TSした俺と交友関係NTRアンハッピーセットを食らって女性不信拗らせた親友   作:北京院

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作品タイトルを一部変更しました。TS作品とわかりやすくしました。


嘘つきの半分こ怪人

 今日は朝からどんよりと曇っていた。しかし天気予報は曇りのち晴れ。午後はすっきりと晴れるでしょう、と言っていたのだ。

 翔太が「傘持ったか」と聞いてきたのは、その登校途中のことだ。

 

「……いや、持ってない」

 

「そうか」

 

「持ってないっていうか、そもそも家に俺の傘がないんだよな。男物のデカいやつしか残ってないから、今の俺が差すとバランス悪くて不格好だし」

 

「……知るか、買え」

 

 つれない返事だったが、いつもの中身のないやり取りだ。

 前までの俺なら、大ぶりのジャンプ傘を雑に振り回して歩いていた。けれど今の俺がアレを持つと、傘に振り回されているようにしか見えなくなるのでなんとなく購入を先延ばしにしていたのだ。まぁ大丈夫だろうと思って、その時は気にも留めずに流した。

 

──だが、予報士の嘘つきめ。六限が終わる頃、窓の外を叩いていたのはどう見ても本降りの雨だった。

 

 昇降口には、同じように足止めを食らった生徒たちが何人も残っていた。

 スマホで天気予報を確認しているやつ。家族に迎えを頼んでいるやつ。

 友達と相合傘で帰る相談をしているやつ。

 

 みんなそれぞれ雨への対処を始めている。

 俺だけが何も考えていなかった。

 

 貸出用のビニール傘を見上げる。

 黄色と緑とオレンジが喧嘩しているような配色だった。

 どうして学校の備品というものは、こう絶妙にダサいのだろう。

 

 あれを差すくらいなら濡れて帰りたい。

 いや、さすがに本降りだから無理か。無理に濡れて帰ろうものなら一発で風邪を引きそうだ。

 

 若干の悲しみを覚えていると、隣の翔太が鞄をごそごそと漁って、小さな折り畳み傘を一本出した。

 

「……入ってけ」

 

「お前一人用じゃないのかそれ。狭いだろ」

 

「狭いけど、まあ」

 

 断る理由もないので、素直にありがたく傘の下に入った。

 二人で入るには、明らかに小さい傘だった。

 

 並んで歩き出して、すぐに気づいた。

 歩幅が合わない。

 

 翔太は元々歩くのが少し速い。俺も男だった頃は同じくらいのペースだったはずなのに、今は意識しないと半歩だけ遅れる。

 すると傘から外れる。慌てて追いつく。

 追いつくと今度は肩が近い。近いと思って少し離れる。

 するとまた傘から外れる。

 

 ……面倒くさい。

 いや、本当に面倒くさい。

 

 相合傘というのはもっとこう、自然に成立するものだと思っていた。

 思っていた以上に高度な協力プレイらしい。

 

 身長差のせいで翔太が柄を持つ位置が高くなる分、傘の中心が完全に俺の真上あたりにきている。あいつの右肩は、もうしっかりと傘の外に出て、雨粒が制服の色を変えていくのが見えた。

 

「お前、俺の方へ傾けすぎだろ。自分が濡れてたら意味ないじゃないか」

 

「雨風分傾けてるだけだ」

 

 風向きの問題じゃないだろ、と言い返そうとしたが前を向いた翔太の横顔が至極真顔だったので言葉を呑んだ。こいつのこういう顔は昔から知っている。指摘するとかえって意固地になる顔だ。

 翔太は傘を戻そうとしなかった。

 

 二人で歩くには明らかに小さすぎる傘で、少し歩くだけで肩が触れそうになる。

 二人で歩幅を合わせないと、すぐにどちらかが傘の外に出る。

 

 男だった頃なら肩がぶつかる距離なんて何とも思わなかった。

 

 なのに今は妙に近い。

 近いだけなのに、妙に落ち着かない。

 

 もう少し寄れよ、と言える状態ならどれほどよかっただろうか。

 俺も精一杯寄って、それでも傘が小さかった。翔太が傘をこちらへと傾ける角度がさらにひどくなっている。

 

 ぱちゃぱちゃと靴が雨水を吸って気持ち悪い。子供のころのように雨の中に身体を投げ出して走る、というのはさすがにできない。

 翔太のほうをもう一度見た。さっきと距離は変わらない。傘の角度も変わらない。

 ただ、肩がさらに濡れている気がする。

 

 いつもなら女子とすれ違うだけで数歩距離をあけるはずの翔太が、今は俺の肩が触れそうなほど近くにいる。

 翔太の長い腕がすぐ隣にあって、雨の冷気のなかに雨で湿った制服の匂いが混じる。

 制汗剤だか洗剤だかよく分からない、昔から嗅ぎ慣れた匂い。

 男だった頃は気にも留めなかった匂いだ。

 

 傘に当たる雨音は思ったよりうるさい。

 会話ができないほどではないけれど、沈黙を誤魔化すには十分な音量だった。

 

 だから俺たちは特に話さなかった。

 話題がないわけじゃない。今日の授業の話でもいいし、武夫のバカ話でもいい。

 

 けれど、どれも口にする気にならなかった。

 雨音が全部代わりに喋っている気がした。

 不思議と気まずくはない。ただ静かだった。

 

「……寒くないのか」

 

 沈黙が嫌ではなかったのに、思わず口から出た。

 

「別に」

 

 即答だった。

 だがその『別に』の説得力が全くなかった。

 

 右肩だけ完全に色が変わっている。

 たぶん今この場で絞ったら水が出る。

 

