遠吠えは遥か彼方に   作:劇鼠らてこ

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5.Cut call guts all twin tail cool.
60.上亜是阿柚弩塔微.


 少しばかり、昔の話をしよう。

 あれァ34年前、いんやさ50と7年前。いやいや、たった数か月の事さ。

 

 俺が13年間を生きてきて、お医者殿に「you、魔法少女になったネー」と診断されたあの日。からちょっと後のこと。

 支度もほとんどできず、まァ特に大事なモンもなかったンで、身支度らしィ身支度ァ家族に任せて、後で送ってもらうことにして。今生の家族と涙のお別れをして。友達もそれなりにいたンで、5年後には子供扱いしてやるよー、とか言ってくる奴らの脛軽く蹴って。

 

 んでまァ、EDENに上がって──すぐの話。

 

 俺ァ、迷子になった。

 

 いやさ、当たり前なンだよな。だってEDENって広いんだぜ。そこに上げられて、今日からここで暮らすんだよ、って言われてよ。案内されるじゃんか。学園エデン、その教室や寮内を。

 じゃあ明日から学園で勉強してね、今日は自由にして良いから、つって。

 

 放り出されたらさ。

 

 そりゃ、冒険するだろ。男の子なら。

 いやね、勿論ね、43歳おじさんですよ、前世はね。でも13年間ちゃんと子供やってきてさ、新しい場所で、しかも浮いてて魔法だぜ? なんか不思議なモンでもあるンじゃねェかって思うだろ。そん時ァまだ魔法少女達がこんな苦しい、こんな頭の沸いた環境で戦ってるなんて思ってねェんだ、るんるん気分で散歩するだろ、普通。

 

 その矢先。

 EDEN外縁部ってなちぃと森っつか林みてェに植林されてンだけどさ。そこに入っていて、矢先も矢先さ。

 

 木の根っこに座り込んで──自分の首に剣当てて、ぶっ刺そうとしてる女の子いたら、誰だって止めるだろ。

 これおじさんじゃなくても13歳の少女アズサでも止めてたよ。いや誰であっても止めてただろ。まァ魔法少女の倫理に染まってる奴らァ違ったかもしれねェけどさ。

 

 で、止めたンだ。

 どォやって止めたらいいかわかんなかったンで、刀身掴んで持ち手蹴って、ひゃー、痛ェ、なんて思いながら──まァ、その。なんだ。デリカシー無いのァ重々承知だけどさ。

 押し倒した……ンだよな。形的にァ、だぞ? 縄も紐も持ってねェんだ、自殺しよォとする少女を止める方法で、こっちが大の男じゃねェってンなら──しかも相手が魔法少女だってンならよ。

 

 押し倒して、抑えつけるしかなかった、ってワケだ。

 そっから、ちょいと物語ァ始まるワケさ。

 

えはか彼

 

「何、してんだ……アンタ」

「……誰ですの、貴女。私の上に乗るなど──よくもまぁ、そこまで不遜なコトができますのね」

「何してンだって聞いてンだよ。私の前で──何をしよォとしたのか聞いてンだ」

「勝手に近づいてきたのはそちらでしょう? 貴女の前で行おうとしたわけではありませんわ。目障りであるというのならどこぞへでも行きましょう。あるいは、貴女を排除しますけれど、如何?」

「もっかい聞くぞ、アンタ。何しようとしてたンだっつってンだよ。聞いてンだよ。答えろよ」

 

 流れるような金糸の髪。こんな暗い林の中にあっても、宝石みてェに光る髪。ちょっとだけシンパシーァ感じた。俺も、家系的に銀髪なンでさ。銀髪、銀髪だぜ。染めてもいねェ。きらきら輝く月の色。少女の容姿ってなどこがどォ優れてンのかって俺にゃわからねェけどよ、この髪だけァ結構自慢できる。だってキレーだもんよ。

 でも、この嬢ちゃんの髪も、綺麗だった。

 そして──俺を強く睨みつけるその眼も、綺麗だった。

 

