TSした俺と交友関係NTRアンハッピーセットを食らって女性不信拗らせた親友 作:北京院
気合いと根性と、時々医学
校舎裏から教室に戻ったのは、昼休みが終わるぎりぎりだった。
教室に入るなり、武夫が食べかけの焼きそばパンを片手に身を乗り出してきた。
教室の隅では、あの日から主のいない机が、もうすっかり武夫の荷物置き場になっている。
「おい、なんだったんだよ結局」
「なんでもねーよ」
まぁなんでもあったんだが、伝える必要はないだろう。
ひらひらと手を振って応えるが武夫はさらに大げさな手ぶりで食い下がってくる。
「絶対なんかあっただろ! シャバーニさんの話まだしたかったのにさぁ」
「その話はもうしなくていい」
翔太が静かに口を挟む。心底あきれたような、いつもの調子だった。
武夫は「なんだよそれ」と口を尖らせたが、ちょうど五限目のチャイムが鳴り、先生が教室へ入ってきた。
前の席の男子たちが慌ててスマホのゲームをポケットへ突っ込み、武夫が焼きそばパンを飲み込む。
そんな男子高生の、昨日まで俺もその一員だったはずのバカバカしい日常の雑音が、今の俺の耳にはどこか滑稽に遠く聞こえていた。
視線を窓の外にやれば、グラウンドで体育の授業が始まっている。俺の頭の中は、さっき校舎裏で聞いた翔太の少し掠れた声だけで満杯だった。
……頼む。
あいつが自分から、ちゃんとそう言った。それがどれだけのことかは、たぶん俺にしか分からない。だったら、こっちにできることをやるしかないだろう。
ノートを開いた。板書を写す気にはとてもなれなかった。ページの端っこに、こっそり文字を書き始める。
まず思いついたのはこれだった。
その① 毎日1時間、俺とガチの組み手をする
自然と触れ合う上に意識を割かなくてもよいというプラン。
……いや、無理だ。今の俺の身体は驚くほど非力だ。1時間動き続けられるかからしてまず怪しい。
それに体重差も体格差もありすぎる。翔太に本気でぶつかられたら多分骨が折れる。俺がリハビリ必要な身体になってどうする。却下。
次。
その① 俺の身体を隅々まで解剖学的に観察させる
知らないから怖い、というのもあるではないか。理解を深めれば恐怖も薄れるというプラン。
……いや、どう見せるんだ? ほーらここが俺の腎臓だよーって腹でも切るか? そもそも俺自身が俺の身体の理解をできてない部分が多々あるのでは?
じゃあ表面だけ見せる? 服を脱いで? それは俺がただの露出狂みたいになるだろ。精神が保たない。学術的ですらない。却下。
シンプルにいこう、次。
その① 女子と毎日話す
……いや、俺と毎日やってるな。却下。
……待てよ。短いだけか? 量の問題か? もう少し考えよう。保留。
方向性はあっている気がする。次。
その① 俺が女子の服を着て、翔太の前に立つ
……いや、これももう今やってたわ。制服なんて女子そのものだし毎日がリハビリ環境じゃないか。
というかそれで治ってないから今こうして悩んでいるんだろうが。
つまり、俺が女子であるだけじゃ足りない。
毎日会っているだけでも足りない。
問題は「何をするか」ではなく「どうするか」だ。
方向性は決まっている。俺を使う。毎日やる。具体的な中身を決めればいい。
落ち着いて考えよう。現実的に。翔太が今すぐできる範囲で、毎日積み重ねられるやつだ。
つまり多方面的に生かせそうな内容とすれば――
リハビリメニュー(仮)
その① フリートークする
その② 距離を詰める
その③ 見つめ合う
その④ 根性
大枠はできた。あとは細かい数字を決めるだけだ。
さてとさらに考えようとしていると隣の席の女子が、こっちを覗き込んでそっと話しかけてきた。
「四ツ谷さん、ノート全然取ってないけど……大丈夫?」
「大丈夫、もっと大事なこと考えてた」
「それ大丈夫じゃないやつだと思う」
そうかもしれない。でも今は仕方ない。
プランをまとめるべく調子に乗ってペンを走らせていたら、不意に名前を呼ばれた。
「四ツ谷さん、今のところ訳してみて」
先生の声で我に返った。教科書のページすら開いていない。とっさにノートを閉じて教科書を引っ張り出す。隣の席の女子が小声で「38ページの3行目」と教えてくれた。恩に着る。
