あと少しで、全てが結実する。
ソンヒューィはヨウキが鹵獲し、アンディスガルのもとへ持ち帰っている。追従して、ほぼ神として覚醒したカネミツも、彼女を運ぶL・アルカナも。
偽りの神エイドスの手計事は暴かれた。リマキアの神々とロティスがその成果を持って、アンディスガルのもとへ向かわんとしている。
プリメイラ、ポマネイ・リコ、いやさ世に渦巻く思惑思惑思惑思惑。
全ての結末が見えた──そう思われたこの瞬間。
天理がひっくり返る。
あるいは存彪位の理性が忠告したように。あるいはエイドスが楽しげに話していたように。
有死無至穏──夢の世界の空に、住民の全てが観測可能なほどの"巨大な罅"が入ったのだった。
なんだ。
何が……起きた?
「安藤さん、こりゃなんだ」
「……アタシでも知らないねぇ。けど、良くないものだってのはわかる」
空に罅が入っている。
天幕など無いはずの空に。まるで、ガラス細工に走るよォな罅が。
「探る……のは、大丈夫か? 冥界の魔力で触れたら……」
「やめときな。冥界の魔力は劇毒だ。この世界を壊し尽くしたいわけじゃないってんなら、今は静観した方が得さね」
「だ……よな」
今や触覚のように操れるこの黒い魔力。けれどこれが、生物……ないしは「活性状態にあるモノ」に対してどれほどの特効性を有しているのかくらいわかっている。
ただの魔法少女だった頃は現地に行って調べりゃいいだけだった。まぁそんな魔力無かったけど。
んで、自由が利くようになったら今度は思うがままに動けねえ、と。
人生だねェ。
「梓……アンディスガル」
「ん、どォしたシェーリース」
「防壁を張れ、って……私の中のオリジンが、訴えてきてる」
「防壁?」
何の話かを問う──その前に。
罅が、降り注ぐ。
「は、ァ!?」
冥界の魔力を向かわせ、傘とする。それによって発生するは何らかの拮抗。
なんだ、今俺は何を殺している?
「……悪い冗談じゃないか。アンディスガル、この罅を身体に当てたら終わりだよ」
「安藤さん、なんかわかったのか!?」
「そりゃ……目覚めだ。この世界からの目覚め。ただし、酷く強制的な」
正式な手段を踏まない、魂覆剥離の術式も通らない強制覚醒。
それが何を引き起こすか、など。
俺が来なければ、この世界は四日で破綻していたという。
果たして今日は、俺がこの世界へ来てから何日目なのか。
「約四十日。わたしが梓を引き込んだのが、10月1日で、今日が11月11日だから」
「許容範囲を超えた、ってか」
「そうなる、のかな」
キラキラツインテが申し訳なさそうに浮いてくる。
十倍で耐えられなかったか。つかそれしかいねェんだな俺って。
「で……これはどうしたらいい。今は冥界の魔力で抑え込んじゃァいるが」
「どうしようもないかも。この世界は夢幻。誰かが見ていた夢の名残。でも……キスキルが世界から【銷却】されて、ソンヒューィがもうどうしようもないことに思い至っちゃって、エイドスがこの世界である必要性を見失った。……もう誰も、この世界を大事にしていない」
「なんだキラキラツインテ、どうやって得た情報だよそりゃ」
「わたしは、この世界と【同化】したことがあるから、わかる」
その言葉を証明するかのように。
罅の枝が、キラキラツインテへと──伸びたのを、叩き落とす。
「この世界を大事にしていないって、住んでる奴らは」
「あなたを目の前にして、目の当たりにして、夢ならば早く覚めてほしいと願った、かな」
……そっちの説明のがストンと来る。
そォか。
俺が、この世界を悪夢にしたのか。
「フフ……吾の妻。命からがら敵将の首を収めにきたが、どうやらそれどころではないようだな?」
「やっほー」
ゆらりと現れるはヨウキ。そして尖り前髪を口に加えたネズミコウモリ。……ああ、リージュ・アルカナか。
「見ての通りだ。リージュ・アルカナ、なんか有益な情報はねェか?」
「無い。というか、そっちの子の言う通り。夢が夢で在り続けられなくなっただけ。誰もが目覚めたいと思ってしまっただけ」
一度死したら死ぬ世界など悪夢でしかないと。
死が許されない世界など現実なわけがないと。
自由にできない世界など、あってもどうでもいいと。
「とりあえず、ほぅら」
言って、ヨウキは鳥かごのように編まれた毛の造物を渡してくる。
これは。
……これは。
「存彪位、か?」
「ああ。幼子の身に憑りつかんとしていたところを掠め取ってきた」
まずい。これは、アンディスガルの性質だ。聖獣、夜の使徒の長としての役目。
わかる。今じゃないことくらいは流石に分かる。