 が、まァ嬢ちゃんだ。

 子供なンで睨まれても怖くねェ。

 ただ、やろォとしてたことだけが頂けねェ。どォしても無理だった。

 

「何があったンだ」

「は?」

「……そこまで思いつめるってこたよ、何かあったンだろ。ここで会ったのも何かの縁だ、私に話してみねェか。ちったァ……楽になるかもしれねェ」

「何故、初対面の貴女に……いえ、そんなことより、早く退いてくださいまし。私は見知らぬ他人の下に敷かれる程安い女ではありませんのよ」

「嫌だね。話すまで退かねェし、剣も返さねェ。こんなモン蹴り飛ばしてやる」

「あっ……。はぁ、なんなんですの、貴女。不躾にも程がありますわ。無礼にも程というものがありますわ」

「じゃあ、何をしようとしてたのかと、何があったのかを言え」

「会話ができませんの……」

 

 強い。俺じゃ抑えきれねェのを感じる。力で抵抗されて、押しのけられるのを感じる。

 ──だから、ちょいと悪いと思いつつ──抱き着いた。

 

「ちょ、ちょっと!? 貴女、恥じらいというものを知りませんの!? そういう趣味の方だとしても、色々あるでしょう!?」

「知らねェよ。つか、そっちが知りやがれ。──何があったら、自らに刃を向ける。何があったら、こんな寂しい場所で、独り死のォとする。私の目の前で自殺だァ? ぶっ飛ばすぞ馬鹿野郎。誰が許すかよ、ンな暴挙」

「言葉も粗暴、行動も粗悪。……本当に、誰ですの、貴女。名前くらい名乗ったらいかが?」

「私ァ梓・ライラックってンだ。一昨日、魔法少女になった」

「……新人も新人ですのね。はぁ、それなら私を知らなくても仕方ありませんか。いいですわ、それならばこの浅慮も許しましょう。さぁ退いてくださいまし。そして、何も知らないのですから、放っておいてください」

「ヤだね、つったぞ。馬鹿が。つか、こっち名乗ったンだから名乗りやがれ金髪お嬢様」

「……フェリカ・アールレイデ。由緒正しきアールレイデが四女ですわ」

「そォか。で、金髪お嬢様。なんだって死のうとしてた。なんだってそンな追い込まれてたンだ」

「貴女、名乗れというくせに名乗った名を呼びませんのね。ヒトとしてどうかと思いますわ」

「自殺なんざ、人としてどうかと思うよ」

 

 ついに力で押し負ける。

 上体を起こされる。けど、離さない。金髪お嬢様の胴体に抱き着いたまま、離れない。つかこの子結構タッパあんな。これ、マジで立ったまま移動されちまいそォだ。

 けど離してやんないね。

 ヤなこった。

 

「はぁ。何があったかを話した所で──誰かの言葉で変わる程、私の心は弱くないですのよ?」

「良いよ。話してくれ。じゃねェと、私が嫌だ」

「……見た所、10を超えて少しくらいですか。まったく、本当に子供ですのね。はいはい、わかりましたの。話してあげますので、離れてくださいます?」

「ヤだね」

「……誰か、この幼子引き剥がしてくださいませんか」

 

 いやね、おじさんだってこんなちっさい子に抱き着いてンのァどォかと思うよ。

 でも──こォしておけば、人ァ死なないって知ってる。誰かの体温感じてる内ァな、冷たくなろうって思ねェんだ。

 ──あの時、俺がさ。言葉に安心して──離しちまわなければさ。

 絶対──。

 

「魔法少女には、等級区分というものがありますの。殺傷能力と殲滅力を基準に、DからSSSまでを振り分けられる区分が。──私は【神速】という魔法に覚醒し、SS級という称号を賜りましたわ」

「へェ、すげェな。ちなみに私ァ【即死】つってな。等級ァCだ」

「そうですか。興味ありませんの」

「あァさ、別に興味持ってもらおうなんざ思ってねェよ。アンタが教えてくれたから教え返しただけだ」

「……」

 

