交友関係NTRアンハッピーセットを食らって女性不信拗らせた親友と朝起きたら女になってしまった俺 作:北京院
男には、生涯立ち入ってはならない聖域というものがある。
女子トイレ、女子更衣室、そして――デパートの婦人肌着売り場だ。
かつて健康的な男子高校生であった頃の俺であれば、そんな場所に一歩足を踏み入れようものなら周囲の全女性から通報されていただろう。だが現在の俺の見た目はどこからどう見てもどこか儚げな雰囲気すら漂う美少女である。つまり、入っても怒られないどころか怒る側の人間になってしまったというわけだ。
……うん、まったく嬉しくない。現実逃避は残念ながら目の前の景色を書き換えたりはしてくれないようで、聖域への扉は閉まることはなかった。
──話は数時間ほどさかのぼる。俺は翔太の家の前にいた。
三上家には何度も来ている。幼稚園からの付き合いだし、小学校の頃は放課後のたまり場みたいになっていた。中学に上がってからも、おばさんの作る美味いデミグラスオムライスを目当てに飯を食いに来たり、そのまま泊まったりと、もはや自分の家の次に慣れた場所と言っていい。
インターホンを鳴らすと、ガチャリと小気味いい音を立てて玄関のドアが開いた。最初に出てきたのは翔太ではなく、その妹だった。
「来た来た! ……いつき、くん?」
三上陽菜。翔太の妹だ。3つ下で中学2年生。最近は顔を見る機会が減っていた。
俺の顔を見るなり、陽菜は彫刻のように固まり、それからパチパチと瞬きをした。
昔からよく知っているから実質俺はお兄ちゃん2号とも言えるだろうが、その変貌にはさすがに驚いたらしい。
「そう。おばさんから聞いてた?」
女子になった日におばさんに買ってもらったパーカーとジーンズに身を包んだ俺は、それでもしっかりと女子である。
この姿だけを見て前の俺と同一人物と気づく奴がいたとしたら超怖い。それぐらいに違う。
陽菜はあの日、部活の遠征中か何かでいなかったから夕飯も一緒に食べられなかったっけ。
「ううん……でも……うーん……」
何かいろいろと言いたそうな顔をしたが、自分のなかで落としどころを見つけたのか「よろしくお願いします」とぺこりときれいにお辞儀をしていた。切り替えが早い。
「待たせたな」
奥から、これまた何とも言えない冴えない表情をした翔太がのそのそと姿を現し、無言でスニーカーに足を通し始めた。
正直なところ、今日の用事には別についてこなくてもいいのだが、昨日うちに来てくれたおばさんが「翔太も荷物持ちで行くでしょ」と話を進めていたし、翔太自身も特に抗議しなかったのだ。まぁ、ついてくるのは勝手だ。風に当たりたい日もあるだろう。
制服の仕立て屋はおばさんがしっかり予約を取っておいてくれていた。感謝しかない。
おばさんに先導されてお店に入り、さっそく試着室のようなスペースで採寸してもらうことになった。翔太はといえば、カーテン一枚隔てた外で、気配を完全に消して直立不動で待機している。
採寸自体は、プロの店員さんによっててきぱきと進んでいく。
「はい、バストが、ウエストが……」事務的なトーンで数字を読み上げていく店員さん。されるがままでいると陽菜が何かに気づいたように声を出した。
「……ねぇ、樹くん。今、下、何つけてる?」
「え? おばさんがとりあえずって見繕ってくれたやつだけど」
「ありえない……!」
陽菜の肩がカタカタと震えていた。その目ははっきりと冷徹だった。おばさんが買ってくれた被るだけでいい楽な下着を指差して、盛大にドン引きしている。
「そんなのだと胸の形崩れるよ!? 制服の採寸が終わったら、このままデパートの専門店に連行するから! おかーさん、いいよね!」
「そ、そこまでしなくても、俺はこれで十分っていうか……元が男だし……」
「黙って。これは女子の尊厳に関わる問題だから」
俺のささやかな抗議は、中学二年生の圧倒的な覇気によって一秒で却下された。女子、怖い。
