ソードアート・オンライン アナザーゲート・プログレッシブ 作:たかてつ
新生アインクラッド編です。
二〇二五年六月頃のお話。
海――か。なるほど。
アスナ曰く、
「絶対、あそこにしなさい――七層だったらあそこしか、絶対駄目!」
それは、 《お勧め》 というよりは、どちらかというと 《脅迫》 だった。
「別にログアウトするだけだから、どこでもいいよ……」
そんな俺の適当な意見を完全に無視して、問答無用でアスナがこのホテルのプラチナスイートを押した理由も分からなくはない。というか、むしろ強くお勧めしてくれたことに感謝したい。怖かったけれど。にやにやしていた少年、覚えていろよ。
疲れた身体にはちょっとしんどい階段がようやく終わり、その部屋のドアをノックする。
俺は、窓辺に立つ瑞希の後姿を、しばらく無言で見つめていた――いつまでも、見蕩れていたかった。
ふいに、くるりと振り返ると、月明かりに照らされた美しい黒髪をなぞるように両手を頭の上に乗せた。
「こういうの、付けたほうが良かった?」
掌を開いたり閉じたり……ひょこひょこと動かしてみせる。まじ、それやめろ。
「くくっ、あはは、それはいらないよ。もうあいつらだけで、あはは……」
ふふっと笑いながら、瑞希はすっとソファーに座るとウインドウを操作して、コップをふたつ。
そこに 《水筒のようなアイテム》 から、冷えていそうなお茶を注ぐ。
「お母さん、こっちの世界に緑茶はないの? って。美味しいの探すの、大変だった」
――はっ? 嘘でしょ?
「……客席に、いた?」
よろよろとソファーに座った俺の前にコップを置きながら、
「やっぱり。私の隣に座っていたけど……お母さん、緑の 《妖精さん》 になってたから」
かろうじて噴出すのは堪えた――けほけほと咳き込む。その姿にくすくすと笑う。
「すごく嬉しそうだったよ。幼稚園の頃の夢が叶った、って」
そうですか……だそうですよ、茅場。
俺たちの 《出会い》 を創った天才に、ほんの少しだけ感謝する。
「お母さん、子供の頃、劇で妖精になった、って。それを、おじいちゃん、とってもかわいいって。おばあちゃんも、すごく良かったって、褒めてくれたんだって」
《アインクラッド》 に囚われている間に他界してしまった祖母と、解放後まもなく亡くなってしまった祖父を思い出しているのだろう。瑞希は懐かしそうに、そして寂しげに俯いたまま続ける。
「おじいちゃんも、おばあちゃんも、家でも道場でも、とても厳しかったから……あんなに褒めてもらったことなんて、なかったから……お母さん、大きくなったらもっと素敵な妖精になろうって……かわいいでしょ?」
俺は、 「そうだね」 と小さく頷く。
「でも、七瀬の流派は男女関係ないから、お母さんしかいなかったから、あっという間に妖精じゃなくなった、って。全然かわいくない剣士になっちゃった、って」
少しだけ微笑む。
「だから、瑞希には素敵な妖精になってほしいって、生まれた時、思ったって。 ……それはちょっと、無理だけど……でもお母さん、剣を教えたりは絶対しなかった。私が振り回して遊んだりすると、すっごく怒られたし。全然、道場に入れてくれなかったし」
――お母さん、ありがとう。もし、教えていたら、俺は彼女に殺されています。
心の底から感謝した。
「でも、お父さんのせいで、私が……だから、お父さんを責めたって。もう破門だって。出て行けって……それ聞いて、ちょっとお父さん、可哀想になっちゃったけど。すっごく怖かったろうな、って。落ち込んだろうな、って……」
おもむろに立ち上がった瑞希は、すっと拭うと窓辺に向かう。
ビーチのかがり火、星明りと月光が差し込む窓辺で、俺に背を向けたまま、
「お母さん、すごく嫌だったって。私から秀が剣を使ってたって話聞いた時、なんでそんな男、瑞希が選んじゃったのか……って、すごく悩んだらしいの」
……すいません。本当、すいません。ごめんなさい。
「でも、実際に見てみよう、って、どうせ遊びだから、ゲームの世界だから……ふざけているんだろうなって」