 SS級。

 遥か高みも高みだ。

 すげェんだろォし、すっげェんだろォけど──まだ、子供だ。じゃ凄くねェ。

 

「私はもう、長い間、SS級ですわ。EDENに上がってからずっと、SS級ですの。ずっと──成長がありませんの」

「そォかい。ちなみに私ァ育ち盛りを止められてね。これからナイスバディなネーチャンになる予定が、魔法少女になったことでパァさ」

「……これ以上の強さを求める方法は、知っていますの。世界が教えてくれますのよ。──自分の魔法で、死ねばいいと。ですから」

「死のォとしてた、って? 馬鹿じゃねェの?」

「C級にはわからない話ですわ」

 

 なんだそれ。

 自分の魔法で自分が死ねば、強くなれる?

 ……ンなわきゃねーだろ。死んだら死ぬんだぞ。そんなことのために命を散らせって?

 

 ぶっ殺すぞ、世界だかなんだか知らねェが──ソイツ、俺が殺してやる。

 

「あンましさ、生き物なめンなよ、金髪お嬢様。死ってなよ、そォ簡単に訪れていいモンじゃねェし、扱っていいモンじゃねェんだわ。知らねェだろォけどさ。アンタみてェなガキにゃわからねェだろォけどさ。少なくとも私が見てる前じゃ、死なせねェ。やめろ。やめてくれよ。頼むよ」

「何故、貴女にそんなことを頼まれなければいけないのですか。それを聞く理由も──」

「私が嫌なンだよ。なァ、お嬢様。強くなりたくて、それをやるンだろ? 成長したくて、そいつをしよォとしてたンだろ? ──じゃ、間違ってるよ。他人を殺したって、自分を殺したって。ソイツァ絶対に強くァなれない。むしろ弱くなンだよ。どんどん弱くなる。知らなかっただろ。知る機会ァ無いし、教えてくれる大人なんざいねェからな」

「弱く、なる?」

「あァそォさ。人ってのァな、生物ってなァな、殺す事で、そいつの命を奪うのさ。奪うんだ。そいつの恨みつらみも、そいつの人生も、そいつの生きたいっていう抗いも、全部全部奪っちまう。──ソイツァさ、確実に足を引っ張るンだよ。誰かを殺した経験ァ、人生に影を落とす。誰かを奪った事実ァ、自分の在り方を曇らせる。いいか、それァ他人でも自分でも一緒さ。自分を殺せば殺す程、弱くなる。自分を殺せば殺す程、その在り方に曇りが出てくる」

 

 そうさ。

 だから、好きに生きるんだ。好きに生きるからって死んでもいいとかそォいう話じゃねェぞ。

 生きるんだ。好きに、生きるんだよ。生きて生きて生きて、最後の最後に自分になるンだ。自分になれンのァ最後の最後なンだよ。

 一回死んだ俺が言うンだ、間違い無ェ。

 

 なりたい自分になるって時ァ──最後の最後、信念を貫き通して生ききった時だけさ。

 途中で死んだら、何の意味もねェ。何の理由にもならねェし、何の結果も残せねェ。

 

「金髪お嬢様。アンタがどォいう奴で、何を抱えてンのか知らねェよ。知らねェから言わせてくれ。私ァアンタを知りたい。アンタがどォなるのかみてェし、アンタが──死、以外の方法で。ンな簡単に提示された安易な方法じゃなくてよ。たった10年、たった100年の努力じゃ辿り着けねェ境地に至ったアンタを見てみてェ。なァ、金糸の髪を持つ少女。ハハ──どォだよ。言葉でよ、私のこの、かっるい言葉でよ。アンタの心ってな、変わったかよ」

「……」

「だんまりか? いいぜ、ならもっと言葉を重ねてやる。アンタの弱っちィ心を、私の強くて軽い言葉で打ち負かしてやる。ハハ、私ァさ、魔法少女になる前は──」

「もう、いいですの」

 

