「アウラが戦士、かぁ…」
時刻は夜。ジークは自室のベッドで仰向けに寝転がりながら、以前クサヴァーからもらったボールを天井に向かって投げる。上にいったボールは重力で下に落ち、綺麗に少年の手の中へと収まった。
相変わらず妹と会話はできていない。謝ろうと行動に移しても、余計な己の感情がそれを阻止する。しかし、行動にすることができても妹が目も合わさず逃げるようになったので、どの道謝ることができない。
ジークに叩かれて以来、アウラは「戦士になる」と言うことはなくなった。
またエルディア復権派のメンバーの一部が、成績を残せないジークを見限り、アウラを戦士にすることも一つの手段だ──と、両親に述べていた姿を見かけたことがある。
両親がその提案に首を縦に振らなかったのは幸いか。
ただ彼がこのままであれば、いずれは妹が戦士の道を進む可能性が出てくる。
そうなればジークは用済みで、誰かと結婚して子を残す運命になる。
「どこまでも
アウラも本に興味を持ち始めてから、両親に洗脳教育を受けるようになった。妹は飲み込みが早く、家で大暴れする活発さをとっても、意外と戦士向きなのかもしれない。
「どうせ僕は…いくら頑張ったって、ちっとも上手くならないから……」
ずっと自分を追い込み続けた結果、少年は己の“使命”を手放そうと考えるようになった。
これ以上努力するのは疲れた。苦しみ続けるのもたくさんだ。だったら、妹が“戦士”になればいい。本人もなりたいと言っているんだ。彼の使命を妹に与えて、妹の使命を自分が背負えばいい。
しかしその運命は、どこまでも他人の手によって決められている。
その事実を理解したジークは、歯噛みした。
「クサヴァーさんも前に言っていたじゃないか。「戦争ごっこに付き合ってられない」────って」
少年とクサヴァーは似たもの同士だ。
エルディア復権派が掲げる争いのために、道具でい続けることはこりごりだ。戦争ごっこは大人同士でやればいい。子供を巻き込むべきじゃない。
だが、ジークが自分の使命の生贄にしようと考えている妹は、少年よりも子供で。
彼は布団に潜り込み、頭を抱えた。
どこまでもレールを敷かれた上で走っている、自分たちの運命を呪って。
⚪︎⚪︎⚪︎
それからまたしばらく経ったある日。
ジークは雑用として施設の掃除をしている最中、マーレ治安当局員たちの会話を聞いてしまった。扉越しに男たちが話していたのは、エルディア復権派の尻尾を掴んだ、という内容。
“フクロウ”という人物が発起人のこの組織は、彼の両親も参加している。既にいくつか目星はついており、あとは証拠を揃えていく段階にまできているらしい。さすれば両親が捕まるのは時間の問題だ。それだけではない、国家に翻意を抱くものは、その親族もろとも「楽園送り」にされる。
悪魔が住むパラディ島へ送られ、巨人にされてしまうのだ。ジークや関係のない祖父母、それに────。
「アウラ、まで」
妹は何もしていない。何も知らない。両親の行いのせいで妹まで巻き込まれるなど、あってはならない。
「……僕が止めなきゃ、父さんと母さんを」
そして夕食のあと、「話がある」とダイナが娘を寝かしつけたのを見計らい、ジークは話を切り出した。
危ないことはしないでほしい。見つかったら両親だけじゃない、自分や祖父母、アウラまで楽園送りにされてしまうと。
だが、両親は彼の言葉に聞く耳を持たなかった。
二人はエルディア人の未来のために、とことん戦うことを決めていた。誰かが立ち上がらなければ、誰かが武器を持って戦わなければ、エルディア人は惨めに壁の中で死んでいく。
「…父さんは、僕がフェイおばさんみたいになってもいいの?」
「フェイが殺されたのは、そもそもこの世界が狂っているからで──」
「アウラが……無惨に、死んでもいいの!!?」
「……ッ、それは…」
妹は知らない。父親の妹が、マーレの官憲の男によって殺されたことを。その一件以来、父親の人生が狂い始めたことを。
