この作品はハートフルラブストーリーだった…?という集団幻覚を見れて嬉しかったです。
ジークとエレンが消えた中、砂と光の柱の世界に取り残されたひとりの少女。
眠りにつく少女の側で、ボロボロのキトンのような服を身にまとった子どもが、ジッとユミルを見つめていた。
その子どもの身体には複数の矢が刺さっており、また体中の至る所が、まるでケモノに食いちぎられたように欠けている。
特に顔は右半分が欠損し、食い漁られたそこからは脳が漏れ出ていた。
『ゆみる』
少女はユミルを指で突く。笑いながら、何度も。
それが続き、ようやく金色のまつ毛がふるふると震え、蒼い瞳が覗いた。
少女は上から蒼い瞳を凝視すると、さらに口角を吊り上げる。
『ゆみるゆみる』
『………?』
『ゆみるあいたかった、ゆみる』
体中を自分の血と肉で汚している少女に抱きつかれながら、ユミルはしかし、拒まない。拒めないのではない。
むしろ少女の胴に手を回して、その名を呟く。この少女は「アウラ」ではない。『×××××』だと、ユミルはすぐにわかった。
『わたしがしんだとおもってないてたんだね、わかるよ』
『 』
『ゆみるのことわからないけど、わかるよ』
『………』
ユミルの手から離れて、完全に回遊魚の手へと堕ちたアウラ。
万が一のために宿した始祖の力を回遊魚に利用され、その力はエレンへと渡った。アウラが自身を食わせたことによって。
アウラの目的が“最高の最期”である以上、エレンに食わせることはユミルにとって予想の範囲内だった。
そしてそのまま、アウラの魂を保管しておく。
普通のエルディア人なら死んでしまえば、蘇らせることはたとえ始祖ユミルであっても「命」というものの理から外れるため、行うことはできない。
人が死ねば魂は座標の大いなる本流に還り、肉体はやがて朽ちる。
魂だけならば、あるいはできる可能性もあるが。
これはアウラ・イェーガーだからこそ、息を吹き返すことができるのだ。
彼女の性質。奇妙なエビに取り憑かれている女は、生き返る。何度でも。
この詳しい仕組みについて、ユミルは知らない。
ただ、回遊魚の世界に転がっていた無数の『×××××』の死体から、
ユミルがその性質をはじめて理解したのは、アウラがダイナ巨人に食われた時である。
この時のユミルはまだ、アウラに生きてほしいとは思っていなかった。
無論、死んでほしいとも思っていない。
アウラが望むべく死を遂げられた以上は、これでよいだろう────と。
その後はエレンとミカサの純愛ラブストーリーで心を浄化しつつ、二人で過ごす気でいた。
アウラがそのまま死を望むなら、「おやすみ」を言うつもりで。
しかしアウラ・イェーガーは死ななかった。
正しくは、
母親の胃の中で死んでは肉体が再生し、死んでは再生し、死んでは再生し。
酸の中で再生と溶解のさるかに合戦が開幕したことで、慌てて回収する羽目になった。
そして回遊魚の世界にあった無数の『×××××』の意味を、ユミルは理解することになる。
そのため、最初はユミルがアウラに干渉しやすいよう改造し。
二回目は始祖の力を宿らせ、「不戦の契り」の影響を避けるために制限をかけた。制御担当はユミル本人である。
未来についてあえて情報を与えなかったのも、知らせること自体にリスクが伴ったがゆえだ。
アウラは回遊魚と繋がっている。
そのリンクをユミルが断ち切ることはできない。
つまり彼女が流した情報が、そのまま回遊魚に流れてしまう可能性がある。
ユミルと繋がる光るムカデは、本能のままに生きている。
原初的な人間の欲求。もっと言えば、生物のシステムの根幹に存在するもの。
「増殖」──────それが光るムカデの本質。
思考というものを、
対し奇妙なエビは、おそらく人間的な思考を持つ。少なくともユミルはそう考えている。
『×××××』と「アウラ」は姿こそ同じだが、その中身が大きく違う。
歪みきっている点では似ていても、人を苦しめて至上の喜びを得るような精神を、『×××××』は持っていなかった。
それこそアウラの精神と無数に死んでいた『×××××』の死体を考えたら、アウラが奇妙なエビの影響を受けているからこそ、人を曇らせて悦に浸る精神ができあがったのだ──と、考えるのが妥当だろう。
そして本来ならアウラの魂を保管しておき、奇妙なエビの性質を利用してすべてが終わった後にこっそりと現世に戻す予定だった。
そのすべて終わった後というのは、文字どおり“最後”。
エレンとミカサの純愛ラブストーリーの、クライマックスシーンの後である。
光るムカデが消えて巨人の脅威が無くなった世界で、アウラに生きてもらう。
