飛行船を操縦するのはオニャンコポン。その隣では団長であるハンジ・ゾエ、すでに回収されたアルミンやミカサ、リヴァイにミケなど幹部組の面々が並ぶ。
同室には死体を偽装するため、四肢を残してきたジークと、今回の惨劇を生み出すにあたったエレン・イェーガーもいる。
また、イェレナもダルマな男の傍に控えていた。
調査兵団の死者が六名だったのに対し、マーレ側は大きな打撃を受けた。少なくとも当分のパラディ島への侵攻は難しいだろう。「地ならし」を試験的に試す猶予期間は十分稼げた。
続々と兵士が飛行船へ帰還する中、コニーが大通りで回収した女も、また船に乗りこんだ。
曰く、車いすを支えにしながら歩いていたところを発見した──とのこと。
裏切り者、アウラ・イェーガー。
同時に始祖ユミルの寵愛を受けし女。
ウォール・マリア奪還作戦に参加したフロック・フォルスターも、間近で女を見るのははじめてであり、奪還作戦以降に調査兵団に入った兵士は言わずもがな。
なぜ女がドレスを身にまとっているかはともかく、「裏切り者」と知れている以上、兵士らの心情は穏やかではない。
それは彼女を実際に知るコニーたちよりも、伝聞で得た情報が壁外への敵対心も相まって、新参者の方が純粋な憎しみを抱いている。
睨みつける視線をしかし、意にも介さない様子の女。
緊迫した中で兵士の一人がブレードを握る音が聞こえた直後、それを制するようにフロックが前に出た。
「裏切り者の、ご登場ですか」
皮肉の交じった言葉に、アウラはフロックへ視線を向ける。白銅色の瞳が何をとらえているか、窺い知れない。
「ジーク・イェーガーはどこだ」と言い出すとも思われた。しかし女は兵士の顔を確認するように見ているようだ。
「団長たちは奥にいらっしゃるのですか?」
「ハンジ団長は奥にいるよ」
「ハンジ…………
どうやら、エレンと接触しただろうことは予想がついていたが、エルヴィンがすでに亡くなっている件などは伝えられていないらしい。
コニーの返答に、アウラは眉間にシワを寄せる。
ハンジ・ゾエよりもミケ・ザカリアスの方がよいだろう──と彼女が思った束の間、胸ぐらをつかまれる。
つかみかかった犯人の男は、激しい憎悪と怒りをにじませて、睨めつける。
至近距離になったフロックの瞳を女は見つめ、困ったように眉を下げた。
「貴様のエゴのために、どれだけの兵士が死んだと思っている!!」
「乱暴はよしてよ、怖いなぁ」
「……ッ、最初から情報を包み隠さず話していれば──」
「何か変わっていたかもしれないって?」
女の瞳がスゥ、と細まる。
確かに壁外の情報を知る彼女がエルヴィンたちに話していれば、戦況は大きく変わっていたかもしれない。
中央憲兵の脅威についても、情報が漏れないようにエルヴィンが情報を伝える人間を信頼のおける人物に限れば、それで済む。
だが当のエルヴィン・スミスが知りたかった“世界の真実”を知ってしまえば、進めなくなっていた。
四年前超大型が出現した時。
あるいは女型がエレンをねらった時。
あるいはストヘス区戦、あるいはライナーとベルトルトがエレンを攫った時。
人類は大きな節目で活路を見出してきたエルヴィン団長の推進力を失い、早くに滅びを迎えていたかもしれない。
改めてエルヴィン・スミスがどれほどパラディ島にとって必要不可欠な存在だったか、考えると枚挙に暇がない。
調査兵団は偉大な英雄を亡くした。
その場面がおそらくウォール・マリア奪還作戦時だろう──と、アウラも予想がついた。
だからこそ彼女の反応に、目の前の男の逆鱗に触れたのだろうとも、考えて。
深く、息を吐く。
「自分で進まぬ者に、夜明けは来ないんだよ」
現にエルヴィン団長が亡くなっても、調査兵団は進み続けている。一人一人が歩んでいるからこそ、機能し続けているのだ。
アウラの答えに胸ぐらを離したフロックは、静かに「そうですか」と返す。
