ジョームンガンダーの元に行く。あるいはそれを探す、という必要はなかった。
向かう先。北方山脈の一部。大陸に横たわる隔たりの壁。
何故って。
それが──むくりと、持ち上がったからだ。
「──……嘘だろ」
「姉妹の死には、流石に反応するか」
「わぁ」
嘘だろ、しか出なかった。
宙を衝く、天を衝き上げる長大な白蛇。全長を測ることなどできない。まるでもとからそこに、巨大な樹木でもあったかのように。あるいは天から何かが零れ落ちているのではないかと錯覚する程に。
天幕にも届かんとする巨体は、しかし確りとこちらを見ていた。
快晴だ。阻むものは存在しない。
その恐ろしき眼光はギラリと光り──俺達を、見ている。
睨んでいる。
「──やべェ」
「とりあえず、最後は手筈通りに──他は任せよう。ボーグル、君もだ。自由に動いて自由に彼女を援護してほしい。あぁ、死ぬ事だけはやめてくれ。私が死んでしまうからね」
「わかりました」
その首が、ぐわん、と撓んだ。
左から右に。上から下に。
──奥から、手前に。
幸いだったのは、その図体が生む気象現象にも似た気流によって、吹っ飛ばされることができたことだろう。精神体ァ魔力の含まれてねェモンをすり抜けるが、その大気の動きは相当量の魔力があった。暴風。業風。俺もボーグルも、その巨体に体当たりされる前にぶっ飛ぶ事ができて──ゆえに、目の当たりにした。
ぬらりと光る鱗。その身ァどんな鉱石よりも硬く、鋭く、艶やかで、美しい。死。死だ。これは、死に近しい。
「話し合い、とかやってる場合じゃねェンだろォが──」
生憎俺ァ、殺し合いと食い合いと名乗り合いの合意が無けりゃ、戦いたくねェってな馬鹿でね。
上る。このデカさだ。その身に沿って飛んでいく。フルオブズヴィトニーの爪も相当にデカかったけど、こいつァその比じゃねェ。他の奴らをそォ呼んでいた頃が俺にもあったが、違う。こいつこそ、ジョームンガンダーにこそ"化け物"の呼び名ァ相応しい。
これが、昔は単なる蛇だったってんだから、ハハ、すげェ世界さ。
「……ん──お、ぁ!?」
その身に沿って上って行く際中のこと。
クリスを持っていて良かった。この世のモノならざる刀身ァそれをしっかりと防ぎ、しかし俺をぶっ飛ばす。
よく見えなかった。けど、何かにぶん殴られた。何に? またボーグルか?
「クロクラさん! 気を付けてください、ジョームンガンダーは鱗を飛ばせます! 無防備に近づかないように!」
「あァさそーいう事ァ早く言え!」
「教えてあげたんですから褒めてください!」
──また、死の気配。
散弾銃みてェな軌道だ。それは勿論、目の前の蛇肌から。
あるいはコイツにとって、身震いをする程度のものなのかもしれない。身体に引っ付いた虫を取るための、その程度の行為なのかもしれない。
けれど、対処としてァ十二分だった。
俺もボーグルもその身から距離を取らざるを得なくなり──そこに、折り返してきた頭が突っ込んでくる。頭を頭だと認識するのに数秒かかるくらいのデカさだ。隕石なンじゃねェかと思うそれが、俺だ。俺を狙って、今度は押し飛ばされない、確実にぶち当たり得るコースを取ってくる。
クリスで防ぐ。無理だ。どォ考えてもサイズ差でぶっ飛ばされる。拳銃形態だろォが狙撃銃形態だろォが関係なく、これを防ぐことはできない。
ならば魔法か。終の因でやったみてェに【即死】の絶対防御。ああいうのを使えりゃなんとかなるか?
無理だ。俺がコイツの全細胞を浸し殺し尽くすより、こいつが俺を叩き殺す方が速い。ならば防御系の魔法か。【静弱】や【波動】? あるいは【透過】?
