は、ほぼ出てこなんだなコレが。
シガンシナ区の壁が破壊されたその日。壁内の人類は、思い出した。
自分たちが鳥籠の中の、
超大型巨人によって破壊された壁から、無数の巨人が壁内へ侵入。シガンシナ区の人間は、一気に恐慌状態へと陥った。
その悲劇を作り出した大型巨人である一人の少年と、一人の少女は、聞こえる悲鳴に顔を青白くさせる。二人の現在位置はシガンシナ区が一望できる壁の上。つまり、50mの壁の上である。
立体機動装置も付けていない少年少女が、普通いるはずのない場所であった。
「アニ、大丈夫かい?歩ける?」
「……ムリそう。おぶりな、ベルトルト」
「え、あ、うん……わ、わかった…!」
「ベルトルト」と呼ばれた褐色肌の少年は、頬を少し赤らめながら、「アニ」という金髪に青い瞳が特徴的な少女を背負う。この際背中の荷物は、前方へ移動させた。
少女は一歩進むだけでもフラフラとし、足元がおぼつかない。対し少年もまた、ひどく息が上がっていた。
巨人化の影響だ。短時間とはいえ、少年は一度で体力をごっそり持って行かれる大型巨人となった。
対しアニはこの壁内がある場所に来るため、ずっと巨人化し走り続けていた。
二人にはもう一人、「ライナー」という仲間がいるが、その少年は巨人化し二人を壁の上へ避難させた後、内門を破壊するためそのまま内部へ侵入した。
打ち合わせとしては、ベルトルトとアニはシガンシナ区の壁を右に沿って進み、ウォールマリア内の南東の方角へ進む。その後用意しておいたロープを使って下へと降り、ライナーと合流する予定だ。
時折聞こえる巨人が建物を破壊する音や人間たちの悲鳴に、二人は沈黙したまま俯く。
彼らは、マーレの戦士だ。幼くして各々が自分の目的のため、祖国に身を捧げた。
彼らに託された使命とは、「始祖の巨人」の奪還。
壁を破壊したのも混乱に乗じて、壁内に侵入する意図がある。またもう一つに、壁の王がこの一件を受け、どのような行動に出るのか窺う意図がある。
それで始祖が現れるならよし。だが事前に政府のお上から聞いていた「不戦の契り」の存在がある以上、壁の王が戦う可能性は低い。しかし絶対とは言えず、仮に始祖が
ゆえに行動は慎重に取らなければならない。まだ幼い彼らにとって、重すぎる使命だった。
人をアリのように殺す、斯様な使命など。
「アニ、僕たちならきっと…使命を成し遂げられるよね?」
「…そんなの、わからないだろ。どこぞの
「………」
「でも、ここまで来ちまったんだ。そう簡単に後戻りはできないだろ」
「……うん、そうだね」
ベルトルトの首に回すようにした少女の小さな手が、強く握りしめられる。
少年もまたかすかに震えており、唇を強く噛みしめた。
「「!!」」
その時、二人の後方から、何かワイヤーのようなものが高速で巻き取られる音がした。
咄嗟にベルトルトは音の方に視線を向け、迫りくる存在を確かめようと目を凝らす。三人の中でも格闘術に秀でたアニは、今動くことができない。巨人化も同様。
ならば今彼女を守れるのは、ベルトルトしかいない。その感情が無意識に出たのか、少年の手はアニの頭へと伸び、フードを深くかぶせる。
最悪巨人化をしなければいけなくなってしまうが、そうなると動けぬ少女が大型巨人の爆風に巻き込まれ、地面へ落とされてしまう。また二度の巨人化を行えば、ベルトルトも確実に動けなくなってしまう。
ゆえに巨人化しない方向で、接近する物体を対処するのが望ましい。
「来るよ、アニ」
「……あぁ」
二人の数百メートル前方。深緑のマントをまとった人間の身体が宙へと舞い、壁の上に降り立つ。何か機械のようなものを腰に付けており、そこから発射したワイヤーのようなものを使って、ここまで降り立ったらしかった。
マーレやその他諸国のどの武器とも、合致しない特殊な形状のソレ。恐らく壁内で特殊に発達した産物の機械か。
