TSした俺と交友関係NTRアンハッピーセットを食らって女性不信拗らせた親友 作:北京院
陽菜から『かんたん! かわいい髪のセット方法!』という動画が送られてきたのは確か女子制服を買いに行った翌日だった。
女子制服が届いた日からは毎朝この髪との戦いが始まったのだ。
あの日は地獄だった。髪の毛のセットをしなければならないとは一応考えていた。だから少し早起きしたのに、まったく時間が足りてなかった。
ワックスでテキトーにいい感じに、なんてことが通用しない。ならばと陽菜の動画を参考にしてもこれもまたなかなかうまくいかない。
陽菜の動画では素直に従う髪が同じようにやっているはずの俺の手元ではまったく従う気配がなかったのだからたまらなかった。
結局その日はリボンもまともに結べず、陽菜にお手本の動画を送ってもらってどうにか致命傷だけは避けたような有様だった。
しかし、人は成長するものである。
冬服に替わる頃には、なんとか人前に出せる程度まで抑え込めるようになっていた。
ちゃんと髪型をキメる、とまではいかなくても「変な髪」とはならない程度になり、それでよいと考えて最近はすごしている。
たまーにやたらと機嫌が悪いのかまとまらなかったりもして、気分は洋画のメカニックだった。
いい子だ、よーしよし、おねんねしてろ……ダメか! クソったれ! ……鏡の前でそんな小芝居をしたこともある。残念ながら効果はなくあの日はひどい有様だった。
ともあれ、最近は割と妥協できる程度にはなっていた。
──ところが、今日に限って髪の様子が違った。
「ふ、ふふー……るー……ん?」
鼻歌交じりに髪を梳く。Aメロが頭の中でループし続けてたりもする。歌詞にも意味もなく、ルーティンの一環だ。
そこでふと、なんとなく違和感があった。特別なことは何もしていない。いつも通りの手順で、いつも通りの時間をかけただけだ。それなのに櫛の通りがいい。まとめたときの収まりもいい。
「これは……完璧、じゃないか……?」
鏡の中の女の子が、今までで一番の美少女っぷりを発揮していた。
少し角度をつけてみる。可愛い。どこからどうみても最高の仕上がりだ。
何が理由かは分からない。湿度かもしれないし、寝相かもしれない。単なる偶然の可能性が一番高いだろう。
しかし頭の中の音楽は俺を讃えるBGMへと変化していた。
「ついにやったな……」
満足感に浸っていると、チャイムの音が転がってきた。
ピーン……と押し込んだ時の音が終わるまで長押ししてから、ようやく離してポーン……と音が響く、やたらゆっくりとしたリズム。
翔太だ。仕方ない、この髪をすぐに見る権利をやろう。
玄関までちょっと小走りでいき、ドアを開けた。
「出迎えご苦労!」
上機嫌に飛び出した俺を見て、翔太がちょっと目を見開いた。
ふっ、やはり気づいたか。この完璧すぎる仕上がりを!
「どうした?」
「いや……」
しかし。少し言葉を待ってみたが、それ以上の言及はなかった。
こんなに完璧なのにか? とも思うが、翔太に期待しすぎた俺が悪いのだろう。
言われてみると、俺も人の髪型を細かくチェックする質でもなかったし、しょうがない。
やれやれと翔太を放置し、カバンをリビングから持ってくる。
未だに無言で玄関に突っ立ったままの翔太の横に行くと、やっと足だけ動き出した。
昨日の夜やってたお笑い番組のこととか、そういえば数学が小テスト予定だったかなどと関係ない話を考えつつしばらく歩いていたら、思い出したようにようやく翔太が声を出した。
「……今日、いつもと違うな」
「なんだよ、気づいてたのか?」
そんな高度な間違い探しを仕掛けたつもりはなかったが、どうやら翔太はようやく答えにいきついたらしい。
ならば答え合わせをしてやろう。翔太の顔を覗き込むように少し近づいて、何を言うのか聞かせてみせろ、とニヤッと笑って促した。
「髪……陽菜も褒めるんじゃないか」
……うーーーん、30点! 確かにこの仕上がりにたどり着くまでの日々には陽菜の協力も多分にある。
しかし、今日、いま、この奇跡は紛れもなく俺の功績なのだ!
