遠吠えは遥か彼方に   作:劇鼠らてこ

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151.理須例.

「おいおい、なんだアイツ。甲斐性なしにも程があんだろ」

 

 背にロティスさんとシェーリースさんを乗せて飛んでいる時の事です。

 巨大なウィーゼル種を思わせる姿に変化した梓さんは、その全てを持って世界を……即時蘇生という名の呪いと、そしてここに寄生していたキスキルの結晶を殺し尽くしました。

 結果、轟音と共に結晶の樹林が崩壊。落下してくる枝葉を避けながらミサキさん達と合流せん、としたとき。

 

 聞きなれた声が――それでいて聞きなれないイントネーションの言葉が聞こえてきたのです。

 

 横を見れば。

 空中を歩く、梓さんの姿。高速で移動する私の横を、散歩でもするかのようにゆったりと歩く彼女。

 

「おっと、そうか、もう完全に見えるのか」

「……何者」

「あー、俺が何者か、っていうのは安全なトコに避難してからにしようぜ。ここはちと、危ねェからよ」

 

 その言葉に合理を見出し、背中の2人を、そして今にも瓦礫に飲み込まれそうだったミサキさんとアールルゥ・ヘズナガルさんを救出します。流石に4人は重いですの。

 アールルゥ・ヘズナガルさんが安全な場所を知っている、とかで、その案内通りに高台まで移動。

 ようやく揺れが収まった頃には――エルヴンシード、という国は、ほぼ崩壊のあとにありました。

 

「……」

「気に病まないでいいのよ。我も、エルヴンシードの民も、逃げる事は可能だった。けれど逃げなかった。ここで骨を埋める事を選んだのよ。救えなかった、なんて傲慢はいらないのよ」

「そう、ですか」

「それより」

 

 皆の視線が1人の少女へ向く。

 銀髪碧眼。黒白のコスチュームは梓さんのコスチュームそのもの。

 ですが、魔力の量も質も、何より纏う空気が違いすぎる少女。

 

「君は、代走者だね」

「あァさ、俺は代走者だ。梓・ライラックという、本来どの世界にもいなかったはずの存在を成立させるために生まれた影。アイツがいることで死ぬ魔物は俺が殺し、アイツがいることで生き永らえた人間は俺が救う。そーやって生き死にの結果だけを再現してたら、いつの間にか英雄だのと呼ばれるようになった――誰でもない誰かさ」

 

 ……4人目、ですのね。

 なんて、決して口には出さない言葉を心に吐く。

 初めは本当に別人。偽物、あるいは完全なる他人。次に重複存在。魔物、あるいは神となりつつある同一人物。そして此度は帳尻合わせ。

 

「本来どの世界にもいなかったはず、というのは?」

「言葉通りの意味だよ、お嬢。フクン・ティザンが最初に見た夢という名の運命において、梓・ライラックなんて奴は存在していなかった。まァ一個人としては存在してたのかもしれねェが、こうも大多数に影響を齎すような奴じゃなかったのさ。けれど、ある時それは唐突に変わった」

 

 その言葉を聞いて想起されるは、未だ自分たちの世界があり、混乱の収まりつつあったEDENで彼女に告白した時の事。

 隠し事がある――彼女はそう言っていた。今の今まで、それは冥界関連の事だと思っていたけれど。

 

「梓・ライラックは異物だ。外から来た魂だ。冥界の女神ハキタが拾い上げた、何者かの魂。前が人間だったのかすら怪しい。まァ一般常識があるあたり、ふつーに人間だったンだろうが……少なくとも恵理須(そちらさん)における常識は持ってなかったンだろう」

「転生、という概念。此方の世界の住民には耳馴染の無い言葉だけど、要は肉体を継続しない蘇生のようなものなのよ。ただし、記憶さえも継続できるかはわからない。我の知っている限りではできない。魂が変わらずとも、肉体も記憶も魔力さえも失って別個体になる。我にとってソレは、個の喪失とも呼べる恐ろしいものに思えるのよ」

「それが、死、ですのよ」

 

 自分で口にして――あぁ、と思う。

 だから、梓さんは。

 そういう世界から来たのだ。

 

