TSした俺と交友関係NTRアンハッピーセットを食らって女性不信拗らせた親友   作:北京院

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鬼コーチ敗北の日

 今日は学校が終わって、そのまま三上家に向かった。昨日の宣言通り、今日から本格的にリハビリ開始だ。

 ――本格的。

 響きだけなら、ちゃんとした医療計画みたいで格好いい気がする。実態はどうあれ、授業中も寝ずに組み上げた完璧なプランのはずだ。

 

 三上家のリビングに入ると、翔太が制服のポケットから昨日渡した紙を取り出し、テーブルの上へ広げた。

 

「じゃあ、その①からだな」

「ああ」

 

 リビングのソファに向かい合って座る。スマホのタイマーを10分にセットした。

 

「よし、始めるぞ」

「ああ」

 

 スタートを押す。途端に、部屋が静かになった。

 

「……」

「……」

 

 エアコンの風が小さく鳴っている。壁掛け時計の秒針だけが、やけにはっきり耳についた。

 翔太が何か言おうとして、少しだけ口を開く。閉じる。また開く。閉じる。

 ……金魚か? 

 三回目でようやく息だけ漏れたが、結局、言葉にはならなかった。時計の秒針よりも遅く感じる時間が流れていく。

 

「あー……今日の昼飯、何食った」

「カレーパン。一緒に買っただろ」

「……そうだな」

 

 沈黙。スマホの画面を見る。まだ2分しか経っていない。翔太も困ったように頭を掻いた。

 カレーパン美味かったよな、ぐらいは言えたかもしれない。でもそれをいうのは俺じゃないはずだ。

 どんな味だった、ぐらいなら言えるだろ。黙りこくったままの翔太へ促してみる。

 

「……なんかあるだろ、話せ」

「なんか……」

 

 そこで止まる。

 止まるな。もう少し別の話題ならどうだ。

 

「ほら、最近あったこととか」

「昨日も今日も一緒にいた」

「そうだった」

 

 会話終了。翔太の指先が、膝の上でこつこつと一定のリズムを刻んでいる。メトロノームかお前は?

 このまま黙って座っているのは、フリートークでもなんでもない。嫌な予感がしてきた。……こいつ、そもそも10分もフリートークできるタイプだったか?

 

 何もないところから10分間、ただ喋り続ける。女子相手とか以前に、翔太には無理なんじゃないか。

 設計ミスだ。いや、でも昨日あれだけ大見得を切っておいて、「やっぱ無し」は鬼コーチとして終わっている。続けるしかない。

 

「……ゲームの話していいか」

「駄目だ。フリートークだから関係ない話をしろ」

「ゲームの話も関係ない話だろ」

 

 屁理屈のくせに、妙に堂々としている。

 でも想定していたフリートークはもう少しなんかそれっぽいやつのはずだ。普段通りとは違う話をするからリハビリになる……はずだ。たぶん。

 

「いや、こう……なんかあるだろ。フリートークっぽい話題が」

「どういうのだ」

「それは……なんだろうな?」

 

 そう言われると困る。でもあるはずなのだ、それっぽい話題が。リハビリっぽいやつが。

 翔太がペラペラと一人で話し続けるシーンを想像してみた。ゲームの内容を読み上げるWikipediaみたいな状態だった。なんか違う。

 翔太が腕を組んで唸り始めた。

 

「おい、なんか言えよ」

「考えてる」

「唸り声は会話に含まれないぞ」

「含まれろよ」

 

 含まれてたまるか。

 そこで翔太がふと思いついたように声を出した。

 起死回生のひとことは短かった。

 

「……カレーパンって、なんで揚げてあるんだろうな」

「さぁ……?」

「……」

 

 タイマーが鳴った。二人そろってスマホを見る。

 

「……会話した時間、1分あったか?」

「ある」

「本当か?」

「唸り声込みなら」

「それは会話じゃない」

 

 初戦は惨敗だった。

 気を取り直して、廊下へ移動する。その②、毎回30センチずつ距離を詰める。まずは基本の距離を測るところから始めることにした。

 

