隠してはいるが、ナリコの息が荒くなっている。確か、初めに言っていたな。ここの空気はナリコやシエナには毒なのだと。
魔法然り、魔獣然り、世界より生まれ出でたものが存在し難い世界なのかもしれない。
アインハージャはあくまでウォムルガ族の村の守護者。ヒトの守護者であって、世界側ではないからな。私達が弱まらないのはそういう理由だろう。
「ナリコ、つらいのであれば私が背負おう。どうだ?」
「クク……いや、良い良い。どの道吾は最奥に辿り着く前に吐き出されるであろう故な。力の温存はしておくと良いぞ」
「そうか。では担ぐぞ」
「……クク、いう事を聞かぬ子ぞな」
紙の橋の強度も心許なくなってきた。一瞬後ろを振り返り、フェリカとミサキの様子を確認。問題は無さそうだな。
この世界について何やら詳しそうなナリコに倒れられては困る。何より、梓が連れて行くと決めた相手だ。何かがあるのだろう。ならばここに捨て置き、あの犬どもにくれてやる、という選択は無い。梓は戦士としては頼りないが、頭脳としては十二分だからな。
……負担を減らすことを考えるなら、リジのように私も頭を回せるようになるべきか。EDENの昇級試験程度であれば簡単だったのだが……。
「時計塔、だったか。着いたが、これはどこから入るんだ?」
「普通の時計塔なら地上に入り口があるはずですわ。けれど、今地上に降りている暇はありませんの。ですので、上から直接入りましょう」
「幸いレンガ造り、掴む場所は多い。ウィジ、ナリコ、行けるか?」
「……吾はここまでのようだ。捨て置け」
「わかった。私がこのまま背負う」
「ククク、素直に言う事を聞いた方が身のためぞ?」
「アインハージャの本質は守護に在る。私は"矛"のアインハージャだが、魔獣の討滅を目的としている魔法少女と違い、私達は命を捨て置くことを禁忌と見る」
そこがアインハージャと魔法少女の大きな違いに想う。
魔法少女は死しても尚魔獣を討滅せんとする、存在自体が矛のようなあり方。アインハージャはベルウェークやその手共の討滅こそ目的とするものの、本来はウォムルガ族の村を守り、ベルウェークをあそこに繋ぎ止める役割を持っていた。
何故繋ぎ止めなければならなかったのかといえば、ベルウェークがヒトに仇為す存在であるからだ。そして、神を一か所に集めてはならないが故。
時計塔というのを登っていく。
ナリコは見た目以上に軽い。だから特に負担には思わない。
だが、どうだ。
上へ上へと行くにつれて……精神力に乱れが見える。
「これ以上、高度を上げる事は、クク、無理ぞ……」
「ナリコ?」
軽い、軽い、と思っていた。
違う。
軽くなっているのだ。
「フェリカ、ミサキ! ……おい、どうした?」
「聞こえてはおらぬ。すぐそこのようだが、彼我の距離は地平程に遠い。……上へ行く、ということは、ククク、神に近づくことに等しい。天道に焼かれる前に……戻れ。ここは、続くモノのいて良い場所ではない……」
「ナリコ。……死んではいないか。だが、これは……」
時計塔の上の方へ行ってしまった2人を見る。
彼女らが振り返る様子はない。声どころか、姿も見えていないのだろうか。
しかし、困った。
流石の私もずっと壁に掴まっている、というのは不可能だ。
下には腐肉の犬。周囲には──。
む。
「ナリコ、もう少しの辛抱だぞ」
目を瞑り、声も発さなくなったナリコを背負い、そこへ向かう。
街並みの中で、唯一明かりのついていた家。そこの窓で、こちらに手を振る女性。
紙の橋が使えないため、習ったばかりの飛行魔法を使う。過去にいた空を飛び得るアインハージャ。それはそのアインハージャ固有の御業だとばかり思っていたのだが、EDENの魔法少女のほとんどが飛行魔法を使うと知った時は驚いたものだ。
まだあまり慣れてはいないが……うむ。問題は無いだろう。
飛ぶ。
……飛べている、よな?
