この私だァーーーーッ!」
「初めてじゃないけど」
「えっ」
「……えっ?むしろどうして初めてだと思うんだ」
「ぢぐじょうっっ………!!!(人類を)ロードローラーだッ!!」
〜ロードローラーend〜
戦争帰り。戦士アニ・レオンハートは義父といつもより豪華な食事をテーブルに並べて、穏やかな晩食を楽しむはずだった。
しかし食事の途中、家のノックが鳴りほろ酔いの父──娘が帰ってきたことで羽目を外している──の代わりに出れば、扉の前にいたのは松葉杖を突いた女。
腕には一升瓶の入った袋が複数ぶら下がっていて、それよりサイズの小さい口の開いた酒瓶が手に握られている。
女の顔は真っ赤で、目は虚。夜が更けてきた時間帯であり、ここに来るまでにかなり飲んだのだろう。
女の容貌は美しい。収容区内でも市街地でも治安の悪い場所は存在する。最悪そのままどこぞの男に目をつけられて、裏路地に連れ込まれる可能性さえある。アニの場合はあり得ないが、今の隙しかない目の前の女ならば危険な目に遭う可能性があった。
「……何でここにいんだい、アンタ」
アニは少しの隙間を残して扉を閉じ、そこから顔を覗かす形で泥酔の酔っぱらいを見る。家に入れたくはない。せっかくの家族の団欒だというのに。しかしこのまま放っておいて、翌日路地裏で全裸に剥かれて転がされているのを発見された暁には、始祖様によって人類が滅ぼされるかもしれない。
結局どうしたものか、悩むこと数秒。
アニは一旦酔っぱらいを保護して、食事を終えたら別の人間に任せてしまおうと考えた。ピークはダメだ。彼女もアニと同様に、唯一の肉親である父と家族の時間を過ごしているはず。
そもそもなぜジークはこの女の手綱を離してしまったのだろうか。マトモに制御できるのは彼しかいないというのに。
兄と共にいないということは、それ関連で何かあり泥酔するまでに至ったのだろう。
女の祖父母も考えたが、住む場所を知らない。女に聞こうと思えども、完全に酔いが回って呂律すらうまく回らなくなっている。そしてわざわざここから軍事基地まで運ぶ労力も願い下げだ。
何度も言うが彼女は戦争帰り。疲れきっている。
「……いや、ゴリラでも大丈夫か。親戚が揃ってるだろうからガビもいる」
ひとまず今にも倒れそうな女を回収し、壁にもたれさせて食事を再開したアニ。
迷惑料として一升瓶はもらい、(一応異物が混入してないか味見してから)父親に渡した。
ほろ酔い──いや、着実に酒に呑まれ始めた父は、女をアニの友人と思い哄笑する。「お前に友だちがいたのか!」と。
友だちくらい……いる───と、彼女が考えた脳内に、それらしい顔は浮かんでこなかった。ピークがギリギリ友人だと思うものの。
そして食事を終えて食器を片づけ、酔いの回った父親が寝室に向かうのを見届けてから、水の入ったコップをもう一人の酔っぱらいに届ける。
それを飲んで少し正気に戻った女は半目で何度か瞬き、「しにてぇ」と言った。
ここまでの経緯を聞けば祖父母と食事を共にして、その帰り際ジークと一悶着あり、酒場に寄って飲んだ後アニの元へ来たらしい。心情的に家に帰ることもできず、かといって祖父母のもとではなくアニの家。女の中で祖父母よりも彼女の方が頼れるから来た。
帰れ。ツンドラハートは思った。
「何でジークと一悶着あったんだい」
「しにてぇ、しにてぇしにてぇ…………」
「死んでもいいけど周囲は巻き込まないでよ」
「……つんどら。この、つんどらはーと」
「ハ?」
ビキッと、アニのこめかみに青筋が浮かぶ。
今暴力を使っては世界が滅ぶ。そう思い込ませ、深く息を吐いた彼女は身支度をして、この酔いどれブラコン女をさっさと他所へなすり付けようと決める。この女が何か失言しても、エルディア人用の収容区だ。後でいくらでも記憶をいじるなりできるだろう。
「どうしよ……どうしたらいいとおもう、つんどらちゃん」
「……フゥー……………何が?」
「あうらちゃんってばいけないこ」
「だから、何が?」
「ちゅー」
「………ちゅ、ちゅー?」
アニの頬が少し赤く染まる。別にそれは「ちゅー」の形をした女の唇が魅力的であったとかそういうわけではなく、そういうことを覚えるのはゴリラであって──、「ちゅー」の言葉に反応してしまったのだ。彼女を構成する因子に多く含まれるのが乙女属性である。