そして徐にブレードを抜いた。コニーが咄嗟に反応したが、フロックの周囲にいた兵士が肩をつかんで阻む。
「何考えてんだフロック!!」
「コニー、考えてみろ。本当にこの女が「寵愛の子」っていうのなら、
「ハ!?ん、なの………」
「普通なら死ぬだろうな。でも俺たちは実際にアウラ・イェーガーが寵愛を受けている様子なんて、見たことがないわけだ。つまり本当かどうかわからない。だから俺は試してみよう、って言ってるんだよ」
「お前の私情でか?それは……間違ってんだろ」
「お前はこの女の肩を持つのか?お前の母親を巨人にした男のためなら、パラディ島を裏切れる女に?」
「………ッ、でも、それと今のお前の行動とは…」
「関係がないって?俺たちは裏切られた者同士、同じなんだよコニー。同じ恨む相手を持つ仲間だ」
それに殺すわけじゃないと、フロックは女の左足へブレードを当てる。
「死なない程度に……そうだな。足首を試しに切ってみるだけさ」
異質な空気が場を支配する。それは例えるなら、現代におけるいじめを肯定する教室の雰囲気、といったところか。
いじめの場面を見て悦ぶ者もいれば、その空気に耐えかねて表情を歪める者もいる。
だが「裏切り」の事実が存在するからこそ、誰も止める者は現れない。それこそコニーを除いて。
当の彼もフロックの言葉を受け、感情が揺らいでいる。
ジークの被害に遭ったラガコ村唯一の
そんな男のために何でもするアウラの存在は、心象悪く映っても仕方のないことだ。
元より104期生の中で女と関わりが少なかったことからも。直接話したのは今回がはじめてだろう。
「何しよんのか!!!」
だが異様な雰囲気に包まれた中で聞こえた声に、一同の視線が出入り口へ向く。
そこにいたのは、今戻ってきたらしいサシャ。
四年の間にすっかり大人びた──見た目はビジョ、頭脳はハングリー。その名は…………妖怪パァン女!──彼女はフロックへ詰め寄ると、言葉を発そうとした彼を無視して、頬に拳を叩き込んだ。
周囲が騒然とする中、よろけて彼女へ物申そうとしたフロックに再度、肘打ちを食らわす。
とうとう彼は倒れ、理由のない二回目のエルボーに困惑した。
「な、何すんだよサシャ!!」
「女性に暴力をするような人は、私が許しません!!」
「お、お前だってこいつに裏切られたんだろ!」
「だからってあなたがブレードを抜く理由にはなりませんよ!」
「ちょ、ちょっと落ち着けよフロック、それにサシャも──」
「コニーは黙っていてください!!」
サシャのエルボーが、今度はコニーに炸裂した。吹き飛んだ彼は頬を押さえ、しばし固まる。
なぜ俺は今殴られたんだ……?と。
興奮収まらない彼女は周囲の兵士に睨みをきかせ、語る。
「恨むお気持ちもわかりますが、あなたたちより私やコニーたちの方が、よっぽど複雑な気持ちを抱いているんです。だから……だからこそ、軽率な行動は控えてください」
「……お、俺は今夢を見ているのか?あのサシャがマトモなことを言っている…」
「失礼なこと言わないでください、コニー」
瞳をこするコニーに心外だ、と言わんばかりのサシャ。
ついで彼女の向いた視線に、頬を押さえていたフロックは唇を噛み、「悪かった」と小さくこぼした。
そんな騒ぎがあったためか、奥の部屋で話し合っていたリヴァイが顔を覗かす。
小汚い、と称したエレンを蹴ったばかりの男は、その姉を見るなり瞳孔を少し大きくして中へ戻った。
そのすぐ後現れたのは、ハンジ団長。一時的に指揮をアルミンに任せた彼女は、近くにいたサシャとコニーに事情を聞く。
そしてフロックを一瞥し深く息を吐いた彼女は、床に座り込んでいるアウラの前に立った。
「やぁ、久しぶりだね、アウラ・イェーガー」
ニッコリと微笑んだハンジにアウラが言葉を返そうとした瞬間、顔へ強い衝撃が起こった。