チッチッと指を振って否定し、美しすぎる髪を指さして言う。
「気づいたのは褒めてやるけど、陽菜じゃなくてお前がいうべき言葉があるんじゃないか? ほらほら」
『器用になったな』か? 『お前は凄い』か? あるいは『ああ、樹様今日の昼食はぜひ奢らせてください!』なんてことも……言わないか。
……まぁ、とにかく。どんな褒め言葉が飛んでくるか。
そううまいことは言えないだろうけれども、ちょっとばかり期待をしてみる。
そこから三歩分、言葉はないまま足音だけが揃っていた。
ザッ、と。足音がひとつ止まる。翔太が止まったので俺も足を止めて振り返る。
「……おっ、どうした?」
翔太は通学路の真ん中で立ち止まり、じっと俺を見つめていた。
「……綺麗だと、思う」
……は?
思考が止まる。
言葉の響きが耳から脳へ届くまで、妙に時間がかかった。
翔太と目が合う。止まった脳みそがようやく情報を処理し始めた。
「いや、うん? は……いや……は、ははは! そ、そうだよなぁ!! まぁなぁ! 素材がな、素材が良すぎて罪だな! は、はははは!」
とりあえず笑おうとして、うまく声がでない。甲高い声が喉から裏返って飛び出た。
そうだ、今日の仕上がりは完璧だったのだから、仕方ないのだ。
だから思わずそんな言葉が出てもおかしくない。
……おかしくない。いや、本当か?
「……」
頭の中がうるさくて仕方ない中で、翔太はそれ以上何も言わずに視線を逸らした。
そのまま俺の横を通り抜けていつもよりあからさまに速いピッチで歩き出した。すれ違いざまに見えた首の裏側が、気のせいか少し赤く染まっている。
「お、おいこら! 置いてく気かお前!」
追いかけて早足になると、やたらと息があがって仕方なかった。
せっかくの完璧なセットが崩れたらどうするんだ、と言おうか迷ったけれど、なんとなくやめておいた。
そのあと、信号にひっかかってからはいつものペースに戻った。
でも翔太が何も言わないので俺も何も言わないまま学校にたどり着いていた。
教室のドアを開けて自分の席に座る。翔太も同じように隣に座ったが、やっぱり何も言わなかった。
いや、普段からそんなものなんだからおかしくはないのか。どうも調子が変でよくない。
「おーっす、おはよ……んん?」
俺と翔太の机の間に武夫が飛び込んできた。
俺たちの顔を交互に見比べながら怪訝そうな顔をする。
「……なんかあったん?」
「「なんでもない」」
打ち合わせたわけでもないのに声が見事なまでに重なった。
気まずくなってそっぽを向く。翔太の机のほうからもガタっと音がした。
「揃いすぎじゃね?」
武夫が笑いながら突っ込んでくる。なんでもないって言ってるだろ。
それ以上のコメントが来るより先に、女子が横から声をかけてきた。
「四ツ谷さん、今日髪型違くない? なんかいつもよりまとまってる」
「……そう、かな」
「うん。似合ってる」
素直に褒められた。とっさに何と返せばいいか分からず、少し遅れて「ありがと」と答える。
そこでようやく武夫が「あー! なんか違うと思った!」などと周回遅れのコメントを残した。
女子が怪訝な顔をした。「ダメだよそういうの」と言われて武夫が膝をついて大げさに悔しがっている。
「くそっ……女子力って奥が深いな……!」
そういう話じゃないんじゃないか、という言葉を飲み込んだ。すっかりいつもの空気だ。
それからホームルームまでの間、何人かの女子生徒からは「可愛いよね」とか「似合ってるね!」とか、ちょっとしたコメントももらった。
女子同士の反応というのは、わりとこんなものらしい。一言で完結して、それ以上の追及がない。
最終的に「それほどでもあるけどな」と笑って返す程度には褒められ慣れた。
褒めるのも褒められるのも、こんなものだ。
なんてことはない。
クラスの女子からもすっかりコメントをもらい終わった、二時間目の数学の授業。
小テストだったが、それほど時間はかからずにさらさらと解けてしまった。
一応は検算をしておこうか、と思ってそれぞれもう一度問題文を読みつつ解答を確認していく。
Bさんが時速300キロでAさんを追いかけていた。
「……は?」
問題文をもう一度読む。徒歩で出たAさんを、10分後にBさんが自転車で追いかける話だった。
自分の書いた計算式を読む。Bさんが時速300キロをたたき出している。
この自転車にはニトロでも積んでいるのか? 人間の限界を超えるのに必要なのは自転車だったらしい。
空でも飛んでいらっしゃる?