 死が、そのまま。

 己の喪失に繋がるような――冷たい世界から。

 

「私達妖精にとっては特に珍しい話でもないな。妖精は死なば死ぬ。けれど、その身は土となり草となり、誰かの糧となる。誰かの糧となるのならば、その誰かが子を成さば、その子供は元の妖精を欠片程度は引き継いでいる。そういう循環の概念……信仰のようなものがある」

「今宗教の歴史に口を出すつもりはない。代走者などと名乗っているが……お前は、私達の良く知る梓、だな?」

「おォわかってくれンのかポニテスリット」

「わからないわけがない。むしろ、最近の梓の方に違和感があったんだ」

「私も、そう。ただ、私は少し、知っている。世界の、仕組み」

 

 恵理須の事を思い出していないミサキさんとシェーリースさん。お2人にとっては、この代走者なる方が梓さん。

 ……そうなると、肩身が狭いですわね。私だけが……代走者たる梓さんではない方をお慕いしているのですから。

 

「──皆、構えろ。何か来るのよ」

 

 突然アールルゥ・ヘズナガルさんが顔を上げて言います。

 まだ何かあるのかと、皆が一斉に臨戦態勢になった――その瞬間。

 

 

 眼前に、余りにも神々しい少女が現れましたの。

 

 

「おー、ひでェ有様。……が、お嬢たちは無事みてェだな」

「直接会うのは初めてだね。君が、クロムクラハかな」

「あァよ。ついでに言うと、同伴が1人いる」

「ははは、初めまして! アオン・ガフスって言います!」

「俺はこーいう純粋なアオンに違和感あって仕方ねェんだがよ、お嬢はどうだ?」

「え……ああ、いえ、私の知るアオンさんも、そこまでひねくれた方、というわけでは……」

 

 存在の雰囲気こそ神々しい……けれど、喋ってみればやはり梓さん。代走者さんやアズサさんよりも梓さんと同一。それがクロムクラハさんですの。そう呼べ、と言われても、なかなか慣れないのですけれど。

 

「ん? アレ、なんだ。代走者が影じゃなくなってるじゃねェか」

「おォさ、ついさっきな。接続が切れたンで、こーやって出てこれた」

「……ってことは、オイ。まさかアイツ死んだんじゃねェだろォな」

「死んだよ。あの甲斐性無し、お嬢たちを置いて死んじまった。即時蘇生の術式とキスキルの結晶は完全に殺してくれたからそこは褒め称えるけど、アイツ置いてかれる奴の気持ちとか考えた事あんのかね」

 

 梓さんが、死んだ。

 改めて言葉にされて……ようやく実感が湧いてきます。ここが夢の世界だとしても、やはり来るものが。

 

「ソンヒューィはどーすンだよ」

「アイツの最後の言葉だ。"頑張れよ、アズサも、クロムクラハも。俺は先に行く"だそうだ」

「……丸投げかよ」

 

 そうだ。

 ここが夢の世界で。確か、私達を繋ぎとめているのが即時蘇生の術式である、というのなら。

 

「……代走者さん。1つ、質問がありますの」

「死なば起きられるのか、か?」

「はい。私にとっての梓さんは、先に散り行った彼女1人。であるならば、この世界にもう用はありません。酷な話というのは自覚していますけれど、私がここにいる意味は見出せませんの」

 

 言えば、悲しそうな顔をするクロムクラハさん。

 そういうところ、やっぱりそっくりですわね。

 

「良いぜ、と言いたいところだが、もう少し待ってくれ。今のお嬢が死ぬと、こっちのお嬢まで死んじまう。アールルゥ・ヘズナガル」

「ん、なんなのよ?」

「魂からテクスチャを剥がす術式の開発を頼みたい。大至急で、だ。報酬は、そうだな……俺が梓・ライラックの代走者となった事で得た異界の知識、とかでどうだ」

「一々合理的な奴なのよ。でも、言いたいことはわかったし、それは我の役にも立つのよ。知識も魅力的だけど、異界の知識を得た所で我はそれを再現しようとしないのよ。だから要らない。無償でやってあげるのよ」

