TSした俺と交友関係NTRアンハッピーセットを食らって女性不信拗らせた親友 作:北京院
今朝は、昨日の気まずさが噓みたいに翔太は普通だった。まぁ、それならそれでいいけど。
いつものように登校し、いつものように授業を受けて、いつも通りの午前を過ごした。
昼休みもいつも通りバカみたいな話をしていた。
四時間目のチャイムが鳴り響いた直後の教室は、弁当箱を開ける音や、購買へダッシュする椅子の摩擦音、そして他愛のない笑い声であふれている。俺の机の周りにも、いつものようにいつものメンツが集まっていた。
「いや、四ツ谷ってマジ可愛くなったし彼氏とかすぐ作れそうだよな」
購買の焼きそばパンを頬張りながら、武夫が何気ない調子でそんなことを口にした。
「は? 狙ってんのかよ」
「バカ言うなよ俺には心に決めた相手がいるんだよ」
「マジ? 誰?」
「東山動物園の……シャバーニさんよっ」
「ゴリラじゃねーか! っていうか女子かよお前は」
「負けねぇからよ」
「そんなもの先を譲るわ」
どっと周りの男子が笑う。武夫の間抜けなドヤ顔に、俺も呆れ果てながら笑った。
笑いながら、俺はふと、隣の席の翔太の方を向いた。
いつものあいつなら、ここで「お前にはゴリラももったいない」などと冷たいツッコミを入れているはずだった。
──だが、翔太は、笑っていなかった。
机の上で組まれた両手が、白くなるほど強く握られている。
その視線はどこも見ていない。
「……悪い、帰る」
低く、ひび割れたような声だった。翔太はガタリと椅子を鳴らして立ち上がると、俺たちの返事すら待たずに教室の入り口へと歩き出した。
「え?」
武夫が焼きそばパンを口に咥えたまま、間抜けな声を上げた。
「……俺も」
短くそれだけ言い残し、俺も席を蹴った。
後ろから武夫の「えっ?」という困惑の声が背中に当たったが、振り返らなかった。
廊下に出ると、昼休みの人の流れが普通に続いていた。どこかのクラスが窓際で大きな笑い声を上げている。廊下は明るくて、うるさくて、翔太がいなかった。
足が勝手に動いていた。
一階の昇降口まで降りた。靴はあった。外じゃない。
なら、どこだ。人がいなくて、静かで、あいつがいきそうな場所。
──校舎の端だ。
北校舎へ向かった。渡り廊下を抜けた。人が減った。喧騒が、嘘みたいに遠ざかっていく。
非常口の鉄扉を押し開け、校舎裏へ回った。
壁に背中をもたれさせ、下を向いている翔太を見つけた。
その背中は、朝見たときより、この前の相合傘の中にいたときより、ずっと小さく見えた。
俺は何も言わずに、翔太のすぐ隣に座った。地面は冷たかったが、気にしなかった。
翔太も、何も言わなかった。
ただ、二人の肩が、ほんの数センチの距離で並んでいる。男同士なら肩がぶつかる距離なのに、今の俺の肩は細く縮んでしまっているから、触れ合わない。その隙間を通り抜ける風が、妙に冷たく感じられた。
遠く、本校舎のほうから微かに昼休みの喧騒が聞こえた。二人とも黙っていた。
地面の冷たさが、座った尻から制服越しにじわじわと染みてくる。今だけは、それがありがたかった。意識を逸らせるものが、他に何かあってよかった。
どれくらい経ったか。
翔太が一度、口を開きかけてまた閉じた。喉の奥で、言葉が行き場を失っているような音がした。
二度目、ようやく声になった。
「……怖いんだ」
ぽつりと言った。
俺は何も言わなかった。ただ聞いていた。
一拍置いて、翔太が息を吐く音がした。
「……元々、俺にはもったいないぐらいの彼女でさ」
声といっしょに何かを吐き出すように、翔太が話を始めた。
「付き合い始めたとき、樹にめちゃくちゃ自慢したよな」
「したな」
「あのとき、お前に『翔太には勿体ない』って言われた」
「言った」
「ほんとにそう思ってたから、ずっと必死だったんだよ。好かれ続けようとして、嫌われないようにして」
翔太の声は静かだった。怒っているわけでも、泣いているわけでもない。ただ、淡々としていた。その淡々とした声の方が、感情が溢れた声より余程しんどそうに聞こえた。