マントに体型が隠され遠目からではわかりにくいが、性別は女。衣服は返り血なのか、はたまた自身の血なのか。所々赤く染まっている。
いや、女が着地した際身体がフラついていたことから、血は女のものであろう。
「どうする、アニ」
ベルトルトが後ろの少女に声をかけた時、アニは目を見開き少年に前を見るよう促した。
「え?」と少年が頓狂な声をあげたと同時に聞こえた、ガッと、何かがぶつかる──または刺さるような音。
ついで先程聞こえた、ワイヤーが巻き取られるような音が。
「ッ!」
数百メートル前方にいた女は一瞬の内に、二人の前方まで迫っていた。ベルトルトは右手を口元に近づけようとして、止まる。
そうだ、アニがいるのだ。一旦冷静にならなくては。これ以上戦士を失ったら────否、アニを失ってしまったら。
途中でアンカーを外した女は、地に足をつけ、滑るようにブレーキをかけながらベルトルトの数メートル手前で止まる。その風圧で少年と少女の髪や服が、フワリと揺れた。
二人の前に来たのは、血まみれの女。特に左側を相当な衝撃でぶつけたのか、頭や上半身の血が服や髪を汚している。だが血で汚れながらも見てとれる美しい顔立ちに、少年は息を呑む。深冷の美人なアニとは違う、愛らしさを残す美しさ。
白銅色の瞳はしかし、焦点が微妙に合っていない。合わせようしても、うまくいかない──といった風に。
息も肺から漏れ出るようなヒューヒューと、ひどく荒いもの。誰が見ても、意識を失うほどの重傷を負っているのがわかる。
女が一歩踏み出し、少女を背負ったベルトルトも一歩下がる。やはり巨人化しなければならないか。
装置には柄と付け替えの刃らしきものもある。恐らくは二人のような「戦士」と似た類い。壁内を守る存在。
「君たち、大丈夫?」
だが二人にはかけられた言葉は、ひどく優しいものだった。微笑みながら女は近寄ってくる。悪魔の民であるにも関わらず、まるで天使、それか天女のよう。
ベルトルトだけでなく同性のアニでさえ、目を奪われてしまう。
「あぁ、そっか。駐屯兵団の人間がここまで避難させたのね」
そう呟きながら二人に接近した女は、安心させるように二人の頭を撫でた。
だがフードに隠れたアニの顔──いや、瞳だろうか?──を見た瞬間、白銅色の瞳が丸くなる。笑みが消えた女に、ベルトルトは眉を寄せた。
「おにい、さま?」
アニのフードを取る女の手。彼女の瞳が次に少女の金髪を捉えた瞬間、口を開けて呆然と立ち尽くす。
女の目を間近で見ることになったアニは、相手の瞳孔が自身の目を捉えようとしながらウロウロと動いてしまう姿に、例えようのない不安を抱く。
今にでも意識を失いそうだというのに、とっくに失っているはずなのに、それでも女は立っている。
目を開けて、懸命にその「お兄さま」とやらを、アニから導き出そうとしているのだ。
しかし少女はどう考えても、女より年下。身長も去ることながら。そもアニは女だ。体術において同年代が勝てぬほど男勝りだが、外見は冷たさを感じるものの、内面は割と乙女。
どこに男と勘違いする要素があるのか、わからない。ただ女が頭から血を流しているので、頭を負傷した影響で正気を失った可能性がある。
「お兄さまお兄さまお兄さま……!!」
アニはどうにか、冷静を保とうとする。見ず知らずの女に──抱きしめられながら。彼女は女が「お兄さま」と呟いた刹那、ベルトルトの背中から奪われたのだ。
「あ、アニから離れろ!!」
ベルトルトが女の腕を引っ張るが、ビクともしない。少女を「お兄さま」と勘違いしながら抱きしめ、涙を流す女の表情は綺麗であった。
しかし周囲の二人には先と打って変わって恐怖、あるいは異質な光景にしか映らない。
アニは深く息を吐き、女の肩を叩いた。