「ク、ク……飛べていないわ、阿呆め……」
「感謝する」
やはり慣れぬことはするべきではないな。
家に入れてもらった。
家主らしき女性はこの街では珍しく身体に欠損のない者で、普通に言葉も話せる様子。
故に問うた。
「ここはなんという国なのだ?」
「クク……まずは互いの名でも聞くべきではないか?」
「む、そうか。私はアインハージャのウィジという。貴女は?」
「申し訳ございません。私に名はありません」
「そうか。ちなみに隣で臥せっているのはナリコという。そうだな、では私達の仲間に倣い、名前の無い貴女の事は首縄と呼ぶことにする」
「構いません」
首に縄が巻き付けられているから、首縄だ。
梓でもこう名付けるだろう。うむ。
「首縄、ここはどこなのだ? なんという国で、なんという場所だ?」
「ここは、冥界。死者の住まう場所。国の名はありません」
「そうか。では、ここに銀の髪を持つ少女が来なかっただろうか。右腕の無い、身体の大部分に火傷を負った少女だ」
「その特徴を持つのは、この世界では夜の使徒だけです。名を、アンディスガル」
「そうか。なら別人だな」
「クク、短絡的が過ぎようぞ。……少しばかり、落ち着いた。お主よ、そのアンディスガルはどこにおる?」
「夜の使徒は天に。地上での疲れを癒しています」
「そこへはどうやって行けば良いのか教えてはくれぬか?」
「……申し訳ありません、その事を話すことは、禁じられてい、ん!?」
いつのまにか起き上がり、いつの間にか首縄に口吸いをしていたナリコ。
私もされたが、どういう技なのか。初動も何も見えたものではない。
「……ぁ」
「どうだ? クク、話す気にはなっただろうか」
「……はい」
「ナリコ、流石にどうかと思うぞ。首縄は私達を救ってくれたのだ。それを……」
「何、少しばかり話を聞くだけぞ。クク、このまま何の情報も無い、では無理があろう?」
「む。……そうだな」
「その物分かりの易さに吾は少しばかり呆れかえるのだが」
ほぅ、と頬を染め……てはいないが、どこか虚ろな目になった首縄は、ぽつりぽつりと言葉を発し始めた。
「……夜の使徒は、夜の宮にいます。辿り着く術は、2つ。1つは直接夜の宮にまで行く事。もう1つは夜に招かれる事です」
「他に方法は無いのかえ?」
「……丁香花の花畑は、夜の使徒のために作られた場所です。……そこを荒らせば、あるいは、夜が降りてくるかもしれません」
「クク、礼を言うぞ、首縄。もう眠って良い」
「……」
花畑を荒らす、か。
あまり気乗りはしないが、その夜というのがアンディスガル……恐らく梓だろう者を攫ったというのなら、呼び寄せて話を聞くべきだろう。
立ったまま虚ろな目をして何の声も発さなくなった首縄。ナリコは彼女を室内の椅子に座らせて、「クク」と1つ笑った。
「行くぞ、ウィジ」
「それは構わないが、フェリカとミサキはどうするんだ?」
「クク、こうは考えられないか? 吾らはあすこに登り得なかったが、花畑を荒らすことで夜を呼び寄せることができる。フェリカとミサキはその隙に夜の宮から梓を連れ戻す事ができる。適材適所、という奴だ」
「そうか。なるほど。わかった」
「……クク、まぁ良いのだが」
ならば、行くとしよう。
先の花畑へ。丁香花の咲き渡る、小高い丘へ。
来た。
道中勿論黒犬の群れに襲われたが、ナリコの作ってくれた紙の槍を手にした事で、行きよりは楽になったように思う。
それで、来たのだ。
私達が最初に現れた、丁香花の花畑。
「ここを荒らせばいいのだな」
「クク、これほど美しい場を荒らすのは気が引けるが──どれ、燃やしてみるか」
「気が引けている者の荒らし方ではないな」
ナリコが手に持つ紙に火をつけて、それを落とす。
──瞬く間に燃え広がる火。
「……あまり良い気分にはならないな」
「クククッ、それはそうだろうぞ。花畑を荒らして気を良くする者など、心に傷を持つ者くらいであろうよ」
「そうか」
紙の槍を回す。
ぐるぐるとぐるぐると回し──振り回し──花畑に突き刺す!