「そうか、助かる。んじゃ、お嬢。すまねェがその術式の完成までこっちに協力してほしい。今のアンタにとってはどーでもいい世界なンだろうが、俺にとっちゃアンタの体たるお嬢は大切な仲間なんだ」

「恋人、ではなくてか?」

「あン? ポニテスリット、お前一々からかえる立場かよ」

 

 魂からテクスチャを剥がす。

 ……それはつまり、アルシナシオンの私から、エリスの私を剥がす、という事ですのね。

 

「わかりましたの。それと、一応言っておきますけれど、今の私もアナタの事を微かに覚えているようですの。さっきから心の奥底がチクチクチクチクと痛いので、多分ソッチの私が抗議していますのね」

「ハハ、そりゃ良い。……で、あれ。さっきから姿が見えないんだが、エイトスはどこいった?」

 

 周囲を見渡します。

 エイトス。梓さんが魔女の隠里で拾ってきた、小さな竜の魔物。鳴き声の1つとして発さない魔物でしたけれど、そういえば……見てませんのね。

 

「エイトスなら、梓の亜空間ポケットに入ったはず」

「……」

「あー」

「それはまた、ややこしい事になったね」

 

 代走者さん、クロムクラハさん、アールルゥ・ヘズナガルさんが三者三様に難しい顔をします。

 

 亜空間ポケット。今私がエリスで溜めた武器類を取り出せるあたり、あれなるは魂や精神とでもいうべきものと紐づけられている、と仮定できます。ならば、そこへエイトスが入ったまま梓さんが死に、あちらの世界に戻った時――どうなるか。

 夢の世界の住民が、現実に渡った場合。

 

「どうなるかはわかりませんけど、面倒なことが起きそう、というのはわかりますわ」

「その通りだ、お嬢。できりゃエイトスが亜空間ポケットから出る前にこっちに連れ戻したい。アンディスガルの基本居住空間は冥界だ、魔物が溶ける空間においそれと出したりァしねェだろうが、アイツの事だ、加護かけて出しちまう可能性がある。そうなるとやばい」

「何がやばいんだ?」

「夢が現実になる、成り得る――その前例ができてしまうのよ。我らは夢の世界の住民。それは本来の意味でなかろうと、少なくともハキタの管理する冥界とは別世界の住民であるのよ。それが魔物であろうとあちらの世界にそのままコンバートできるとなれば、次に身を乗り出すのは何だと思うのよ?」

「ソンヒューィだ。そもそもアイツはジーウィースが恵理須に行ったのを羨んでいた。召喚という形とはいえ……」

「フクン・ティザンとL・アルカナは裏技で、加具土命と是磑は召喚であちらに渡ったけれど、どちらも何かしらの制限は受けているのよ。けれどそれが無い状態で行ける方法が示されてしまえば、ソンヒューィの被害があちらの冥界にまで及ぶ可能性がある」

「それだけならまだいいさ。ぶっちゃけ、ソンヒューィ一匹にウチの神さんらがどーこーされるとは思えねェし。問題は報復の方だろ。アンタらが恐れてる通り、即時蘇生の術式とキスキルの結晶を殺し尽くしたアイツはハキタが大好きだ。愛していると言っても過言じゃねェ。そんなとこにソンヒューィが行ってみろ、アイツが殺されるだけじゃなく、今度こそこっちの世界が滅ぼされかねねェ。世界を壊す魔王だとか予言されてたンだろ? ホントにそーなるせ、このままだと」

 

 なんだか大変な方向に話が進み始めましたのね。元から大変なことではありましたけれど。

 ミサキさん、シェーリースさん、ロティスさんの方に目を向ければ、彼女らも肩をすくめます。

 私達がどうこうできることではない、ですわよね。

 

 それにしても……やっぱり、梓さんはハキタさんが好きなんですのね。

 だから、あんなにも怒って。

 

 ……もう一度、ちゃんと謝らないいけませんわ。梓さんにも、ハキタさんにも。

 その上でハキタさんに梓さんを頂くことを交渉しましょう。

 