それも無理だ。何故なら今の俺は平常時。冥界の魔力全開の時なら咄嗟に使う事もできただろォが、今から夜に祈り捧げて他人の魔法を行使する、なンて余裕はない。
全部が無理だ。
全部が無理なら、どうするか。
決まってる。
「──よォ! 俺ァクロムクラハってンだ。アンタ、名は!?」
対面したンだから、まず名乗る。
それが礼儀と教えられた。
そして。
「……」
「へェ。止まってくれるンだな。俺が憎いだろォに」
ギリギリだ。本当にギリギリ。
生み出される気流にァ踏んじばって耐えて、クリスを背中に担いで仁王立ち。
ハハハ。いや。
怖かったよちゃんと。
「聞こえなかったか? 俺ァクロムクラハってなさ! アンタの名が聞きてェ」
「……理由を、問おう」
声を出してるわけじゃねェのに、ビリビリと何かが大気を揺らす。
耳元に雷でも落ちたンじゃねェかと錯覚する程の音量は、けれど音そのものじゃねェ。あるいは干渉力だのと呼ばれる何かだ。魔物同士の会話で普通に使われている、念話とでも呼ぶべき発声を用いない会話。魔力のやり取りが為されてるワケじゃねェ、単純に風の使徒同士が故の囁き。
それが、こうも暴風となって。
あァさ、フルオブズヴィトニーを貶すつもりァ一切ないが──これまた、格が違う。
フルオブズヴィトニーでさえ格上だったのに、こいつは最上位だ。スーグとシュジがあれだけ止めていたのも、寂しんぼが念押して止めてきたのもわかる。
こいつは軽い気持ちで関わるにァやばすぎる。
だから。
「はン、理由? 俺がアンタを食うからに決まってンだろ。食う相手の名前も知らねェってな摂理に反する。名乗り合って殺し合うのが魔物だろ。違うかよ」
「……良い。我なるは、ジョームンガンダー。貴様を食らう魔であると同時──姉の仇を討たんとする魔である」
「あァ! ありがてェ!」
だから、挑発もするし、感謝もするし、宣戦布告もする。
フルオブズヴィトニーを食って回復した分を大切に使う。大切に──全力を賭す。
「
さァ──もう一回だ。
こちらが死者である事も明かして、ぶつかり合おうぜ。
飛翔する。名乗りは終わった。宣言も終わった。こちらの正体も明かした。
だから、心置きなく戦える。
意外な事に、ジョームンガンダーは俺が夜の使徒である事を知っても嫌悪感を見せることは無かった。ただ、「そうか」とそれだけ言って──何の前触れもなく、体当たりをしてきたのだ。どォいう筋肉してンのか、完全に静止していた状態からトップスピードに近い頭突き。身体のバネがどォのとかそォいう問題じゃない。カメレオンの舌かなんかってンだ。
けど、ちゃんと全開になるまで待ってくれた。祈りの物語の全文を捧げ終え、冥界の魔力を俺が滾らせるまで、静観していてくれた。
正直わかんねェ。
ツイウから聞くジョームンガンダーの印象と、今対面してるコイツの印象が違い過ぎる。悪逆非道、周囲の迷惑も考えずに暴れまわる大蛇──ってなが前情報だったンだけどな。全然だ。
狙いァただ俺1人。下半身、とでもいえばいいのか、全身の下部ァほとんど動かしちゃいねェ。頭と上部だけで終わらそォとしてる。勿論それでも十二分に脅威なンだけど、周囲を考えなけりゃもっと激しい動きができるはずだ。
それをしねェのァ、なんでだ。
「──クリス!」
ホントは叫ばなくてもいいんだけど、なんかな。
応えてくれる気がして、ついつい名を呼んじまう。
剣から変形するのァ狙撃銃。どろりと溶け落ちた刀身が銃身へと変貌していく。
狙うのァ──今持ち上がってる体の根元。上体を支えている部分。込めるは冥界の魔力。撃ち放つァ連続して3発。それは真っ直ぐに、狙い通りに飛んで。