そうすればユミルとアウラの繋がりは消え、もう二度と会えなくなる。
そもそもユミル自体、最高のエレン&ミカサの余韻に浸ってスナァァ……(昇天)になる予定なのだ。
問題はジークであるが、ユミルが全面協力すれば、ジークを使わずともエレンを最終形態にすることができる。
むしろアウラが生きるためにはジークが必要不可欠な以上、絶対に死なせるわけにはいかない。
しかし着火するための“キッカケ”はどうしても必要になる。
そのためエレンとジークの接触は、必須事項だった。
現在の思想違いを引き起こしているイェーガー兄弟の状況は、ユミルにとって格好のチャンスである。
仮にジークがエレンの計画に従おうとするなら、クサヴァーを召喚すればそれで全て解決する。
「ジーク……」と恩人の言葉を聞けば、あの
そう考えてしまう始祖様は完全に、手遅れなまでにアウラに毒されていた。
その後はエレンと組んだユミルが予定どおり事を行う。
ジークが紆余曲折を経てミカサたちに協力するかもしれないが、その時はその時。
どの道、ジーク・イェーガーが世界から除外される可能性は薄い。
なぜなら、ジークが進めていた「安楽死計画」。
マーレ側からすると裏切りが発覚した時点で敵認定されているものの、そのジークの行為は最終的に世界を救うことにつながる。
またこの思想は、ヴィリー・タイバーによって明かされた、当時のカール・フリッツの意向に則している。
歴史の中で無数に繰り返されてきた争いを憂え、壁の内側で束の間の平穏を享受したいと願ったかつての王。
「地ならし」が利用されはするものの、やがてエルディア人は世界から消える。
イェレナの言うとおり、世界の救済に繋がる行為である。
よって、ジークの本当の計画が明らかになれば、世界を救おうとした人間として認められる可能性が高い。
そのままアルミンたちと上手く和解できるならよし。できないのならば、アウラとひっそり過ごすのもよし。
器量良くたち回れる点については、信頼の高い兄妹である。
しかし、回遊魚はユミルの思惑どおりに事を運ばせる気は毛頭ないらしい。
奇妙なエビの目的がいったい何なのか。
アウラを取り込んで、始祖をエレンに引き渡させて。
そして『×××××』を、ユミルの元に寄越させて。
『ゆみるずっといっしょ、わたしといっしょ』
ギュウギュウと抱きつくその姿はやはり、ユミルが知る『×××××』だ。
ユミルが大嫌いだった、『×××××』だ。
少女はそのままユミルを押し倒し、ニンマリと笑う。
開いた少女の口は奇妙なエビが住まう深淵のように真っ暗で、白い歯も、紅い口内も見えない。
人間ではないかのようだった。
『×××××』が人間でなくとも、ユミルは拒まないが。
ぼとりと、あるいはボタボタと、赤い肉や血がユミルの顔に落ちる。
心から幸せそうに笑う『×××××』は、手を伸ばす。
そしてそのまま少しずつ、ユミルの首をしめていった。
『だーいすき』
『おまえのせい』
『おまえのせいだ』
『おまえのせい』
『おわらないおわれないわたしおわらないわたしたちおわらないわたしたちわたし』
『ずっとまわってる』
『おまえのせい』
『あいしてるよ』
『おまえにくい』
『おまえしね』
『おまえがしね』
『おまえがまわりつづけろ』
『おまえがしにつづけろ』
『おまえをころしたい』
『いっぱいすき』
『しねしねしねしねしねしね』
『おまえのせいでおまえのせいでおまえのせいで』
『ころしてやる』
『しね』
『だいすきだよゆみる』
開いたままの口から、まるでその中に複数の人間が住んでいるかのように、憎悪に満ちた声が漏れ続ける。
だのに深い深い、『×××××』が向けていたユミルへの愛情も存在する。
気道が絞まりながらユミルは、何も返せなかった。
恨まれて当然であると、わかっているから。
だから涙を流しながら、黙って首を絞められ続ける。
心はでもどうしてか、四方八方に引っ張られているように痛む。
今ユミル自身が抱いている感情の正体がわからない中、ずっと笑っていたアウラの表情が消えた。
『ゆみる、だいきらい』
おまえがだいきらいなわたしがだいきらいなおまえがだいきらいなわたしがだいきらいなおまえがだいきらいなわたしがだいきらいな──────。
延々と続く、その言葉。
ユミルは聞いた。自身の内側でボロボロと、何かが崩落していく音を聞いた。
それは今までアウラと接する中で取り戻した、人間らしさだったのかもしれない。
嬉しさや楽しさ、自分を酷使するヒゲ面な男への怒りや、その比にならないあの
あとは大切な人が死んだ時に感じる、悲しさ。
その一つ一つが首を絞められていく感覚と、心の張り裂けそうな痛みに混じって、壊れていく気がする。