「いくぞ」

「ああ」

 

 廊下の端と端に立ち、一歩ずつ近づいていく。目分量で3メートルぐらいまでは順調だった。残り1メートルを切ったあたりで、翔太の足が止まった。

 いや。止まるだけなら、まだよかった。

 

「おい、何してんだ」

「……近づこうと努力している」

 

 言葉だけは前向きだった。足はどう見ても後ろ向きだった。

 翔太は意を決したように、三歩前へ進む。

 

「よし!」

 

 次の瞬間、そのまま滑らかに五歩下がった。

 足は前を向いているはずなのに、身体は後ろへ進んでいく。

 やたらスムーズで、初めて見る動きだった。なんの特訓なんだこれは。

 

「なんだその技術は。ムーンウォークか?」

「……惜しかったな」

「心意気だけな」

 

 真面目にやってるのはわかるが、これでは基準にもならないし話も進まない。

 一歩静かに進んでみた。翔太も同じだけ下がっていた。

 

「お前の身体、俺を磁石の同極か何かだと思ってないか?」

「知らん」

「知っとけ、自分のことだろ」

 

 話している間にも、じりじりと後退していく。やがて翔太の背中が壁へぶつかった。ゴン、と鈍い音がする。

 

「……痛い」

「だから縮めろって言ってるだろ」

「縮めようとはしてる」

 

 真剣にやろうとしていることは伝わってくる。伝わってくるのだが、身体がまったく言うことを聞いていない。

 壁に背中を預けたまま、翔太は一歩踏み出そうとして止まり、もう一度踏み出そうとして、また止まる。足先だけが少し動く。そのたびに肩へ力が入った。

 

「……おい、いつまで壁と一体化してるんだ。リビング戻るぞ」

「……分かってる。ちょっと待て」

 

 翔太は露骨に俺の顔から視線を逸らし、天井を睨んでいた。首の後ろに手をやり、意味もなく撫でている。大きく息を吐く音がした。

 ……そんなに、か。

 何か言って笑わせようと口を開きかけて、止めた。今ここで茶化したら、頑張って踏み出そうとしている気持ちまで引っ込めさせる気がした。

 

「……先、戻るぞ」

 

 それだけ言って歩き出す。後ろから、小さく「おう」と返事が聞こえた。

 その③の30秒見つめ合うを始めたら途中で後ろに倒れたりするんじゃないか。どう開始するか、一度止まるか。そんなことを考えつつ一息ついたところで、陽菜が顔を出した。

 

「どうしたの? さっき、すごい音したけど」

「リハビリの途中」

 

 俺が答えると、陽菜は「そっか」と言いながらテーブルのそばへ座った。視線が、机の上に置いた例の紙で止まる。

 二、三回ほど上下して、内容をよく確かめているみたいだった。

 

「これ、樹さんが作ったの?」

「そう」

「ちょっと気になったんだけど」

 

 純粋な疑問の声なのに、素人質問で恐縮なのですが、というフレーズがついている気がした。

 いや、陽菜も俺も素人なのだが、いやな予感がなんとなくあった。

 

「どうした?」

「『10分間フリートーク』って、時間で区切る意味あるの?」

 

 無論ある、とは言えなかった。でもあると思ってるから、なんとか声を出した。

 

「……あるだろ」

「区切らなくてもいいんじゃないの? 時間を埋めようって一方的に話してるだけとか聞いてるだけになるよりも5分でも、3分でも、普通に話せたらいいと思うんだけど」

 

 言い返せなかった。さっきの惨敗を思い出すと、なおさらだった。

 なにか、が足りないと思って無理に会話を促した失敗がズーンと重みを増した気がした。

 

「その②も、30センチずつってどこからなの?」

「……いつもの距離から」

「定規持ち歩くの?」

「持ち歩かない」

「じゃあ、無理にセンチで測らなくてもいいと思うな。どこからどこへ、って決めるとハードルあると思う」

 