「……理由を、問う」
「あン?」
弾かれた。
あァ、全開の魔力だってのに、通さねェってか。やべェなそりゃ。フルオブズヴィトニーの毛並みでも殺し得たってのに、鱗ァ無理か。
……懐かしいな。それこそ終の因にも、クソ硬い蛇がいたっけ。
「なンだよ」
「何故、我の尾を狙った?」
「動いてなかったからだ」
「そうか」
他にも意味ァあるけど、実際そういう意味もある。動いてる頭より動いてない尻尾のが狙いやすい。
こんだけ巨体で、樹木が如き胴体でありながら、クソ程速いからな。拳銃状態のだと簡単に避けられちまってる。意味わからねェよ。やばすぎる。
「こっちからも問うていいか」
「良い」
「なンで全力でやらねェ。気付いてンだろ、俺以外にもアンタの命狙ってる奴がいるって。そいつは虎視眈々とアンタの隙を窺っている。そいつのいる場所さえ、アンタはわかってる。初めにそっち潰すってな手もあンのに、なんで俺に固執する」
「最も危険なものが、貴様だからだ」
「へェ、そォかい。危険だって認識してくれてンのね」
「当然であろう」
ジョームンガンダーは、その鋭い眼光を、強く強く輝かせる。
睨み、恨み、憎み。
その一睨みだけで数多の魔物が委縮してしまいそォな──強い殺気。
「姉を殺した魔。姉と正面からぶつかり、殺し合い得た魔。卑劣な手段を用いて我を討たんと画策するものなど取るに足らぬ。だが、貴様だけは違う。貴様だけは我が殺す。貴様が姉を食らいし魔であるのなら、その身を我が食らうのは道理だろう」
「──成程、大した姉妹愛だ。んじゃ、仲良く俺の腹ン中に入ってくれ。そォすりゃ一緒になれる」
「良く回る口だ」
頭が上を向く。
見上げる。天を。天幕を。
ジョームンガンダーはその身を直立させ──フルオブズヴィトニーを思わせるよォに、その口部に魔力を集中させる。
あ、やべェ。
そォ思った時には遅かった。そのチャージ時間も、その規模も、威力も。
防ぐとかそォいう概念上にあるモンじゃねェんだ。
「
その口から──雨が放たれた。
わかる。
それが何か。それが何なのか──俺にはわかる!
「ッ、ボーグル、ツイウ! 全力で最大限遠くまで逃げろ! ──死ぬぞ!!」
届いてるかァわからねェ。聞こえてるかは知らねェ。
俺ァあいつらにもうそこまでの情ァ持っちゃいねェけど、それでも死んでほしいたァ思ってない。だから、言う。無理だと。これは、この攻撃ばっかりァ──防ごうって考えちゃダメだと。
「──
鳴滝が如く降り注ぐ紫と黒の入り混じったよォな水。否、泥、と表現するべきか。
俺の周囲、円形状に死に続ける世界を避けて、その他すべてを滅ぼし尽くす、滅亡の泥。周囲を気にせず暴れまわる、なンざツイウの適当なンじゃねェかって思ったけど──違う。
目的の為なら、周囲を厭わねェんだ。適当なンじゃねェ。ちゃんと見えて無かっただけ。
今魔法を解いたらどォなるか。猿でもわかる。
滅ぶ。あるいァアズサの【終焉】、俺の【死漸】に肩を並べる──滅びを告げる泥雨。
「……しかも、止まねェのかよッ!」
「当然だろう」
「ッ!」
避ける。
ことァできなかったンで、【世涯】を維持したままクリスの銃身で受け止める。
冥界の魔力を全開に噴射して──それでも押されている。圧されている。
蛇っ面を銃身で受け止めたまま、──あァ、けど。
笑う。
「ハ──」
「死地にて笑うか」
「笑うさ。ハハ、いいね。絶望的だ。──1つ、問うぜ」
「良い。話し得る体力があるのなら、聞こう」
「けッ、よくわかってるこって。聞きてェのは1つだ。今の技、どんくらいの範囲をこの泥に沈めてる?」
「自らの手の内を明かせ、と?」
