ソードアート・オンライン アナザーゲート・プログレッシブ 作:たかてつ
新生アインクラッド編Ⅱです。
二〇二五年十二月のお話。
036 孤独の淵
妻が、いない。
それが、これほど人生をつまらなくするとは知らなかった。
当然、はじめての結婚生活――人生初の体験なのだから、余計にそう感じてしまうのだろう。
――超、ひま。
彼女と同棲するようになってから、俺の生活リズムは激変した。
起きてから、眠るまで。
ある意味、選手時代以上のストイックさを求められた。
他人と生活を共にする、それはこんなにめんどくさいものだったのか……
なんて、口が裂けても言えないが。
しかし、そのおかげでこれまで全く触れることのなかった世界――俺にとってはどうでもいい世界に関わることが出来たのは間違いない。
それが俺の 《人間力》 と呼ばれるようなもの、特にまともな社会人としての素養的知識を深めさせたのだから、けして悪いことばかりではなかったはずだ。
――最近あんまり怒られなくなった、気がするもの。
だから良かったのだ。これでちょっと大人になれたのだ。良かったね、俺。
先程から、この冷たくて気持ち良いカウンターに潰れている俺は、隣の女に髪を引っ張られて遊ばれている。
そんなオモチャ扱いを受けたとしても、全く腹が立たない。あ、ぐるぐる絡ませて引っ張るのはやめて。いっぱい抜けちゃうから。
成長したんだな、俺――ちょっと痛くても、がまん、がまん。でも、あんまり痛くしたら腕をパチンだぞ。
しかし……変な時間にアルコールを摂取したことによるものだろう。
まじで、眠い。
もう帰りたいのだが、楽しそうにエギルとお話しているので、そういうわけにもいかない。
――あ、ほら大人。前なら即帰宅。すげーな、俺。というか、結婚。
そう思わざるえない。ありがとう、奥さん。そして、こっちの世界の結婚システム。社会的、家族的、個人的同調圧力。
まあ、それにしたって朝方まで親友の 《化け猫》 改め 《筋肉おじさん》 と銃乱射事件を起こしていたわけだから、眠いのも当然である。
初めての銃の世界――もう二度と撃ちたくないし、撃たれたくない。
……もう絶対、まじで行かない。
筋肉おじさんの 【簡単にコンバートできるよー】 という甘言に騙された俺は後悔した。
ひまがひとをだめにする――それは間違いなかった。俺の場合は確実にそうだった。
――そして桐ヶ谷和人、お前のせいだぞ。いや、違うか。ごめん、ごめん。
最初は普通に 《サバイバルゲーム》 を楽しんでいた。ちゃんと銃の世界を満喫していた。
だが、筋肉おじさんの 「キリトくんが出来るんだから、シュウも出来るよー!」 で状況は一変する。
俺は、動く的になった――
へんてこな 《ビーム剣》 を渡されて、ひたすら銃撃される。
最初は筋肉おじさんと、その彼女の 《草まみれ外国人》 だけだった。
しかし、 「よし、仲間を増やそうー!」 と、急遽召集された友人数名はさっぱり当てられないことに業を煮やしたのか、どんどん凄い鉄砲になっていき……挙句の果てに爆弾を投げやがった。
当然、俺は、粉々になって死んだ――
……あんなものは、ただのいじめ。
きっと彼と彼女は、俺に対して何らの恨みがあったのだろう。
特に筋肉おじさんは酷かった――彼の口から、 「おらー死ねー!」 という言葉を聞いたのは初めてだ。
銃弾の嵐の中、ひたすら逃げ惑う俺の姿を見て、奴はすごく楽しそうだった。
ずっと笑顔だったもの。にやにやしていたもの。
おそらく、嫉妬かな? 散々GEOで遊んであげたからかな? いや、妻かな? 俺の妻のほうが……だもんなあ。
おっとこれはいけない。心にもないことを。アルコールのせいであろう。危ない、危ない。
そして、友人のひとりは、間違いなく 《がち》 のひとだった。
あのひとの戦闘技術には驚いた。ちょっと違った。ひとりだけ動きが違かった。みんなに細かく指示を出したりしていた。
まあ……現実においても絶対に必要なもので、世界中に多くの愛好家が存在し、挙句の果てにプロがいる世界である。
俺のようなそういったものに全く興味の無い人間がまともに戦えるはずがない。
ALOのような魔法ならまだしも、本物の鉄砲は本当に怖かった。
そんなわけで、様々な理由でこの現実の世界において頑張っていらっしゃる勇敢な方々を改めて尊敬した。
そして俺のような無力な人間であろうとも、こっちがあんな世界にならないように、出来る範囲で、めんどくさくない範囲で頑張ることも必要だろう。
……まあ、とにかくあのゲームはもう嫌。
「……ふふっ、そうだったんですね、って、起きて。ほおらあっ、起きなさい、秀くん」
顔、ちかいっす……腋に腕を突っ込まれ上半身を起こされる。
「いや、そんなことされたら女子は嬉しいですよお~。まさか、この秀くんにそんな一面があったとはねえ~」
高さそうなシャンプーの良い香りのする頭を肩に乗せ、俺の左腕を柔らかい部分にぶち当てながら褒めているような、貶しているような……うーん、頭が動かない。さすがにもう限界。帰って寝たい。
「秀くんがドイツ行っちゃう前にね、押し倒しちゃおっかなって、ちょっと迷ったんですよね~」
……なに言ってんの、このひと。この男にそんなことカミングアウトしないでくれますか? あの時俺、十八だし。それ犯罪だし。そもそも俺、年上興味ないし……
カランと音がして、 「うっす」 という聞き覚えのある声。
――おや? 俺が大好きなお友達ではないかな?