そして掘り返す。
「クク、お主は戦いにでも集中しておけ。花畑を焼くのは吾がやろう。──そら、来るぞ」
「む」
来た。
腐肉の黒犬。
どうやら花畑を荒らされて怒り狂っていると見える。恐らく初めに私達を襲ったのも、この花畑に入って来たからなのだろうな。
が、私達は梓を連れ帰らなければならないので、撃退させてもらおう。何、死ぬことは無くとも前肢を潰せば走れなくなる。後肢だとダメだ。四肢でもダメだ。前肢だけを潰し、転ばせる。それが最上だろう。
「吾が言うのもなんだが、中々に残酷な事をするな」
「襲い来るのであれば仕方がない。侵入者は私達の方で、花畑を荒らすなどという最低の行為をしているのだとしても、私達とて食い殺されるわけにはいかないのでな」
「ククク、それで良い。生きるために抗うというのであれば──梓もお主を無視できなくなるだろう」
「どういう意味だ?」
「あ奴を揺り起こすには、他の何を犠牲にしてでも自らが生きたい、という意思が必要というわけだ。たとえ──この冥界を、破壊したとしても」
ナリコが文様を紙に書き込む。
すると紙は独りでに起き上がり、腐肉の黒犬に向かって突撃したではないか。
当然噛みつかれ、めちゃくちゃにされる紙の魔獣。
しかしそれは、けれどそれは。
少しずつ、少しずつ──大きくなっていく。
紙が?
否、腐肉が。
「それは?」
「己を食ろうた者を食う呪いぞ。食いつかれたら食いつく者となり、食いつく者は食いつかれ、食いつかれたものは食いつき……そうして、最後には制御不能の巨人となる──このようにな」
肥大化は一瞬だった。
腐肉混じりの紙。それは丁香花の低木は勿論、ナリコの身長を越え、どころか街の家々の高ささえも越え、更に、更に更に、更に更に更にと大きくなっていく。
「待て、今制御不能と言ったか?」
「クククッ、言ったぞ。ほれ、逃げるが良い。ここからは──巨躯の妖による一鬼夜行ぞ」
巨大な黒犬が、大きく吠える。
耳をつんざくが如く音。口から垂れる涎の一つが辺り一帯を浸す程に、巨大。涎の洪水か。あまり浴びたくはないな。
「クク、何、問題はなかろうて。ここは死者の国。これ以上死ぬ事はない。──故、妖や式鬼が多少暴れようとも問題は無い」
「いや馬鹿だろ。問題あるに決まってンだろ」
その巨体が、一瞬にして消え去った。
消え去る前に聞こえた声は。
「クククッ、なんだ、もう釣れたのか」
「梓。どこへ行っていたのだ」
梓。
もう、何も無かったかのような表情で、彼女はそこにいた。
何も無かった──というよりは、少しだけ怒ったような、呆れたかのような表情で。
いんやさ、俺も悪かったよ。
そんなつもりなかったのにちょいと誘われたんで実家帰りもいいかもな、なんて言ったらマジで連れてかれるとは。
んでまァ、ちょいとばかりさ、ストレス的なアレソレが溜まっちまってて、心が疲れてたンで、神さんのトコでゆったりしてたらコレだ。悪かったよ。そりゃ探すよな。来れるとァ思ってなかったけど、そりゃァ探す。
なんでもレーテーから辿ってきたンだと。なんぞ呪いっつーのを俺にかけて、その痕跡を辿ったンだと。
こえーことしやがる。
つか、着物狐と青バンダナはともかくお嬢とポニスリがこの世界にいるのァやばすぎる。
やばすぎるんで、捜索に行かなきゃならねェンだが、さてはて。
「あァよ、着物狐。身体大丈夫か? 化け物にァ辛いだろ、ココ」
「クク、上の方へ行かなければ問題は無い。吾はまほーしょうじょでもある故な。無論、であるからこその二重苦ではあるのだが」
「そうか、魔法使えねェんだな。今のでっけェ犬ァなンだ?」