床に手をつく形になった彼女は、ジン、と痛む頬を押さえる。
視線をハンジへ向ければ、握りこぶしが空中の中途半端なところで止まっている。
自分は殴られたらしい────と、理解したところで、彼女は口元を隠した。
歪みかけた、口角。それをハンジやその周囲に見られてはまずい。
依然微笑んだままのハンジは表情を消し、コニーとサシャに奥へ女を連れて行くよう命じ、中へ戻る。
団長の行為が兵士への牽制行為でありつつ、
だからこそアウラは激ってしまったのだ。本当に、救えない変態である。
そして二人に肩を持たれる女。
その時ジャンも帰還し、あとは最後尾を担当する兵士だけとなった。
ジャンが戻ったため一旦止まった二人は、ジャンと一言二言言葉を交わす。
対し空気を変え、今回の勝利の余韻を味わおうと大声をあげたフロック。それに続き、周囲の兵士が拳を掲げた。
ジャンはアウラを見るなり、苦い顔をする。ついでサシャへ視線を向け、代わると申し出た。
「大丈夫ですよ、代わってもらわなくても。重くありませんし」
「バカ、そういう問題じゃねぇよ。無理してんのが丸わかりだっつーの」
「む、無理なんかしてませんって!」
「いいからほら、代わった代わった」
サシャを横へ追い出し、アウラの肩を持ったジャン。だが男二人で両脇を固めるより、おぶって連れて行った方が早いと判断し、コニーを外させる。
コニー、サシャ、ともに複雑な心境を抱いているとわかっているがゆえの、彼の判断。
馬面だなんだと言われていた少年は、間違いなく真のナイスガイである。
「やましいことを考えたら許しませんからね」
「そうだぜジャン、いくら思春期だからって」
「………オメーらは俺の気遣いをなんだと思ってんだよ!!」
女の肩を支えるように持ったジャンへ向く、コニーとサシャの胡乱な目。コニーの方は冗談だが、サシャの方はガチだ。彼が大声を上げると、二人はたまらず噴き出す。
その光景を見ていたアウラは瞳を伏せて、小さく微笑んだ。
(────えっ?)
そして、自分の口元が緩んでいることを、疑問に思った。
微笑んでいた笑みは自嘲に変わり、頭を押さえたい気持ちに駆られる。
ハンジに殴られたことも、パァン少女がパァン美女になって、自身へ複雑な思いを抱いていることも。
それに周囲から向く裏切り者への憎悪も、どれも彼女の心をかき回して、心地よくする。
そんな中で人間性の琴線にも触れて、複雑な感情を抱いてしまっている。
かなり賭けだった飛行船への搭乗も成功し、あとは最高の最期を飾るだけだ。
摩耗した精神と、「生」への余韻を感じる中で、彼女はため息を吐いた。
「…ん?」
その時視界に入ったのは、出入り口の場所。息を吐いた拍子に見えたのは、子どもの手らしきもの。
つい先ほど、何か音がした、とサシャが振りかえっていた場所でもあった。その際は何もなかったはずだ。
──否、まだ見えていなかっただけか。
銃口の先が見えていることに気づいたアウラは、手を伸ばしていた。
背中を晒している、サシャやコニーの背を押す。
自分で何をしているのか、アウラにもわからない。
はじめての感覚であった。体が考えるよりも先に、動くというのは。
いや、今まで何度かあったのかもしれないが、どれも彼女の意識が正常にはたらいていなかった時に起こったもののように思う。
ともかく「何をバカなことをしているのだろう」と自分で思った直後、腹に熱い感覚が走った。
ゆったりと時間が流れる中で、宙に舞うのは己の腹から漏れた鮮血。
倒れ込む間に押されて床に倒れたサシャとコニーは、瞳を丸くし固まっていた。その上に落ちるように彼女の体は倒れる。
対し、最後尾の兵士を殺し、船と繋がっていたアンカーを利用して飛行船へ侵入したガビは、撃った人間を見て硬直する。
同時に少女を守るため、兄の制止を無視して付いてきたファルコも言葉を失った。
「…………えっ」