「……おい、右肩ビショビショだぞ。やりすぎじゃないか?」

 

 どうしても気になって声が大きくなる。

 

「……女の子は体冷やさない方がいいって、陽菜がしつこく言ってたんだよ」

 

 少し間を置いて、なるほどと納得した。

 気遣いのできる陽菜なら、いかにも言いそうなセリフだ。女の子として俺のことを色々と気にかけてくれているのだろう。さすが年下の先輩、頼りになる。

 

 納得しつつ翔太を見る。やっぱり右肩だけ濡れている。

 さっきより濡れている気がする。

 気のせいじゃないと思う。

 

「……陽菜が言うならそうか。陽菜に言っておいてくれ、ありがとうって」

「ああ」

 

 翔太がぶっきらぼうに頷く。

 ふと見ると、翔太の耳が少し赤かった。

 雨風のせいだろう、たぶん。冷えるもんな。

 

 家の前で別れるとき、翔太の右肩はもう完全にずぶ濡れだった。

 それどころかブレザーの右半分が完全に色を変えて、水を吸って重そうに垂れ下がっている。これ明日までに乾くのか?

 

「肩、めちゃくちゃ濡れてるぞ。早く帰ってちゃんと拭けよ」

「わかってる」

 

 翔太はそう言って、傘の角度をようやく真ん中に戻し、振り返らずに歩いていった。

 その背中を見送りながら、俺は「あいつ、相変わらず妹の言うことはよく聞くよな」なんて、暢気に考えていた。

 

 家に入って、部屋着に着替える。

 制服を脱ぎながら気付いたが、俺の肩はほとんど濡れていなかった。やっぱり傾けすぎだっただろ。

 被害がなかったことへの感謝とともに少し笑いが漏れた。

 

 沸かしたあったかいお風呂につかると、一気に体の温度が戻ってきた。

 

「あぁ~……生き返る……」

 

 湯船に顎まで浸かりながら、帰る間際の翔太の姿を思い出す。

 今思えば、あの「別に」という即答は無理がありすぎただろ。ブレザーの右半分を泥のように重くして、今にも水が絞れそうなくらい濡れていたくせに。

 

 けれど、陽菜のいいつけをそこまで頑なに守って、あんなになってまで俺を冷やすまいとしてくれていたのだ。そう思うと、呆れると同時にあいつの不器用な優しさが少しだけ誇らしかった。

 やっぱり持つべきものは頼れる親友の妹、というわけだ。今度陽菜に美味いものでも奢ってやろう。ついでに翔太にも一応。

 いつだったかの美味しいクッキー、あれとかいいかもしれないな。

 

 風呂を上がり、しっかりと髪を乾かしてベッドに寝転び、スマホを取り出した。

 義理は通しておくべきだろうと、陽菜にLINEを送る。

 

『今日翔太に傘貸してもらった! 体冷やさない方がいいって陽菜に言われたからって、翔太が傘傾けてくれてさ。ありがとう、助かったよ』

 

 すぐに既読がついて、返信が来た。

 

『なんのこと?』

 

 画面を見つめたまま、固まった。

 

『体冷やさない方がいいって、翔太に言ったんじゃないの?』

『言ってないよ?』

 

 そんな馬鹿な。雨水で半分こ怪人みたいになっていた翔太を思い出す。

 

『体冷やさない方がいいのは本当だけど、お兄ちゃんにそんなアドバイスはしてないよ』

『てかお兄ちゃんが自分でそう言ったの? え、もしかして照れてた? お兄ちゃん笑』

 

 連続して送られてくる陽菜の軽いノリの文字が、脳裏に浮かんでいた「妹のいいつけを守る健気な半分こ怪人」の像を、容赦なく押し流していく。

 さっきまで気持ちよかったはずの湯上がりの心地よさが、どこか別の場所に移ったみたいだった。

 

 スマホをベッドに放り出し、仰向けになって天井を見つめた。

 頭の中が、一瞬でぐるぐると回り出す。

 

 言ってない。陽菜は言っていない。

 じゃあ、あの言葉は。

 

 陽菜の入れ知恵でもなんでもなく──翔太自身が自分で考えて、口にしたセリフだったということか。

 

 誤魔化しが効かなくなった記憶の底から、翔太の姿がだんだんと、鮮明なディティールを取り戻していく。

 わざわざ陽菜の名前を出してまで、自分のブレザーの右半分を泥のように重くしてまで、俺を濡らさないようにしてくれた、あの狭い傘の時間。

 雨の匂いまで思い出せそうだった。

 

 脳裏に最後に残ったのは、右肩だけをひどく濡らしたまま、振り返らずに歩いていった翔太の背中だった。

 

「──クソ、思い出すな」

 

 声にする前に、別の思考が頭を埋め尽くしていく。あいつの耳が赤かった理由とか。

 なんでそんな嘘をついたのかとか。

 考え始めると、色々と面倒な領域に突入しそうだった。だから、考えないことにした。

 

 別に、本当のことを言えばよかったじゃないか。「お前が濡れないようにしてやった」って、堂々と言えばいい話だ。それを、わざわざ嘘をついてまで。

 また考えそうになったので布団に潜り込んだ。

 

 ふと、雨音が聞こえなくなっていることに気づいた。雨はもう止んだらしい。時計を見ると、もう一時を回っていた。

 

 目を閉じる。なぜか傘が浮かぶ。

 雨音が浮かぶ。

 右肩だけ濡れていた翔太が浮かぶ。

 

「……なんなんだよ」

 

 呟いて寝返りを打つ。

 目を閉じても、右肩だけ濡れていたあいつの背中だけが、いつまでも消えなかった。

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