窓から溢れる日の光。着々とウォール・マリア奪還作戦に向け準備が進む中、部屋の前に一人の少年の姿があった。
憲兵に許可を得た少年は、中へと一歩踏み出す。
「やぁ、エレン」
ベッドの上で上半身を起こし、本を読んでいる女性。短くなった髪がかすかに開く窓の風を受け、ゆらゆらと揺れる。「ミカサのような長さになったなぁ」と、ぼんやりと少年は思った。前見たよりも細くなった生白い腕に、胸の奥がツキツキと痛む。
女の瞳は弧を描き、柔らかく微笑んでいる。実の姉弟にも関わらず、何と声をかけていいのかわからぬエレンは、居心地の悪さに耳をかいた。すると女の表情はより一層、嬉しそうになる。
「まぁ座りなよ、久しぶりなんだし」
「……おう」
トロスト区が「超大型」巨人に襲われるところから始まり、王政のクーデターが終わって、今に至るまでの数ヶ月間。
人生のエッセンスを凝縮したような、あまりにも濃すぎる毎日だった。
何度も死にかけながら、しかし多くの犠牲のおかげで生き残ってきたエレン。彼はただ「駆逐してやる!!」と憎悪の感情を滾らせていた頃から、一回りも二回りも成長していた。
「イスに座るんじゃないのね」
自然な動作でちょうど女の脚があるベッドの端に座った少年に、アウラはニコニコと笑うばかりだ。「気持ち悪ィ」と弟の辛辣な言葉を受けると、途端に静かになった。
「エレンくんは最近元気?」
「…まぁな」
「ミカサちゃんやアルミンくんたちとは仲良くやってる?」
「…あぁ」
「ミカサちゃんには告白した?」
「あぁ……は?何でオレがミカサに告白する必要があるんだよ」
「えぇ…まだしてないの?」
「しねぇよ、アイツはオレの家族なんだし」
どうやらまだ少年は自身の感情に気づいていないらしい。
アウラは弟に失礼な感想を抱きながら、手に持っていた本をサイドテーブルの上に置いた。
「よく憲兵団はエレンくんに面会を許したものね」
「ハンジさんたちがかけ合ってくれたんだ。…にしても、オレの時とは違って幽閉されてるわけじゃないんだな」
「既に地下牢で“楽しいこと”はしたからね。軟禁状態にして、私の様子を見ているのよ。今、エレンくんと会っているこの時もね」
「………」
「あはぁ、お姉ちゃんの前で暗い顔はしない」
「うるせぇ、バーカ」
「……クーン」
エレンのツンデレが、ツンツンへと進化した。アウラとしてはこれまで溜まりに溜まった弟の感情が爆発し、抱きついて号泣してくれる予定だった。しかしエレンは精神的にしっかり成長している。ただ時折垣間見える姉への罪悪感からくる曇った表情が、この上ない劣情──興奮を誘う。
愛おしい、愛おしいと、抱きしめてドロドロに甘やかしてやりたい気分だ。
「硬質化実験の方は上手くいっているの?」
「あぁ、壁の隙間にクモの巣みてぇに硬質化で張り巡らせた結晶を作って、そこに巨人を誘い込む方法をハンジ分隊長が考えだしてな」
「ふむ、ハンジがねぇ」
「結晶の中には兵士を配置しておく。その人間を捕らえようと巨人が首を突っ込んだ上から、丸太を落とすんだ」
「その方法は成功したの?」
「ボチボチな。まだデカい奴を仕留めるまでには至ってないけど、10メートルに近い個体は倒せている」
この方法で、直接戦うリスクを伴わず、巨人を倒せるようになった。
ついでにエレンは、ハンジがアウラから毎回「体調が悪いから…」と面会拒否を食らっていると、小言を言っていたことを話す。
「ただでさえ彼女には以前三日三晩ぶっ通しで話されたんだ。今度は最悪一週間語り続けられそうで怖い…。わかるでしょ、エレン?」
「ハンジ分隊長に言っておくな」
「えっ?…………やめてよ、殺生な!!」
「体調が悪いけど、本当はハンジさんとたくさん話したがってたって」
「エレン!!くん!!!」
「……ふはっ」
姉の本気で必死な形相に、耐えきれず吹き出したエレン。
そのまま涙を流しながら笑い、途中からその表情は楽しそうなものから、堪えるようなものへと変わっていった。
「本当ッ……はは、予想以上に元気そうじゃねぇかよ……オレ、すげぇ心配…したんだからな」
「お互いさまなんじゃないかなぁ、それは。アニに攫われかけたり、ライナーに攫われたり、挙句には王政に攫われて。ミカサちゃんがどれだけツラい思いをしているか」
「
オレは……オレは何にも知らなくて、弱くて、いっつも守れなくて──────!」
ヒスイの瞳が大きく見開かれ、そこからとめどなく涙が落ちてくる。シーツを握りしめ、床を睨むように見つめながら震わせた感情をこぼしていく少年。長らく溜まりに溜まっていた感情の栓。その蛇口が緩められ、エレンの本音が姉にぶつけられる。
アウラは小さく「うん」と頷きながら、無表情に、そんな弟の様子を見つめた。
「……辛いし、どうしてオレなんだって思う」
「エレンくんの力は、お父さんが、グリシャ・イェーガーが託したものだね」
「オレじゃない誰かでも、きっとよかったんだ。それこそこの力はヒストリアに返された方が、よっぽどよかったんだと思う」
「うん」
「でも、オレは進まなきゃならない」
たとえ仲間を犠牲にしてでもエレン・イェーガーは進む。なぜ進むのか、どこへ進むのか、アウラは尋ねた。
その答えはエレンでさえ詳しくはわかっていない。ただまるで大いなる流れに沿うように、動いている感覚はあるのだと言う。
