クジラの縄張りに近づいてくるにつれて、視界が少し悪くなったような気がする。
クラインも同じように感じたのか首をかしげていた。
「…なんか霧がでてねーか?」
「クラインもそう思う?なんだか不気味だよね」
「こういう時、ホラーだとなんか人数増えてたり逆にいなくなるよな。
…今のうちに人数を数えておこうぜ?」
「……用心に越したことはない、か…。みんな、集まってくれ!!これから点呼を行う!!」
その提案に食って掛かったのは、やせこけた男…《KOB》のクラディールだった。
「ふん、そんなことをする必要はない!!貴様のような子ネズミ風情がリーダーぶりよって!!」
子ネズミ、ときたか。アルゴの弟子だったことをこんな風に侮辱されるなんて…。
「テメェ!!いくら《KOB》だろうが言っていいことじゃねーだろうが!!
こいつら情報屋の情報で命を救われた経験がないとは言わせねーぞ!!」
「やめろクライン!…まあこういうのが出るのも想定はしてた。
…で?僕がリーダーとして不安なら、誰がふさわしいって言いたいんだ?」
「無論アスナ様ただ一人だ!!ドブネズミめ、この船から叩き出してくれる!!」
ヤツは『オレ』の首を掴み、船から落とそうとする。
こいつ正気か?クエストを受けた本人がこんな場所で溺死しようものならクエストが失敗するんだぞ…!?
「…なにをしているの!?やめなさいクラディール!!」
「あ、アスナ様!なに、今からこの子ネズミを駆除するところです!!」
「彼をここで落とせば、わたしが喜ぶとでも!?」
ここでやっとアスナさんがキレていることに気づいたクラディールは、舌打ちしながら僕から手を放す。
「…チィッ!!アスナ様の寛大な心に感謝するんだな!」
クラディールが離れて、アスナさんはため息を吐いた。
「はー…。…だいじょうぶ、キリヤ君?」
「……苦労、してますね…。」
「もうヤダあの人…このままじゃ心労で倒れるのも時間の問題かも…」
アスナさん、ホントにかわいそうなことになってる…。責任感の強さと正義感が仇になってるな。
自分がギルドから抜けるとギルドの運営が成り立たなくなるのに気づいてるから、やめるにやめられないんだ…。
「えー…とりあえず《KOB》の点呼は任せていいですか?僕らはそれ以外を数えておきますから。」
「ええ、クラディールがこれ以上暴れないようにするにはそれが良いと思うわ。…じゃあ、十分後に」
爺さんを含むレイドメンバーに欠員がいないのを確認して、僕はひとまず安心した。
後は《KOB》のメンバーだけだ。
「…さて、後はアスナさんに合流するだけ……。」
…霧がずいぶん濃くなったな…。海も荒れてきてるし、気を付けた方がいいか。
警戒を強めたその時、妙な音がした。…具体的に言うと、べしゃべしゃとプールから上がってそのまま歩いてるような音だ。
レイドメンバーがこんな荒れてる海で泳ぐはずがない。
「敵襲ゥーーー!!!船に敵が入ってきたぞ、武器を取れェ!!」
大声で敵がきたことを知らせながら、侵入者に斬りかかる。
それは青い鱗で身体を覆った魚の亜人、《サハギン・サーヴァント》だ。
『ギョオッ!?』
「サハギンか、奇襲で海に引きずり込むつもりだったようだが、残念だったな!!」
一撃でサハギンを斬り伏せ、味方の救援に向かう。…が、その必要はなかった。
流石は攻略組といったところか、特に苦戦することなく殲滅できたらしい。
武器を納めたアスナさんにちょいちょいと手招きをする。…彼女は怪訝な顔をしていた。
「キリヤ君、あの半魚人
「ないですね。似たようなのは前の階層で見たんですけど、六十一層のモンスターって亜人系いないんですよ。
船の上に上がってくるのはまあいるんですけど、エビとかカニとか。」
「じゃあアレ何?」
「…サーヴァントって召使って意味ですよね。
魚が魚人に進化してクジラを信仰しはじめた…とか?」
「………………。」
アスナさんの目が急激に冷え込んでいくのを見て、僕は慌てた。
このままだと怒られると思った僕は言い訳をする。
「あ、あくまで想像ですから!」
「…MMOゲームの設定って、どこまで細かくすると思う…?」
「……え」
彼女の疑問というのはつまり、SAOのゲームにおける敵の強さと設定上の強さの差のことだ。
例えばRPGなどで化け物を敵として出す場合、ストーリーで軍を壊滅させたという情報が出てきたりする。
しかしその設定を馬鹿正直に再現すると勝てないので手ごたえがある程度の強さで調節するのだ。
「SAOって、なんて触れ込みで売られてたか知ってます…?」
「……ごめん知らない。わたしが今使ってるナーヴギア、家族のでSAOの前知識もほとんどないのよ」
「《もうひとつの現実》、ですよ。」
僕がそう言った瞬間、あたりを覆っていた霧がいきなり晴れた。その代わりに僕たちを大雨が襲い掛かる。
…その雨の音交じりに恐ろしい遠吠えが混ざっている。
「…ボスエリア、着いちゃった…。」
「……あれが、クジラ…?」
四十メートルはある超巨大な怪物クジラ、名は《スペルビア・ザ・ホワイトホエール》。
白鯨スペルビア、だろうか。スペルビアは船を視認したのかこちらに接近する。
その時、誰かの狂ったような笑いが船内を駆け巡った。…例のじじいである。
「ひゃはひゃはははははああああ!!この日を、どれだけ待ちわびたことかあああああ!!」
「うわっ!?なんだなんだ!イベントか!?」
「殺せ、武器をあの畜生に叩きつけ死ねえぃ愚図ども!!ゴホッゴホッ!!