ごもっとも――全然やる気なかったもの。あの世界だって……ただの偶然、でしかない。
「でね……全然駄目だって。秀の剣は、全然気持ちが入っていない、って」
――はい、すいません。めんどくさいしか思っていません。
プロの目は絶対にごまかせない。というか俺、剣士じゃないけど。
「気持ちが入っていないから、軽くて速いって、全然ぶれがないって……そういう人、あんまりいないって」
苦笑いで 「そうなんだね」 と呟く。
ふふっと笑うと瑞希は、
「でもね、そんな軽い剣なのに、あんなに斬れるのは、ゲームだから、っていうのもあるけど、おもいから、だって」
ん? 矛盾……よく分からない俺は首を傾げる。
「思いが剣に乗ってる、って。 《思い》 の重さが秀の剣には乗っている……ただ人の命を奪う為に斬っている、って」
分かるような……分からないような。
「ちゃんと 《命》 っていうものを考えて、自分なりの答えを持っているから、秀が剣を抜いた時、良い気持ちも悪い気持ちも、全く無いって。それ、すごく難しいらしい……やっぱり、人だから」
……分かりません、ごめんなさい。
「お母さん……中島さんはきっと自覚してないけど、それをちゃんと考えなければいけないような環境にいたんだろうね、って。大変苦労されたはず、って」
――はい、何も自覚はございません。そして、多分そうでもないですよ。お母さん。
「無意識に、七瀬の剣、 《一会必殺》 が出来てるって、秀は……」
いやいや、その手にはのりませんよ。お母様。
「でも、めんどくさいって中島さんは言うだろうから、誘ったりしないよって……秀は誘われても絶対断るからって、私も言ったけど」
あんなに短い時間で……よく分かってるなあ。完全にバレてるなあ。怖いなあ。
ゆっくりと振り返った瑞希は、涙を流していた。だが、今までに見たことがない――満面の笑顔で泣いていた。
「お母さんが選んだ人も、変なひとだったから、瑞希が選んだ人が、変なひとでも、いいって。もう遺伝だから、諦めるって、笑ってた」
「…………」
何も言えなかった。申し訳ない気持ちと……感謝で。
瞬間、飛び込んできた瑞希――どうやらステータスは、そのままらしい。
俺は、最高速で瑞希を抱きしめた。
椅子をふたつ窓辺に並べて、頬杖をつきながらしばらく海を眺めていると、唐突に睡魔が襲ってきた。
俺の頭をぽんぽんと優しく叩きながら瑞希は、
「疲れたでしょ。 《寝落ち》 って言うんだっけ……?」
珍しくゲーム用語が出てきた。似合わない。なんか面白い。
俺がにやにやしていると、ぽんぽんが強くなった。
――あなた、リセットしてないでしょ。筋力値、考えて叩こうね。
「あっちの予定もないし……このまま寝落ちでいいよ……」
寝室に向かおうとした時だ――また、しょうもないことを思いついてしまう。でも、見てみたい。
「瑞希、羽、広げてみせて……」
これが 《変なひと》 なのだろう。どうでもいい好奇心を抑えられない。
「えっ……そういう趣味、あったの? 変態だったの?」
変態ではないが……変ではある。その自覚はある。
「嫌だったら別にいいよ……おそらく、ふたりでこっちに来ることはもうないかもしれないからさ……記念、じゃないけど」
瑞希の眼から光がすーっと。俺は瞬時に頭を下げる。
「ごめん、ごめん……悪かったよ。調子にのった、…………」
薄く深い漆黒。美しさと妖艶さを兼ね備えた月光に輝く黒い翅。
照れくさそうに俯いたまま瑞希は 「変?」 と、問う。
「いや……確かに妖精だけど、なんか綺麗な……悪魔っぽい」
瞬間、翅が消える――まずい、怒らせた。って、おい、買ったのか? その刀……あ、終わった。
「秀……大っ嫌い――!」
ずばーんと、久しぶりに受けた単発突進重攻撃。ぽーんと吹き飛ばされた俺は、ころころと寝室まで転がる。
「護身用、買って良かった」
《ナナミ》 はふふっと笑みを浮かべていた。その眼は……あの頃は考えもしなかった、幸せに潤んだ瞳だった。
(終わり)