「えぇっ!? 池谷先輩が事故ったぁ!?」
「それいつですか!?」
ガソリンスタンドでバイト中のイツキと拓海は、健二から衝撃的な知らせを聞かされていた。
「昨日の夜、秋名の下りでやっちまったって。現場を見て来たけど、ガードレールが派手に壊れてたよ……」
「それで、池谷先輩の怪我はどうだったんですか!?」
「たまたま俊樹がその場に居合わせたらしくて聞いた話だけど、4点式シートベルトで体を固定してたのが幸いしてそれほど酷くは無いらしい。軽いむち打ち程度で命に別状はないって」
池谷の怪我自体は大したことないという情報に、イツキと拓海は安堵の表情を浮かべた。
「ただ精神的には相当まいってるみたいでさ……シルビアの方もかなり損傷してるらしいんだ」
「じゃ、じゃあ今度の土曜日の交流戦はどうなるんですか!?」
「絶望的だよな……とにかく池谷の代役を立てて、誰が下りを走るかメンバーで決めなきゃ……」
そう話す健二の表情もひどく追い詰められており、イツキと拓海も心配そうな顔をしていた。
スタンド内が暗いムードで漂う中、首にギプスをはめ頭を包帯でグルグル巻きにした池谷は、とある場所を訪れていた。
「あっ、池谷先輩。良いんすか、出歩いちゃって?」
その場所――俊樹の父親が経営する中古車屋で、事務所から出てきた俊樹が池谷の姿に気が付いて駆け寄ってくる。
「俺の方は何とかな……シルビアは?」
「とりあえず、ヤードの奥の方に置いてます。今日中に修理工場の人が持っていく予定らしいですよ」
プライスボードが掲げられていない車が何台か並べられた奥の方を俊樹は指差すと、そこにはフロント部にカバーが掛けられた池谷のシルビアの姿があった。
昨夜起こった事故の際、俊樹は救急車を呼ぶと同時に、父親に池谷のシルビアを回収するように頼んでおり、その夜のうちに此処へ運ばれていた様だ。
シルビアの修理に関しては、池谷が懇意にしている修理工場には既に連絡が回っており、後ほどその工場のスタッフが積車で回収しに来るとの事だった。
「悪いな……色々やってもらってさ」
「気にしないで下さい、困った時はお互い様っすよ。オレもバイト始めたばっかの頃、先輩には迷惑かけてましたから」
何の事は無い、といった表情で断言する俊樹。
「じゃあオレ、これからバイトなんで」
「ああ、気を付けてな」
俊樹は店前に止めてあったアルトに乗り込んで、その場から走り去って行く。
それを見送った池谷は奥へと歩いていき、シルビアに掛けられたカバーをゆっくりと外していく。
(ごめんな、シルビア……俺がヘタクソなばかりに痛い思いをさせちまって……)
ガードレールの支柱にぶつかった助手席側のフロント部分は大破し、ガードレールと地面の隙間に潜り込んだ運転席側はボンネットがめくれあがって窓ガラスも割れている。
そんな痛々しい姿のシルビアを労うかのように、破損した部分を優しくなでる池谷。
(はやく直って帰って来てくれ……また一緒に走ろうな……)
その瞳にはうっすらと涙が浮かんでおり、彼の心情を物語っているようだった。
「なぁ俊樹、池谷先輩のシルビアはちゃんと直るのか?」
バイト先のガソリンスタンドに到着するなり、俊樹はイツキにそう問われる。
「ちゃんと修理すれば直ると思うけど、時間は掛かるだろうなぁ。少なくとも今度の土曜日には間に合わないよ」
「そっかぁ……」
肩を落とすイツキ。まるで自分の事のようにショックを受けている様子だった。
「俊樹は池谷先輩が事故ったとき現場に居たんだろ。どんな感じだったんだ?」
普段ならこの手の話題に乗る事が少ない拓海も、流石に身近な人間の事故は気になる様子だ。
「オレも一部始終を見たわけじゃないから、あんまりテキトーな事は言いたくないんだけど……」
そんな前置きをして、俊樹は自分なりに感じたことを話し出す。
「事故の状況から察するに、池谷先輩がオーバースピードでコーナーに突っ込んで、そこに対向車が来たのが原因だと思う。ホントに2台が正面衝突しなかったのは不幸中の幸いだよ」
時折ジェスチャーを交え、説明を続ける俊樹。
「先輩が事故る前にオレのことを抜いて行ったんだけどさ、なんか車の動きが危うかったんだよ。たぶん、土曜日にあるレッドサンズとの交流戦をかなり意識してたんじゃないかな……」
「そういえば池谷先輩、昨日は何かずっと考え事してるように見えたな」
拓海が昨日の池谷の様子を思い出すと、確かに真剣な面持ちで何かを考えている様子だった。
「オレに分かるのはここまでかな」
「そっかー……あーあ、交流戦どうなっちまうんだろうなぁ……」
話を聞き終わったイツキは不安の表情を強くする。
「さぁなー。ヘタすりゃ何も出来ずに全面降伏ってカタチにもなりかねないけど、なにせオレらみたいな部外者が口挟めることじゃねーし……」