なんとか棒読みで切り抜けたが、心臓には悪かった。ノートは机の中に押し込んで、続きは休み時間に回すことにした。
危なかった。完全に油断していた。先生の話も聞かずにリハビリ計画を練っていたことがバレたら、さすがに怒られる。
いや、怒られるだけならまだいい。没収されたら終わりだ。
隣の席の女子が呆れたように笑う。
「四ツ谷さん最近よく変な顔してるよね」
「失礼だな」
「さっきから一人で頷いたり首振ったりしてたし」
「高度な思考中だ」
「そういう人だいたい授業聞いてないよ」
図星だった。目をそらす。
俺は机の中に押し込んだノートをちらりと見た。リハビリメニュー。改めて見返してみる。
リハビリといえば段階が必要だ。最初は話すだけ。
少しずつ距離を縮める。最後に見つめ合う。
……うん、流れは悪くない。あとは具体的な数字が必要だろう。
まずはフリートーク。これは良い感じのおしゃべりをすることで緊張を解すプランだ。10分ぐらいでいいだろう。休み時間の間緊張せずに話せれば一流だ。
次に距離を詰める。少しずつ詰めるのだから……5センチぐらいか? 短すぎるか? 達人の間合いの測り方みたいになるか。
なら思い切って1メートル……はぶつかりそうな気がする。間を取って50……いや、30センチにしよう。
最後に見つめ合う。これは……どれぐらいだ?
3分? いやカップ麺ができるな。長すぎるか……1分? バリカタ麺なら作れそうだな。
ならば5秒? いやでも5秒は短すぎる。女子制服を着た俺を初めてみた日にそれぐらいフリーズしてた覚えもある。10秒? 20秒?
わからん。俺は医者じゃない。
結局、30秒にした。なんとなく切りがいいからだ。
そして根性。根性とは、根性である。最後は気持ちが大事なのだということである。ぐりぐりと文字を濃くした。
改めて決まった数値を書き込み、我が完璧な計画を眺めてみる。これで決まりだ。
完璧! すばらしい! リハビリメニュー(仮)
その① 10分間、フリートークする
その② 毎回30センチずつ距離を詰める
その③ 30秒、見つめ合う
その④ とりあえず根性
我ながら骨太な計画だと思う。細かい理論とかは知らないが、要は気合いと積み重ねだ。回数をこなせば、人間どうにかなる。完璧だ。これで治らなかったら医学の敗北である。
いや医学じゃないか? なんだろう。メンタリズム? なんか違うな。
まあいい。治る。たぶん。おそらく。めいびー。きっと。……絶対。
放課後、帰り支度をしながらページをびりっと破った。翔太が「何やってんだ」と聞いてきたので、そのまま破った紙を突き出してやる。
「これ」
「……は?」
「授業中も寝ないで作り上げたパーフェクトプランだ。とくと読め」
「……授業中は寝るなよ」
正論は今は受け付けていないので無視をした。
翔太が訝しげな顔で受け取って、読み始める。視線がゆっくり上から下に動いていく。
「『10分間フリートーク』、これは分かる」
「だろ」
視線がさらに下に動く。
「『30センチずつ距離を詰める』って、どこから測るんだ」
「今の距離から」
「今の距離が分からないんだが」
確かに、どこから30センチかは決めていなかった。
しかし俺の虹色の脳細胞は最適解を一瞬で叩き出す。
「だいたいでいい」
「だいたいなのかよ」
「気持ちの問題だ」
そう、距離を詰めようとする意思と1回あたり30センチという具体案が大事なのだ。スタートが明らかに遠かったら言ってやればいいのだろう、きっと。
翔太が一瞬黙って、また視線を下にやった。
「……『30秒見つめ合う』って、何見つめるんだよ」
「俺?」
観察対象予定の俺を指さすと、翔太の眉間にすごい勢いでシワが寄った。
「お前……」
「そう」
翔太がまた視線を紙へ戻す。
見つめ合ってないが、今のは3秒ぐらいだったと思う。やっぱり1分だと長かっただろうな。
「……いや、いい。その下の『とりあえず根性』ってなんだ」
「一番大事だろ、根性」
「それ意味あるのか」
「ある。たぶん」
「たぶんなのかよ」
呆れた顔をしながらも、ちゃんと最後まで読んでいた。
「……めちゃくちゃだな」
「天才と言ってくれ」
「言わない」
胸を張って褒め言葉を待つよりも先に否定がとんできた。即答だった。そんな食い気味にいうか普通?
