「ついに来たなー、土曜日が」
「あー、そういや今夜だっけ?」
秋名スピードスターズと赤城レッドサンズの交流戦が予定されているその日、出勤したばかりのイツキは高めのテンションで、給油客を見送った後の俊樹にそう話しかけた。
「俺はもう毎日この日を指折り数えて待ってたからなー、今から楽しみで仕方ないよー」
独特なポーズで感情を表現するイツキに、俊樹は苦笑する。
「俊樹はさー、今夜の交流戦どうなると思う?」
「どうなる、とは?」
イツキの質問に対して理解が追いつかないといった表情をする俊樹。
「代表同士のタイムアタックに決まってるだろ、やっぱ先輩たちに勝ってもらいたいよなー」
「……そうだな」
当事者である池谷や健二ら、秋名スピードスターズの面々から色々と話を聞いている俊樹としてはかなり答えにくい質問だったが、イツキが見解を述べたので当たり障りなくそれに乗っかっておく。
ここで素直に自分の気持ちを述べても、イツキには共感してもらえないだろうと思った結果である。
「レッドサンズは高橋啓介が代表だろうけど、スピードスターズは誰が走るのかな」
「さぁな……池谷先輩が走れない以上、誰が走るか見当もつかないよ」
例のハチロクが代表なら問題解決なんだけどな、と俊樹は静かに心の中で付け加えた。
「それにしても……今夜、拓海が来れないって話は本当なのか?」
イツキが妙に怖い顔をして俊樹に詰め寄る。
「ああ、お前が出勤してくる少し前に電話があったよ。今夜の交流戦が始まる時間に間に合わなさそうに無いから、イツキを秋名に連れて行ってくれってさ」
「拓海のヤツ……あんだけ念押ししたってのにドタキャンかよ!」
「まぁそう言うなよ。お前がハチロクに乗りたかったっていう気持ちはわかるけど、そもそも拓海自身の所有車じゃないんだからさ」
どうどう、と苦笑しながらイツキを宥める俊樹。
「それに来れないって言ってるわけじゃねーよ。ちょっとは責任感じてるからこそ、オレにイツキを乗せて行ってやってくれって電話してきたんだろうしな」
スタンドの隅に駐車してある、自身の愛車であるアルトを見つめながら俊樹はそんなことを言うのであった。
「ごめんください……厚揚げ下さい。美味いですよ、ここの厚揚げ」
イツキと俊樹がバイトに勤しむ中、池谷は藤原とうふ店を訪れていた。
「よぉ、またアンタか。しつこいねぇ」
呆れた顔をした文太は池谷の注文通り、厚揚げを用意して差し出す。
「藤原さん、お願いします。今日の交流戦に――」
「行ってやれるかも知れないぜ」
「……え?」
思わず聞き返してしまう池谷。それほどまでに、文太から発せられた言葉は思いもよらない物だった。
「今夜の秋名山に行ってやれるかもしれない……そう言ってるんだよ」
タバコに火を付けながら、文太は池谷に再びそう言い放つ。
「確実とまではいかねぇがな、今のところは五分五分くらいの可能性だ」
「ほ、本当ですか!?」
「ウソなんか吐かねーよ、何時から始まるんだ?」
「交流会自体は8時頃からですけど、タイムアタックは10時頃です!」
池谷はカウンターに手をつき前のめりになりながら文太に説明を行う。
「なるほどな。もし10時を過ぎてもウチのハチロクが来なかったら、その時は諦めてくれよ。自分たちで何とかするんだ」
「待ってますよ藤原さん! 絶対来てくれると信じてますから!」
「絶対じゃない、可能性は五分だと言ったはずだぜ」
タバコの煙を吐き出しながら文太はそう言うが、池谷は表情を変えない。
「いや、あなたはもう来てくれるつもりなんだ……チームの仲間全員で、秋名の頂上で10時に待ってます!」
厚揚げの代金を支払った池谷は、力強くそんな言葉を言い残して店を後にする。
「弱いんだよな、ああいう熱いヤツには。もし拓海がゴネたら俺が走ろうかな――っと、いかんいかん。血が騒ぎだしたな」
そんな池谷の後ろ姿を見ながら、文太はフッと口元をゆるませた。
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「おうおう。また3台、いかにもそれっぽい車が秋名に向かってるなぁ」
バイトを終え着替えを澄ました俊樹は、事務所からスタンドの前を通り過ぎていく走り屋であろう車列を見送る。
「峠ではちょっとしたお祭り騒ぎだな」
「くぅーっ、今から楽しみだぜ!」
閉店作業で俊樹より少し遅れてバイトを終えたイツキもテンション高めで、スタンド前を通り過ぎていく車たちを見送っていた。
「池谷のチームと赤城最速チームとの交流戦は、あちこちでウワサになってたみたいだからな。お前らも見に行くんだろ?」
立花がタバコを吹かしながら、2人にそんな事を問う。