「とにかく、アールルゥ・ヘズナガルは魂覆剥離の術式の開発を。背中メッシュ、閻魔刃塔への繋ぎを頼めるか?」

「うん、いいよ」

「クロムクラハと……アオン、っつったか。すまねェが、全体との情報共有役の継続を頼む」

「あァさ、いいぜ。アオン、身を引いたりしなくていいぞ。お前にも手伝ってもらうからよ」

「あ……うん!」

「ロティス、だったな? アンタは各地の妖精に渡りをつけてほしい。内容は1つ。ソンヒューィに対する決起」

「善処はしよう。だが、エルフの小娘の話を聞いてくれるかどうかはわからないぞ」

「危なくなったら俺が現れるから大丈夫だ。自信持っていけ」

 

 そうやっててきぱきと指示を出していく姿は、梓さんに少し似ています。

 それで、最後に、と。

 

「お嬢。お嬢にはかなり難しい事を頼みたい。……いいか?」

「ええ、いいですわよ。アールレイデの名に懸けて」

「ありがとう。2人、探してほしい奴がいるんだ。1人はジェーン・Dという少女。なんでも、学園長の娘だって話だ。顔は……えーと、コレ」

 

 コレ、と言って見せてきた写真。

 その顔には見覚えがありました。いつだか、SS級たちを集めて"役割の統合"についての説明を行った少女。前線に出ないSS級、ということで、魔法も名前を知らされませんでしたが……まさか学園長の娘さんだったとは。

 

「そんで、もう1人はエリスだ。エリス。かつては世界だった魂。つい最近、こっちに転生している可能性が高いと情報が入った」

「それは、どこ筋ですの?」

「バーステットだよ。本人の希望あって居場所は明かさねェけど、ちゃんとこっちの協力者だ」

 

 また大御所の名が出てきましたわね。

 代走者さん。梓さんよりも沢山の事を知っているみたいですけれど。

 

「それで、貴女はどうしますの?」

「俺はポニテスリットと学園長殿に直談判、ついでに輝きの園で情報収集、更には死に繋がるダンジョンの捜査と、最近各地で目撃されてる銀の龍についての調査。ジパングのお家騒動も調べなきゃだし、色々やることがある」

「おい、私が付いていく事は前提なのか」

「他にやる事ねェだろ? ったく、あの甲斐性なしが全部ほっぽって行ったせいでやること山積みなンだよ。あァ移動は大丈夫だ。裏技使う」

 

 これで、全員に役割が行き渡りましたわね。

 人探し。まぁ、得意である、とはいいませんけれど、一度引き受けた事ですし。

 

「最後に。ソンヒューィには気をつけろよ。即時蘇生の術式壊されてカンカンのはずだからな」

「では、失礼」

 

 光翼を出して、入って来た井戸を抜けて外に出る。

 即時蘇生の切れた世界。──思ったより混乱は起きていないようで。

 

 さて――。

 

 

えはか彼

 

 

「さて」

 

 懐かしい感覚に体を起こす。

 少しでも力を入れたらボロボロと崩れる体。暗鬱な空。駈け寄ってくるブラックドッグ。

 

 冥界だ。

 

「……丸投げもいいとこだけど、頑張ってくれると信じよう」

「戻ったか」

「ン? っとォ!?」

 

 背後、威圧的な声。

 その声とは裏腹に、柔らかく暖かい感覚に包まれる。

 

「……アンディスガル、良く戻ってきてくれました」

「あァ神さんか。なんだ、零と一緒なんて珍しいな」

「ちなみに私もいるからね!」

 

 見えないけど背後で後光出しまくってるっぽい零。視界にひょこっと入ってくるウィドアル。

 俺に抱き着いてる神さんと……なんだ、勢揃いだな。

 

「冥界の三神がこんなトコに出張ってどォしたんだよ」

「ふん、ハキタがそろそろはち切れそうだったのでな。いつあちらの世界を壊すかわからない状態だったゆえ、オレとウィドアルが常に監視していただけだ」

「……別に、そんな節操のない女ではありませんけどね」

「いーやっ、私達が目を離したらやってたね。いいかな、アンディスガル。君はこいつを妄信しているようだけど、ハキタは私達の中でも最も暴力的――」

「一番愛情深いって事だろ? 知ってるよ」

「……」

「ウィドアル。いい加減学べ、夜の使徒とはこうだ。己の神に一切の疑念を持たない」

 