「ちゅー………しちゃった、おにーしゃまに」
思い出したのか、酔いとは別で顔を真っ赤にしていく女。顔は嬉しそうで、しかし何かが決壊したように水滴がボロボロと瞳から溢れる。
事の重大さを理解したアニは他所へ押しつけることをやめ、仕方なく家に泊めることにするのだった。
⚪︎⚪︎⚪︎
レオンハート家で一晩を過ごしたアウラはその後、アニに勧められたブラウン家(すでにライナーの恋路が伝わっているのか、快く受け入れてくれた)や祖父母の下、手伝いに行く病院で寝泊まるなどして過ごした。
最低限の物資をバックパックに詰め移動する様は完全に旅人のソレである。もちろんジークと出会さないよう配慮し、世話になる人々にも曇った美女を装って「兄とケンカして…」と話している。理由の追求はうまく躱した。
また自分がいることはなるべく兄に伝えないで欲しい、とも告げてある。
日が経つにつれ、ジークが妹のことを心配するだろう──と周囲も思ったものの、イェーガー家の複雑な家庭の都合上、無理に言うことはなかった。
ガビについては従兄の恋を応援しつつ、優しい姉ができた気分で、すっかり懐いた。
最初こそ警戒心と、
アウラは“家族”として超えてはならない一線を越えた。
狂った頭で──いや、狂っている頭がより狂った中で──衝動のまま、理性を失って行動を起こした。
そして、放心した兄から逃げた。
元より家族間でタブーとする感情を兄に抱いていることは、幼き日に理解した。それと同時に家族愛を有しているのが、彼女の異常性の一つでもある。
“狂っている部分”の女は、自分の
ただ────ただ、“人間の部分”の彼女は踏んでしまった禁忌の地雷に、文字どおり「死にてぇ」となっている。
最高の最期を計画する中で、兄を曇らせながら、その距離を縮めていきたいとは思っていた。
肉体も精神も兄に犯されたいとも思う彼女はしかして、やはりその超えてはならない一線というものを越える勇気はなく、越える気も本来ならなかった。絶対に、とは言えないが。
その一線を越えた暁には、極上のジークの曇った顔を見られる反面、彼女自身も、それこそかつて頬を叩かれたとき以上に傷つくことがわかっていた。
狂気と、人間性の部分で作られるアウラ・イェーガーの精神は、絶妙なバランスを保っている。
絶妙がゆえに影響を受ければ崩れやすく、脆い。
彼女から言わせてみれば、傷ついた自分の感情に、兄の苦しみを
ジークはアウラの全てで。
何より、兄の曇った顔を見ることに命を懸けるフェティシズムの究極系と称せる「変態」を、女は持っている。
そして後悔と思い出し絶頂と、喜怒哀楽を日々のスパイスに精神的に摩耗し続けるアウラは、図書館に赴いた。
再び戦士の出征ののちに、帰還。
そうして過ぎた日数は片手では足りない。一ヶ月、二ヶ月……と経ち、事情を相談されていたアニも、いい加減逃げ続けるのはやめろ、と女を蹴りたい気持ちをライナーにぶつけ、イラついている。彼女としてはさっさと気の迷いということで終わらせて欲しかった。その方が兄妹としてもよいだろう。
何せ『アニちゃん入れて────どうして開けてくれないの?』と、まるで歌うようにブラコン女が家にやって来る。
しかもレオンハート(父)だけでは気まずいからと、アニがいる時に限って。
戦争と精神負荷をかける女のタブルタッグ。サンドバックナーは、そろそろ理不尽な蹴りに尻が使い物にならなくなる。
ちなみにアニの中のタブーの認識としては、あのブラコン女ならばやる……という考えである。さすが一度変態の絶頂シーンを見てしまっただけはあって、思考が達観している。
ジークも表面上はいつも通りだが、その内心は相当参っているに違いない。哀れに思いつつ、それを顔に出さないようにと、また彼女の疲労が増える。
「ハァ…」
アウラは、兄とどう接していいのかわからなかった。
どう切り出して謝れば許してもらえるのか、元の関係に戻れるのか。だが彼女のした行為は妹を想う兄への“裏切り”に他ならず、到底許してもらえるとは思えない。ジークの方から接触の気配が一切ないことも、その考えを加速させている。
このまま距離を置いて、また置かれ続けて、感情の壁が築かれていけば関係の修復は不可能になる。
──いや、もうダメかもしれない。