「もちろんです! 今から楽しみで仕方ないですよ!」
興奮しっぱなしのイツキが力強く答えると立花は苦笑し、早く着替えて来い、と俊樹がイツキを更衣室に向かわせる。
「イツキと一緒に行くんだろ?」
「ええ。本当は拓海とハチロクで行く予定だったらしいですけど、なんか交流戦の開始時間に間に合わなさそうだから代わりに連れて行ってくれ、って言われたモンで」
「なるほどな、まぁ気を付けて行って来いよ」
「はい、それじゃあお先に失礼します」
俊樹は立花に一礼すると、事務所を出てスタンドの隅に停めてあるアルトに乗り込み、事務所前までアルトを移動させる。
そしてイツキが外に出てくると助手席へと乗せ、スタンドを後にして秋名へと向かっていった。
それを見送った立花は、ドカッと事務所のソファーに座り、タバコの灰を灰皿に落とす。
(赤城最速のRX-7と無名の秋名下りスペシャリストのバトルは見物だぜ……まぁ拓海のハチロクは文太のハチロクだからな。負けやしねーだろ)
タバコを口にくわえながら、立花はニヤリと笑みを浮かべるのであった。
「すげぇ数のギャラリーだな……こんな大勢が集まってるのは秋名で見たことないぜ」
「まぁ殆どは有名な赤城レッドサンズを見に来たんだろうけどな……」
秋名山の頂上でスピードスターズの面々は重苦しい空気を漂わせながら、そんなことを話していた。
赤城レッドサンズのメンバーの姿はまだない物の、すでに秋名には大量のギャラリーが押しかけている状態だ。
「レッドサンズが自らの速さを見せつけるために集めたんだろうぜ……」
池谷は神妙な面持ちで、集まったギャラリーに対してそういった分析を行う。
「これで負けたら俺達は赤っ恥ってことか……」
池谷と似たような表情をする健二。
「ところでさっきのハチロクの話だけど、本当に信じていいのかよ……?」
「ああ、勿論だ」
先ほどスピードスターズの面々に秋名最速のハチロクの話をした池谷だったが、メンバーからの反応は懐疑的な物ばかりだった。
「俊樹からも聞いてたけどさ、俺にはとても信じられねーよ……そんなハチロクが秋名に居るなんてさ」
先日、俊樹から聞かされたハチロクの話を池谷にそれとなく尋ねていた健二だったが、未だにその存在については信じ切れていない部分が多い。
「高橋啓介のFD型RX-7は峠仕様のライトチューンらしいけど、それでも350馬力は軽く出てるってウワサだ……ハチロクなんかとはパワーが違い過ぎるぜ」
「いくら下りだからって、ハチロクなんかじゃ勝負になんねーよ……」
「おまえ、事故で打ち所が悪かったんじゃねぇのかぁ……」
健二をはじめとするメンバー全員からあり得ないと言われる池谷だが、それでも池谷は秋名下り最速のハチロクを信じるほかなかった。
「ただのハチロクじゃねぇさ、高橋啓介が自ら言ってたんだ。見た目は普通のパンダトレノだけど、中身はバケモノみたいなモンスターマシンだってな……。俺を信じろ、あの人は必ず来てくれる!」
メンバーの不安を吹き飛ばすかのように、池谷は力強くそう宣言した。
そしてしばらく無言の間が続いた後、健二は重たく口を開く。
「もし……そのハチロクが来なかったら……?」
「こんだけギャラリーが出てるんだ……スピードスターズが逃げたなんて言われるわけにはいかない。その時は……」
「……その時は?」
池谷は少し迷いながらも、目の前に居る健二を真っ直ぐに見据える。
「健二、チームの看板を背負って死ぬ気で走ってくれ!」
「ま、マジかよ……シャレになってねぇぜ……」
青ざめた表情になる健二は視線を逸らすしかなく、スピードスターズの面々は既にお通夜会場のような空気が流れる。
そんな雰囲気のなか、暗闇の先から何台ものエンジンサウンドが聞こえてきた。
「たくさん上がってくる……ロータリーサウンドも混じってるぞ!」
「ついに来たか……!」
頂上に向かってくるヘッドライトの光の中から、白いFC型RX-7を先頭に赤城レッドサンズの姿が見えた。
「高橋兄弟が来たぞぉ!」
「赤城レッドサンズだ!」
大勢のギャラリーの歓声を受けながら、レッドサンズの車列はスピードスターズの面々とは向かい側に停車。
2台のRX-7から高橋兄弟が降りて来ると、ギャラリーの声――特に女性の声が更に大きくなった。
「すげぇな……高橋兄弟の人気は」
「あいつら大病院の院長の息子らしいぜ」
「金持ちには勝てねぇよなぁ……運転の上手さなんて、どれだけガソリンとタイヤを無駄にしたかで決まるようなモンだからな……」
高橋兄弟をはじめとするレッドサンズを前にし、更に空気が重たくなるスピードスターズの面々であった。
ようやく交流戦へ突入。
勝敗の行方は如何に。