ヒノモトは混沌の中にあった。混迷と言っても良いだろう。
ソレは突如現れた──ソレ。一般的には魔力塊と呼ばれ、多くはダンジョンの深部にある水晶。
降って来たのだ。その水晶が。
今現在、ソンヒューィの加護は切れている。怪我をすれば。死すれば。──死ぬ。
だからヒノモトの住民は皆屋内に隠れた。逃げた。だというのに。
「はぁーい、隠れても無駄無駄ー」
「ひ、ひぃ!?」
「だぁいじょうぶ大丈夫、みんなと一緒になるだけだから、ね?」
「親父、お袋! まななにとあくるに連れて逃げろ! ここは俺が」
侍衆として戦いの心得のある若者が、侵入者の前に立った。いや、その刀を向けた。
次の瞬間、若者は若者の形をした水晶になっていた。
「いくさり!?」
「おっかぁ、お前達だけでも、」
「二番煎じはつまんないって」
速いとか、一瞬とかじゃない。
気付いたら、家族は。若者も両親も弟と妹も。その全員が水晶と化していて。
「【秘漸】」
「……ぁぇ?」
ニヤニヤと自身の所業を眺めて笑っていた侵入者は、いつの間にか自分の胴体が7割消滅していることに気付いた。
おかしい。そんなはずはない。だって、この世界の神と契約を交わしたのだ。欲しいものを与える代わりに、この地に住まう生命に対する絶対の権限を。
「……外道に、心が動かなくなったのはいつからだったか」
「あ、隙あり!」
「【秘漸】。……隙というのは作るものだ。7体目だというのにまだ学ばないか」
消える。
この世界から、侵入者は──キスキルの分体は消え去った。
「頭領!」
「む……ストクに、ショウモンか。状況を報告しろ」
「は。現在ヒノモト上空に現れた魔力塊に対し、侍衆が対処中です。忍軍は避難誘導を主に行っている模様。魔力塊は形成から落下まで凡そ5分を要し、落下した魔力塊からは奇怪な水晶を操る少女が出てきます。これについては我ら侍衆では歯が立たないと判断、見つけ次第位置の記憶と報告はせども、決して立ち向かわないようにと通告済みです」
「ただ、魔王出現から家族の下へと帰って家を守っていた者が多く、命令が行き渡っていませぬ」
「だろうな。先程も無謀を晒し、水晶となった若いのを見てきた」
「申し訳ございません」
「構わない。そして、良い判断だ。アレはお前たちが束になっても敵う相手ではない。守るべき民と自らの命を天秤にかけなければならないのであれば、自らの命を選べ。その方が多くを救える」
「……はい」
人情。……あるのだろうか、まだ。
この悔しそうな顔をしているストクを見て、果たして。
「【飛斬】」
見ることさえしない。中空に形成され始めた結晶を、その繋がりを断ち切る。結晶の成長はそこで止まり、ぽとりと小さな水晶塊が落ちた。
「頭領、今のは?」
「これら水晶は全て繋がっている。アレが生まれ堕ちる前に繋がりを断ち切れば、このように無力化できる。問題はお前達程度の筋力ではアレを壊すことは」
「ストロンガップ!!」
聞こえた声は、少女のものだった。
崩れた家屋。そこで身を隠していた少女。
少女は──覚えたばかりなのか、たどたどしい魔法を使った。ストクとショウモンに。それは腕力を一時的に向上させる稚拙な魔法。だが。
「……頭領。俺は、あの期待を裏切ることができない。……常に冷静であれ。侍衆失格ですね」
「構わん。行け。それで断ち切れるのであれば御の字だ」
「ありがとうございます!」
二人が飛びあがる。飛び上がって、切り上げと切り下げで──その細い細い結晶の枝を。
「ぐ……」
「なんという、強度か……!」
断てなかった。細かろうと曲がりなりにもキスキルの結晶だ。それを、強化を受けた程度の人間が断ち切れるわけがない。どころかその水晶の枝から刀へ侵蝕が始まりつつある。