世界が巻き戻ればよかった。だが彼女の耳にはチクタクと、図書館に置かれた大きめの古時計の音が響く。一秒一秒進んで、「今」が過ぎ去って、過去になる。
戻れない。進むしかない。
ならアウラは、どうすればよいのか。やる事については概ね決まっている。そのためにイェレナと接触し、一つお願いごとをした。
それがうまく行くかはわからないものの成功して、そして条件が揃えば、彼女は最高の最期を迎えられるだろう。兄どころか、弟にも自分を刻みつける形で。
「相席、いいかしら」
頭を抱えていた彼女が顔を上げれば、そこにいたのは松葉杖を突いた女性。猫背とウエーブした長い黒髪が特徴的である。
手には何冊か本が握られており、一見すると調べ物か何かに来たらしい。
兵士の服と、赤い腕章を目に留めたアウラは思わず胸を凝視した。相変わらずデカい。
女性────ピーク・フィンガーは相席の許可をもらうと、相手の正面に座る。
テーブルの上に散らかっていた本はその犯人によって隅に追いやられ、ピークの本が載せられた。
静閑な図書館に本来ならかなり響くであろう松葉杖の音。それにアウラが気づかなかったということは、相当悩んでしまっていたようである。
「以前はごめんなさいね。上に乗っかったまま寝ちゃって」
「いえ、驚きましたが大丈夫ですよ」
二人の対面は「ドキドキ♡ソファーの上で禁断の添い寝」ぶりだ。実際上に乗られていた当事者としては、薄暗い中に見えた黒髪はホラーであった。
「結構色々読むのね。ふーん、サスペンスに、歴史書に……」
「えぇ、まぁ…知らないことがたくさんあるので」
「大変だねぇ、色々。じゃあこの本も読む?」
ピークがずいっと差し出した数冊の本。積まれたその上の表紙に目をやって、アウラは固まる。最近貸りて読んだばかりの本だった。その下も、その下の本も。
どうやら、偶然の出会いではないらしい。まぁ、他の席も空いているというのにわざわざ彼女の前に座ったのだから、何かあるのだろうとは思っていた。既読の本を持っているということは、貸出履歴でも図書館員に頼んだのだろう。
ちなみに本を借りる際は、住所や名前、個別番号が書かれた図書カード(発行する際は身分証を必要とする)と本を持ち込む。
図書館員はそれに合わせて、本の内部にあるブックカードに個別番号や貸し出し期限を記載する。同時にどの本を誰に差し出したかも、別に記録して保管しておく。
その別に保管したデータをピークは調べたのだろう。アウラが何を読んでいるのかを。王家の本ばかり読んでいたら怪しまれる可能性もあるが、彼女はバラバラに貸りて読んでいる。
どこでどう彼女、あるいは兄に不信を抱いている人間がいて、調べられるかわからない。気をつけるのは当然のことと言える。強いて言えば歴史書の割合が多いかもしれないが、誤差の範疇だろう。
だが今回はあまりに借りた本が露骨すぎた。そこまで気が回らなかった。
そんな中で、今彼女の状況と借りた本を照らし合わせると、アウラが何を思っていて、そしてピークがいかような目的で来たのか読めてくる。
「『ソニー・ビーン』『滅んだフリッツ王家の分家とその血筋』『青肌の謎』────他にもエトセトラ、一つのテーマに沿った本を借りたらしいね」
「…何が目的なの」
「「
彼女の言葉の真意がわからない、とばかりに首を傾げるピーク。
「あの時、部屋に侵入して一騒動終わった後、あなたソファーの上で起きていたでしょう」
「あ、バレちゃった?」
テオ・マガトがジークを怪しんでいることはアニから聞いている。
そんな中で隊長殿がみすみす放って置かないだろうことは想像につく。過去と今のジークに違いがあるとすれば、妹の存在。兄の弱みに自分がなっていると思いたいが、弱みができれば自ずと隙も増える。そこを狙って戦士長の企みをマガトが暴こうとするだろう、と。
その弱みの点を考えれば、彼女の存在を認可したことや、わざわざマーレ政府の管下──軍事基地内に住まいの許可を認めたことにも一理通る。アウラが政府の見える範囲にいれば、ジークも動きにくくなる。
そしてマガトの意図を読んだ先で考えられるのは協力者の存在。マガトのみではジークのことを調べるのは難しい。
ゆえに協力者───それも、戦士長の懐に違和感なくつけ入れる人材が必要となる。