「彼女の様子がおかしくなったとき、俺が何かしたのかと思って。それで図書室で本を読み漁って、先輩に相談して、マネージャーに頼んで」
「知ってる」
「全部、俺の思い違いだったんだよな」
翔太が壁に頭をもたれさせた。空を見上げた。
「彼女がおかしかったんじゃなくて、俺が知らないだけで、もう別のやつのところに行ってただけで」
それだけ言って、また黙った。
俺も黙っていた。風が翔太の短い黒髪を小さく揺らした。
一度息を吸い込み直す音がした。まだ、吐き出すものがあるんだとわかった。
「先輩もマネージャーも、同じ夜に連絡が来て。みんなして『ごめんね』とか俺に謝ってきて、でも俺には何がなんだかわからなくて」
「それからなんか、怖くなった。女の人が。近くにいると、また何かあるんじゃないかって。また知らないところで俺だけ置いていかれるんじゃないかって」
翔太の手が、膝の上で少し握られた。
「……ずっと、誰にも言えなかった」
少し、長い間があった。大きく、息を吐いた。
「……情けないよな」
翔太は少し口元を動かした。笑い方を忘れたような顔だった。
俺はただ、隣で聞いていた。
風が吹いた。昼休みの終わりを知らせる予鈴は、まだ鳴らない。
校舎裏に静けさが戻った。遠くの喧騒だけが続いていた。
俺はゆっくりと口を開いた。
「じゃあ、俺はどうだ」
翔太が俺を見た。
「俺も今は女だけど。俺のこともダメか?」
翔太が黙った。
答えようとして、翔太の唇が二度、開きかけて閉じた。視線だけが、俺の顔と地面の間を行き来していた。
「お前は……」
翔太が言いかけて、少し止まった。
その瞬間、俺は翔太の肩を、昔と変わらない強さで軽く叩いた。
翔太の身体が、ほんの一瞬だけ震えた。恐怖に見えなくもなかった。けれど俺には妙に、それだけじゃない気がした。
「……お前は、違う」
ぼそりと言った。
驚きの後で、詰めていた息を、翔太がゆっくりと吐き出した。肩の強張りが、少しだけ緩んだ気がした。
翔太自身が一番驚いている顔をしていた。自分の口からその言葉が出てきたことに、気づいていなかったみたいだった。
さっきまでのひどい顔よりは、笑える顔だと思った。
自然と声が出る。
「じゃあ、リハビリにつきあってやるよ」
「……は?」
驚いた顔がそのまま困惑の色に染まっていく。
「女が苦手なんだろ。だったら俺で慣れろ」
空いた手で自分の美少女フェイスを指さした。
翔太は何を言ってるんだこいつ、みたいな顔をした。
「何日だって、慣れるまで付き合ってやるさ。こんな美少女が専属なんて大サービスだろ? 感謝しろよな」
翔太が「バカにすんな」と言いかけて――止まった。
少し間があって、ふ、と笑った。忙しいやつだ。
「……頼む」
小さな声だった。
俺は笑ったまま、立ち上がった。
「頼まれた」
それだけ言って、手を差し伸べた。
翔太が少し間を置いてから、その手を取った。一瞬だけ、指先が固かった。
軽く引いたつもりだったが、翔太はほとんど自分の力で立ち上がった。体重はほとんど乗ってこなかった。
見上げるほどに高くなった親友のブレザーから、あの雨の日の湿った匂いが鼻腔を掠めた。
立ち上がった翔太と並んで、校舎裏を後にする。
小さくなってからは見上げることの増えた翔太の横顔が、不思議と昔より近く感じた。
いつの間にか、歩幅を合わせる必要はなくなっていた。
渡り廊下に差し掛かったところで、翔太がふと思い出したように言った。
「……さっきの、忘れろよ」
「無理言うなよ、一生ネタにしてやる」
「……うるさい」
言葉だけは拒絶しながら、翔太との距離は変わらないままだった。
昼休みはまだ少しだけ残っていた。
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順応編は今回で終わり、次からリハビリ編になります。
1週間以内に続きが出ます。