次回から新章入ります。
戦士候補生にもまだなっていなかったあの頃。
“名誉マーレ人”という地位を手に入れるため、汗水垂らし、時には吐きながら訓練に明け暮れた日々。
そんな少年少女の中でアニは、「目的」を持っていなかった。
彼女が戦士を目指したのは単に、父親が娘──と言っても義理であるが──を、戦士にさせたかったから。
幼少から父親に受けた厳しい訓練や教育。アニが望んで進んだ道ではない。
普通の人間では相応の覚悟がなければ、戦士候補生になることは難しい。幼少期のジークもグリシャに決められた使命であったこともあり、心のどこかでは戦士を目指すことに抵抗感があった。
しかしてアニは、その高い格闘能力を評価され、戦士候補生入りを果たす。
喜ぶ同期のガリアード兄弟や、号泣しながら鼻水を流すライナーの姿。アニの隣にいたピークもうっすらと微笑んでいた。おめでとう、とジークが皆に声をかけている中、彼女の視線は一人の少年に向かう。
木の後ろに座り、地面を見つめている褐色肌の少年───ベルトルト・フーバー。
おとなしい少年はいつも中心から離れ、仲間たちを眺めていた。彼は射撃能力が評価され、候補生入りに。あまり話したことのない少年にアニはふと、声をかけたくなった。
「あんたさ、さっきから何見てんだよ」
「え?……あ、アニ!?」
まるでバケモノでも見たかのように彼女を視界に入れた瞬間、ひっくり返ったベルトルト。レディに随分と失礼な反応だ、とアニは表情にこそ出さないが、ムッとした。
「……え、えっと、アリを見てたんだ」
「アリ?」
木陰の下、大きな虫の死骸に群がる無数の黒い点々。死骸を四方八方から食いちぎり、さながら協調性のない綱引きだ。左の勢力の方が強いのか、死骸は少しずつ引っ張られ、日向へ移動していく。
「…あのさ、あんた嬉しくないの?」
「嬉しい?」
「だって戦士候補生になれたんだ。両手上げてバンザイしろとは言わないけど、もっと顔に出したら?」
「ご、ごめん………ぼ、僕すごく嬉しいよ!」
「引き攣った笑顔で無理やり言わないくていいから」
「……ごめん、アニ」
ベルトルトはよく謝る。彼と関わりがほとんどないアニでも、ポルコとライナーの喧嘩を宥めようとしてポルコにキレられ、「ごめん」と頭を下げる様子を見かける。
優しい性格なのだ。だがそんな人間が、死骸が食われる様を無表情で見ているのは、かなり薄気味悪い。
「もしかして落とされた同期の人間に、同情でもしてるのかい?」
「同情は…しないよ。だって落とされた彼らは、適性がなかっただけだから。対し僕やアニには評価される能力があった。同情じゃなくて必要なのは、彼らの分までお国のために尽くすことだろう」
「……なんかあんた、冷めてんだね」
「冷めてるっていうか…自分と他人を
「ふーん……ソレちょっと羨ましいかも」
「そ、そう…?」
アニに褒められ、頰を赤らめる少年。だがアリに視線を向けている少女は、熱のこもった視線に気づかない。鈍感系ヒロインであろうか。
「そう言えばベルトルト、聞いたことなかったけどさ。あんたはどうして戦士になろうと思ったんだ?」
「…母さんのため、かな」
病弱な母。大病を患いその治療のため、名誉マーレ人の恩恵を受けさせたいのだと、ベルトルトは語る。
戦士の地位は母の命を繋ぐ、最も有効な手段であったから選んだ。あくまで名誉マーレ人になることで目的が成し遂げられるのであって、まだ“候補生”ではゴールに到達したとは言えない。
「ドベ野郎にそのこと話したらどうだい。多分違う意味で泣き始めるよ」
「ライナーが可哀想だから嫌だよ…」
「ふん、そもそもあいつが候補生に残れただけでも奇跡なんだ」
「相応の覚悟があったんだよ、きっと。アニは嬉しくないの?」
「私?私は……」
戦士候補生に、
そんな感情が一番強い。ここから先はこれまで以上の地獄。戦士になれば寿命も限られる。父親に尽くすにしても、重い代償だ。それでも父に逆らわないのは何故だろうか。