「式鬼ぞ」
「なるほど」
ここってなよ、冥界なんだわ。
死んだ奴が辿り着く場所。永遠を眠る場所。世界の外側にして、神のいる場所。
だから、冥界に行かねェ奴らにとっちゃ、ここの空気ァ毒素でしかねェ。
アインハージャってな最後にゃ冥界に行くからちったァ動けると思うンだが、魔法少女ァなァ。
神さんにとっちゃ意味わからん存在だろォし。やべーコトになる前に連れて帰りてェとこなンだが。
「えーと、どうすっかな。とりあえずお前らの魔法使えるよォにするか」
「できるのか?」
「まァこの世界じゃ俺結構偉いっつーか愛されてンだよ。いんやさ、あっちの世界でも愛されてァいるんだけど」
この辺の事なー。
話しちゃダメって言われてたから話せてなかったけど、ここまで見られたらもう良いだろ。この結果神さんから見放されることになっても仕方ねェさ。俺を拾い上げてくれた神さんだ、あんまし嫌われたくァねェんだけどさ。背に腹は代えられないって奴でね。
「鳥有為預,伏理伊豆儀部武烈震倶塔毎触練度.」
「……クク、少しばかり息がしやすくなったな。お主の神は、随分と心の広い神のようだ」
「【喧槍】! ……うむ、問題なく使えるな」
「いやマジでな。最近我儘言ってばっかだったンでこれ以上ァどォかと思うンだが、ま、もうちょいだけな」
「あぁ、そうだ。これは返しておくぞ、梓」
「ン? あァ、レーテーな。ありがとよ」
んじゃまァ早速魔煙草を一本取り出して、吸う。
……ん? 起動しねェな。これじゃただの不味い草だ。
まァいいか。別に魔力も消費してねェし、したところでこの世界ァ俺に優しいし。
「お嬢とポニスリァ時計塔登ってったンだな?」
「ああ。だが、ナリコが上へ上がる事ができなかったため、首縄の家に行った」
「要領を得ねェがまァどーでもいい。着物狐ァ九割化け物だからよ、ここじゃ生活できねェのさ。だから、そこの穴から地上に帰りな。分解されンぞ」
「吾は吾の妻が心配でな、ここまでついてきたと言うだけだ。お主の安否がわかった以上、長居するつもりはない。外にもお主の息災を伝える必要があろう。故、言葉通り吾は戻らせてもらう」
「ン。……あれ、お前が俺の妻になるンじゃなかったのか?」
「吾の妻はお主で、お主の妻も吾だ。問題はあるまい?」
「……まァ問題ァ無ェな。あ、これァ了承の意じゃねェんで」
「クク、わかっている」
まァあのクソデカイヌを出してくれて助かったよ。
あれが無けりゃ、俺ァもちっと長い間眠りこけてただろォし。あんまり花畑荒らして欲しかなかったが、まァここの花も既に死んでる。明日には元通りさ。ハウンドたちもな。
「梓、私は貴女についていくぞ」
「あァよ。んじゃ飛ぶぞ」
「……飛ぶ?」
「飛行魔法だよ。できンだろ?」
「……」
「あァ慣れてねェのか。じゃァいいよ、俺が運ぶ。ここじゃな、俺の魔力ってなほとんど尽きねェのさ。使い放題だ。ま、敵なんぞいないンであんま意味ないンだが」
この世界も神さんも俺の味方だ。
敵はいない。黒いワンコロも、まァ手触りァアレだが、可愛いモンだ。住民も喋れる奴ァあんまりいねェけどみんないい奴ばっかだし。
ま、いい奴しか来られねェんだけどさ。
「飛ぶぞ」
「う、うむ」
どうせここでのこたあっちの世界に帰りゃ、俺ァそのほとんどを忘れちまうンでな。
パパっと済ませて、パパっと帰ろう。
「梓。貴女は、何者なのだ?」
「それ聞いたから俺がいなくなったのに等しいってのによく聞くよなお前」
「む、そうなのか? それは悪かった」