ジーウィース不在のこの世界で、力を失った芭須哲途が幅を利かせられない世界で、どれほどの悪神だろうと存彪位はこの世の要だ。
今こいつを失えば、世界がどうなるかくらいわかる……のに。
「ま……ず、い。今じゃねェってのに──ああ、今、殺したい」
衝動は。
神光によって、阻まれた。
「!? ──ナイスだお嬢!!」
「この咆哮、ナイスだお嬢、とか言ってやがりますね!!」
「すごい、その通り」
鳥かごを奪ったのは【神光】状態のお嬢。
すげえすげえ、なんで伝わったンだ俺のやってほしいこと。
「ソンヒューィは殺します! が、今じゃない──今殺してしまうとこの世界が大変なことになり、伴って私達の世界にも悪影響が出る──この理解におかしなところはありますか!」
「無い。すげぇよお嬢」
「無いよ。ただ、気を付けて。この罅は問答無用だから、どれほど意思を強くしても耐えられない。触れたが最後、強制的に起こされてしまう」
「つまり、世界の罅、そして梓さんの……アンディスガルさんの魔力から逃げ続け、且つその間にやるべきことをやってもらわねばならない、と!」
やるべきこと。
そォだ。その通り。
何よりも優先すべきソンヒューィ殺しよりも優先しなければならないこと。
「余計なことをしている奴らを全員引っ張り出せ!」
「くだらないこと考えてる人達を全員ひっぱたけばいい──ですのよね!?」
ああ。
そっか。
もう──ツーカーなのか、お嬢。
……嬉しいね、そりゃ。
閻魔刃塔でもこの異常現象は当然観測されていた。
KA-ローライン。アールルゥ・ヘズナガル。
魂覆剥離の術式の開発を急がれている二人もこれに対応を……していない。
「正直な話をすると、意外だったのよ」
「何が?」
「あなたが我の監視を引き受けたこと」
ぴたと手が止まるKA-ローライン。
監視。それは。
「英雄梓。彼女からの依頼なのよ? 我みたいな怪しい奴を身内の側におく以上、最も警戒心の強い外道を仲間に引き入れる。それくらいはわかるけれど、それにあなたが頷いた、というのが意外なのよ」
「……別に。同じ外道としての使命感……もしくは、娘も使うことになる魔法に余計なものを仕込まれないため。なんでもいいけれど、単純に存在としてあなたを信用できなかっただけ」
英雄梓がミズメに話していたことの一部。
彼女はアールルゥ・ヘズナガルを怪しんでいた。でも、ただ怪しむだけなら誰にでもできる。
こういう手を回すことをしているから、彼女は英雄足り得たのだ。
「それで、結論は出たのよ?」
「少なくとも人ではなく、少なくとも神ではなく。そして少なくとも使徒ではない。──人工……いえ、神工生命とでも呼ぶべき存在」
「思考リソースを割く余裕のないこの場で完結させた推論としては120点なのよ。でも足りない」
「答えは教えてもらえるのかしら。外、世界の終わりも真っ青な状況になっているけれど」
KA-ローラインの問いかけに、アールルゥ・ヘズナガルはふむと頷いて……嗤う。
笑みを、こぼす。
「手を止めないのであれば、少しくらいの昔語りは許されるのよ」
「止めたら終わらないんだから止めるわけがないでしょう」
ならば。
今少しばかりの、回想を。
創世記。何年前、などという括りの付けられないほど昔の話。
その頃からすでに世界には幾柱かの神がいた。有名どころで言えば、レイ、ウィドアル、ハキタの三柱や、ゲヘナ、エイドス、ソムヌスなどの神々などだ。
それらの内の一柱がヒュプノス。反転する前のソンヒューィ。
今や名前さえ失われた風の神の使徒としての生を受けたアールルゥ・ヘズナガルは、けれど何をすることもなく、与えられた【錬金】の権能で遊び倒していた。
何をしているのかと問う勿れ、あの頃の神々は特段これといった使命感もなく、やりたいことをやるだけの連中だったのだ。無論、恵理須を作った三柱とて「やりたいこと」をやった結果と言えようが。
その最中で作り上げた山脈月という世界。我の【錬金】の最高傑作は、老神彪伏盗によっていともたやすく盗まれてしまった。
これこそがこの世界の始まり。山脈月へと落としていた自らの投影との繋がりも断ち切られ、そのことへの文句を言えども神には勝てず、泣き寝入りするしかない。
この事実に不貞腐れたアールルゥ・ヘズナガルは、同時期に作成の始められた恵理須へのちょっかいをかけ始めた。具体的には、投影体を横流しする、という形で。
「投影体の横流し?」