カーテンの向こうの翔太は、完全に気配を消して石像と化している。店員さんは聞こえない振りをしながら控えめに目を逸らしていた。そしておばさんは「そうね、陽菜にお願いしようかしら」と、娘に全てを一任した。俺はお願いされてしまった。
────
──
というわけでたどり着いてしまったのがこの聖域。デパートの四階、婦人肌着売り場である。
この階にたどり着いた時点で翔太はギブアップを宣言していた。別に婦人服しか売ってない階なわけでもないが、明らかに辛そうである。
フロアに他の女性客の姿を見つけるたびに、数歩分の距離を開けるように不自然な動線で歩いている。すれ違う瞬間に、アイツの右腕がカチコチにこわばっているのが、横にいる俺には一目瞭然だった。
「……一階のベンチにいる」
「うん、休んどけ」
翔太は回れ右をしてエレベーターの『閉』ボタンを連打していた。俺も同行したかったがそうはいかない。
フロアを見渡せば、ピンク、白、黒。やたらと攻撃的な造形をしたレースやリボンの布切れが、これでもかとディスプレイされている。何をどこからどう見ればいいのか、元男子の脳細胞では処理が追いつかない。密度がある。特有の匂いと圧がある。
「とりあえずサイズから! すみませーん」
陽菜は完全にプロだった。迷いのない足取りでスタッフに声をかけ、俺はさっさと奥の採寸室へと連れ込まれた。
カーテンを閉められ、お姉さんに手際よくメジャーを回される。言われるがままに腕を上げたり下げたりしていると、お姉さんがフィッティングのコツを教えてくれた。
「いいですか。こうして、脇の方からお肉をぐっと中央に集めるようにしてカップに収めると……ほら、きれいにCカップが出ますよ」
笑顔で恐ろしいライフハックを伝授された。
言われた通りに、自分の脇のあたりの肉をぐっと寄せてみる。そして、目の前の大きな鏡を見た。
……うわぁ。
無いわけではない程度だった胸が、周囲を巻き込みしっかりと形になっている。力を合わせて大きくなるなんてスイミーみたいだな。柔らかさ的にもスライムか? キングっていうにはちょっと心もとないが。
元の身体の俺がもしクラスの女子のこんな姿を見ていたらきっと鼻血を流して喜んだだろう。だが、悲しいかな。これは俺自身の肉体なのだ。女の身体って、構造的に詐欺の塊だな……と、妙に冷静な感心をしてしまった。
試着室のカーテンの隙間から、陽菜が腕を組んでジロリと覗き込んできて、俺は陽菜のテキパキとした指示に従って商品を選んでいった。
「これは洗濯機でガシガシ回しても大丈夫なやつ。これは部活とかで動く時に楽なやつ」と、解説の密度が高すぎてついていくのがやっとだったが、何枚も試着しているうちに、不思議と「レースはさすがに気恥ずかしいな」とか「こっちのシンプルなやつの方が落ち着くかも」といった、俺自身の感覚が芽生え始めてきた。
装備品選び自体は嫌いなわけではないのだ。自分自身の身体が舞台でさえなければ、きっともっとよかった。
「……陽菜って、こういうの本当に慣れてるな」
「女子なので。当たり前でしょ」
中学二年生とは思えない落ち着きっぷりだ。有能すぎて頭が上がらない。
ハンガーにかかったブラジャーを品定めしていた陽菜が、ふと、少しだけ声のトーンを落とした。周りに聞こえないような、静かな声だった。
「ねぇ。お兄ちゃんのことなんだけど」
「うん」
「ここ最近、ずっと様子がおかしくて。お母さんや私が訊いても何も言わないの。……学校で、何かあった?」
まっすぐな、純粋に兄を心配する妹の目だった。
つい先日、彼女に寝取られ通話されて、美人先輩の奴隷動画送られて、後輩ちゃんのドスケベ画像セットを鑑賞させられたんだよ。女が怖くて仕方なくなっちゃったのさ。
──なんて、口が裂けても言えるわけがない。でも陽菜の心配する気持ちは痛いほどよく分かる。
「どうだか。あいつも色々あるんだろ」
「……樹くんは本当の理由知ってる?」
「……さあな」
「そっか」
俺がそう短く答えると、陽菜はそれ以上、無理に深くは詮索してこなかった。
陽菜は小さく笑うと俺の髪に触れた。
「……髪の毛も。かわいいセット教えてあげるね」