「いいよ、今のァ俺の意地悪だ。……ま、何者っつーと難しいな。夜の使徒、彼女の使徒、アンディスガル。つか、ここで知った事のほとんどァあっちに戻りゃ忘れちまう。それァお前らも例外じゃねェんでよ、あんま聞いても意味ァ無ェぞ」
「そうか。では聞かない事にする」
「おゥ」
死後にも世界が続くってな、そォ信じるのァ良い。
だが、知っちまうのァダメだ。それを恐れなくなる。そォして、死を怖がらなくなっちまう。それァ俺や神さんの望むところじゃねェ。
死は貴ばれるべきものだ。
安寧とは等しく訪れるものだ。
便利なツールにしたり、仕方のない犠牲にしたりするべきじゃァない。
「青バンダナ。お前さ、死ってどォ思う? アインハージャの死じゃなくてさ、ウォムルガ族の村の人達とか、一般人の死。もう二度と蘇る事の無い死ってな、どォいう風に思う?」
「悲しい事だ。永遠の離別。永久の別離。私はそれを否定しないが、言の葉を交わせなくなる事を悲しいと思う心はある」
「そっか」
「梓、貴女の言いたい事はわかる。だが、貴女がそれを私やフェリカ達に求めるのなら、貴女もそうあるべきだ。貴女は求めるばかりで己を変えようとしない。変える事ができない、というのはわかる。私達アインハージャもこの在り方を変える事はできないからだ」
あァさ、求めるばかりなのァわかってる。何を返せばいいのかァは全くわからねェ。
こっちが変わるべきなのァわかってる。でも変えられねェんだ。その考えだけァ、俺の根幹だから。
なら、どうすりゃいい。
「一度、離れてみるのも良いと思うぞ」
「……やっぱり、そォなるか」
「ああ。無理矢理に連れてきた手前、気が引けるというのもわかる。だが──貴女とフェリカ達が分かり合うには、大きな壁がありすぎる。私がこういう事を言うのは少しおかしいのだがな──フェリカもミサキも、若いのだ。幼く、若い。梓、貴女が思っている以上に」
「そォ、だな」
いい奴だ。俺の事をわかろうとしてくれる、理解しようとは頑張ってくれる奴らではある。
けど、あの言葉を聞いて──正直、少し。いやかなり、キちまった。
死んで治せばいい。
それァさ。俺が一番嫌いな言葉だって、ずっとずーっと、言ってる事なのにさ。
「そして、幼いのは貴女もだ、梓」
「俺が? ……ま、否定ァしねェよ。幾百、幾千年のアインハージャに比べりゃな」
「年齢や経てきた年月の話ではない。思想の話だ。貴女の理念は、まだ育ち切っていない。それがこの世界の思想だというのなら、それですらも若いと言える。だが同時にそれは否定でなく──そのままで良い、ということでもある」
「……何が言いてェのか、いまいち伝わらねェよ」
「そのままでいい、ということだ」
飛ぶ。
飛ぶ。
飛んでいく。あっちの世界じゃ味わえねェ、空を飛ぶってな感覚。
蒼穹たァ言い難ェ暗い夜の世界で、飛ぶ。
翔んで、青バンダナの言葉を聞く。
「仲間とは、同じ地平を向いているものばかりを指す言葉ではない。私はアインハージャというものを断ち切るために貴女に賛意を示したが、もしかしたらリジは違うのかもしれない。ナリコは貴女の容姿や性格を気に入って同行者となったが、本当は別の目的があるのかもしれない。シエナは貴女に恩義を感じている様子だったが、何か別のところを見ているのかもしれない」
「……」
「フェリカは貴女の意見には賛同できないようだった。フェリカにとって魔法少女という存在は自身の存在意義に等しく、魔力を殺す、という話には乗り気ではない。彼女の居場所を奪うに等しい貴女の行為は、彼女の目には蛮行に映るのだろう。ミサキの心の内は計り知れないが、同じようにあまり好ましくは思っていないように思う」
