たくさん狙われるトレーナーくん 作:タソ
会長欲しい
控え室は誰もが沈黙を守っている。
しかしそれは緊張から来るものでは一切なく、研究による寝不足で仮眠をとっているタキオンと、私が差し入れたカフェインレスのコーヒーをなめるように口にするカフェによって雑音の介入する隙がないからだ。
タキオンの寝息とカフェがコーヒーを口にする密やかな音だけがこの空間を支配する。
こんな気の抜けた空間なのに呼吸すら許されないようで少し息苦しい。
先輩と酒を交わし、思いを吐露して幾日。タキオンが随分とトレーニングに意欲的になった。何かあったのかとそれとなく聞いたが、いつも通りちぎっては投げるように返され、気が向いただけだろうと解釈せざるを得なかった。
だが研究の詳細などいつもは抽象的に説明するところを、最近は噛み砕いた説明をしてくれるようになった。
突然の変容に思うところがない訳では無いが、こちらとしてもタキオンを知れる良い機会となった。
カフェに関してはどこか意味ありげな表情をするようになった気がする。口振りの端々に含蓄のある言葉をするようになった。
何か気に触るようなことをしたかとそれとなく尋ねたが、なしのつぶてであった。ただ、カフェのオトモダチと私の練習メニューをこなすようになり、気まぐれな練習の要請がめっきり減った。
と言ったように二者二様に突然の変化が訪れた。私の許容範囲に収まってくれた、というのだろうか、初めて彼女らと、担当とトレーナーという形になれたような気がする。
それと同時に、不気味に潜む不安要素が見え隠れしている。例えば突然な練習スタイルの変更でパフォーマンスに影響はないかというところに比重が寄る。
ただそれに関しても2人とも『大丈夫』という有無を言わせぬ鶴の一声で私を黙らせた。
結局無意識下でのストレスなどを忌避し、練習内容はあまり変更することはなく、通常運転でメイクデビューまで基礎能力と潜在能力を探ることに注力した。
結論としては、なんの問題もなくメイクデビューは走破できるだろうと相成った。
2人とも恐ろしく速い。オグリの育成を始めた時に似た衝撃と高揚感、そして焦燥感を得た。ただ、オグリ程完成されてはなかった。
余裕綽々、我田引水を地で行くタキオンに脂汗をかかせる威圧を放つカフェは体調が常に変動し、体重までもがピンキリに変化する。体重の変異については嫌がることなく、当然のように記された紙を渡してきた。
──ありえん
そうこぼしたことを覚えている。
冬の木立のように儚さを身に纏い、いつか深淵から覗かれていてもおかしくないと思わせるカフェに嫌な顔をさせることに定評のあるタキオンは、──tachyon、その原子の名にふさわしい速度をもってターフに一筋の光明を残滓に残す。そして彼女の零すプランAとB。何を意味するかはまだ定かではないが、カフェへのこだわり様を見るに、そのどちらかにカフェが関わっていると睨んでいる。
いくつかの不安要素は浮き彫りになってきたが、今日を迎えるにあたって最善を尽くすことは出来たと思う。故に今現在私が抱える心配事と言えば、タキオンがレース後に準備しておけと言う茶葉──ではなく、カフェがメイクデビューに誂えて新鮮なものをと要望してきたコーヒー豆──でもなく、オグリキャップだ。今日もしっかり着いてきてくれているが、私と目を合わせようとしない。口達者では無い彼女は行動やその表情から何を考えているか読み取りやすいが、顔すら合わせないとなると少々不便だ。彼女のレースもまだまだ残っているため、ここでのすれ違いは出来れば阻止したい。
メイクデビュー線を目前にして目下一番の問題がそれに出走する担当バではなく、トロフィーを乱立させるレジェンド級の担当バなのだから2人の気を引き締めるにもそれに見合った言葉が出てこない。
──2人とも、調子は
「私は…特に」
カップの底を見つめて動かないカフェはたおやかに面を上げ、静かに告げる。繋がれた管は今引きちぎられようとしている。
「私は眠い。トレーナー君、レース後の実験準備は君一人でできるように手配しておく。完了次第起こしてくれ」
鋭敏な聴覚で拾い上げ、暗澹とした瞳がこちらに流れてくる。狂気に縛られた歯車は今震え始めた。
2人の異質な存在感は、まるで死神が私の首筋に鎌首をもたげているようだった。
逡巡している暇すら与えず、内臓に響くような衝撃が訪れた。
──怪人に狂人、怪物と、そろそろおなかいっぱいだぞ
「スカウトしたのは、貴方です」
「我々がそれを受諾したその瞬間に賽は振られたのだよ。トレーナー君」
2人は不敵にほほ笑みをたたえて控え室を後にする。不思議と笑顔で送り出すことが出来た。晴れて影を追うものの隠者となり、極地を追求する研究者の試験体となった。
「トレーナー」
──どした、オグリ
今まで沈黙を守ってきたオグリキャップが重々しくも口を開いた。
レースの待機中に小腹が空くだろうとこしらえてきたおにぎりに一切目もくれずに、机を穴があく程見つめていたからその異常さは計り知れない。
あの二人は心当たりがあるのかあまり触れることも無かった。
「客席へ行こう」
審判の時だ。直感的にそう理解した。
レース場への花道。自らを鍛え上げ、戦いの場へと赴くための最後の一本道。その道を往く1歩1歩が栄光に続いていると信じて、きっと生きとし生けるウマ娘はレースに望みをかけるのだろう。