 うわ、うわー。

 なんか懐かしいな。俺別に神さん達と長くを過ごした、ってわけじゃないのに……なんか懐かしい。

 やっぱ俺の属するはこっちだよなー。

 

「ハキタ、そろそろ離した方がいいんじゃないかな? 抱き締められて、君の愛しのアンディスガルがボロボロと崩れ落ちているよ」

「え、いいよ別に。痛くないし、治るし。つーか俺がもうちょっとこうしてたいから余計な口挟むンじゃねェ」

「ふふ、貴女の所の使徒とは違うのですよ」

「……素直に羨ましい……!」

 

 ただ、まァ。

 こうして三神が出てきたのは、神さんの監視のためだけではない、ということくらいわかる。

 

 話を進める事にするか。

 

「今、恐らく俺だけが開ける異空間に、是磑と外辺那を封印してある。ただ、あっちの世界の安寧のために是磑が必要っぽいんだよね」

「貴様、オレだけでなく他所の神まで名で呼ぶのか」

「いいのですよ、アンディスガル。私達に許可を取ろうとしなくても――貴方の好きなことを、好きにやってください」

「……優しいなァ、神さんは」

 

 ま、戻ってきて早々ではあるけれど。

 あっちにはまだみんながいるんだ。

 

「貴様がしたい事はなんだ。言葉にするのは得意だろう、言ってみろ」

「私は別に君に義理とかないんだけど、いい加減戻ってこないと大変で仕方がないってウチの使徒が嘆いているから……いいよ。君の願いを言ってみて」

 

 黒い燃えカスみたいな溜息を吐く。

 愛されてンなァ、俺。

 

「俺は、あの世界を壊したくない」

「……」

「けどあの世界に囚われてる奴らは全員助けたいし、連れ戻したい。何よりキラキラツインテがあっちの神に囚われてるからな。その神だけァぶち殺して、キラキラツインテを取り返したい」

「だが、その身体では無理だろう。歩くことは疎か、腕に力を入れる程度でボロボロと崩れ去る体。それで何ができる」

「それに、君の力は死に纏わるものだ。君は救うとか助けるとかに絶望的に向いていない。わかっているだろ?」

「体が必要だ」

「いいよ。悪夢の神なんて簡単に切り裂ける強靭な身体を用意してあげる」

「力が必要だ」

「エリスが死した今、権能を纏めておく意味もない。貴様が得た全ては返してやる。存分に使え」

 

 だから、最後に。

 

「鳥有為預。愛してるよ」

「ええ、私もよ」

 

 冥界に現るるは黒い獣。

 其は魔物。精神体でなく、確実な魔物。魔となりし者。

 

 ケモノは高らかに声を上げる。

 遠く、遠く。彼方にまで。

 

 遠吠えは遥か彼方に。

 

 さぁ、凱旋だ。

 梓・ライラックは死んだ。完全に死んだ。故にここにいるのはアンディスガルでしかなく。

 なれば英雄と魔王は同時に存在できる。神と魔王は同時に存在できる。別人と魔王は同時に存在できる。

 

 それは夜に捧げる祈りの物語。

 一匹の獣が、夜の神に愛を捧ぐ、信念の物語。

 

 ここまででようやく、その1頁。

 

 

えはか彼

 

 

 

「はい、これで大丈夫」

「ありがとうございます」

「ふふ、敬語じゃなくていいと言ったよ」

「……ありがとう、あるるらら」

 

 そこはどこかの神殿。

 水をふんだんに使った場所で、静謐な雰囲気が流れている。あるいは冷たいと、そう取る者もいるのだろう。

 

「腕には慣れた?」

「いえ……いや、まだ中々。機械の腕、というのは……違和感がある」

「少しずつ慣れて行こうね、と言えればよかったんだけどね」

「ああ、時間が無いんだろう。この短時間で違和感がある程度にまで仕上げてくれたポマネイ・リコには感謝しなければ。ボクから直々にお礼を言えたらいいんだけど──」

「今、彼女は心を塞いでしまっているから。それはまた今度、ね」

 