 気付いたら。

 振りほどかれていた。これが【神速】か。気付けなかったし、気付かなかった。

 振りほどかれて、遠くに蹴っ飛ばした剣も拾われて。

 

「残念ですけれど──貴女のような事をいう方々は、沢山いましたわ。その程度の言葉に折れる程、私の心は弱くありませんし、貴女の言葉は弱くて脆いですのね。そんな薄っぺらい言葉で、他人をどうにかできると思っている時点で──浅い。貴女が嫌なのはわかりましたわ。ですから、貴女の見えない所で、貴女の見えない内に死にます。さようなら」

「はァ?」

「──!?」

 

 首根っこを掴む。

 どこぞへ行こうとしていたお嬢様の首根を掴んで──組み伏せる。

 ふざけた事言うじゃねェか。俺の見えねェとこで死ぬから、俺が嫌じゃねェって?

 

 馬鹿が。

 

「今、どうやって掴んで──ッ!?」

()()()()()?」

 

 掴んだ。

 金髪お嬢様の頭部にいる、暖かい靄。

 太陽の香りのするそれを――掴む。掴んで、引き摺り出す。

 

「ァ──ぁぁあ!?」

「言っただろォが。私に断りなく死ぬンじゃねェよ。馬鹿が。馬鹿野郎が。ンな軽く死ぬとかいうな。ンな軽く──死ねとか言ってんじゃねェぞ、非善」

「な、にを──」

 

 魔法を発動する。

 まだ習ってもいない魔法を、感覚だけで発動する。

 現れるのァ濃密な気配。暗く、重く、黒く、昏く──黎い気配。

 

「【即死】」

「──!」

 

 掴んだ指先から、死を垂らす。

 俺が通ってきたあの湖の水を。誰もが沈んでいく死の底を。指先から、その靄に向かって──浸し、殺す。死ねよ。お前がなんだか知らねェが、ヒトじゃねェ。悪霊かなんかだろ。

 太陽の香りのする悪霊ってなひでェ話だな。どンな世界だっての。

 だが──ははァ、いいぜ。あったけェンならよ、俺の全力を以て、お前を殺してやる。

 

「……え」

「ア? どォしたよ、お嬢様」

「いえ、それはこちらの言葉ですけれど」

「何がだよ」

「……気付いていませんの? 貴女──倒れていますのよ?」

「ン?」

 

 確かに。

 地面がお隣さんだ。しかも動けない。

 えーと。

 あ、そォだよそォそォ、EDENに上がって、学園内案内されてる時に習ったわ。

 なンだっけ? 「魔法の使い過ぎは体調不良を引き起こします。具体的には倒れちゃうので気を付けてくださいねー?」だっけ?

 おォ、そのまんま。いやでも俺今一回しか魔法使ってねェんだけど。使い過ぎも何も、なンだけど。

 

「あァさ、金髪お嬢様。悪ィんだがよ、林の外に転がしといてくれねェか? 誰か拾ってくれるだろ、外なら」

「馬鹿にしてますの? ……目の前で倒れている幼子を放って帰れと? はぁ、もう、良いですわ。なんだか死ぬ気などなくなってしまいましたし……アールレイデの名に懸けても、貴女を寮まで送っていきますわ」

「マジか。ありがとう」

「……」

 

 えー。魔法ってこんな燃費悪いのか。

 知らなかった。つかマジで動けねェ。うわ、担がれ……おいおい、姫抱きかよ。待て待て、そりゃ恥ずいって! 言ってないけど俺ァ43歳のおじさんでよ!

 あれー?