「…それでもジーク、私たちはマーレからかつてのエルディアを取り戻さなければならないんだ…!!」
少年の願いは両親には届かなかった。いずれ訪れるであろう未来を想像し、絶望することしかできない。
あるいは両親に復権派の正体がバレそうなのだと、隠さずに伝えればよいのか。
いや、それではダメだ。仮に自分たちの組織が政府によって明るみに出されようとしていることを知ったら、どんな強硬手段に出るかわからない。
何か、ほかに解決策はないのか。しかし7歳の頭では考えることにも限界がある。
悩み続けるジークは、クサヴァーに自身の親が“復権派”であることを話した。絶対に明かしてはならない秘密を彼が打ち明けたのは、心の底からクサヴァーを信頼しているからだろう。本当の親のようにさえ、感じ始めているのだから。
「君の両親がまさか、“復権派”だったなんて……」
「クサヴァーさん、何か方法はないかな?せめて妹だけでも、僕…助けたいんだ」
「自分のことはいいのか?何故そこまで……」
「…だって僕、「おにーたん」だから」
何より久しく見ていない妹の笑顔を失うことが、彼には苦痛だった。あの愛らしい笑顔を見れば、どんな暗いどん底でも這いあがろうと思える。
「告発…なさい」
震えるクサヴァーの声。
ジークは頭を抱えうずくまる男の顔を、おそるおそる覗き見る。歪んだ表情はいつもの温和な男の顔からかけ離れていた。
「告発って…父さんと、母さんを?」
「あぁ、そうすれば君と君の祖父母、そして妹も助かるはずだ」
「でも……僕、そんなことできなッ……!?」
突如肩を掴まれ、少年は瞠目する。
仮にも親を売るなど、絶対できない。縦え道具のように思われていても、二人の息子なのだから。
「ジークッ!!君の両親は君のことを、愛さなかったじゃないか…!!でなければ君がここまで傷つくわけがない。本当に息子を愛しているのなら、尚更だよ…」
「クサヴァーさ…」
「君の両親は残酷だ。前に私が言ったことを覚えているかい?私に息子と娘がいたら、同じように愛すると」
「…うん」
「あくまでアレは、私の意見に過ぎない。この世には偏った愛を向ける親もいる。きっと君の…両親のように」
ぐわんぐわんと、ジークの視界が揺れる。クサヴァーに揺すられているわけではない。ぶわっと額からはいやな汗が吹き出し、頰を伝って下へ落ちる。
「告発するんだ…ジーク。誰でもない、君のために」
「……ぼく、は」
────君は悪くない。悪いのは、
二人の頭上ではどこまでも青い空が広がり、小鳥がさえずっていた。
⚪︎⚪︎⚪︎
「ジーク、覚悟はできたか?」
「……うん」
両親を告発する日、あらかじめ自身と祖父母、妹の身の安全を条件にジークは両親を売ることになった。誰がマーレに謀反を翻そうとしているのか、政府の人間がいる前で指し示すのだ。これほど辛いものはないだろう。告発する人間にとっても、される人間にとっても。ましてや相互の関係は親子なのだから。
両親のことは愛している。仮に自分のことを愛していなくとも。
だがこれ以上親のせいで、子供たちが苦しむことはあってはならない。
───そうだ、悪いのは両親だ。
自分に言い聞かせ、ジークは驚愕した表情の両親を指差した。
その後のことは、鮮明に脳内にこびりついている。
彼に向かって叫ぶ両親──「どうしてジーク!」「何故だジーク!」──と。
官憲たちに連行されていく二人の姿を、少年は呆然と見つめるしかなかった。本当に感情が死んだ前では涙さえ出ないのだと、この時初めて知った。
彼の冷えていく体温を温めるのは、側でジークのことを抱きしめるクサヴァー。
哀れな一人の少年が、その場にいた。
「ぱぱ!!まま!!」
空気を割くように、響く声。声の主は、官憲の男に抱っこされながら出てくる少女だった。黒に近い茶髪を振り乱して、必死に両親に手を伸ばす。飼い主の腕から逃げる猫のようにするりと抜け出した少女は、両親の元へ駆け寄っていく。
「アウラ!!」