 神殿にいるのは2人。

 あるるららとジェーン・D。

 

「君は、学園長……学園エデンのグロア学園長の娘、だよね」

「あ、うん。随分と前に家出してから戻ってないけど……」

「どうして家出したのか、教えてくれるかな」

「あー……まぁ、簡単に言えば反抗期だよ。ボクにとってもエデンは良い教材だったけど、それだけじゃ足りなかった」

「刺激が?」

「刺激……では、ないかな。これだけの知識があって、これだけの生徒がいて、教師がいて。なんでもっと上を目指さないんだろう、って。ずっと思ってたんだ。単純な威力や効率を求めるのとは違うよ。ボクが言っているのは、更に上の次元の事」

「神、だね」

「そう……だね。うん、そうだ。神の招来。神の送還。世界という籠の中にあっても、ボクらに与えられた魔法という鍵は、内側からも籠を開き得るものだった。だというのにみんな人間の範疇を超えようとしない。何度かそれを抗議したこともあったけど、"ここはそういう場ではありません"の一点張りだったから、ボクは家出をしたのさ」

 

 言葉を尽くすジェーン・Dを、ニコニコと眺めるあるるらら。

 ジェーンが思い詰めた顔をしたり、自身を嘲るような声を出してもそれを慰める事はしない。

 

 ただ。

 

「君は、それを後悔しているのかな」

「どうだろう。ただ、家出してわかったのは、あそこの蔵書量が異様だった、ということと、余りに恵まれた環境だった事、そして……」

「大丈夫。私は何とも思わないから」

「……実験体に、好都合が過ぎた、という事かな」

 

 ただ、あるるららは、にこにこ笑って。

 

「今回は失敗に終わった魔法。本当は何をしようとしていたの?」

「アレは、冥界の存在を召喚する儀式魔法だったんだ。生者60人の命と引き換えに死者を1人この世に呼び出す魔法。生き返らせるわけでもないのに生贄が60人必要で非効率極まりないんだけど、それでも冥界という場所との繋がりを確立させる第一歩になる……はずだった。まさか彼女に止められるとは思わなかったけど」

「冥界の存在を召喚して、どうするつもりだったの?」

「冥界の存在そのものには興味ないよ。この世界が冥界と繋がった、という事実が必要だっただけ。そうすれば芋づる式にこの世に冥界を降誕させることもできていただろうし」

「そんなことをすれば、国は大パニックだね」

「別に、神に至り得ない生物がいくら死のうと問題は無いよ。ボクや君のような特別な存在が死ぬのは困るけど」

 

 狂っていると、そう称されるのだろう。

 ジェーン・D。学園長の娘。

 彼女にとって世界は実験場に過ぎない。だからこそエデンだけでは我慢ならなかったのだし、即時蘇生があるにもかかわらず停滞し続ける人類に嫌気がさした。

 

「けど、即時蘇生は解かれてしまった」

「うん。まさかそんなことをする奴がいるとは思わなかった。夜の使徒というのは、存外に狂っているらしい」

「もし冥界の降誕が成功していたら、殺されていたのは君だったかもね。彼女はとても短気だから」

「ああ、今回の事で学んだよ。夜の使徒も、その周辺にも手を出すのはやめた方が良い、と。ソンヒューィ様のご意向であろうと……今度こそ、終わらされる」

 

 ジェーンの片腕は機械になっている。腕を終わらされたからだ。

 終わった腕は治ることがない。たとえ肉を補充したとしても治りはしない。生物としての機能が終わっているがゆえに、機械にするしかなかった。

 

「夜の使徒は、アレよりも強いんだろう?」

「比じゃないよ。彼女には誰も勝てない。私も、神でさえも」

「……恐ろしい話だね」

「でも弱いけどね、あの子」

「??」

 

 ジェーンは知る由もない。

 今、まさに。

 

 死の権化がこの世界に降誕せんとしていること、など――。

 

 

 空に、罅が入った事など。

 

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