「違ェよ。あァ、遠回し過ぎたな。──この雨ってな、この山脈の向こう側まで届くのか、って聞いてンだ」
ハハハ。
なんだこの状況は。
周囲に広がるァ滅びの泥雨。俺が纏うのァ冥界の魔力。こんだけ近くでそれ纏ってンのに、ジョームンガンダーの顔にァ魔力が浸透していく様子が一切ない。硬いンだ。干渉できてねェ。こいつの表皮ァ俺が今まで相手にしてきた何よりも硬く、難く、固く、堅い。
すげェ。
だってよ、わかるか? オイ。
俺がさ、群塔魔閣行こうとした時、沢山の魔物が寄って来た。死ぬと分かってて、自分から糧にならんとする──そんな奴らが居たんだ。
すげェよ。
わかるか。俺ァ、クロムクラハって奴ァよ、こんなやべェ魔物よりも頂きに近ェって、そう思われてンだ。予言だのなンだので動く奴ばっかじゃねェだろォに、俺ァそいつらの期待背負ってンだ。すげェよ。北方海域のオリジン達だってジョームンガンダーを知らねェなんてことは無いはずだ。その強さも、やばさも、それを全部わかってて。
背を押してくれた。
ハハハ。
そんなことがあるかよ。
そんなことが、そんなすげェ事があるかよ。
「──無論だ」
「あァさそれが聞けりゃ十分!」
どくん、と。
何かが脈を打つ。
精神体にあるはずの無ェものが。俺の失ったモンが──どくん、どくんと。
大きく鼓動を立てる。
肺だけじゃねェ。
形成されたンだ。ハハ、いいぜ、もっと高鳴れ。
すげェ場面だぞこれは。
「──!」
「ハ、ハハ! 驚いたな。今──驚いたよな! なんでだ!」
「貴様……なんだ、その魔力は」
「ずっと見せてるだろ。ハナから教えてただろ。冥界の魔力さ。俺ァ夜の使徒で、死者だからな。冥界の魔力が使える。死の魔力が使える。──それともなンだ。あり得ねェものでも、見たか?」
圧す。
圧す。
圧す。
形成された心臓から──ばくんばくんと、強い流れが供給される。
今までなかったのさ。奪われたからな、身体ごと。だから今まで、死者だった。精神体。幽霊さ。
だけど、あァさ、ここまでやべェ滅びを見せつけられたンなら話は違う。
俺ァお前を非善と認めよう。
そして。
「てめェンとこの冥界より、ウチの冥界のがやべェってよ──ハハ、神さんが怒ってるぜ!」
この泥は、風の泥だ。風における目指す先。頂きにある泥。
なれば──俺にァそれを覆い返す役目がある。俺の目的ってなよ。風と太陽から、夜に改宗しねェかって勧誘することなのさ。
それを、こんなでっけェの見せつけられてよ。
ハハハハ。
おいおい、こっちの方がずっと居心地良いぜ。そんな冷たくねェし、そんな絶望してねェ。
あったけェ場所だ。ハハハ。
心臓が脈を打つ。精神体の透けた体に──血液が巡って行く。どくんどくん、ばくんばくんと。熱を持つ。全身が、今の今まで感じて無かった全部が戻ってくる。寒さもそォだが、ンなもん気にならねェくらい体内が熱い。暑い。熱い。
銀糸が持ち上がる。どす黒い魔力の奔流に、銀の光が入り混じる。
「それが、冥界の魔力であるものか」
「あァさ。これが。こんなすげェモンが! 死の魔力なワケねェよな!」
「それは」
圧して──圧し、返す。
背面噴射。出力上昇。その蛇っ面を、ぶっ飛ばす!
「フルオブズヴィトニー!! 今、アンタの技を借りよう!」
銃身に一切の歪み無きクリスを構える。
込める魔力ァ冥界の魔力。そして──生者の、魔力。
つまるところ、普通の魔力さ。魔法少女の因子より出でるはずの──あるいは、高位の魔物が持つとされる、この世界の異物。
できるかどォかなんて知らねェ。そもそもありゃ夜の言葉じゃねェってなもわかってる。
で。
それがどうしたよ、ってな!