「まァ、そォだな」
「だが、そのままでいい。それでいい。何度も言うが、そのままでいいのだ」
高度を上げて行く。
見た目の何千倍も高いこの時計塔ァ、どれほど登ったところで頂点が見える事ァ無い。
ま、頂点へ辿り着こォとしてる内に夜の宮に辿り着くンだが。
「私はあまり頭の良い方ではない。だからこそ、わかる。万人が同じ方向を向くということはできないのだ。ウォムルガ族の村など、EDENとは比較にならぬほど小さき村だったが、そこでも意見の食い違いが起きていた」
「そりゃな、人間だ。どんだけ小せェコミュニティでも、争いってな起きるよ」
「ああ。中には争いを好まず同調に徹する者もいたが、ウォムルガは戦士団だ。故に基本は争い合い、強い方が弱い方の意見を折る。どちらもそのままのまま、ぶつかり合い、戦い合うのだ。最後に残るのは正しい意見ではなく、強い意見だ。いいか、梓。貴女もフェリカもミサキも幼い。シエナも幼いだろう。私達アインハージャやナリコ、ディミトラと違い、貴女達は弱いのだ。弱い思想であるが故に、自らが間違っているのではないかと思ってしまう。だが、それは違う」
段々、世界が暗くなっていく。
街の灯りさえ届かぬ空。ただこの時計塔だけが指針であり、これを見失えば、上下左右もわからなくなるだろう暗闇。
朔の夜。夜の宮。
その中で、俺に抱えられた青バンダナが──酷く眩しく見える。
「強い心を持て、梓。この世に間違った思想など存在しない。たとえ数多くの人々を傷つける思想であっても、たとえ世界を殺すような思想であっても、それは間違いではない。ただ、他の意見と、思想と、理想と、主張と。それらとぶつかり合った時、その大抵が折れてしまう、というだけの話だ」
「世界を殺すってな時──誰がぶつかってくると思う?」
「世界に住まう全てが」
「……はン。上等だよ。それで、このおかしな世界がおかしくなくなるンなら──殺さないで、殺されないで、死なないで、死なせないで──俺の倫理を貫き通してやる」
だから。
「あァ、いたいた。ったく、馬鹿正直に登ってやがンな。だが、そろそろ──」
上方。
身体強化のみで時計塔を登り続ける2人。
けれど──もう、限界だ。
限界であるが故に。
2人ともが、同時に──落ちる。
「お、っと」
「問うが、梓。何故受け止めてやらなかったのだ?」
「知ってたからだよ。落ちてくるとき目が合った。コイツラなら、勝手に掴まるだろォってな。つか、受け止めたらお前が落ちるだろォがよ」
「そうか」
さてはて。
んじゃ、帰りましょうかね。随分と迷惑かけたンで──なンだ、LOGOSで平謝りさせていただくって事で。
「じゃあな、神さん! 今度はもっと落ち着いた時にまた来るよ! そン時にまた、いろんな話をしよう! 前の話も、今の話も、ここでの話も! だから──」
真下に穴が開く。
……っとに面倒見の良いというか、良い神さんだことで。
「ありがとな!」
──"椎有"
俺達は。
冥界から、地上へと落ちて行った。
「──プテラゴイル!!」
クェー!! と。
いやまァどの個体かの判別なんざついてねェんだが、見えたそいつに叫びかけりゃ、いつぞやの相棒が如く駆け付けて来てくれた。
愛い奴め。化け物だけど。
「む、どうしたのだ梓。落ちているようだが」
「たりめーだろ。俺の魔力量じゃ飛行魔法なんざ使えねェっての」
「そうか。……なら、あのプテラゴイルが間に合わなかったら」
「海に叩きつけられてぺしゃんこだろォなァ」
「そうか」
落ちていく──。