俊樹も帽子をくるくると指で回しながら、どことなく暗い表情で呟く。
代役を立てると健二も言っていたのでそんな可能性は限りなく低いだろうが、3人ともスピードスターズのメンバーではないので、チーム同士の交流戦について意見を言える立場では無い。
「とりあえず、オレらに出来る事と言えば――」
「出来る事と言えば?」
俊樹はパンッと手を叩いて2人を見る。
「池谷先輩の分まで、頑張って働くことかな」
ニッと笑みを浮かべ、帽子を被りながら来店した給油客の元へと駆け出して行く。
そんな高校生たちが頑張って仕事をしている同時刻、藤原とうふ店の店内には池谷の姿があった。
「すいませーん。あのー、厚揚げ下さい」
「はいー、毎度――ん?」
店主である文太は店の奥から池谷の姿を確認すると、その姿を見て表情を険しくした。
「事故ったのか?」
「えぇ……お恥ずかしながら」
「交流戦まで日も無いだろ、どうすんだ?」
文太が池谷にそう問うと、彼は覚悟を決めたような顔で文太を見る。
「実はその件で……藤原さんにお願いがあって来たんです」
「お願い?」
「はい。土曜の交流戦、俺の代わりに走って欲しいんです!」
池谷からの無茶な注文に、文太は思わず驚き困惑した表情を浮かべた。
「俺は秋名で育った走り屋だから、赤城レッドサンズが秋名の走り屋全員をバカにしてるのが見え見えでそれに腹が立つんです。秋名にだって本当に実力のある走り屋が居るってことを、あいつらに見せつけてやりたいんです!」
己の持つ熱い思いを全てぶつけてくる池谷に、文太は頬をポリポリと掻いてどうしたものか、と思案する。
「赤城レッドサンズの高橋 啓介を、一度でもチギった藤原さんならそれが出来る!」
「おいおい……今さら俺みたいな親父が出張っても場違いってモンだろ?」
文太は厚揚げを準備しながら諭すようにそう答えるが、池谷も引く気は全く無かった。
「藤原さんなら走り屋の気持ち分かってくれるでしょう。地元が負けるわけにはいかないんです!」
「だとしても、そいつぁ若いモン同士で何とかする問題だぜ。ほい、140円」
厚揚げの入った袋をカウンターに置き、代金を請求する。
「……また買いに来ます。美味いですから、ここの厚揚げ」
小銭で140円を支払いながら、そう告げて池谷は店を後にする。その背中は少し寂しげなものだった。
「やれやれ、本当に俺じゃないんだが……嫌いじゃねーな、ああいうヤツは」
そんな池谷の後ろ姿を店前で見送りながら文太はタバコに火をつけ、小さく笑みを浮かべるのであった。
――夜、営業を終了したガソリンスタンドに1台の車がクラクションを鳴らしながら入ってくる。
「なんだよ、今日はもう終わりだぞー」
閉店作業を行っていた立花が、入店してきた車――ハチロクに乗った文太にそう告げる。
「固いこと言うな、ハイオク満タンだ」
「生意気だなー、ハチロクのくせにハイオクだとぉ?」
軽口を叩きながら、立花は給油口の開いたハチロクにハイオク用の給油ノズルを差し込む。
暫くしてハチロクへと給油が終わると、2人は事務所に入ってタバコに火をつける。
「てめーだろ祐一、あの池谷って若いヤツにヘンなウワサ吹き込みやがったの」
「別にウソを言ったつもりはねぇけどな、それがどうかしたか?」
「毎日通い詰められて参ってんだよ。今日も来たぞ、頭に包帯巻いてギプス付けて脚引き摺ってさ。事故った自分の代わりに走ってくれだとよ、哀れで仕方ねぇよ」
なんだかんだ言いながらも、池谷の事を心配する文太。そんな文太に、祐一は提案をする。
「池谷は気のいい奴だぞ、哀れだと思うんなら走ってやったらどうだ?」
「やだね。ガキのケンカに大人が首突っ込んでどうすんだよ、そう言うのは俺の主義じゃねーよ」
「なるほどな。それなら、ガキのケンカにはガキを出せばいいだろ?」
立花がしたり顔でそう言うと文太がピクリと反応する。
「……拓海のこと言ってんのか?」
「そうだ。お前の話じゃあだいぶ前から車で配達やらせてたみてぇだし、かなりの腕になってんだろ?」
「まだまだ、だけどな。秋名の下りなら誰が来ても負けねぇ位にはなったかな」
まぁ俺には負けるがなと、タバコの煙を吐きながら言葉を続ける文太に思わず立花は苦笑する。
「けどあいつもなぁ。誰に似たのか頑固なとこあって、走れと言って素直に走るような奴でもないんだよなぁ」
自分の息子の姿を思い出し、思わず笑ってしまう文太。
「まぁあの池谷ってヤツの熱意に免じて、作戦を考えてやるか。それじゃあな」
「おう」
文太は給油の終わったハチロクに乗り込むとエンジンをかけ、そのままスタンドから走り去って行った。
秋名最速の男であるとうふ屋の店主ついに登場。