「私はあんたの兄じゃない。よく確認しなよ」
「……お兄さま…じゃ、ない……?」
「高い所苦手なんだ、なるべくなら早く降ろしてほしい」
「……アレ、おかしいな、本当だ…お兄さまじゃない」
一瞬女の頭がガクリと落ち、よろめく。だが落ちかけたところを踏ん張り、血が流れる頭を抑えながら下を向いた。
「……ごめんなさい、気が動転していたみたい。ボクの方は歩けるかしら?女の子の方は抱えるから、付いて来れそうならきて。壁が破られていないウォールマリアまで連れて行くから」
その言葉に、ベルトルトとアニは顔を見合わす。
この人間を本当に信用していいものだろうか。明らかに正常な判断ができなくなっている、この女を。
壁の上にいた二人については向こうが都合よく理由をつけたが、後から不審に思われる可能性も高い。だがまだ壁内についての情報が少なすぎる手前、「戦士」と近い存在であろうこの女から、何か情報を得られる可能性もある。普通ではない状態の女からであれば、尚更。
流石にいきなり始祖の巨人の情報を得られるわけはないだろう。ただ壁内の情勢を知る手助けになる。直接的に聞けば怪しまれるゆえ、言葉を選びながら情報を得る。その後殺せばいい。
幸いアニは女の背中にいる。懐に隠してあるナイフを使うなり、首に手を回し絞め殺すなりできる。体力を使い果たしているとはいえ、それくらいは可能。
またはアニの援護でベルトルトがトドメも刺せる。いくら大人の女とて、厳しい訓練を行ってきた戦士二人。敵うはずがない。
ベルトルトはフラつく女が落ちないように、片手を掴んで握った。ひどく、冷たい手だ。
「あの、お姉さんありがと。駐屯兵団…の人に助けてもらったはいいんだけど、その人は……」
「いいの、怖かったよね。大丈夫、大丈夫だから」
「…マントのマーク、カッコいいね」
アニがマントの羽のような刺繍を話題に出す。女は微笑みながら、「自由」のマークだからね、と語った。
また彼女が、“調査兵団”なる組織の人間であることも。本当は今日壁外調査に行く予定だったが、右足を以前ケガしたせいで、休みになったことについても。
確かに女が体勢を崩すのは、右側が多い。二人に近寄ってきた段階で右足を引き摺るようにしていたことからも、負傷していること自体は気づいていた。
「二人はあまり見ない顔だけど、もしかしてマリア内からシガンシナ区に来てたの?」
「うん、親の都合でね。まさかこんなことになるなんて……思ってなかったけど…」
ベルトルトが唇を結び暗い表情を浮かべ、アニもまた女の鎖骨付近に回していた手を強く掴む。おびえた子供、それを装う。
「両親は……いえ、聞くべきではなかったね。ごめんなさい…」
「気にしなくていい。あんたはどうせ、他人だから」
「他人……そうね。でも、同じ人間なのだから、感情を共有することはできる。辛い時は辛いって、言っていいのよ。今はそんな余裕ないかもしれないけど」
それから三人(内一名はおぶり)は歩きながら、ウォールマリアとシガンシナ区の境目を目指す。
途中不意にベルトルトは、女が語っていた「お兄さま」の存在を思い出した。
「お兄さま」の存在を聞かれた女は歩を止め、天上を見上げる。
青い空。うっすらと夕方の赤らんだ色を混じえて、美しく広がっている。
「お兄さま、どこかに。お兄さま、どこにいるんでしょう」
「……お姉、さん?」
「お兄さま、お兄さま……お兄さま本当に、いらっしゃるの?私、私、私────」
様子が一変した女に、鳥肌が立つようなゾワゾワとした悪寒を感じた二人。
ベルトルトは咄嗟にアニを女の背から引きずりおろし、自分の背に庇うように下がらせる。
「とても、空がきれいね。とどかない、空。キレイでしょう、お兄さまの瞳の色だわ」
「……あんたは「お兄さま」が、大好きなんだね」