アウラと仲の良いアニ(虚しくも周囲はそう認識している)やライナーは除外される。マガトとしても信用を置くには欠ける。ジーク云々の前に、壁内を裏切った女を信頼できないと考えるのは当然であろう。
ポルコも“懐”を考えれば決定打に欠け、戦士を目指す少年少女は言わずもがな。
そうして協力者の候補を消していった中で、最後に残った有力な候補がピークというわけである。
潜入など得意な部分を踏まえて、これ以上の適任はないだろう。彼女は始祖奪還計画が実行されている中、長年マーレで戦士長と共に行動してきた人物でもある。ジークも信頼を置いていると考えてよい。だからこそより近づきやすい。
そう考えていたアウラの読みは、兄妹が朝の騒動を終えてコーヒーを飲んでいる横で、タヌキ寝入りをしているピークを見て、“
「どうして寝てないってわかったの?」
「人の上に乗っていた時と、ソファーで寝ている時の呼吸とか、腹の沈み方が少し違ったから」
「へぇー…観察眼があるんだね」
「で、結局何が目的なんでしょうか」
「聞きたい?」
「別に言わなくてもいいですけど」
今の兄妹の状況を隙だとマガトが感じているなら、これ以上アウラは話すつもりはない。
席を立とうとする彼女に、少し慌てたピークが止める。
「私のおせっかいで来たようなものなの」
「……おせっかい?おせっかい焼きのピーク・フィンガー?」
「二つ名みたいに言わないで欲しいな。あなたのお兄さんが……ね?」
アウラは口をつぐんで、席につく。
「ジーク戦士長の様子がいつも通りに見えて、変なことには気づいていたの。アニも本人の前じゃ顔に出さないようにしてたけど、裏でドッと疲れた顔してたし。勘のイイ人とか、鋭い人は気づいていると思う。
「ドベちゃん…」
「本当頼りになるんだか、ならないんだか、わからないドベちゃんだよ」
ライナーが前線で活躍していると、アウラは耳が痛くなるほどガビから聞かされている
「それでつい先日、いつものソファーで寝ようと思ったんだけど、戦士長に相談されたの」
「また……」
「不眠症なのは本当なの。許してって。で、何とも重い話を聞かされてしまったわけですよ」
「家族の距離感とは?」から始まり、最終的にピークは大分前に妹から明らかに“家族”の距離感でない接触───口づけをされてしまったことを聞いて、せっかく眠れると思った中、思考が一気に浮上することになった。
その時浮かべていたジークの顔は、コーヒーの湯気でメガネが曇り感情が読み取れなかった。
しかし繕っていた表の“戦士長”の皮が剥がれて、心が外界に晒されていた。粉々に砕かれてしまったような、心の臓を。
「すぐに正気に戻ったのか、「忘れてくれ」って言われたけど、鈍器で殴られるような衝撃を受けたら、忘れられるわけないじゃない?」
「だからって、どうしてあなたが兄妹の問題に顔を突っ込むのよ」
「キスに関してはそっちの問題だけど、その問題が私たちの方にまで被ったら困るから。仮にもジーク・イェーガーは戦士隊の戦士長。その判断ミスで、私たち戦士……いえ、マーレ政府が巨人の力を主戦力としていることを踏まえたら、マーレ全体の問題になってくることだって考えられる」
「………そう」
「ねぇ、ここは私に相談してみない?これでも恋愛経験は豊富なんだ」
「私だってモテます」
「お兄さん一筋じゃないの?ライナーのことも噂で一回断ろうとした、って聞いたけど。その分じゃ恋愛経験はないんじゃない?」
「………ぐうの音も、出ない」
それこそ告白された回数は生涯すべてを数えたら、三桁は超えるだろう。兄のためならその身を他の男に利用することだって厭わない彼女はしかし、キッスが未経験(家族はカウントしないものとする。だがそれを言ったらジークも家族だが、今回はノーカンとする)だった。交尾は言わずもがな。
いくら一人で悩んでも仕方ない。アニは積極的な意見を出さず早期解決策しか掲示してこないので、アウラとしての最善策が見つからない。
結局彼女は、おせっかい焼きのピーク・フィンガーに相談することにした。
「まず、どうして実の兄にキスなんかしちゃったの?」
「……す、好きだから」
「それは家族として好きなのか、それとも禁断の愛?」
「………全部、グチャグチャ」
「じゃあどの“好き”なのかはわからないのね?」