それはアニ・レオンハートに、
一見娘を己が道具として使っているように見える父でも、少女の手を包む大きな手の中に、確かな温もりがあることをアニは知っている。
「……家に帰ったら、嬉しくなるかもね」
「家に帰ったら?」
父親が、いるから──と、うっかり言おうとした彼女の背後から近づく影。木の後ろに座る少年少女の元に現れたのはジークだ。表情がニヤニヤしている。
「お二人さん、ひっそり隠れて何イチャイチャしてるんだい」
「───へっ!?ち、違ッ、僕とアニはそんなんじゃ!!…いや、でも、僕としては……(ゴニョゴニョ)」
「ちょっと話してただけだよ」
顔を真っ赤にし、首を振るベルトルト。そんな彼の様子を見たにも関わらず、「そんなに私と話していたのを茶化されて嫌だったのか?」と考える少女は、紛うことなき鈍感系美少女。
世界の残酷さを知る前の、少年少女たちの幼き日々の一ページ。
それはやがて血で染め上げられ、遠い過去のものへと変化していく。
(何で私…今そんなこと思い出してんだろ)
アニの目の前にいるのは、マントで身を覆うアルミンやミカサ、エレンだった。
憲兵団は本日、王都へ向かう調査兵団がストヘス区を通過する際、護送団と共に警備の強化を担当する流れになっていた。エレンの身柄の引き渡しが、調査兵団が王都へ召喚された理由だ。
しかし任務を任された新米の憲兵は、護送団を
この裏にはエレンを狙った女型の存在がある。
そして任務中、路地裏からアルミンが現れ、彼女に協力を申し出た。中身はエレンを逃すための作戦内容。その後はジャンが替え玉になっているエレンと合流してから逃げ、一時的に身を隠し、審議会をひっくり返す材料を揃える云々───。
エレンを奪いたい彼女にとっては好機。だがわざわざアニに頼んだ点や、ストヘス区通過中に逃亡作戦を行う点。考えれば不自然な点はいくつも上がる。
それらを踏まえ、自分が人類の敵であることがバレたのだと、彼女は推察した。
アルミンが彼女を頼った建前上の理由は、同期である点と、ウォール・ローゼの検問を通り抜ける時、憲兵の力が必要だったゆえ。
ストヘス区で作戦を決行する理由は、複雑な地形が逃亡の時有利になるからだ、と続ける。
博打な方法。しかしエレンを救うためにはこれしかない。
最後はアニの情に訴えた。彼女はそれに仕方なし、という風に頷く。
心は四方八方に引っ張られ、気持ちが悪かった。
彼女はまた、“
耳鳴りがした。反面頭は冷や水をかけられたように冷静になり、心臓の音だけが異様に大きく聞こえる。
先日のイェーガー姉弟の“狂気”に晒されたアニ。また、巨人体化したエレンに蹂躙された身体の再生に伴う、精神的疲労。さらに多数の巨人から命からがら逃げたことによる、肉体的疲労。
余裕はあまりない。疲れた心で不意に、彼女は小さく呟いていた。
────いい子って、何なんだ。
アルミンはその言葉がアニの質問だと思ったのか、彼らしい回答を返す。
自分にとって、都合のいい人間。それがその人にとっての「いい人」になる。アニの行動次第で、彼女は誰かの「いい人」にも、「悪い人」にもなり得る。
今更そんなことを考えたところで、彼女は罪で汚れきっている。両手を握って神に祈る資格さえ持っていない。そんなことはアニ自身が嫌というほど理解していた。
「ハッ……」
免罪符が欲しいのかと、彼女が溢した自嘲の笑み。
己を裁いてくれる人間はいらない。裁かれた暁には、彼女に待ち受けるのは死。父と会えずして終わることだけは絶対に望めない。
しかし重過ぎる“罪”への意識から、そう簡単に逃れることはできない。
ただ執行人はお断りだ。
ならばアニが罪悪感から逃れるために、無意識に求めたのは何であったのか。
───それは誰かを救うこと。即ち悪い子である彼女が、「いい子」になること。
エレンを捕まえなければいけない。
始祖を奪還しなければいけない。
父に会わなければ、いけない。