「えぇ、会いたいの。会いたくて、大好きで……もう一度だけでいいから、あいたいな……」
ゴポッと、音がする。女が口元を抑えた瞬間、噴き出たのは大量の血。
内臓もいくらかやられているらしく、そのまま彼女は膝を突いた。
無表情な顔からこぼれ落ちる水滴。作りもののような顔は、どの表情をとっても美しい。そしてどこか無機質──非人間的で、恐ろしい。
「あんた、その出血じゃ死ぬよ」
「……そう、かな?それは……イヤ、かも」
────お兄さまに、会えていないのに。
そう呟き、立ち上がった女は一歩、踏み出す。目の前に広がるのは、巨人の災禍に見舞われた地獄のような光景。その様を見下ろした女は、冷や汗を流す少年と少女へ視線を移す。
揺れるは、風にさらわれ、たなびく色素の濃い髪。白銅色の瞳は、ゆらゆら揺れる。
「お兄さまはいる?」
「お兄さまはいる…って?」
眉を顰めたアニ。女は再度、「お兄さま」がここにいるのか尋ねる。
質問の意味を理解することができない。死にかけの人間など、無視して行ってしまえばいいのだ。この分では助かる見込みも薄い。そも145代フリッツ王によって記憶が改ざんされ、文化が遅れている壁内に、「輸血」という知識があるとも思えない。
しかし二人は、女から目を離すことができない。大切な人をただ求めて、命の灯火を消そうとしている人間。
その光景が、美しかった。残酷な状況を作り出した張本人たる彼らが、「美しい」と思うなど。許されるべきではないというのに。
「……会えるよ」
「あぁ、会えるさ」
気付けばベルトルトとアニは、女に向かって呟いていた。
最期くらい、幸せな夢を見たっていいだろう。人々の不幸を作り上げてしまった彼らは、逃げるように思考が働く。両者の脳内に浮かぶ、「最低だ」という言葉。だがついで出るのは、言い訳。
ベルトルトは、悪魔の民だから、と。
アニは、父の元へ帰るためだ、と。
女は瞳を丸くし、嬉しそうに微笑んだ。まるで少女のような幼い表情。そのまま彼女は空中へと身を投げる。そして腰につけた装置を使い下へと降り立った。その姿はすぐに遠くなり、街の中へと消えていく。
だが消えても、二人は女から──否、壁から降りる直後瞳にこびりついた女の姿が、そして聞こえた言葉が、耳から離れない。
──────
女が呟いたそのお兄さまの名は、戦士たる彼らを統括する“戦士長”と同じ名前。
いや、気のせいだろう。同じ名前の人間など、この世には数え切れないほどいる。容姿とて、女とは似ていない。
ただアニと見間違えた点を踏まえ、金髪の髪と、青い瞳は似ている。
だがまさか、あり得るはずがない。ただの偶然だろう。
「…行こう、ベルトルト」
「……うん」
ベルトルトとアニは女が見上げた空を眺める。
綺麗な吸い込まれるような青空と、夕日のコントラスト。
世界が「平和だ」と勘違いしてしまうほど、穏やかな空だった。
そして少年と少女と別れた女──アウラ・イェーガー。
ろくに思考が回らず、意識がなくなりかけた瞬間ガスが切れた。軽い身体は屋根へとぶつかり転がって、地面へと落下する。
指一本動かせず、アウラは仰向けの状態で空を見上げる。
だがそれを邪魔するように、数体の巨人が彼女の視界を遮る。四〜五体はいるだろうか。各々口を開け、彼女へ近づく。
周囲には誰もいない。あったとしてもそれは人間の死体のみ。
一体の巨人に腕を掴まれ、他の巨人に足を掴まれる。
ブチブチと、耳を背けたくなるような音。それでもアウラは悲鳴も漏らさず、ただ空へと手を伸ばす。その残された手さえ噛みちぎられ、次に腹を食いちぎられる。ボトボトと落ちたのは内臓。腸が巨人の指に絡まり、面白いように伸びた。
「……お゛にっ……さ、ぁ」
空を捉えていた瞳が顔ごと、巨人の口の中へと収まる。
あいして、おり────、
その言葉が、最後まで続けられることはなかった。