「──褪戦死遠!」
元は吠え声に近かったそれは、銃声として。
その勢い、その威力、その範囲をウチの冥界の魔力で再現した──風の模倣。
あらゆるものを凍死させる氷河は泥を割り、そこに大きな隔たりを作る。通り道を作り上げる。
今この瞬間、よォやく俺ァ成ったんだ。
生きてもいねェ、死んでもいねェ精神体ってな曖昧な状態から──生者に、足を踏み入れた。相変わらず冥界の魔力纏ってて、世界言語使ってるから死にかけだけど、それでも生を掴み取った。
フルオブズヴィトニーの役割を、俺が受け継いだンだ。
「カ、ぁ──ハハ、そんだけじゃねェよなァ。なァ。お前も使えたンだろ! お前ァオリジンじゃなかったけど、魔力は使えたもんな。──だから、借りるぜ、セイタス!」
纏う。
滅びを殺す、滅びを死なせる魔力。その内側で、俺の存在を世界に刻まんとする生の魔力。
めちゃくちゃだ。俺の中ァもうぐちゃぐちゃになってる。これで心臓以外の臓器があったらやばかっただろう。棒入れられて掻き混ぜられたみてェな惨状になってただろう。そこはまァ、まだ形成されて無くてよかったってことで。
で、進む。
進むぜ。だってそうだっただろ。セイタスは、見るヤツ見る奴に戦いを仕掛けた。自分の寿命が分かってたから、より長く、より強く、彼女に会うためにより高みへと。
前へ進め。進んでいけ。止まるな。
だって──退く理由が、どこにもない。
風が聞こえるんだ。
よォやく、お前に認められたってか? ケッ、要らねェがな。
夜の神さんの声はずっと聞こえてたさ。ずっとわかる。ずっと見てくれてるって知ってる。
けど、なンだっけ。
ウィドアルだっけ、てめェ。それが別名だとかなんとか言われてたけどよ。
馬鹿が。
今更見に来たって遅ェんだよ。
けど、いいよ。
宣言くらいはしてやろう。
「
風を纏う。
輪廻の車輪。呪縛。その風は確りと俺を支え、押してくる。
世界言語。風の言葉。
「
クリスを変形させる。
凍り付いて止まった滅びの泥雨の下を通って、ぶっ飛ばされたまま未だ体勢の整わねェジョームンガンダーに突貫する。
大丈夫だ。
大丈夫さ。
お前も俺が、食っていく。
「死あらば、食われろ! ジョームンガンダー!」
その顔を──真一文字に、切り裂いた。
「それで終わりか、クロムクラハ!」
「なワケねェだろ! 俺だって少しは学ぶんだ、顔裂かれたって怯まねェのァ姉妹揃って同じだなァオイ!」
あァそんだけで終わるならもっと早くに死んでるだろう。
冥界の魔力。風の後押し。そんだけあってもまだ足りねェ。ジョームンガンダー。世界を食らう蛇。フルオブズヴィトニーにできることはコイツにだってできる。なら当然、俺に勝つことだって容易なンだろう。
けど、けどさ。
んなこたわかってンだよ。その上で──まだ、まだ、まだ!
笑いが止まらねェ!
「前へ出ろ! 前に進め! それが俺の役目なれば!」
自分で言うんだ。自分に言って聞かせるンだ。
後ろに誰もついてきてなくたって、俺が、俺だけは前に進み続けるンだ。
斬る。斬りつける。
フルオブズヴィトニーの爪じゃねェと斬れねェと、彼女の牙じゃねェと裂けねェと言われた鱗を切り裂いていく。この世ならざる剣。クリス。あるいは俺の夜の象徴。
あァさ、けど、浅いのもわかってる。
芯には届いてねェ。傷はついても、身を切り裂くにァ至らない。当然だ、図体が違う。クリスを根元までぶっ刺したって、その直径の10分の1にも届かねェんだろう。
ハハハ。
それがなんだよ。それが退く理由になンのかよ。
「もっといるだろ! 食ってきた奴ァごまんといる! 殺してきた奴はごまんといる! なァ風よ、大いなる風よ! 世界を流れる風、ウィドアルよ! てめェ、わざわざ出向いといてそれだけか! そんなんだから嫌われてンだよてめェは! 魔物の誰がお前を信仰してるよ! 魔物のどいつがてめェを慕ってるよ! ハハ──もっと目ェ向けな! かっぴらいて、寄越しな! てめェが風を名乗ンなら、それに相応しいモンを俺に寄越しなァ!」