 胃へ鉛を流し込まれたような気分だった。正しいことを言われているのはよくわかる。しかも陽菜の顔に悪意が1ミリもない。そのことが余計に俺のライフを削ってくる。

 

「あと、『とりあえず根性』ってなに?」

「……思いつきで書いた」

「消した方がいいと思う」

「……うん」

「俺も最初からそう思ってた」

 

 やっと壁から解放されたらしい翔太が横から口を挟んだ。

 2対1は卑怯だろ。とりあえず反論できる方にだけ反撃をしておく。

 

「お前は黙ってろ」

「なんでだよ」

「なんでもだ。……陽菜は、リハビリのこと驚かないのか?」

 

 思わず陽菜へ聞いてしまった。

 唇に手をやって、少しだけ言葉を探してから陽菜が言う。

 

「前から、なんとなく気づいてたよ。お兄ちゃん、女の人が近くにいると少し様子がおかしくなるでしょ。家族の私にも、ちょっと怖がってた時期があったし」

「……どこまで知ってるんだ」

「全部は知らない。でも、樹さんが知ってたのは知ってるよ?」

 

 陽菜が一度、翔太を見た。

 翔太は目をそらさなかった。

 

「お兄ちゃんが樹さんのためにがんばってるのも」

「余計なこと喋るな」

「えー? 大事なことじゃん」

 

 翔太は黙った。否定はしなかった。俺はとりあえず聞かなかったことにした。

 

「だから、ゲームの話から始めたら?」

 

 陽菜が言った。さっきなんとなくイメージしてた『正しいリハビリ』のために却下した話題だった。

 

「ゲームなら、二人とも普段から話せるでしょ。話題を無理に作ろうとするより、自然に喋れる状態から慣らした方がいいと思う」

「……なるほど」

「それから、時間より回数じゃないかな。毎日少しずつ話すとか。固まっても急かさず待つとか」

 

 的確だ。段階的で、心理的で、無理がない。「10分間喋れ」でも「30センチ近づけ」でもなく、ちゃんと翔太本人を見て考えている。

 

「口で言ってても忘れそうだから、書いとくね」

 

 陽菜がノートを取り出し、カリカリと文字を書いていく。俺が今しがた聞いた話を、そのまま箇条書きに整えたものだった。

 

 ①まずはゲームとか得意な話から (安心第一)

 ②時間より回数。少しずつでいいから話しかける

 ③お兄ちゃんが固まっても焦らず待つ(樹さんも急かさないこと)

 

 改めて見ると、なおさら的確だった。

 授業中に一時間近く頭を抱えていた俺は何だったんだ。カップ麺の時間まで真面目に考えた俺は。根性という便利な言葉へ逃げた俺は。

 完敗だった。

 ……はいはい、負けましたよ。

 

「陽菜のやり方だけでいいんじゃないか」

 

 思わず口から出た。こっちの方がどう考えても理にかなっている。無駄がない。翔太にも合っている。だったら、俺の思いつきメニューなんて役目は終わりだ。

 そう思った、そのときだった。

 翔太が机の上の紙を手に取った。丁寧に折り直し、制服のポケットへ戻す。

 紙の角は、少しだけ丸くなっていた。

 

「こっちも続ける」

「非効率だぞ」

「別にいい」

「『とりあえず根性』あるぞ」

「そこはやらなくていい」

「じゃあ消せ」

「消さない」

 

 食い気味だった。

 俺は少し黙った。もっといい方法が目の前にある。

 理屈では意味がない。でも、理屈だけではない何かがあるらしい。

 バカなことを言ってると思う。でもそんなもんやめとけとは言う気にはなれなかった。鬼コーチの顔を取り戻すまで、少しだけ時間が必要だった。

 

「……まあ、勝手にしろ」

 

 厳しい声を出したつもりだった。あんまり迫力がなかったかもしれない。

 落ち着いてから、陽菜の提案どおりにまずはゲームの話をすることになった。

 

「じゃあ、お兄ちゃん。好きなゲームの話してみて」

「別に、今じゃなくても」

「今やるの」

 