「あ、おう。ありがとう」
「それと……翔太お兄ちゃんのこと、よろしくね」
髪を梳いていた手を止めて陽菜が言う。
「樹さん」
「ああ、任せとけって。俺がついてなきゃ何やらかすか分かんないしな」
元気よくそう返したが、言ってから俺は一体何を「よろしく」されたんだろうな、と少しだけ思った。まぁいいか。持つべきものは有能な親友の妹である。
陽菜が少し、さっきとは違う笑顔を浮かべて言う。
「じゃあシャンプーも買わなきゃね。あっち!」
「えっ」
──前言撤回。ほどほどの有能さの親友の妹のほうがよいかもしれない。
デパートの一階、待ち合わせ用のベンチに翔太はいた。
おばさんに買ってもらった細々とした荷物を膝の上に綺麗に並べ、スマホを見るでもなく、ただぼんやりと虚空を見つめて天を仰いでいる。そのただならぬお労しい雰囲気のせいか、通りすがる買い物客たちが気の毒そうな目で見ながらこそこそと避けて通っていた。
「お待たせ」
俺が声をかけると、アイツは認識するより先に、俺が腕に抱えている有名ランジェリーショップのロゴ入り紙袋へと視線を走らせた。
そして、「ヒッ」と短い情けない悲鳴を上げて、ベンチの端っこまで猛烈な勢いで飛び退いた。
「お、お前……それ……マジで買ってきたのか……」
「残念ながらな」
紙袋をわざとアイツの顔の前に突き出して揺らしてやると、翔太は目に見えて顔面を蒼白にさせ、うめきながら口元を両手で押さえた。
「しっかしまぁ……すごいよな」
「……なにがだよ」
「Cだってよ、C」
紙袋をベンチの真ん中に置き、俺はその隣に腰掛けた。さっき集めたスライムたちはしっかりと逃げずに「もとからいましたが?」という顔で胸元にいる。翔太はさらに顔をゆがめた。
「おまえっ……俺に、いうなよ……」
「お前以外に誰に言うんだよ」
翔太がそろそろ福笑いだったら「不成立」って言われるぐらいに変な顔になってきた。にらめっこでもするか?
「……墓場まで持ってけよ」
「なんだよ、金を払ってでも聞きたいやつのいるお宝情報だろ」
「まとめて墓に埋めとけそんな宝」
少しやりとりに余裕がでてきたようだ。顔色は青赤を経て黄色……にはならず普段通りになってきている。
「まぁ、冗談はこれくらいにしといてやる。体調はどうなんだよ。ちゃんと自分の足で歩けるか?」
「……さっきよりは、だいぶマシ」
顔色は相変わらず優れないが、先日の胃液まで吐き散らかしていた廃人状態からは、どうにか脱したようだった。
翔太はデパートの天井に視線を漂わせたまま、ぽつりと呟いた。
「……お前が急に女子になっちゃったせいで、俺の人生の難易度が完全にルナティックモード突入なんだけど」
「そりゃどうも。でも安心しろよ、ルナティックモードの攻略には、いつだって心強い相棒が必要だろ」
「お前はその『心強い相棒』なのか、それとも俺の難易度を爆上げしてる諸悪の根源なのか、どっちなんだよ」
「決まってるだろ、ハイブリッド。両方だよ」
俺がニカッと笑って見せると、翔太は「最悪だ……」と力なく呟きながら立ち上がった。
その後、食品売り場で買い物を終えたおばさんと無事に合流し、デパートを出た。陽菜は「塾の友達と合流するから」と途中で器用に別れた。おばさんも、駅前の駐車場で「じゃあね、二人の晩ご飯の材料は買っといたから!」と颯爽と車で消え、結局、いつもの帰り道には俺と翔太の二人だけが残された。手元には、不自然に遠ざけられたランジェリーの紙袋だけが増えている。
「……見るか?」
「誰が」
仕方がないので自分で持った。翔太側に下げるだけで距離が離れていくざまなのは流石に意識させすぎたかもしれない。
夕暮れ時の歩道を歩きながら、陽菜が別れ際に言った「よろしくね」という言葉が、なんとなく頭の片隅に残って離れなかった。
翔太は何も言わなかった。俺も何も言わなかった。ただ、いつものように並んで歩く。
でも、隣を歩く親友の横顔は、死んだ目をしていた時よりはほんの少しだけ人間の顔に戻っている気がした。
……まぁ、今日はこれで十分だ。一歩前進ってやつだな。