追い風が来る。
ハハハハ。そんなに言うならやってみろってか? 馬鹿が、初めから寄越しやがれ。
「だから言うぜ、オイ。ジョームンガンダー! てめェ、そんだけか!? 体当たりと頭突きと鱗と、世界を滅ぼす雨と! そんだけか!」
「──良い。ならば存分に後悔しろ」
持ち上がる。隆起する。
遠くの方の山が、大きく鎌首をもたげる。
違う。
あそこまでが、尾だ。
「風よ。ウィドアルよ。ウィズヌよ。飽いて眠らんとしていたことを此処に謝罪しよう。矮小なるものを食ろうても仕方がないと、そう諦めていた事を懺悔しよう。──故に、寄越せ。我はこれより進み始める。世界の全てを食らいて、究極なる一となろう。手始めに目の前の脅威だ。それを食らう。故の力が欲しい。──寄越せ、全て」
途端──向かい風が来た。
ハハハ、のらりくらりと、蝙蝠野郎が。
どっちにも頑張ってほしい、みてェな日和見主義かてめェ。お前の使徒たる魔物ァみんな生き死にの境を彷徨う殺し合い続けてンのに、てめェだけ決めきれねェってか。
ふざけやがる。
「毒、だろう」
「あン?」
「貴様と共にいた者。それが我に用いようとしていたものの話だ」
「あァ、わかってンのか。そォだよ、てめェにも効く毒だそォだ。それ飲ませて、フルオブズヴィトニーの爪でてめェの首だけ斬り落として、俺が食う。そんなくっだらねェ作戦立ててたよ、アイツは」
「ならば──それが無駄であると、まずは証明しよう」
ぐん、と。
ジョームンガンダーは
俺への頭突き、ではない。
それは、目的あっての──狙いあっての急襲だ。
「──ツイウ!」
「勿論わかっているとも。先ほどの泥雨には随分と弱らされたけれどね。──たとえこの身が食われようとも、確実に毒を入れる。これでみんなの無念を、」
言葉は最後まで紡がれなかった。
ツイウが潜んでいたのだろう土地。その全てをジョームンガンダーが飲み込んだから。ツイウも、あるいはツイウの棲み処も、何もかも。
──地面に干上がった河川が出来上がる。
元々水の無い溝だ。その威力がどんなもんかを教えてくれる指標かね。
「あ。……どうしましょう、クロクラさん。ツイウが食べられてしまいました」
「死んでほしいたァ思っちゃいねェが、アイツも今は魔物だ。魔物同士の食い合いに怒り狂うよォな奴じゃねェよ、俺は」
「そうですか? しかし、おかしいですね。ツイウは自分の身が食べられてでも毒を体内に入れる、と言っていました。実際食べられたので、ツイウが持っていた毒は全部ジョムガンさんの中に入ったはずです。──だというのに」
「……ジョームンガンダーァ健在で」
「はい。ワタシ、消えそうです。これはつまり、魔法の使用者が死んだ、ということですよね」
「へェ、そんな難しい事がわかるのか」
「偉いですか?」
赤い女。
頭部から血を流す、空気の読めねェ、敵なのか味方なのかよくわからねェ──それなりに話した、仲の良いと呼べるのかもしれない特殊魔法。その産物たる魔物。
それが──消えて行く。
薄くなって。解けて。
最後まで、とぼけた顔で。
「偉いよ。偉いしすげェ。お前、最後までアイツの命令守ったって事だろ」
「はい。クロクラさんの援護をしなさい、と。──ゆえに、大切で大切で、ワタシの命にも等しいツイウを見捨て、アナタの近くにいました。偉いですか?」
「偉い。──1つ、提案がある」
「……ふふ、結構です。ワタシはあくまでツイウの魔法なので。──アナタの糧にはなりません。アナタにワタシというお友達を殺させるような事はしません。クロクラさん、泣きそうなので」
覚悟はしてた。情は無いなんて嘯いて、守る気ないなんて言ってた。
けど。