だが彼女の直感は既に告げていたのだろう。自分の、アニ・レオンハートの終わりを。
疲労しきっている自分と、狂気によって爆発的な力を見せたエレン・イェーガー。またミカサや他の兵士も大勢いる。
彼女が敵と判明している以上、彼女と同郷のベルトルトやライナーは捕獲、あるいは隔離されている可能性が高い。作戦にはまず組み込まれていないだろう。援軍は望めない。アウラ・イェーガーもライナーたちと似た状況と考えていい。アニと会った時のエレンの顔は、隠しきれないほど暗く落ち込んでいたから。
裏はともかく表面は一介の兵士として、ウォール・マリア陥落以前からその身を捧げていた兵士。
運が悪かったとしか言えまい。ベルトルトに協力を持ち出され、結果怪しまれてしまった女。裏切り行為を平然と行い、仲間を見殺しにし、剰え女型に罠の位置を教えた。自業自得だ。
他人を容易く壊してしまう兄への「愛」が、その身を滅ぼす。
アニも似た結末を辿っているに違いない。
父への「愛情」によって。
彼女の目の前にあるのは、地獄の地下へ続く階段。彼女がそこで巨人化すれば、身動きが取れなくなるのは想像に難くない。
降りれば地獄。だが降りなくとも、地獄。
どちらの地獄を取るかは、彼女次第。
降りてくるよう叫ぶエレン。話し合いを求めるアルミン。鬼の表情でブレードを構えるミカサ。
「──────ははっ!」
艶めいた表情で笑ったアニ。ひとしきり笑った彼女はエレンに視線を向け、口角を微かに歪める。一見すれば魅入ってしまう表情は、ゾクリと、鳥肌を立たせる。
「てっきり…はは、エレン、シスコンのあんたじゃお姉ちゃんがいなくちゃ、怖くて逃げられないと思ったけど」
「………何が言いたい」
エレンの眉間に皺が寄る。
「アウラ・イェーガーは、どこに行っちまったんだろうね」
「………」
「かわいそうに、何年も心臓を捧げてきたってのに、お仲間に疑われて」
「黙れ」
「ふ、ふふ………誰も、思いつかなかったのかい?例えば、そうだね」
────
瞬間翡翠の目が大きく開かれ、ブツリと、血管の切れる音がした。
殺意が少年から溢れ出し、エレンは喉が裂けんばかりにアニの名を叫び、階段を駆け上がる。
敵の挑発に乗ったことで、従来の女型捕獲と違う動きをみせた作戦。が、エレンvsアニの形式は、アニが地下に入らず戦闘に陥った場合として想定済み。
ストヘス区の住人の命を奪い、建物を壊し行われる知性巨人同士の戦い。
巨大樹で行われた戦闘よりも苛烈さを増す格闘は、血で血を洗う。最終的にエレンが四肢をボロボロにさせながら女型の頭をもぎ、うなじの表面を噛みちぎり、終わりを迎えようとする。
その時アニが見たのは、青い空。女型から噴き出た血が虹を作り、エレン巨人体の顔が近づく。
彼女の脳裏によぎるのは、父の姿。
「いい子」の免罪符を片道切符に、あの世へ行くことになるのだろうか。地獄は、もう嫌だった。
(そう言えば結局、ベルトルトから私を救おうとした理由を聞けなかったな…)
ベルトルトはアニの「いい人」でいたかったのだろうか。あの自分と他者を、明確に線引きできてしまう男が?
もっとふさわしい理由があるはずだ。彼を動かす何かが。
人が無条件に他者へ尽くすのだとしたら、考えられるのは何であろう。
(まさか、ね)
「アニ」と、笑いかけるベルトルト。心底嬉しそうに彼女の名前を呼んでいた。
(まだライナーのことも殴れてないし………あぁ、そうか)
まだやり遂げていないことが、たくさん残っている。
その事実に彼女は小さく、息を零す。
(まだ、私────しにたく、ない)
空と同じ色の瞳からこぼれ落ちた涙。
その涙が地面に落ち切る前に、彼女の身体は結晶へと包まれたのであった。
【戦士たちのお精神】
アニ→「悪い子でいなお父さん会いたい」
ベル→「僕はどうやら 戦士として 始祖奪還を目指している みたいだ」
ライ→「(マルセルごっこ♡)」
ジク→「 」
ポコ(例外)→「(長年“候補生”のままの苦しみ)」
ピク「地獄絵図すぎない?」