腹から血をこぼしているのは、敵兵ではなく、アウラ。
ガビは持っていた銃を、思わず落とす。
レベリオ区襲撃を受け、悪魔の民が住む島で育った女と接する中で、少女が抱くようになっていた感情。
たしかにパラディ島の人間は悪魔かもしれない。だがもしかしたら、思ったよりも
ガビの遊びにつき合い、微笑んでくれた女性はいつもやさしく、悪魔には見えなかった。
だが違ったのだ。
罪のないレベリオ区の人間が死んでいく様子。
大怪我を負ったポルコに、病院に着いた後、狂ったように笑い始めてしまったゾフィア。
多くの人間が呻き声をあげ、涙を流す。病院の外に並べられた死体だけではなく、道の至るところにもガレキに巻き込まれた死体があった。
少女と仲の良かった門兵の男たちも目の前で殺され、死体が彼女の中で積み重なって行く。
パラディ島の人間は悪魔だった。
アウラが悪魔でないのは、彼女が結局、マーレで生まれたエルディア人だからである。
収容区の人間たちとは違う。ガビたちとは似て非なる生き物なのだ、悪魔の民は。
ゆえに殺さなければならない。殺して、殺し尽くさねばならない。
少なくともパラディ島勢力はガビから
少女が悪魔ではないとした、アウラ・イェーガー。
血だまりの中で倒れた女に、門兵を撃った女──サシャが大声で呼びかけている。
周囲も突然の事態に固まっていたが、我に返ったフロックがすぐに二人を取り押さえるように命じ、ガビとファルコは床に押さえつけられるように拘束された。その間にも、床に流れた鮮血が広がって行く。
誰の血だ?
誰の、血……。
そこまで考えたところで、少女は大声をあげた。
意味もなく叫び、終いには口を布で塞がれる。
なぜ彼女がここにいるのかわからない。その理由を思考する前に、殺された収容区の人間の姿と撃った感覚が脳を支配して、意味のある言葉を紡げない。
少女に声をかけるファルコも、「黙れ」と、より強く拘束される。
「──────ははっ!」
血を噴きながらも、「は、はは」と、息をこぼすように笑い始める女。
静まり返った中でアウラはしとどに血をこぼしながら、床を這う。場所は通路の先にある奥の部屋だ。
誰も動けぬ中でズリズリと這っていき、扉を開けようとして、失敗する。
銃声は兵士たちが騒ぐ音に混じり、奥には正確に聞こえてはいない。また、出入り口から入る風などの外界の音もある。
そのためハンジたちがいる場所からすれば、突然静かになったように聞こえているだろう。
ガリガリと扉が引っかかれていた矢先、開く。開けた主はサシャだ。
アウラの血で汚れた服のまま背後から彼女を抱えると、サシャはそのまま通路を通り、ハンジたちがいる操縦室まで連れて行く。
そのあとに一歩遅れて、コニーとジャンも続いた。
そしてアウラは、望む元へとたどり着く。
兄弟そろって状況が理解できない中、ジークの膝に頭を乗せた彼女は仰向けになり、兄の瞳を見つめた。
その側にいたイェレナも、弟も、ハンジも、連れてきたサシャも、リヴァイやミケたちも。
すべて今の彼女の、アウラの世界には映らない。
その金の髪と蒼い瞳のみが心に染み渡り、彼女を揺るがす。
これはこれで、いい最期かもしれない。
そう思い、「もういい」と掠れた声で呟いた。もう、終わりにしてよい、と。
「………て」
「………アウラ」
「みて……わたしを、みて」
「アウラッ!!」
妹に触れるための手が、今のジークにはない。
アウラは兄の中にある
懐かしい感覚だった。
『×××××』が体験した感覚と同じだ。
もう生きることもない。
死ぬだけだ。終わって、そうして彼女は終わる。
────終わる?
「やっと、おわれ、る」
暗闇に吸い込まれるように、彼女は意識を飛ばした。
アウラ・イェーガーがその中で見たのは、深淵。
そして、回遊魚。
エビのような形をした、奇妙な回遊魚。
それと接触した時、彼女は口を開け、発狂した。