 陽菜に押し切られ、翔太が最近やっているゲームの話を始めた。新しく追加されたキャラが強いとか、イベント周回が面倒だとか。俺も同じゲームをやっていたので、自然と口を挟む。

 

「そのキャラ、火力はあるけど紙装甲だろ」

「装備揃えれば耐える」

「揃うまでが地獄なんだよ」

「お前、厳選途中で諦めただろ」

「時間を有効に使ったと言え」

「逃げただけだ」

 

 気づけば、さっきまでの沈黙が嘘みたいに会話が続いていた。翔太も少し前のめりになっている。

 

「ほら、できた」

 

 陽菜が満足そうに笑った。認めたくはないが、リハビリとしては百点だった。俺もリハビリのことを忘れていたぐらいだから、正解だったんだと思う。

 それはいい。いいのだが、俺の中の鬼コーチが、俺の立場はどこへ行った、と虚空を睨んでいる。

 

「その②も、もう一回やってみたら?」

 

 陽菜に促され、再び廊下へ出る。

 

「今度は距離を数えなくていいから、普通に歩いてみたら?」

「距離を測らないと訓練にならないだろ」

「自然に近づけたら、それで成功じゃない?」

 

 また正論だった。俺は黙った。

 

「よし。どこまで進めるか確かめるぞ。普通に歩いてこい」

「分かった」

 

 翔太がこちらへ歩き始める。一歩。二歩。さっきより足取りが軽い。肩にも、ほとんど力が入っていない。やがて、さっき足を止めた位置を越えた。それでも翔太は止まらなかった。

 

「……お」

 

 思わず声が出た。翔太が一歩だけ近くで止まる。さっきより、確実に距離が縮まっている。

 

「どうかな?」

 

 陽菜が俺の顔を覗き込んだ。

 ちょっとだけ不安がのぞいているような気がした。

 

「……及第点」

 

 俺が頷くと、翔太がこちらを見た。

 

「さっきとあまり変わらないだろ」

「変わってる。壁まで下がらなかった」

「基準が低い」

「初日だからいいんだよ」

「そうか」

「陽菜のおかげだけどな」

「……うるさい」

 

 翔太の耳が少しだけ赤くなった。

 帰り際、玄関まで見送りに来た陽菜が、小声で言った。

 

「樹さんのメニュー、ガバガバだけど」

「分かってる」

「でも、お兄ちゃんが大事にしてるのは分かるよ」

「……うるさい」

 

 陽菜がふふ、と少し楽しげだった。いやな笑いではなかったけれど居心地が悪いような気がしてきて「先帰る」と言って靴を履いた。

 家を出ると、翔太も後ろからついてきた。別に送るとは言わない。俺も帰れとは言わなかった。

 

 並んで歩き始めてしばらくすると、翔太がリハビリ中よりも少し近くまで寄ってきた。そのまま足を止めずに口を開く。

 

「明日もやるか」

 

 もちろん、そのつもりだった。けれど、こっちから言う前に言われるとは思っていなかった。

 

「当たり前だろ。その②、まだクリアしてない」

「そうだな」

 

 夕方の日差しが、二人分の影を長く伸ばしていた。

 

「ちなみに次は、どこまで縮めるんだ」

「知らん。壁がなくなるまで下がられたら困る」

「うちの廊下は無限じゃないぞ」

「じゃあ、今日よりは縮まるってことだな」

「……理屈はそうだが」

 

 歯切れの悪い返事だった。それでも、否定はしなかった。

 少しだけ歩調が速くなる。急ぐ理由はない。けれど、さっきより足が軽かった。

 分かれ道まで来て、俺たちの足は自然と別々の方向を向いた。

 

「じゃあな」

「おう」

 

 数歩進んでから振り向くと、翔太もまだこっちを見ていた。手を上げると、少し遅れて同じように返される。

 珍しいこともあるもんだ。

 

 冷たい風が吹いた。ちょうどよかった。

 ゆるみかけた頬が、引き締まった気がする。

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