手を握らせて、それなら互いに落ち着けると思う」
俺だけ手を握っていれば危うく手を失くすこともないし、中々名案じゃないだろうか。
「いいわ、優しく手を握る権利をあげる……。これがキングの手だってこと、十分理解なさいよ……」
急にしおらしくなったキングにドキッとしながら、意を決して二人の間で手を重ねる。
暫く、そのまま二人で黙っていた。
互いに何も言わないで、いつかまた見始め、いつか映画は終わりを迎えていた。
「映画、あなたはどうだった?」
そういえば映画を見ていたんだ。
そんなことを思うくらい、なんだか心がふわふわと浮いていた。
「怖くって全然内容追えなかったよ」
胸の内を正直に言うのも憚られて、都合の合うようごまかす。
「それなら、また観なおさなきゃいけないわね……!余裕のあるキングがまた付き合ってあげてもいいわよ」
お嬢、それは簡単に結果が予想できるのでやめておいた方がいい……。
「もうホラーはこりごりだよ」
もう冷めてしまった紅茶の最後の一口を飲んで言う。
紅茶って冷めてもおいしいんだな、なんて思っていた。
ずっと握ったまま、帰るときまで離さなかった。
二人いつ手を離したいのか、わからずにいた。