交友関係NTRアンハッピーセットを食らって女性不信拗らせた親友と朝起きたら女になってしまった俺 作:北京院
教室に入った瞬間、突き刺さるような視線の束を迎えることになった。
校門ですれ違った見知らぬ奴らの視線には好奇の目が混ざっていたが、クラスメイトたちのそれはまた性質が違う。
ノリのいい女子グループからは「制服、マジで似合いすぎくね!?」と品定めするように囲まれ、いつも馬鹿話をしていたノリのいい男子の一人からは、さっき「……女子力で……負けた……」と本気で頭を抱えられた。朝の武夫といいなんだ、男子の中では女子力ブームなのか?
お望みならお前も美少女にしてやろうか。いや、うつらないんだけども。
おまけに、朝あれほど苦戦したセーラー服のリボンはまだ少し曲がっていたらしく、クラスの女子に「もう、しょうがないなぁ」とサッと距離を詰められて直される始末だ。
「はい、ちゃんとしててえらいえらい」
子供をあやすように頭を撫でられそうになった。
普通に昨日まで同じ目線で騒いでいた同級生なんだが?
男としての反骨心が激しく目覚めるが、悲しいかな。俺は女子一年生どころかまだ生後一週間足らずのひよっこだ。リボンの結び方ひとつ満足にできない以上、彼女たちの母性溢れるお世話焼きに無抵抗で従うしかなかった。
──
──それにしても。学校生活というものが、これほどまでに過酷な場所だとは思わなかった。
クラスの女子たちに包囲され、リボンの結び方や髪型をああだこうだと弄り回されていた午前中は、まだ平穏な部類だったのだ。
本当の地獄は、4時限目の体育の時間に待っていた。
体育の授業が嫌いになったのは、女になってからが生まれて初めてのことだ。
男のころは別に苦でもなかった。得意というほどでもないが、体力測定で平均を割ることもなく、まあそれなりに動ける身体だった。
だった、の話だ。
女子の制服から、これまた指定の女子用体操着に着替える。ハーフパンツから露出する自分の足があまりにも細くて、それだけで更衣室を出るのが億劫だったが、授業は無情にも始まる。
女子の体育はグラウンドの手前側、男子は遥か奥のサッカーコート側。完全に二つに分かれたエリアで行われるのが、今の俺にとってはせめてもの救いだった。
グラウンドで短距離走。スタートラインに立って、構えて、笛が鳴る。
思いっきり地面を蹴った。……蹴った、はずだった。
地面を踏んだ足が、思っていた半分も返ってこない。前に出そうとした膝が重い。腕を振っても、身体がついてくる速度が、脳の命令と一拍ずれている。
そして胸だ。走るたびに、これまで存在していなかった肉の塊が、予想外のベクトルで上下左右に揺れる。それが皮膚を引っ張り、地味にズキズキとした違和感となって脳を刺激してくるのだ。
昨日、陽菜が「ちゃんと固定しないと呪われるよ」としつこく脅してきた意味が、今日の体育でようやく腑に落ちた。
デパートで買った『寄せたらCカップ』のあの防具、あれはエロのための装備じゃない。この暴れ狂う脂肪の塊を物理的にホールドするための、文字通りの『拘束具』だったんだ。遅い気づきで申し訳ない、と心の中で陽菜に感謝した。
というか、寄せてようやくCでこのざまだと大きい胸の皆様はどういう状態でいるんだ。スライムですらこんなに苦戦するのにキングなんて制御できる気がしない。
クラスメイトの胸の揺れに注目したことはなかったが、別の意味で注目したくなってきた。どう向き合えばいいのだこれは。
そんな思考をゆっくりと回す余裕があるほど、俺の足は遅かった。
ゴールを過ぎたとき、隣のレーンを走っていた普通の女子が、すでに数歩先にいた。
「……は」
思わず声が漏れた。タイムを聞いて、もう一回「は」と言った。
男のころより3秒近く遅い。3秒だぞ。素人の50メートル走で3秒というのはどういうことか。俺の足はどこに行ったんだ。
上がった息のまま足元を見た。生白い細い足が、ちゃんとそこにくっついていた。お前、さっきまでどこ行ってたんだ、と腿を上げようとしたがうまく上がらなかった。
息は上がっているのにね。ちょっと悲しくなってきた。
次は補強運動だった。
グラウンドの砂に両手を突き、男のころと同じ感覚で腕立て伏せのフォームを取った瞬間──俺は、自分の両腕が、自分の体重を支えるだけの筋力を失っていることに気づいた。
動かない。ビクともしないのだ。男のころの腕立て伏せと同じ動作をしているつもりなのに、そもそも使っている筋肉の次元が違っている。
1回、2回──3回目で、腕がガクガクと激しく震え、そのまま砂地へと無様にへたりこんだ。
3回。たったの、3回だ。
俺は今まで人生で、自重の腕立て伏せをたった3回やっただけで限界を迎えたことなんてあっただろうか。いや、ない。
自分のものとは思えないほど白く、細くなってしまった両手のひらを、俺はグラウンドに這いつくばったまま呆然と見つめるしかなかった。
トドメはボール投げだ。
片手で鷲掴みしようとして、やたらと持ちにくかった。それはまぁ、物理的に小さくなってしまったのだからしょうがないとしよう。
つかんだまま投げようと上から肩を回して──ボールを落とした。保持したまま投げられなかった。
気を取り直し、しっかりつかんだまま投げようとして今度はボールの遠心力に全身をもっていかれそうになった。
踏み込んだ足に力は入らず、回した肩はぐにゃぐにゃで、つかんでいた手は「もーむり!」と主張する。
全身がストライキを起こしている。