「……いえ、どれもあって、家族としても、その…………異性とかの、方……でも」
「その感情が世間一般からしたら、
「…あります」
「うーん、そっか。これはまた中々、難しいね」
アウラはどうすればよいのか、率直に聞いた。アニに相談した時掲示された、「なかったことにした方がいい」という内容も踏まえて。
やはりアニに相談していたか──と瞳を閉じたピークは、深く息を吐く。
チクタクと響く、時計の針の音。
少しの静寂を待って、背もたれに深く寄りかかっていたピークは体を前のめりにし、顔を正面の女に近づける。
テーブルに押し付けられたそれに、アウラの目が向いた。まるで親の仇とも言わんばかりに。
「まぁ、あなたの気持ちも共感できる。戦士長は今でこそヒゲ面のおじさんになっ──「ハ?」………おっと、地雷だったか、ごめんね。貶してるわけじゃないから。今は実年齢より年上に見えるけど、候補生時代は格好よかったからね」
「お兄さまはずっとイケメンよ」
「……うん。話が逸れるような発言は少し控えてて。それで、ぶっちゃけると」
「…何」
「好きだった時期があります、私も」
「………」
「そんな怖い顔しないでよ。飴ちゃんあげるから」
そう言い、ピークが上着のポケットから取り出した飴の包装が解かれ、白い色の楕円のそれが薄い口元に近づけられた。
何か入っていると怪しむアウラに、何も入っていない、と一度ピークは食べてみせて二個目を取り出す。
サスペンスでよくある手口、最初はフェイクで二回目が本命や──とまたもや訝しむ女。
それが繰り返され、ピークが
「ふぉれで……ンンッ、ふぉっと待っふぇふぇ」
ガリゴリと噛み砕く音が響く。飲食禁止の貼り紙の存在は、完全に意味をなしていなかった。
「それで、これは私の話になるけど、私が不眠症なのはあなたもすでに知っているでしょう?」
「えぇ」
「今に限った話じゃなくて、どちらかというと子供の頃の方が眠れなかったの。私は戦士だけど、周りよりも精神が弱めなのはわかってるから」
「でも、ドベちゃんほどじゃないでしょ」
「ドベちゃんはむしろ強い方よ。じゃなきゃドベのドベちゃんが戦士になるなんて、できなかっただろうから。マーレへの忠誠心や我慢強さ──言い換えれば強い心が評価されているもの、彼」
「………」
「それでもボロボロになっちゃったのは、
「……さすが、と言うべきなのでしょうね。ピークちゃんのその…頭の回転っていうのかな」
「でも、それでも眠れなくなる時がある。戦士な以上仕方のないことだとは思っている。候補生になる前はとにかく戦士になることに意識を向けていたから、辛いことが多かった」
「ピークちゃんも家の事情が関係しているの?」
「そう。戦士のほとんどは、家族や親族関係で色々と抱えていることが多いと思うよ」
「……そっか」
「話を戻すけど、眠れないことが続いて精神的に参ってた時に、戦士長が膝を貸してくれたの」
「………ホォー…」
「ちょうど外で、ベンチの上で、お日さまが当たっていて…よく眠れたわ。それがきっかけだったかな」
「ソーナンダァ…」
白銅色の瞳がより濁り、沸々と肌が栗立つような冷気が場に漂う。お兄さま至上主義の変態の地雷がいくつも爆破されていく中で、特大の地雷が踏まれた。メーデーメーデー、ただちに図書館から避難せよ。
「で、キスをしました」
瞬間、美女の口から長い間の後に、「ア゛?」とドスの利いた声が漏れた。
内容はわからぬものの、種類の違う美女が気になり遠くから様子をうかがっていたモブ図書館員の男は、思わず棚に戻していた本を落とした。静かな館内に、響いた氷点下を知らせる声。二人の美女。翌日図書館員の間で壮絶な修羅場が話題で持ちきりになるのはまた、別の話。
「休憩中に寝てて、周りに誰もいなかったし、思わずね」
「………」
「直後目を覚ました戦士長に想いを伝えたけど、断られちゃって」
「………」
「子どもだからとか、年齢差だからとか、そういった理由で断ったわけじゃなくて。純粋に気持ちは嬉しい、って言ってた。でも恋はしないんだって、あの人。当時の私は戦士長の過去は知ってたからわかったんだ。きっと家族のことが関係してるんだろうな──って。実際に今でもドベちゃんとは違って浮ついた話を聞いたことがないから、恋人とかは作ってないと思うよ」
「………」