「元のアンディスガルを恵理須へ落とすわけにはいかず、梓・ライラックという形を作る必要があったように、聖獣や使徒は元来そのままでは世界に入れないのよ。だから投影体や転生体を作る。ハキタはアンディスガルの転生体を作り、我は投影体を作った」
けど、その投影体に魂は無い。正確に言うとあったけど無かったことになった。繋がりが強制的に断ち切られてしまったから。
思ったよりうまく操れなかったその投影体を、アールルゥ・ヘズナガルは放置することにした。だって操れないし。
それがまさか、ウィドアルの目に留まって、新たな使徒の礎にされるとは思わなかったが。
とかくこうして月日が過ぎ去る。
自分のために作った山脈月にも、他者の作った恵理須にも干渉できず、指をくわえて眺めているしかない日々が。
変化があったのは少し前のこと。
或る悪魔の世界が滅びを迎え、キスキルとアルカナなる二匹が冥界へ解き放たれた。
それらはふよふよと冥界を漂ったあと、如何なる手段を以てか、無理矢理にそれぞれの世界へと定着する。
アールルゥ・ヘズナガルはそれを見て、これだ、となった。
投影がダメ、投入もダメなら、"役割の統合"に入り込めばいいんだ、と。
「"役割の統合"……。太陽神レイの権能の話、よね?」
「レイだけではないのよ。全ての権能において統合、分割、還元などが起きうるのよ」
キスキルは恵理須に用意されていた寿命の概念……【凋落】に入り込み、【失楽】という形で根付いた。
アルカナは山脈月に用意されていた神の概念……【期待】に入り込み、【擬態】という形で根付いた。
役割の統合に入り込むなら、今まさにそれを行わんとしている存在が必要。
そこで見つけたのが恵理須で生まれた或る少女。後に未先・縁と名付ける【鳴動】という役割を持つ幼子だった。
「幼子……?」
「そう、幼子。当時は魔法少女ではなかったというのに、役割を有していた稀有な存在」
アールルゥ・ヘズナガルはその幼子と融合しようとした。けど、できなかった。
彼女が悪魔ではないからか、それとも存在の規模が大きすぎるからか。とにかく一番なんとかなりそうな手法だったから、なんとしてでも恵理須に入り込みたくて、しばらくその子と一緒にいることにした。
そうすれば魂が馴染んで、"役割の統合"へ入り込めるかもしれない、と。
……そこから、十年ほどが過ぎたある日。
未先・縁は魔法少女になった。アールルゥ・ヘズナガルなんか関係なく、レイの視線を受けて。勝手にその魔法を【波動】として統合して。
当然アールルゥ・ヘズナガルは不貞腐れる。今までのことはなんだったのだ、と。
だから──もう無理矢理入り込むことにした。
自らを削ぎ落し、未先・縁の一部になることで。
「それは、自殺ということ?」
「自切が近いのよ? いえ、移植?」
少女に魂の一部を埋め込むことで、アールルゥ・ヘズナガルはようやく世界に根を下ろすことができた。
あとは待てばいいだけだ。未先・縁……ミサキ・縁という少女の魂が潰える日を。魔法少女の寿命は永遠ではないのだから、いつか来る寿命のあと、彼女はアールルゥ・ヘズナガルに代わる。そうなれば一個の生命として自分のミニチュアやお隣さんを歩き回ることができる。
アールルゥ・ヘズナガルは眠る。そのいつかを夢見て……。
「……とすると、今私の目の前にいるあなたは、誰」
「だから、移植したのよ。我はその残り。生命としての価値も、使徒としての力も、何もかもがあっちにある搾りかす。残りかす。我……アールルゥ・ヘズナガルを警戒するのはとてもいいことなのよ。本質的にソンヒューィと変わらないくらい無邪気な悪意だから。けど、今の我を警戒してもあんまり意味のないことなのよ」
「なにもできないから?」
「知識を披露して、自分の作った世界のために尽力するくらいのことはできるのよ?」
轟音が響き渡る。
無視できないレベルのひび割れが空を覆っている。
けれど。
この閻魔刃塔には、辿り着かない。
「山脈月にあった閻魔刃塔。須留途が引き抜いたここを、崩壊する恵理須から引き抜いてわざわざ刺し直してあげたのは我なのよ。我の大事な山脈月が勝手に夢の世界にされて、その崩壊がどういうものになるのかはわかっていたから。夢から覚めてしまうが故の崩落は、夢をピン留めすることで免れる」
「……ここは、恵理須の閻魔刃塔、ということ?」
「そう。だから実はあなたも、恵理須のKA-ローライン。夢に生かされ続ける亡霊」
──肉塊が想定通りの色になる。
見計らうかのような成功。
「さぁ──択、なのよ。悪夢を嫌ってすべてを放り出すか、現実と向き合って夢と相対するか。あまり時間は残されていないのよ?」
天理の使徒が、薄く笑う──。