「なんと場違いなことか」
「今更ですよね」
昨日の友は今日の敵。そして今日の敵は道標である。
「誰もがトゥインクルシリーズに蹄跡を残さんと意気軒昂になっているさ中、我々は果てしなく遠い限界と幻想を追うのだからね」
「私は限界というものには興味ありませんが…」
「現実はいつも複合的だよ、カフェ。トレーナー君と君のお友達を間接剤に我々の利害は一致した」
「あの子はそういうのでは…」
「下手の考え休むに似たりだ。いずれ分かる。何も今すぐに理解しろという方がお互いに失礼だろう」
「…」
「あっ今失礼なことを考えたな!」
期待と緊張に震える空気をものともせず、無駄口を叩きながらその歩を進める。
集中を高めるウマ娘たちから非難の視線を受けるがすぐに畏怖のソレに変わる。その肢体からは抜き身の刀身のような冷たさを放っているからだ。
「さて、現段階で必要なものは全て揃った。不器用なトレーナー君に関しては目の上のたんこぶだが」
「オグリさんが起こしてくれますよ」
「口下手な彼女がねぇ…あまり期待出来ないと思うが」
「お友達も、そう言ってますし」
「…まぁいい、必要があれば終身実験体として縛りつければいい」
「…良くない」
皆追われるように先へ行ってしまい、レース場への入場口に2人きりとなってしまった。ゲート手前から2人に向けて敵意と怯えの眼差しが向けられる。
それを柳に風と受け流し、1歩、足を踏み入れる。
刹那、レース場の空気が膨張した。
「さぁ、実験開始だ」
圧倒的な光に、全てを呑み込む影。奇しくも先行に差し。挟まれた娘らに逃げ場はない。
カフェとタキオンがゲートに収まった。皆が緊張の面持ちでゲートが開くのを待っている中、2人だけ妖艶な笑みを浮かべている。
中距離2000のデビュー戦。トゥインクルシリーズへの挑戦権を得た者達が鎬を削る前哨戦だ。
「去年は私があそこにいたんだな」
ゲートを見つめ、うわ言のようにそうこぼす。横目にやると、耳は伏せられ、萎びた尾がゆらゆらとはためいている。
そのゲートが開いた。彼女らの長い戦の火蓋が切って落とされた。
「たくさんの応援を受けて、私はここまでやってきた」
──笠松の人たちもたくさん来てくれたよな
三三五五に自らの脚色に準じた位置を目指す。デビュー戦にしては少しペースが速いか。
上等とでも言うように、タキオンが真っ向から先行争いに完勝し、好位置につける。
逃げのウマ娘がさらにペースを上げた。
「隣に君はいなかったのだろうか」
──私は君の隣に立てていただろうか
カフェが先行バの最後尾に影となって潜む。レース全体のペースが早いにも関わらず、後ろから殺気じみた圧によってカフェより前のウマ娘たちのペースがさらに上がる。
差し、追い込みの作戦をとる娘たちも慌ててギアをあげる。
「トレーナー、私は君の期待に応えているか?」
──ああ
2人でレースの主導権を握ってしまった。これからは蹂躙になるだろう。
上げすぎたペースにスタミナを奪われ、逃げのウマ娘が垂れていく。垂れてきたウマ娘の壁が先行の娘たちの壁になる。同じく気力を奪われ、後ろから追い立てられた娘たちも殉ずるように垂れていく。
カフェもタキオンも条件は同じで、その顔に余裕はない。だが、お互い猟奇的な瞳で、その先を見つめて離さない。
影を追い越すその圧に、太陽への道がモーセのように拓く。
イカれた先行研究から得たクレイジーなコーナリングで垂れてくる逃げウマ娘を躱す。
「私は、君には並べないのか」
──…誰から聞いたんだ?
最後の直線。2人並んでターフを波立たせる。
太陽は嗤い、影は吼える。
「誰だっていいだろう、私は、君と」
──君が悪いわけじゃない。私が並べないんだ。私が不甲斐ないから
「…はぁ?」
──君はこの程度で収まる器ではないんだよ
「…君と築き上げた功績の数々を"この程度"だと…?」
すぐ横の空気が膨れ上がっていく。垂れた耳は後ろに、尾は忙しなく備え付けの椅子を容赦なく叩く。
背中に汗が伝っていく。
「君がどういう人間か、わからせる必要があるな」
隣を見ていられず、レースに視線を投げる。差は1バ身、光が影の前を往くのは道理である。光さえ呑み込まんと猛追するがそこまで。
今回は、太陽に近づきすぎたようだ。
幻想の羽を灼かれた怪人は、金細工のような瞳で科学者を見据える。
仄明るく狂気を火に焼べる科学者はそれを背にオベリスクを見定める。
──タキオンが勝ったのか
他人事のように言い放つ。今2人の勝ち負けに意味は無い。2人が信念を貫き通し、先に到達した時、そこでようやく勝敗が着く。今この瞬間はタキオンが近い、そう証明しているに過ぎない。
突然、視界がブレる。オグリの掌で両の頬を掴まれ、その膂力をもって立ち上がらされる。そう気づいた時には額と額が火花を散らしそうだった。勿論仮にそうなれば、片方は杏のようにひしゃげるが。
眉を寄せ、不機嫌そうに嗤い、こちらを睥睨する姿は"皇帝"に空目をした。
「トレーナーは私の一部なんだ」
──ここまでされると嫌でも気づく。私はそれなりの事をやったんだな
「それなり?笑わせるな、君は私の一部だと言っている。
…口下手だが聞いてくれ」
ひとつ呼吸を置き、こちらを見据える。
拗ねた子供をあやす様に、優しく微笑んだ。
「私は君を手放す気は無い。君と共にこれからも走る」
オグリキャップの脚があったまってきた。
ウマ娘って漫画あるんですか?!