「そんな食ってかかりそうに私を見ないでよ。怖いなぁ。好きだった気持ちは過去のことだし、今はポッコをからかうのが好きだから」
「……ポッコ?」
「「ポッコ」はポルコのあだ名。それで呼ぶといつも怒るの。頑張りすぎてるから、ほっとけないんだ」
ニンマリと笑うピークは、可愛らしい。深冷のアニとはまた対照的な美人である。
アウラはイェレナと対面した時のような嫉妬で腹を満たしつつ、しかしピークの内心が
純粋に兄を想ってくれる人がいるのは嬉しい。いや、正しくは「想ってくれた」か。
「ただ、どうしても戦士長のソファーで寝ちゃうのは……許してね?」
「許さない」
「刷り込みみたいなものなんだもの。あの膝の感覚っていうか…今は本当に恋愛感情はないから、安心して」
「できない」
「複雑な乙女心だね…」
テーブルに肘を置いて、両の手の甲に顎を乗せたピークは歯を少し覗かせて微笑する。
アウラ・イェーガーは確かにイかれたブラコン野郎であるが、同時に付随して人間の一面をしっかり持っているようである。その方向性は禁忌にズブズブ浸かっているが。
「結局のところ、話し合うしかないと思うよ。本で調べたりしてないで。そもそも自分の感情を知るために調べてそれがタブーだとわかったのか、その逆なのかはさて置き、逃げ続けるのは愚かだ」
「……わかってる」
「近親について調べていたのは、もしかしてその感情を正当化させるためでもあったの?だとしたら、それはやっぱり逃げている」
「…わかってるって、言ってるじゃない」
「素直に謝るのも手だと思う。少なくとも行動に移したのはあなたなんだから。この場合被害者は戦士長の方。あなたのその感情が派生するに至った原因となったのが、かつて7歳のジーク・イェーガーの行動に起因していたとしても」
とある社会学者が提唱した内容によれば、幼い頃から同一の環境で育った者には性的興味を抱くことは少なくなるという。
それに基づく研究がいくつか行われた記録も存在する。
これに正当性があるなら、幼少期兄と別れてしまった幼女が成長して、性的な感情を抱くこともあり得るのだろう────と、そういう風にピークはいくらか知識を入れて、考えついた。
「謝れないわ」
「どうして?」
「……私の「好き」が本物だからよ。謝ったら自分の感情に嘘を吐くことになる。これまでいくらでも嘘を吐いてきたけど、そこは、それだけは……譲りたくない。こんな感情ない方が自分のためにもなるのに、ってわかってるのに。でも、捨てきれない」
「なら尚更話し合って、その感情を説明した上で、向き合わないと」
「………むり」
「けれどお兄さんは、きっとあなたに──妹に向き合ったんでしょ」
「……それは」
「最後にどうするのかは、あなたが決めること。私はアドバイスをすることしかできない」
ピークは最後の一個の飴を取り出して、固く閉じられている口元に押し込み、包装の紙をポケットに突っ込む。大量の屑が入ったそこは、彼女が動くたびにカサカサと音を立てた。
「後悔しない選択を取ってね。私はそろそろ行くから」
持ってきた本を置いたまま、席を立つピーク。
もだもだと、後ろに向かって突っ走っていたアウラの背を押したのは、接点のあまりなかった車力の少女。
口の中で転がるそのほのかな甘さにふと彼女は感じた。もしかしたらだが、いや、もしかするのか。
その考えが正解なら、ソファーで寝ていた件も、アウラの深読みのし過ぎとなる。
「……車力の恩返しってこと?」
松葉杖を持ったピークはその一言に目を丸くし、さぁね、と首を傾げてみせた。
果たしてそれが図らずとも、戦士たちを救う結果になったアニの協力者への貸りを返したものだったのか、アウラには分からなかった。
「後悔」という言葉が、前世のユミルを理解することのできなかった狂った
きっとこのまま今の問題を放置して、自分の目的を進めることはできる。
ただその果てに待ち受けるのが、ドス黒い腹をのたうち回る感情になってしまったらと思うと、やはり目を開けて進むしかなかった。
今度は、前を向いて。
・『ソニー・ビーン』
お ま え く い た い。
・『滅んだフリッツ王家の分家とその血筋』
ハプスブルク家のようにその血の純血を保つために近親を繰り返して滅んだ家系もいるやろ、って妄想。
・『青肌の謎』
青くなっちゃったんやね。