左腕は相変わらずなので、右に反転――うわ、面白い。目は睨んでるけど口元ゆるゆるだね。
「こんにちわ、和人君……」
とりあえず頑張って、今、出来る最大のにこっとをした。
「……ああ、久しぶり」
挨拶するなり、彼は俯いて 《板電話》 を高速で操作しはじめた。
直後、俺の電話が振動する――なんだろう?
【黙っててやるから絶対にいじるな】
……弄るな、かな?
「おせえぞ、キリト。もう三十分は待ってたぞ」
「悪い、例の通信プローブ。あれのカメラの調整がなかなかに難航して――」
何やら小難しそうな言い訳をしながら俺たちを無視して和人はテーブル席に向かった。
――そこに座るのか。なるほど。では明日奈に……いや、もしかしてそういうことか?
「エギルさん、あれ、誰?」
やれやれと肩を落とすと親指をそちらに向け、くいくい動かしながら、
「直接オマエが、いや、今のオマエは関わらないほうがいいかもな」
そう言われると……関わりたくなっちゃうんですけどね。
俺は頭で彼女の頭を押し返してからゆっくりと腕をほどくと、よいしょと重い腰を上げた。
「あれ? お友達? 私、置いてかれちゃうの?」
……めんどくさいな。
「大丈夫、後で紹介するから……」
そのままテーブル席へ……そんなに睨みます? こわい、こわい。
半身を捻って俺をめちゃくちゃ睨んでいる和人くん、そして……うん、これはやばい。
それほど多くない経験、そして直感は伝える――
俺、絶対嫌われるタイプだ。このメガネ女子に。
「あー……疲れた」
パタンとベッドに倒れ込む……もう動くのが、嫌だ。
――あれから俺は、最大限の集中をもって対応した。和人とそのお友達、 《浅田詩乃》 に。
まあ、多分大丈夫であろう。なにより 《不倫》 の疑念は晴れたに違いない。
彼女も大人の振る舞いをしてくれたので助かった。
――まじで助けられたよ、ありがとう、香織。
それにしても名刺って便利。あれ一枚で何とでもなるもの。
【JFA日本サッカー協会/技術委員会/VRテクニカルアドバイザー/中島秀】 なんて大げさな役職名が記載されているのだから。
実際は、ただのサッカーフリーター……なのにね。
そして 【デポルティボ東京/フィジカルトレーナー/ドクター/内田香織】 なんて……ちょっと普通は見かけないだろう。
実態は、ただの酔っ払い、酒好きで酒癖の悪い女性……とはいえ、彼女がいなくなると俺は大変困ることになるので、悪態はやめておこう。
彼女がいなかったら俺の左膝は完全に終わっていた。
近い将来、車椅子、もしくは松葉杖、だったはずだ。それには感謝してもしきれない。
下手をすれば妻以上に俺の身体を知っている――
それはもう 【U-17ワールドカップ】 からの付き合いだから……何年? 計算、出来ない、っていうか今は嫌。
彼女がデポルティボ東京にいたから――幾つかあった選択肢の中から帰国を選んだのは、それも大きな理由のひとつだった。
着信音――瑞希かな?
【おーい、銃撃戦やろー!】
……絶対やらねー。
その時、ふと、思い出す。今日の話……よし、あの 《がちっ娘》 に蜂の巣にされてしまえ。
俺は酔っ払った頭で必死に電話を操作した。
だが、返信はこない。
「この時間だし…………攻略でもしているんだろ…………」
がたっと落ちる電話。それと同時に睡魔。
……もう寝ます。ごめんさない。
床から伝わる細かな振動音を無視して、俺は夢の世界へ旅立った。
(終わり)