あァ、馬鹿だなァ俺。
多分さ、目の前でアオンが死にかけてもこォなるんだ。結局さ、どんだけ嫌いになったって、裏切りに嫌気が差したって──1度でも大切に思っちまったら。死んでほしくねェって思っちまったら。
感情に、クるらしい。
馬鹿だよな。だったらハナから守れって話だ。俺1人でやるから離れてろ、くらいは言えただろ。
「特殊魔法として生を受けて──幸せだったか、ボーグル」
「難しい事を質問しないでください。ワタシがわかるわけないじゃないですか」
「まァ、だよな」
「けど」
消えながら。
ボーグルは、よォやく笑う。馬鹿にしたようなそれでも、喜びながら無表情なそれでもなく。
「幸せとか、わかりませんけど。来たのがアナタで良かった、とは思いました。それでは失礼」
消えた。
ボーグルは。それは、そのまま。
「……死んだか」
「そうだ。数百年前に食い損ねた太陽の使徒。作り上げた毒は、確かに姉には効いたのだろう。それは当然である。何故ならこの森にある植物の毒性とは──我を元にしているのだから」
「あァさ、てめェの滅びを吸って育った植物か。はン、そりゃなんにでも効きそォだな。生憎俺にァ効かなかったが」
「それは当然、我にも効かぬ」
「ハハ、てめェの作り出した毒でてめェが死んでちゃ世話ねェからな、──だがよ、毒は効かずとも、食あたりにァ注意ってな、ケケ、最後っ屁ってなあるもんだぜ」
余韻なんざ無い。
ツイウにはそこまで情も湧いてなかった。結局アイツの作った毒ってな意味は無く、その無念だとかいうのも晴らせちゃいねェ。
いねェが、恨みつらみの執念ってなすげェんだろうな。
毒が効いてねェとわかった瞬間に、出したンだ。死を前に──あァさ、それこそ一寸法師よろしく、ってな。
「──」
「よォ、どォだよ。──大事な姉ちゃんの爪で、腹ァ切り裂かれる感覚ってな」
ごろり、と。
それは出てきた。大量の血液を纏って──その、鋭い鋭い爪が。
出したンだ。死ぬ前に、亜空間ポケットから。
はン、魔物と魔法少女に大した差は無ェってなマッドチビ先生談だが、こればっかりは魔法少女の特権だよな。
毒しか持ってねェって勘違いして、それを食らって。
腹ァ裂かれてよ。
「──良い。それでこそ、小さきものの足掻きだ。我はそれを、悪いとは呼ばぬ」
「あァさ、俺みてェな事言いやがる。なァ、聞きたかったンだ。ジョームンガンダー」
「何だ」
「さっき、飽いちまってたって言ってたよな。究極なる一を目指すのによ。でも、もっかい目指し始めると──今、そォ言ったよな」
「そうだ。故に食らう。もう休みはしない。この世に蔓延る魔の全てを食らう。風の使徒も、太陽の使徒も、だ」
「あァさそれはいいんだ。別に止める気ァ無い。ただ、確認はしておきたい」
「良い。なんだ」
風が吹く。
遠く、彼方。
遥か彼方。
輝くモノを確認して、目を伏せた。
「死ぬのは、怖いか。生きてェか。たとえてめェの行く手を阻むモノがいないとしても──お前ほど、強大になっても。死にたくはないと、そう言えるか」
「無論だ。姉もそうであっただろう。我らは淀みより生まれた魔とは違う。元より獣。元より生物。なれば──死とは、最も恐れるものなりて」
「十分だ。ありがとう。──これで、心置きなく俺ァお前を殺せる」
息を吸う。形成されている肺を存分に使って、大きく大きく息を吸う。
んで、言う。言うのさ。
「俺ァ! 俺の名は! クロムクラハでもアンディスガルでもねェ! 今これより、今ここより!」
近づいてくる輝きに合わせるよォに、俺も黒き魔力を噴射して──突貫する。
突撃する。
「再度、改め! 俺ァ梓・ライラックだ! 覚えておきな、ジョームンガンダー!」
「──見つけましたの────!!」
さァさ、決着と行こうじゃねェか。
俺だけで足りねェなら──猫の手も借りるさ、ってな。