不満だったが一応補足事項をつけ足しておく。
「ちなみにその①から順番だからな」
「順番なのか」
「順番だ」
「……つまりその④は」
「最後」
「根性で締めるな」
わざとらしいため息が聞こえる。しかし紙は返ってこない。
翔太はもう一度紙を見て、一度きれいに折り直してから、それをポケットにしまった。
「……わかった」
一瞬間が空いて、小さくつぶやくように言った。それだけだった。それだけだったが、十分だった。
鞄の持ち手を握り直しながら、内心ちょっとだけ拍子抜けした。もっと文句を言われるかと思っていた。でも馬鹿にすることもなく、ちゃんと折りたたんで持って帰ろうとしている。
校門を出て、いつもの帰り道を並んで歩いた。
「ひとつ言っとくけど」
「なんか文句あったか?」
ワンテンポ置いて、不満点が出たのかもしれない。
聞いてやる、とわざと胸を張る。
「お前、字が汚い」
「内容じゃなくてそこ?」
「そこも」
そこもってなんだ。『も』って。納得したみたいな言い方をするな。
仕方ないだろ、悪戦苦闘の証なんだ、ボツ案の数々の犠牲の上にできているんだから。
「あとその④、根性じゃなくて別のやつ考えとけ」
「根性は大事だろ」
「精神論だけ浮いてる」
「全部精神論みたいなもんだろ」
翔太が少しだけ呆れた顔をした。でもポケットに手をやったまま、紙を出しはしなかった。なんとなくこっちまで気合いが入った。
「……で、いつやるんだ」
「明日から」
「毎日か?」
「毎日だ」
「休みの日は」
休みの日。……さて、どうするべきだろう?
学校帰りに翔太の家によってリハビリ、ということしか考えてなかった。
信号が青に変わって、二人並んで横断歩道を渡る。
「……考えてなかった」
「考えとけ」
「じゃあ休日もやるか」
「そこまで言ってない」
「どっちだよ」
翔太が視線を少し上げて、道の先を見た。考えているというより、時間稼ぎに見えた。
「休みの日は……様子見だ」
「日和ったな」
「うるさい」
住宅街を並んで歩く。翔太の声は呆れていたが、足は止まらなかった。
昨日までなら、こんなくだらない話をしていても途中で会話が止まっていた気がする。今は違う。止まっても、また続く。
たぶんそれだけでも前進なんだろう。
「……まあ、最悪できる日からでもいいけどな」
仕方がないので妥協案を言った。
とりあえず継続は力なりってやつだろう、やってみてから考えよう。
歩きは止まらず、住宅街の静かな道が少しだけ続く。
「……なあ」
翔太が声を出した。まだ何かあるのか、何もないのか。
どっちでもいいな、と思えた。
「なんだ」
「ありがとう」
歩きながらだった。こっちを見てもいない。独り言みたいな声だった。
俺は少しだけ困った。こういう時なんて返せばいいのか分からない。
「今さらだろ」
結局、そんなことしか言えなかった。翔太は何も言わなかった。
道が分かれるところまで来て、翔太が足を止めた。
「明日から、本格的にやるからな」
「……上等だ」
短く返してきた声は、思ったよりしっかりしていた。
手を振って分かれる。少し進んでから振り返ると、翔太はまだそこに立ったまま、ポケットの上から紙の感触を確かめるみたいに手を当てていた。
夕方の風がスカートを揺らす。
明日から、本格的にリハビリ開始だ。
……たぶん。