 口も動かせねェっつか、ねっむ。魔法少女ァ眠る必要ないとか言ってなかったかあの案内のお姉さん! あ、あとだな、お嬢様。その、色々当たってるっつーか? ちょいと考えてくれねェかな。俺さ、いんやさまァ13年も少女やってりゃ慣れるたァいえさ。いや勿論こんな子供にゃ発情したりしねェけどさ。

 なーんでそんなぎゅゥと抱きしめてくるかなー。

 

「ライラックさん」

「んー」

「──ありがとうございます。おかげで、尖兵にされずに済んだようですわ」

「おォー」

「世界は……太陽だけでは、ありませんのね」

「んー。……なぁ、お嬢様」

「はい?」

「アンタァさ、なんのために戦うんだ?」

「……誰よりも速く、敵を殲滅し──人々に安寧を齎すため、ですわ」

「そォかい。そりゃ、すげェな」

 

 それは。

 学園の案内が終わって、俺が迷子になってからのこと。

 だから──よォやく陽の落ちてきた頃の事。

 

 夕暮れ時の、とある2人の一幕、である。

 

えはか彼

 

「ってな出会いがあったワケさ。いや、今になって思えばあン時殺したのァ太陽のなんかだったンだろォな、って」

「そうですね。そうして、風と太陽は共に在りますから。」

「やっぱりか。……つかよ、神さん」

「なんでしょうか?」

「何度帰ってくる気だ、って思ったりしねェ? 毎度毎度カッコつけた別れ方しといてさ。何度この世界に来る気だ、って」

「思いませんよ。私は貴女の全てを愛していますから。」

 

 夜の宮。

 性懲りもなく来ちまった。どォやら俺の身体ァそろそろガタらしい。死にたかねェが、そォも言ってられねェンだと。もう半分死んでる。こォして意識を失う度にこっち来るくらいにァ死んでる。

 完全に死んだら──けど、ここの住民にァならねェ。なれねェ。

 魔法少女の因子ってな病に感染しちまってるンで、蘇生する。ハハ、クローン説だのなんだのを推してきたが──こりゃゾンビだな。ま、見た目で言やここの住民のがゾンビっぽいンだが。

 

「あー、まだ起きれそォにねェなァ。んじゃよ、神さん。他に何が聞きてェ? いーよ、なんでも話すさ。ここにずっといるしかねェ神さんに代わってよ、俺がなんでも話してやる」

「ありがとう。ふふ、では、"前"の話が聞きたいです。貴女に最も親しかったのは、どういった方ですか?」

 

 前か。

 前の話ね。

 いーよ、しようじゃないか。

 そもそも俺があんなにも自殺を嫌ってたのァ前が原因とも取れるしな。

 

「俺ァさ、そいつのこと絵具髪って呼んでたンだ。なんでかわかるか?」

「初めて会った時、絵の具が髪に付着していたから、でしょうか?」

「いんやさ、常にだよ。そいつァ画家でね。つっても売れねェ画家さ。あ、そもそも画家ってわかるか? 絵を描く奴のコトだ。俺が就職してからも、そいつァ絵を描き続けてた。なんでだと思う?」

「理由があるのですか? 絵を描くのが好きだから……それ以外に」

「いや、なんとな。初めて絵を買ってくれたのが俺だから、だって言うんだよ。自分のファンがこの世にいる限り、絵は止めない、って。すげェよな。誰かのために頑張れる奴なんだ。俺のためなんかに生きてた奴なんだよ。すげェよ。……他に生きる理由も、絵を描く理由もあっただろうに、全部を俺に使ってよ」

「貴女が買った絵は、どのようなものだったのですか?」

「海の絵さ。ありきたりな構図だったよ。砂浜で、海で、遠くに船があって、両脇に堤防があって。右の堤防にァ釣りしてるおっさんが描かれててさ」

 

 でも。

 そこに、もう一つ描かれていたものがあった。

 

「砂浜にさ、手が描かれてンだよ。手。自分の手さ。キャンパスを透明にして、海の絵を描いてる自分の手が描いてあンの。すげーって思った。絵に、生きてる自分を入れるんだ。止まった時間の中に、切り取った時間の中に、自分を入れる事で──その絵ァ生きてたンだよ。だから買った。死ぬまで家に飾ってあったよ。一番好きな絵だった」