ただ、と少年は続ける。
「オレは“自由”が欲しい。どこへでも飛んでいける鳥みたいに、オレは生きたい」
だからエレン・イェーガーは戦う。何者にも虐げられない、自由な世界を求めている。
それを聞いたアウラは目を丸くし、「そう」と呟いた。
「姉さんも自由が欲しいんだろ?そのために調査兵団に入った」
「イヤだな、私が兵法会議で言った内容知ってるの?」
「団長たちから大体のことは聞いた」
「…そう」
「それで、元の場所に帰りたいんだろ?それも多分、ライナーたちが言っていた「故郷」ってところに」
「……どうだろう、自分でもよくわからないかな」
「わからないじゃねェ、ハッキリしろ。帰りたいのか、帰りたくないのか」
「…わからないってば。お姉ちゃんだって悩んでるんだ、色々」
「その色々ってなんだよ」
「色々は、色々」
「オレが知らないことか?弟のオレでも教えられないことか?」
「教える云々っていうか、もう全部話したんだけどな…」
「何で隠してたんだよ。何で一人で抱えて黙ってたんだよ。すげぇムカつくしイラつく」
「だって…」
「「オレを巻き込みたくなかったから」とか、そういう理由はナシだからな」
「ご……強情〜!!」
さながらジャ◯アン。強引なエレンをミカサが見たら、火照ってしまうに違いない。「そんなダメよエレン…!」という風に。
はてさて、情緒不安定な弟をどう宥めるか、アウラは頭を悩ます。
泣いていたエレンのかわいらしい姿は引っ込んで、眉が吊り上がっている。若干拗ねた雰囲気も感じるので、これはこれで愛らしい。
これ以上何も話す気がないのは相変わらずだ。彼女を懐柔しようと積極的に憲兵が話しかけてくるが、毎度肝心な部分は右から左へ受け流して、雑談がてら外の情報を聞き出している。
拷問では情報を吐かなかったがゆえの方法。実際アウラの人間性を試すエルヴィンの策に負け、彼女はいささか喋りすぎてしまった。
「悪魔の民」というエルディア人の蔑称や、母親が巨人になった詳細な過去──ぼかして話すつもりだったが「楽園」に送られた、即ち流刑に近い罪を受けたことが明らかになっている──などを話してしまった。また「ユミル」の名や、有機生物の起源とされる『悪魔』についても。
暗い水の底で、少女が出会った『悪魔』。それは人の脊髄のような形をしており、ムカデのような存在だ。
アウラは夢の中で、その『悪魔』を見ている。なぜ砂と光の柱の世界の少女の過去(?)のようなものを見たのか、理由はわかっていない。仮に前世がその少女だったとしても、アウラの片隅の記憶にある「私」の最期は、身体に刺さった複数の矢だ。それから意識は暗い底へと沈むように消えていった。
同時に彼女の最期を包み込んでいたのは、青い空である。
もしかしたら前々世が、
単純にユミルの子孫であり容姿が瓜二つであるから、少女に気に入られた可能性もある。
「アウラ」が何者なのか、彼女はやはりわからずにいる。
ただ確かなのは、ユミルとの関係がどうであれ、前世が矢に刺されて死んだこと。それだけは確か……確かだと信じたい。死んだ人間の魂が複数混ざって転生したとか、そういった複雑な設定はごめんである。
まぁ色々考えて、最終的に「ジークお兄さまがいればいいや」で終わるのが、アウラ・イェーガーという残念な変態だ。
「単純に初恋の人に会いたいからかもねぇ………なんちゃって♡」
「ハ?」
▶︎エレンの ハラをつねる こうげき!
▶︎アウラは
「キモい声出すんじゃねぇよ」
「お姉ちゃんになんてことするの…?それに思い返せば、私実の弟にさっき「テメー」って言われてなかった?」
「お前が昔オレによくやったんだろ」
「はい、ほら今も「お前」って言いました。「おねーちゃん」って言ってご覧?」
「ハンジさんに「姉さんが巨人トークをした過ぎて干からびてた」って言っとくな」
「やめて?」
昔のように問答無用で「死ね」と言わない辺り、弟の思春期はもしかしたら緩和されているのかもしれない。
久々の家族の団欒に、エレンの表情も冷ややかな視線とは別に、柔らかくなっていた。アウラもまた弟の泣き顔や苦悩する顔など、存分に堪能できたようでご満悦そうである。
「まぁいいよ、言う気がねぇなら。オレは強制できないし、する気もないし」
「さっき思いきり無理やり言わせようとしてなかった?」
「オレは、姉さんを信じてるから」
「………」
「それに姉さんが話したところで、オレたちがライナーたちと戦わなきゃいけない未来はきっと変わらない」
「…うん」
「だから、オレは進む。仲間と一緒に。そして────仲間が死んでも」
「……つよく、なっちゃったなぁ」
「ケガ人の姉さんはここで時間でも潰してろ。その身体じゃ戦えねぇだろうし、そもそも捕まってるし」
「ふふ、私も行きたいなぁ。ウォール・マリア奪還作戦」
「来んな、お荷物だ」
「じゃあ「いってらっしゃい」ぐらい、言っておくね」
「………おう」
唇を尖らし、視線をウロウロとさまよわせるエレン。
突然の弟のデレに、
「ふへへ」
「気色悪い顔すんな」
「だってエレンくんが久しぶりに照れてるから」
「……ばーか」
立ち上がったエレンは、振り返らず歩いていく。そのまま扉に手をかけようとする間際、一言。
「………いって、きます」
アウラは「ん゛っ」と、変な声を上げた。