「……バカやってら」
小さくつぶやいて答えを消しゴムで消した。
他の部分は特に問題なく、無事に間違いに気づけたことに深く息を吐く。
そのあとは普通に授業を受けて、昼も自分で買って食べて、午後は眠気に打ち勝ったりなどした。
「帰るか」
放課後、荷物をまとめていると翔太が席の横に立った。
廊下に出て、並ぶ。今はもうやるぞ、と声を出さなくてもリハビリが始まるようになった。
帰り道では、いつものように半歩分の距離を詰めて歩く。
落ち着かなかったのも今は昔、もう慣れたもの――だったはずなのだが。
腕を振るたび、制服の袖がやけに近くを通る。
いつもと同じ距離のはずなのに、今日は妙に狭く感じた。
翔太のほうを見たら、目が合った。
何か言おうと思ったタイミングで、翔太のほうから声が出た。
「……なあ」
「ん?」
聞くためにいったん待ってみるが、言葉はない。
「……なんでもない」
何か言いかけてやめた翔太の横顔を見る。
わざとらしく前ぶりをしてもう一度聞いてみることにした。
「なんだよ。俺の美少女っぷりについて追加の感想でもあるのか?」
「違う」
「即答かよ」
翔太はしばらく黙ったまま歩き、それから前を向いたまま言った。
「……朝のあれ、気にするなよ」
何を指しているのかは、聞かなくても分かった。
でも気にしない、というのも気にしている、というのも何か違う気がする。
「……なんのことか分からないな」
「……なら、いい」
結局すっとぼけてみることにした。
翔太は前を向いたままだった。俺もそれ以上は聞かなかった。
足は止まらず、話題は起きず。
三上家に着き、いつものようにリビングでリハビリの準備を始める。
フリートークの気分じゃない。スマホでタイマーを起動して机の上に置いた。
「今日はその③にする」
有無を言わさず宣言し、翔太を見た。
翔太も俺を見たので、そのままタイマーをスタートする。
最近はたまに完走したりもしていたし、リズムを取り戻そうと思っていた、のに。
「……」
翔太が目をそらした。俺はそれを確認してすぐにタイマーを止めた。8秒だった。……8秒!?
明らかに時間の流れが狂っている。百歩譲っても10秒はたってたはずだ。何かがおかしい。
もう一度タイマーを起動する。翔太を見つめる。翔太が俺の目を見た。
なんだか無性に落ち着かず、俺のほうが目をそらす羽目になった。……負けた。
翔太から煽りのひとつでも飛んでくれば負け惜しみのひとつでも言えるのだが、翔太は何も言ってこない。
ちら、と目線だけをやってみた。こっちを向いてはいなかった。
……引き分けということにならないか?
ともあれ、苦戦続きの中に救いの女神が舞い降りた。
ひょっこり顔を出した陽菜が、テーブルの上のスマホをあっさりと取り上げる。
「今日はやめといたら? なんか二人とも身に入ってない気がする」
「……ん」
反論の言葉が出ず、俺は素直に頷いた。
視界の端で翔太が勢いよく立ち上がるのが見える。
「風呂入る」
「え、沸いてないよ?」
「入れながら入る」
「寒いって、風邪引くよー!」
陽菜の制止も聞かず、翔太は脱衣所へ消えて行った。
……逃げたなあいつ。風邪引いても知らんからな。
閉まったドアを眺めていたら陽菜が隣に腰かけてきた。
「何かあった?」
「いや……別に」
しかし何もなかったか、と言われるとそうでもない気もする。
「そっかあ。でも、よかったね」
「何が?」
「髪、上手になったなあって」
陽菜は満足そうに笑っていた。初日からの努力がついに実を結んだのだから、それは嬉しくて当然だ。
夕方になっても完璧な髪を褒めるべきか、一発で気づいてくれた陽菜を褒めるべきかはおいておいて。
俺が一人で髪を整えられるようになったことを純粋に褒めてくれている。
「……ん、ああ」
俺は視線を逸らしながら、短く生返事を返した。
陽菜は次はもっといいアレンジも送るね! と張り切り気味だったのでお手柔らかに頼んでおく。
リハビリも中止になったので、今日は早めに帰ることにした。
陽菜に夕飯を勧められたが、家にあるもので済ませると言って断った。
夕飯は適当に食べて、風呂を済ませて脱衣所の鏡の前に立つ。
湯気で曇った鏡を拭うと、湿ってすっかり気が抜けきってしまった自分がいた。
前髪に指を差し入れる。
「……綺麗、ねぇ」
朝のキマり具合が嘘みたいにへたれた髪が指に絡んだ。
柔らかくて、くるくる巻くと少しくすぐったかった。