無理だ。刀を離せ、と。
「ふぅぅぅん!!」
カネミツが言葉を発する前に、ソイツは降って来た。ストクとショウモンの断ち切ろうとしている枝の、さらに根元の方へ一撃を。それは斬撃なんて綺麗な言葉では言い表せない、ただの打撃。
だが、確実に入った。軋み、たわみ、いや罅割れ。
「民よ! ヒノモトの民よ! 勇気ある民草よ! 頼む! 儂ら侍衆に力を! 腕力、脚力、なんでもいい! 覚えている魔法を儂らにくれ! それを受けて、儂ら侍衆は必ずやこの国を守る!」
言葉は広く響き渡る。
そして、行動は迅速だった。家屋に隠れていたヒノモトの民たちが、一斉に近くにいる侍衆へ強化魔法をかけ始めたのだ。適性のない者ですら、稚拙であっても塵ほどであってもと。
効果はあった。
あることにしたのだ。
「誠、感謝する!!」
断ち切る。
ただの刀で、けれど硬化魔法を受け、耐性魔法や抵抗魔法を迸らせ、腕力や筋力の底上げが為された刀が、細い細い結晶を断つ。断ち切る。
そこを断ち切ったことで、連鎖的にその地点から西側の魔力塊が成長途中で落下した。サンプルケースの理解はそれで十分だった。各地の侍衆が、各地の民から強化を受けて、魔力塊そのものではなく枝を断ち切っていく。
「……老骨に大声は堪えるだろう?」
「儂はまだ現役ですとも。頭領、遅くなったが──このユアサジ、ここに参上した」
「形式ばった挨拶は良い。私は根元を探しに行くから、お前たちはヒノモトを守れ」
「承知!」
人情。可哀想だ、と思う心は捨ててしまったが。
嬉しいとか、楽しいとか、そういう感情はまだまだあるらしい。
「根元に行くなら連れて行ってあげるけど」
「……リージュ・アルカナか、その声は」
「ああ、姿が違い過ぎてわからないか」
「魔物として斬り伏せるところだった」
気配もなくカネミツへと話しかけるは、ネズミのようなコウモリのようなナニカ。
これほどの巨体でありながらカネミツが気付けない。否、誰からも見えていない。
「連れて行け。ああ、ヨウキはどうした?」
「ソンヒューィを捕獲して、今アンディスガルのもとに帰っている。全員が合流するより効率がいいと思うけど、癪に障った?」
「構わん。魔物の行動を制限できるとは初めから思っていない」
ソンヒューィを捕獲した。
あまりにも簡単な言葉だが、あまりにも素晴らしい功績だ。アンディスガルのもとへ行くにあたってあるだろう妨害を退けたかったが、カネミツには優先順位がわからない。
ソンヒューィが先か、キスキルが先か。
「乗って」
乗る。ふわふわとしたその身体に。
飛翔に音は立たない。風圧さえ生まれていない。
「始めに三つ言っておく。その一私は戦闘に参加しない。私はキスキルには勝てない。格が違い過ぎる」
「構わん」
「その二。魔物化はしない方がいい。あなたがこの世界に馴染めば馴染むほど、キスキルの攻撃は効きやすくなる。その三。【秘漸】、権能だから消耗激しいと思うけど大丈夫?」
「……気付かれていたか」
「当然。どうする気?」
「【飛斬】、【秘斬】では話にならないか?」
「ならないね。レイの魔法じゃ勝てない。当然だけど、ただ斬ったって刃は通らない」
「そうか。……ならば仕方がない。一つ上の扉を開ける」
「どういうこと?」
やる気はなかった。
これを行えば、ヒトではなくなるから。ただまぁ、今更だ。
「【飛斬】、【秘斬】、【秘漸】を重複統合。……すまないな。使うぞ」
亜空間ポケットを開けて、そこに入っていた──無数の多胞体に手をかける。
「それは」
「恵理須の頃に屠った、あるいは救えなかった魔法少女たちだ。班長には内緒にしておけ。私はまだあの人に嫌われたくはない」