いくら死のうが構わん、一人でも多くやつの肉体を破壊するんじゃあああああ!!」
「な、なんだあのじじい!!?いきなり興奮しだしたぞ!」
船に乗っていたほぼ全員が困惑した顔で斧を持った老人を見ていた。
クラインの言った、いきなり興奮しだしたが一番意味として正しい。
「お、おじいさん危ないですよ!?そんなところで暴れたら船から…!」
アスナさんは興奮する老人がクジラに近づこうとするのを止めようとするが、彼は聞く耳を持たなかった。
「ひゃははははは!!!…ぐおあああああ!!?」
老人は雨に濡れた甲板に足を滑らせ…海に落ちていく。
……どこまでがクエストのシナリオなのか、僕にはわからなかった。
「ごぼ、ごぼ……」
「うわー!半魚人どもが群がってすごいことになってるぅ!!」
ミトは落ちた老人の様子を確認するが、すぐに目をそらした。…スプラッタも同然の惨劇になってたということは想像に難くない…。
クラインの発破が動揺していたレイドメンバーを鼓舞する。
「…敵が来るぞおおお!!野郎ども、開戦だあああ!!!」
「「「おーー!!」」」
(やっぱこの人普通にカリスマあるんだよなあ……)
スペルビアの攻撃は大きく分けて三つ。角によるチャージ、巨体の身体を船にぶつける体当たり、謎の力で引き起こす大津波だ。
角によるチャージは…これ多分避けないと全滅するやつだな。全員船から落ちてしまって老人と同じ目に遭うだろう…。
「エギル、角攻撃がきそうだったらなにがなんでも避けろ!!アレ絶対まずい!」
「オウ!!舵取りは任せとけ!」
体当たりは船へのダメージももちろんあるが、クジラに攻撃中の味方のHPが大きく減ってしまう。
それだけならまだしも定期的にサハギンたちが乗り込んでくるのでこの攻撃も危険なのには変わりがない。
三つ目の津波は…雑魚の増援を甲板に送るための攻撃で、船も揺れまくるので気分は最悪だ。
一対一なら脅威度の低いサハギンだが、複数で来られると厄介極まりない。
(……スペルビアの角、なんとか破壊できないかな…。多分無茶苦茶硬いだろうけど…)
「おーい、キーリヤー!ちょっと《スイッチ》できる?」
「…フィリア!いいけどどうしたんだいきなり…?」
フィリアのHPはまだ安全域をキープしている。彼女の実力だったら取り巻きのサハギン一匹で苦戦はしないはずだ。
…つまり、なにかやりたいことがあるらしい。
「ちょっと船長室に行ってくる!あそこ鍵かかってたし、開けようとしたらあのおじいさんに睨まれてはいれなかったんだよね!」
「…い、今じゃなきゃダメか!?」
「ダメなんだなーそれが!おじいさんさ、なにか対策のこしてないかなあ!?
最終的に狂気に呑まれたけど、なにも準備無しであれに挑もうとか考えないとおもう!」
…同じ失敗を繰り返すのは意味がない、と言いたいらしい。
たしかに船の持ち主は海の藻屑と化したので船長室に誰が入ろうが咎める人間はいない。
「よし、行ってこいフィリア!ヤバそうな魔剣とかクジラの弱点あったら持ってくるんだ!」
「はーい、まっかせてー!」
元気な声で返事をしたフィリアは、すごい速さで船内に入っていった。
…任せたぞ、トレジャーハンター…!