咄嗟にジークは叫んだ。だが少女が兄を振り返ることはない。連行される父親に抱きつき、官憲たちに引っ張られども離れない。
「やだ!いかないで!!わたちもいく!!」
「アウラ……」
「ぱぱまま、おいちぇかないで!!!」
あぁ、この少女は両親がどこへ連れて行かれるか知らないのだ。「楽園送り」の意味を教えられてはおれども、まさか両親が行くとは夢にも思わないだろう。
「アウラ……アウラ!!」
咎めるように、大声を出したジーク。その声に少女の肩が一瞬はね、兄の方を振り向く。灰色の瞳からはボロボロと涙が溢れていた。
「こっちに来るんだ、アウラ」
「……やだ」
「アウラ、僕の言うことを聞い──」
「やだ!!!」
愛らしい表情が、睨めつけるような表情に変わる。妹が寝ていた時にジークは告発したが、今の状況を見て誰が両親が連れていかれる事態を作り出したのか、少女はわかっているのだ。
兄の懇願を、拒絶で返した少女はそのまま、両親と共に車に乗せられる。
ジークは車に駆け寄ろうとしたが、クサヴァーに止められた。
「離してよクサヴァーさん!!アウラが、アウラが!!」
「落ち着くんだ、せっかく告発したというのに、今君が動いては…!!」
「でもっ…妹が、僕の妹が!!」
無情にも両親と妹を乗せた車は走り去っていく。
黒い排気ガスが空気に溶けていくその様を、少年は見続けることしかできなかった。
後に本人の頑なな意思により、妹────アウラ・イェーガーが「楽園送り」にされることを知ったジークは、祖父母が泣き崩れる中呆然とした。感じたのは、世界から色が失われていく感覚。
ただ自身の時が止まっても、世界の時間は1秒1秒進んでいく。
両親が“復権派”であることが知れ、彼と祖父母の身分がさらに悪くなった──かに思われたが、実際は異なる。両親を売ったことで、ジークは「驚異の子」として政府の人間に一目置かれるようになる。彼もまた危うくなった自分たちの地位を復活させるため、名誉マーレ人となるべく訓練を続けた。その結果晴れて彼は戦士候補生になるのだが、それはまた先の話である。
「…誰も、いなくなっちゃった」
訓練から帰った夕方、祖父母の家ではなく、両親と妹、自分の四人で住んでいた家に訪れたジーク。今頃はもう、三人は楽園送りにされているだろう。官憲が入った際荒れた室内は、そのままになっていた。
祖父母がいずれ身辺整理をする。そうすれば少年の家族がいた痕跡は消えてしまう。
灯もつけず暗い室内を歩き、彼が訪れた場所。そこはかつて妹の部屋だった場所だ。広くないその部屋には子供用の小さなベッドと、オモチャや本棚が置かれている。夕日が窓から差し込み、ベッドを赤く染めていた。
「……アウラ」
意固地をはらず妹に謝っていれば、このような結末にはならなかっただろうか。両親を告発さえしていなければ──いや、告発しなければ親族全員が楽園送りにされていた。
「よくこのおもちゃで遊んであげたっけな…」
箱の中に入れられたいくつものおもちゃ。その中にはジークが幼い頃遊んでいたお下がりもある。一つ一つ懐かしむように見ていたおり、彼は奥底に一枚の紙を見つけた。
決して上手くはないそこには人のようなものが四体描かれており、手を繋いでいる。その中の二体だけ、異様に大きく描かれていた。そこには『おにーた』と『わたち』と書かれている。書いたのは妹だろう。文字は書けないから、両親に教えてもらったのか。
そして家族の絵の上には、みみず文字で『おにた おたんじょび おめでと』とある。
「うっ……あ…!!」
思わず握りしめた紙がクシャリと歪む。止まらなくなった涙もそのままに、少年は紙を抱きしめ嗚咽を殺して泣いた。
泣いて、泣いて、すっかり暗くなっても泣き続けた。
妹に────アウラにただ一言、「ごめんね」と言えばよかった。そうすれば妹は両親と共に行かず、ジークの元に残ったのではないか。
だが、後悔先に立たず。
彼が愛した妹は、いない。
彼は両親を呪った。両親が歪む原因を作ったこの残酷な世界を呪った。
そして愚かな自分を、呪った。