「……蘇生槽があった頃、だよね?」
「そうだ。だがさせなかった。EDENの魔法少女は登録が為されている故解放しないわけにはいかないが、未登録の魔法少女であれば話は別だ。EDENの蘇生槽を使わせるかどうかもな」
「なぜ使わなかったの?」
「……梓・ライラックのような言葉を吐くぞ。
もしかしたら、遠征組突撃班の誰にも話したことがないくらいの核心。
カネミツという女性を構成する要素の中の、その深奥にあるもの。
「憎しみや怒りを以て殺した者。後悔や悲しみと共に救えなかった者。──それが簡単に生き返ってしまっては、勿体無いだろう」
「なにが?」
「私の感情が、だ」
「……わ。怖いな、この子」
あるいは、ここにあるるららがいたら、言うだろう。
ヴェネット班で一番おかしいのは自分ではなくカネミツだと。勿論あるるららもおかしな趣味をしているけれど、本当におかしいのはカネミツだ。
そもそもが人斬り。そもそもが殺し屋。侍衆と名乗っていれば全てが許されるわけではない。侍衆の敵は決して魔物だけではなかったのだ。罪を犯した自国民。その予備軍。はたまた、そのパトロン。依頼主。
殿に仇名す者。ヒノモトを脅かさんとする者は、誰であれ斬り殺してきた。
それが侍衆。その頭領。
「それで、そのコアを使ってどうするの?」
「こうする。……重複統合における理層素を選択。世界言語を夜から太陽へと変更し、新生を行う。.
「……うそ」
思わず、と言った風にリージュ・アルカナが言葉を零す。
だってその言葉は、紛う方なき太陽の言葉。だけどそれを知るのは太陽の使徒だけだ。
「役割を重複統合し、【秘漸】を【銷却】へ還元。……なんだ、音の響きまで変わるか」
「どうやって……なんで太陽の言葉を使えるの?」
「一度目はお前の。二度目はソードマスターとなった後。三度目は自身で、四度目はまたソードマスターと化した時。風の言葉はまだ雑音が多くわからないが、太陽の言葉は大体把握した。全単語を知っているわけではないが、知っている単語を組み合わせるだけでも言葉というものは文章になるものだ」
そんなことはない。
だって普通の魔法少女には、世界言語は唸り声にしか聞こえないのだ。それをまず言葉として認識することが難しいのに、それを自己流にアレンジして、しかも結果まで掴み取った。いや、いや、どころか。
「【銷却】は、レイの権能だよ」
「らしいな。これの元の持ち主か知らないが、頭の中で喧しい文句を垂れている。太陽の使徒……天使という奴か?」
「太陽の使徒の意識侵蝕にも耐えているんだ……」
リージュ・アルカナは溜息を吐く。
梓・ライラック。あるいはアンディスガルはイリーガルだ。だから仕方ないと思っていた。あれはハキタの違反から生まれた命。
だけど、カネミツは違う。真っ当に恵理須で生まれた命。それが。
「太陽神レイの権能であれば、キスキルに対抗できるか」
「うん。それはもちろん。……だけど、大丈夫?」
「いいや、大丈夫ではない。恐らく短期決戦になる。この権能とやら、私には持て余すな。あとで分解する。……それ以前に意識を失うだろう。私を見捨てない心はあるか」
「わざと見捨てて逃げたら、アンディスガルが気付くから」
何故かそういうことに機敏な……というか、察しが良いとかそういう次元にない彼女であれば、たちまちリージュ・アルカナなど……殺されはしないだろうが、あの異次元空間にでも閉じ込められてしまうだろう。
ジーウィースとゲヘナと一緒の空間で永遠を過ごすとか、御免である。
「落とすよ。この真下が根」
「ああ」
落とす前に、降りた。
「あれ、なに? 普通の人間ちゃん? ああいや魔法少女っぽいけど、よくここがわかった……ん? グレムリンの匂いがする」