ただただ、苦しかった。
『 』
ユミルは名を呼ぶ。それはけれど『×××××』の名前ではない。
「アウラ」と彼女が呼んだ瞬間、白銅色の瞳から一滴、しずくが溢れた。
「お前は奴隷。「自由」を求めて、自由を奪われた奴隷。フリッツ王への「愛」に縛られて、囚われ続けているかわいそうな奴隷。そんなお前が『
ユミルは静かに、瞼を閉じた。
⚪︎⚪︎⚪︎
追憶旅行からようやく戻ってきたイェーガー兄弟。
エレンもまた自分が見たものをもう一度辿ったことで、精神的に疲労した。
互いに付けていた額が離れ、そのままジークは砂の上に尻もちをつく。
エレンもフラつき、ニ、三歩後退した。
ジークは完全に放心した状態で、固まっている。
「お前の妹は、人が苦しむのを見て喜ぶような、そんなどうしようもないクソ野郎だったんだよ」
「………」
「その中でも一番愛していて、苦しめたいのがアンタだったんだ、ジーク」
「………」
「オレは巨人化したアウラ・イェーガーと接触して、さっきと同じものを見させられた。ははっ、一体どれだけの人間があの女の不幸
「……」
「アンタがずっと加害者だと思っていたグリシャもまた、あの女の被害者だった」
俯いたジークの瞳は曇っている。
澱んで、注がれ続けた妹の歪んだ愛情の正体を明かされて、思考が動くことを拒む。
「……「姉さん」とは、言わないんだな」
「もう兄弟とも、思いたくねぇ」
「…そうか」
ジークはゆっくりと顔を上げて、弟を見つめる。
翡翠の瞳はまっすぐに兄に向けられていた。同時に手も、伸ばされている。
「オレに協力してくれ」
「………」
「オレはジークの計画に賛同できないし、アンタもオレの計画に賛同できない。だからこそ、どちらかが歩み寄らなきゃならない」
「兄貴の俺が、お前に歩み寄れってか?」
「現にアンタは巨人化して、オレを助けた。首を撃たれた時も手を伸ばしてだだろ、それも必死な顔で」
「……しょうがないだろ、兄弟を守るのが兄貴の役目なんだから」
「頼むよ、
「………」
「……………お兄ちゃん」
「別に「お兄ちゃん」って一声を待つために、黙ったわけじゃねぇからな」
「おにーた「やめろ、自棄になるな」……」
そもそも「お兄ちゃん」呼びは妹だからそれなりの威力を伴うのであって、弟の、それも負傷兵ルックのエレンでは、精神疾患を疑うものにしかならない。
両者精神にダメージを負った兄弟の間に、静寂が生まれた。
その、長い沈黙を破ったのは、兄の方だった。
「……やっぱり俺には無理だ、エレン。人類のほとんどを殺すなんて、恐ろしいこと」
「どうしてだ」
「そんな勇気、俺にはない。────いや、それを“勇気”と称するのは違うか。“覚悟”がないんだ」
「…どの道決定権はオレにある。兄さんの意思を尊重しなくとも、ここまで来れれば後は関係ない」
「それでもこうして俺と話し合ってるってことは、お前に同意を求める意思があるってことだろ、エレン」
「……なら答えをハッキリさせろ、ジーク・イェーガー」
ジークはエレンを見て、砂を見て、空を見て──ーそして、始祖ユミルへと視線を向ける。だが、眠っていたはずの少女は消えていた。
「まだ、話し合えてない」
「何をだ?」
「
「………は?」
意図せず上がる口角に眉を下げつつ、ジークはどうしたものか、と思考を巡らす。その笑みの感情は何からくるのか、彼自身理解できない。
もうわからないを通り越して、自暴自棄になってしまいたい。
それでもエレンが見せたものをひっくるめて、妹に聞かねばならない。
それに。
「どんなに歪んでても、ちゃんとアイツが一人の人間だって、俺は知ってるからさ」
笑って、泣いて、
狂っているけれど、歪んでいるけれど。
ジークはアウラの愛情が本物であることを知っている。
それは種類の違う「愛」を交えて狂気じみているが、それでも兄が時折驚くほど、透明でまっすぐな感情を向けてくることもある。
そんな兄の言葉を、エレンは「「愛」されている者だからこそ言える言葉だ」と、感じた。
「……そうか、残念だジーク」
「俺が話し合いを求めている間は無理なんじゃないか、エレン」
「………」
【ユミル→アウラ→ジーク】の図は始祖をエレンが有しているとて、覆せない。
両者、視線の刺し合いになる中、ふいにエレンの背後から人影が現れた。
「「……ユミル?」」
兄弟そろって似たように驚いた直後、少女が手を握る。
──────エレンの、手を。
瞬間、ジークの意識が遠のいていく。
彼が最後に見たのはユミルを凝視している弟と、悲しみに歪んだ、少女の顔だった。
さぁ、行進が始まる。
世界を平らにする、悪魔の行進だ。