 

 俺ァ絵なんざ描けねェから、良さだの凄さだのァわからねェ。

 でも好きだったんだ。

 だから、俺ァ絵具髪の絵を買った。それだけだったのにアイツ、ファンができたー、なんて嬉しがって。絵を続けて。

 

 でも、それじゃァやっぱり生活ァ回らなくて。

 

「俺が、ちょいと昇進した年があってさ。給料使ってソイツに奢ってやろうって思ったンだ。いつも飯なんざほとんど食ってねェだろォから、つってさ」

「……はい。」

「死んでたよ。ハハ、餓死だのなんだのじゃねェ、首吊って死んでたンだ。──自殺だよ」

 

 ほんの一日前まで、SMSでやり取りもしてた。ちょいと三日目にァ電話もしてた。

 生活ァ苦しいけどまだ絵を描いてるって、今度あったら見せてやるって自慢気に言ってた。

 

 けど。

 死んでたよ。首吊ってさ。俺ァ合鍵持ってたから、いっちゃんに見つけて、遺書も読んだ。警察にァ通報したけどな。救急も。でも、まず遺書の方を読んじまったし、布のかけられた絵も見ちまった。現場保存とか一切考えられなかったのァ落ち度だろォよ。確実に。

 

 でもさァ。

 その絵が──海の、あの時の絵でさ。

 

「"貴方が買ってくれた絵を、もっと綺麗にしようって、もっと──貴方のいう、子供みたいな、すげぇよ! って言葉が聞きたくて、描き直そうと思いました。でも、ごめんなさい。今度見せると約束した絵は描けませんでした。私は、貴方との思い出を、上塗りしようとしたんです。それが、耐えられなくて。思い出そうとしました。上手く、じゃなくて、再現しようとしました。でも、それもできなくて。……忘れてしまったんです。貴方が褒めてくれていた頃の私を。私が貴方に見せたかった光景を。ごめんなさい。これを読むのが、貴方でありますように。これを読むのが、初めて読むのが、警察の方でなく、大家さんでもなく、貴方であったら、とても嬉しいです。意地悪でごめんなさい。この手紙を読んで、貴方が最初に発した言葉が、この絵のタイトルになります。さようなら、私の友人。この世で唯一、私を認めてくれた人"」

 

 一字一句覚えてる。

 あン時の感情も覚えている。

 意味わからねェ、思い出せなくなったから、再現できなくなったから。

 その程度で死ぬってなが、一切理解できねェ。初めに感じたのァ苛立ちだよ。クソが、って。思い出せねェならもっかい一緒に行きゃ良かっただろォが。再現できねェなら俺に話を聞きゃ良かっただろォが。

 同い年さ。結婚もしねェで絵ばっか描いて、生活できなくてさ。

 その挙句の果てに、自殺だって?

 

 ふざけんな。

 

「その絵の、題名は?」

「"残してくんじゃねェよ、アホ"」

「貴女らしいですね。」

 

 本来のタイトルァ、『此岸』。そう書かれてたけど、消してあった。消しが甘いンで読めたけどな。

 だからあいつァ渡っちまったンだ。彼岸によ。

 

「その方が、最も親しかったのですね。」

「あァさ。それ以降も友人ァできたけどな。俺が爺ちゃん婆ちゃん以外の死で──初めて遭遇した死が、それだったよ。32の時だ。意味の分からねェ死に方しやがったアイツも32。……わかってたさ。俺が貰ってやりゃよかったンだ。俺ァちったァ稼ぎの良い方だったンだから、俺が……」

「でもその方は、貴女ではなく死を選びました。何故かわかりますか?」

「……あァ」

 

 納得なンてしねェ。理解なんざしたくねェ。

 ンな意味のわからねェ自殺ァ認めねェ。

 

 けど、俺を頼らなかったのァ、その理由ァわかる。

 