記録からは目をそらした。今日はもう何も見なかったことにしたい。
「四ツ谷さん、無理しなくていいよ」
隣の女子が気を遣って声をかけてくれた。
「ありがとう」
ありがたく受け取った。でも俺は今まで「無理しなくていいよ」と言われる側の人間ではなかったな、と心のどこかで冷たいものを感じていた。
授業が終わり、這々の体でグラウンドから引き揚げる道すがら、武夫がひょっこりと隣に並んできた。いつも通りの、気の抜けた声だ。
「おつかれー」
「おう……」
生返事を返す俺の顔を、武夫がジロジロと覗き込んでくる。
「なんか死にそうな顔してね?」
「ちょっと疲れただけだって」
「いやいや。体育でそこまで消耗するやつ初めて見たわ。お前、前はもうちょっとマシだったろ」
まったくもって同意する。こんな風になるとは考えたこともなかった。
武夫は「まぁ、無理すんなよ」と苦笑いして先に更衣室へ向かった。悪気のない呆れ顔が、今の俺のポンコツぶりを正確に物語っているようで地味に突き刺さる。
──
放課後。俺たちはいつものように三上家へ向かった。
リビングに入ったら、陽菜がソファでタブレットを見ていた。
振り向く陽菜が俺の顔を見てぱっと表情を変えた。
「あ、樹さん! リボンちゃんと結べた?」
「動画のおかげでなんとか」
「えらい! ……あ、でも髪の毛ちょっと崩れてる。ううーん、今日の身だしなみは、28点!」
「きびしー……」
わざとらしくがっくりと肩を落とす俺を見て、陽菜がくすくす笑った。
翔太はというと、少し離れた一人掛けの椅子に腰を下ろして、スマホを見るふりをしている。
「樹さん、髪結び直してあげようか。練習台にさせて」
「いいのか? じゃあ頼む」
俺はソファの前に座り、陽菜に背を向けて自分の髪を全面的に任せた。陽菜の小さな指先の手つきは驚くほど慣れていて、ピンを外したり髪を梳かしたりするたびに、するすると俺の頭の上の不快感が整っていく。
その瞬間、翔太がスマホから目を上げた。視線がこちらに来て、ぴたりと止まる。
そのまましばらくこちらを見つめていた。
「……っ。俺、風呂先入る」
限界が来たかのように、翔太が逃げるように立ち上がってリビングを出て行く。
バタンと閉まるドアの音を聞きながら、陽菜が呆れたように小さくため息をついた。
「……ん」
なんとなく返事をする。
陽菜の指は器用に髪をまとめ続けていた。鏡がないのでどうなっているのかはわからないが、少なくとも朝の俺よりはマシになるだろう。
「あ、そうだ。樹さん、クッキー食べる? お母さんが買ってきたやつあるんだ」
嬉しそうな声に釣られて振り返ろうとした瞬間、頭を上から優しく押さえられた。
「こら、動かないで」
「はいはい、すみません」
おとなしく指示に従って背筋を伸ばす。
しばらくして、髪が完成したのか「はい、お待たせ!」という声と共に、お皿に乗った小さなクッキーが差し出された。それを受け取り、一枚口に放り込んでかじる。
「……うわ」
「どう?」
「めちゃくちゃ美味い」
思わずもう一口食べる。
サクサクしているのに口の中でほどけるようで、甘さもくどくない。
体育でズタボロになった心と身体に、糖分が染み渡っていく。
「こんなの食べたことないかも」
「へへー。でしょ? 有名店のなんだから」
陽菜が得意そうな声を出した。
もう一枚欲しいな、と思いながら残りを味わう。
「流石人気店だなぁ……」
「ねー」
陽菜が満足そうにうなずいた。
それから少しだけ声の調子を変える。
「……樹さん。お兄ちゃんのことなんだけど」
ああ、その話か。
さっきの逃走劇を見ていれば、そうなる。
「……わかってるよ」
苦笑しながら答える。
「まあ、あいつなりにやってるさ」
実際、朝から見ていればわかる。
無理をしている。
それでも逃げずに学校へ来て、俺の隣を歩いている。
あいつなりに、必死なんだろう。
「そっか」
陽菜が安心したように笑った。
「じゃあ安心!」
ぽん、と頭を叩かれる。
「ご褒美にもう一枚あげちゃう」
「餌付けされてる気分だな……」
「いらないの?」
言われるより先に手が伸びた。
「もちろん食べるけどな!」
「ふふふー」
陽菜が上機嫌に笑う。
「素直でよろしい!」
陽菜に餌付けされ、髪もすっかり整ったところで、俺は三上家を辞することにした。
鞄を肩にかけ、靴を履こうと玄関に向かったとき。
「……待て」
背後から、少し湿ったタオルの匂いと、風呂上がりの熱気が近づいてきた。
振り返ると、髪を雑に拭いた翔太が、玄関のたたきの手前で足を止めていた。リビングから逃げ出したときの険しさはなく、どこか気まずそうに視線を落としている。
「……今日、頑張ってたな」
ぽつりと、翔太が口を開いた。
体育で無様にへたり込んでいた俺の姿を、あいつも遠くから見ていたのだろうか。
だが、俺は思い出す。朝のコンビニのレジで、女性店員を前に手が強張っていた翔太の背中を。
あいつだって、朝からずっと、俺のために無理をして平気を装ってくれているのだ。
「……お前が言うなよな」
小さくそう返すと、翔太はそれ以上何も言わずに、ただほんの少しだけ、俺の方へ歩み寄って、玄関の重いドアを開けてくれた。
「また明日」という声は、いつもより少しだけ優しかった気がする。
今日の疲れが少しだけ軽くなっていることに気づく。
俺なんかより、よっぽど頑張っているやつにそんなことを言われたからかもしれない。
今日くらいは、その言葉に甘えることにした。