「無駄話をする気は無い。お前はキスキルの分体だな」
「そうだけど、もしかして分体だから勝てるとか思われてる? まぁ今この国で生まれ落ちている分体は生まれたばっかりだから寝ぼけててね、ぼやぼやしてる状態なら確かに殺せるかもしれないけど」
「【銷却】」
全身から枝を、水晶の枝葉を生やしたキスキルの分体だった。まるで蜘蛛の巣のように広がったそれから、そこから、ヒノモトへ水晶が伸びていた。
その中心が──消える。
消えた。
「……っぶなぁ!? は? 何? レイ?」
「扱いに慣れんな。射程は良い。必要なのは範囲……【銷却】」
消えた。
蜘蛛の巣状の、コブになった場所に逃げ果せたキスキルの分体も、他の所にあるコブも。
そして地下に根を張っていた結晶も、全てが消える。
まるで消しゴムでそこだけを削り取ったかのように。
「ふむ。……消耗が、激しすぎる、な」
「だろうね」
ふらつき、倒れそうになったカネミツをリージュ・アルカナが抱き留める。グレムリンの姿ではなく魔法少女の姿だ。
「神の権能を二回連続で使って無事な人間は多分君が初めてだよ。……とっても嫌だけど、仕方がないから生命力を分けてあげる」
「どう、いう」
どういうことかを聞く前に。
カネミツの唇に、リージュ・アルカナの唇が合わせられる。
「──!?」
「暴れないで。私だって嫌なんだから。ああ、私は喉を使って発声しているわけじゃないから喋れるわけだけど、あなたはもう身体を動かさない方がいい。喉を震わせるのさえ消耗になる。安心して、キスキルの分体は消えた。この世界の分類で言うと悪魔に括られる私が保証する」
「! ~~!! !!!」
「暴れないでって言ってるの聞こえない? というかなんで怒ってるの? 別に初めてじゃないでしょ。EDENの魔法少女なんて、誰もが……ああ」
口を離すアルカナ。
察したのだ。暴れこそしなくなったが、ぐったりとしたカネミツが、それでも口を真一文字に閉じている理由を。
「普段毅然としているくせに、そんな純情なんだ」
「……」
「ま、眠っておいていいよ。あ、そこの人間、ちょっと」
「ム、何奴。頭領を介抱しているようだが、気配が人間ではないな」
「ああそういうのいいから。私は梓・ライラックの同僚。で、この子は今物凄い力を消費して休息が必要だから、連れ帰る。この国の混乱の鎮圧は任せた。根元はこの子が完全に消し去ったから、あとは銅とでもなるでしょ」
「……魔物、でさえないな。話は分かったが、正体を見せろ」
「斬らない?」
「今でこそ違うが、儂とて元は妖の身」
「ああそう。じゃあ」
ぼこぼこ、ばさぁ。
偽装していた殻を突き破り、中から巨大なネズミコウモリが出てくる。どう見ても魔物。明らかに魔物。
だというのに、全くその気配がしない。
「……奇怪な」
「うん。奇怪な生物で間違いない。じゃあ、行くけど」
「話は承知したと言ったはずだ。お主からは殺意の類を感じない。どころか頭領を丁重に扱っている様が見受けられる。行け、奇怪な妖よ。儂は良いが、他の者が見た時に納得が得られるかわからぬ」
「正体明かさせたの君だけどね」
飛び立つ。
リージュ・アルカナ──グレムリンは気を失って尚口を閉じているカネミツを持って、空へ。
「もうキスしないから、口開けていいよ」
「……」
「あれだけ気の狂ったことしてたクセに、そうも純情だとこっちの調子が狂うなぁ」
カネミツ。
遠征組突撃班ヴェネット隊。同隊のザイフォン・英とは仲間でありつつもライバルだ。
「好きな人としかキスしたくない、とか。まるで人間だね」
それはつまり、恋の。
忘れられがちだけど、カネミツは今でもヴェネットを愛しているのであった。