「対等で在りたかった──とか、そんなトコだろ。アイツの考える事なんざ、手に取るよォにわかンだ」

「その方は、そこで止まったから、貴女と対等のまま、終わりました。」

「……あァよ。ンなことのために死ぬなんざ、唾吐いて止めるけどな」

「もし、その方にもう一度会えるとしたら、なんと言いたいですか?」

「やめな。神さんらしくねェぜ、その質問。──死んだらもう会えねェんだよ。何の言葉も交わせねェから死っていうンだ。ンな簡単に再会が叶っちまうのァ許されねェ。たとえ話でも、俺ァ嫌いだね」

「そう、ですね。ごめんなさい。私らしくありませんでした。」

「あァさ」

 

 魔煙草を吸う。起動しねェコイツで、ちょっとでも昔を思い出す。

 

 そんなことばっかだった。前の生ってなよ。

 仲良くなる奴が──みんな、死んでいく。自分ァ死神なンじゃねェかって思った事ァ何百回もあったよ。人に近づきすぎねェ方がいいんじゃねェかって。オカルトだがよ、32から43まで、ずーっとソレが続いたら、まァそォ思うよォにもなるだろ。

 

 そンで最後ァアレだ。

 死んだ後ですらコレだ。

 

「でも、違うンだって、そォ否定してくれたよな、神さんァ」

「はい。貴女にそのような性質はありませんでした。ただ。」

「若死にする奴を惹き付ける、ねェ。っとに……」

 

 死んでから、神さんに拾われて。

 教えて貰ったのが、そォいう星の下に生まれてきたって話。

 そンでもってそれァ離れねェとかいうンだ。剥がせねェらしい。なンでこの夜の世界でゆったり過ごそォとしたンだけどよ、なンでも頼みがあるって言うじゃねェか。

 

 頼み。

 夜の神が、夜の使徒に対して行う頼み。

 

 それは──もう休みたいと、もう疲れたと。そう言う奴らを輪廻や呪縛から解放してほしい、ってな話さ。

 

「……なァ、神さん。俺のやってるこたよ、化け物達から見たら、否定なンだと。それってなよ」

「はい。魔物の、食べ、死に、廻る、という輪廻の中で──【即死】はそれらの積み重ねを無に帰す否定です。故に、そう思われるのでしょうね。」

「それァ、変えられねェのか」

「ごめんなさい。──それをさせないための、頼み、です」

「あァ、な」

 

 そォいう事か。

 輪廻廻って、至高の一になって、死ぬ。

 それァ──夜にとってァ、不都合なのか。

 

「魔物は魔物として生まれた時点で、永遠の輪廻の中にいてもらわなければなりません。風は世界を巡るものですが、世界の外に出てしまえば──それがしぼんでしまうのです。」

「だがよ、化け物と魔法少女ァあとから入って来たものなンだろ? じゃァ、元の世界にァ何があったンだ? 元の世界ってな、どォなってたンだ」

「──狭い、狭い世界でした。空は今より低く、緑は今より薄く、海は今より浅く。──故に私を含む神々は、世界を膨らませました。そうして、世界を巡る風が生まれ──その際に開けられた穴を通り、最初の魔法少女が誕生しました。」

「太陽か?」

「いいえ。」

 

 少しずつ、目が覚めて行くのを感じる。

 みんなが俺を生かそうとしてくれてンのァわかる。けどもうちょい待ってくれねェか。俺ァその名を──最初の魔法少女の名を、聞いとかなくちゃいけねェ。

 

「名は──ゲヘナ」

「まるで俺達みてェな名前だな」

「そう、ですね。」

 

 覚えた。

 覚えたぜ、ゲヘナ。奈落の名前。

 

「──またな、神さん。次もそォ遠くないかもしれねェが、そン時ァもちっと明るい話をしよう。神さんの話も聞いてみてェな、今度ァ」

「ええ、そうしましょう。さようなら、私の愛しい子。また会いましょう。」

 

 世界が白む──。

 

えはか彼


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