黒い宇宙から
『それじゃもう遅いしそろそろ落ちるね! おつかれさま!』
布団にもぐる果穂のスマホにぴこん、と言葉が届いた。
ぼーっと見ていた窓の外の深い闇から、うすい光を放つ画面に目を向けると、スマホはチャットを一つ受け取ったようだった。
スマホの通知に触れて、チェインの『ちょこ先輩』のトーク画面を開く。ぽちぽちとひらがなを押して文章を作り、送信。
『はい! ちょこ先輩もおつかれさまです!』
ちょこ先輩から、きらきらしたチョコレートのスタンプが返事として送られてきたのを確認して、果穂はスマホの電源を落とす。
夜の闇が赤かった空を黒に染めてしばらくが経った時間帯。
そんな時間になってもまだ、小宮果穂が寝付けないまま毛布に潜むように起きていることは珍しかった。
「……なんだったんだろう」
つい数時間前に居た暗い学校と、何となく、同じような雰囲気の夜の暗さから逃げるように、いつもなら寝ている時間までスマホを見ていた。
寝ようとまぶたを閉じると、夜になりかけの昏い夕方に見た爆発の光が、まぶたの裏にちらついている。
花火のように強烈な光を見たその後を、果穂は覚えていない。
いつのまにか気を失っていて、気がついたら教室の机で眠っていた。もしかしたら夢だったかもと思うくらい、何かが起こった気配を感じさせない、まっくらと静けさが学校には満ちていた。
けれども。家に帰っても膝に付いていた赤い擦りむきの傷は、決して夢ではないと───不気味な白い手がせまってくる恐怖は、夢ではないんだと訴えているようだった。
「……なにが……あったんだ──っけ」
いつも規則正しく、徹夜にもなれていない果穂は、学校の出来事での精神的、肉体的な疲れもあってか、ゆっくりと意識が落ち、まぶたが重くなっていく。
閉じていくまぶたの裏で思い出すのはシマウマみたいな怪人、銀色の光、夜の夕焼けと、星と、爆発のあかいろ。
疲労のような重圧で、全ての景色がじわりと黒色になっていく。
「───爆発、あつかったな……」
全ての景色が黒くなって、ぷつりと、気絶するみたいに果穂の意識はベットに沈んだ。
果穂のが寝付くのは遅く、それなのに起きる時間はいつも通りで、いわゆる寝不足だった。
ごんっ、と、にぶい音が授業中の教室に響く。突然に響いた音に、教室の中にいるほぼ全員が驚き、反射的にクラス中の視線が集中する。
その視線の先には、痛そうに両手でおでこを押さえている果穂がいた。
「小宮さん、怪我はないですか? 凄い音でしたが」
「……はい、だいじょうぶ……です」
痛みと恥ずかしさで顔を抑えて赤くなる少女を見ながら、信頼そうな声色で教師は言葉を続けた。
「ならいいんだけど……アイドルと勉強の両立は忙しいのは分かるけど、寝不足はダメですよ」
「…………はい」
クラスの中から聞こえる笑い声を恥ずかしさで聞いてないフリをしつつ、果穂はこっそりと、てのひらの隙間から、担任の先生の顔を伺った。
(先生は昨日の夕方のこと……何か覚えてないのかな)
昨日、果穂は先生共に教室へと向かったはずで、
そしてシマ模様の怪人が先生に化けて現れた……現れたはずだと果穂は覚えている。
あの時、本物の先生はいったいどこへ行ったんだろうか。と考えるうちに、果穂は気づく。
(……あれ? 先生、昨日はあたしと一緒に……居た……よね)
昨日の事のはずの記憶が、どことなくぼやけてきている。
頭にあったはずの昨日の風景が
「「「ありがとうございましたー!」」」
「へ? ……あっ、あれっ!?」
突然に聞こえた授業の終礼におどろき、咄嗟にまわりを見れば、果穂以外の全員は立ち上がり、ぺこりとお辞儀をしていた。
昨日の夕方の事を気にして、ずうっと考えこんでいた果穂だけが、ぽつりと机に座っているまま、ずいぶん目立っていた。
授業を終わらせた先生が、果穂の机へと近づき、視線の高さを果穂の位置に合わせて、果穂を見つめる。心配そうな目を果穂に向けていた。
「……小宮さん、本当に大丈夫ですか? 何かあったなら、先生でいいなら話を聞きますよ?」
「い、いえっ! ごめんなさい、なんでもないですっ!」
果穂はぶんぶんと首を横に振って、焦ったように否定する。
寝不足には気をつけよう。と、果穂はつよく心に決めた。
始業と終業のチャイムが全て鳴り終わったあと。
放課後の時間、真上から降りてきた太陽が、少しななめの光を学校に注いでいる。
とんとん、とんとん、果穂の足が、陽光が照らす階段を踏み締めて、上の方へとあがっていく。
もうすぐ夏休みに入ることもあって持って帰るものが多くなっていて、そのせいで荷物をいれすぎて、リコーダーなどがはみ出ている黄色のランドセルが、張り裂けそうになっているのを感じながら、果穂は階段の最後の一段を登りきった。
「うぅっ……ランドセルが重い……」
ランドセルに詰まったあまりの重さに、ほんの少しくらくらしながらたどり着いたのは、学校の3階。
ここの先にあるのは、屋上へと続く道だったはずだと果穂は記憶している。夢でなければ、現実であったならこのあたりで
「……あれ」
この階に踏み込んだとたん、夏だけどひややかな空気を感じた。
何となく、ここには来てはいけなかった気がした。
一歩すすむごとに背筋が強張っていく。寒くはない。暑いはずで、それなのに迫る冷えた感覚。
何かおかしい? いやいつも通りだ。いつもと一緒、果穂が前に通った時と何も変わらない廊下のはずだった。
同じ色、同じ匂いで、同じ風景だった。
「こんな場所だったっけ……」
同じ風景のはずなのに、違うような。地面がズレているような、自分が歪んでいるような違和感。
(前はこんな場所じゃなかったのに……前は……あれ? 前って……?)
前っていつだっけ? そう考えて、千鳥足でふらついている少女は気づく。
まるで黒いインクで塗りつぶされたような記憶、何かあったはずの景色が黒一色で染まっていた。
「あれ……? あ、あれ……?」
真っ黒な景色に気づいたら、とたんにズレが大きくなる。足元がぐにゃりと歪み続け、ただでさえ重い荷物を持っていた果穂は、バランスをくずし、ふらりと倒れる。
「おい!!」
倒れる。その寸前に、果穂は横から手を引かれて、その手を支えにして果穂はなんとか体制を立て直した。
つよく引っ張る、窓越しの太陽みたいに、あたたかい手。
「……ん……あれ……。あたしは……?」
「おい、しっかりしろ。怪我はないか?」
「あっ……う、うん」
強い力でひっぱられてビックリしたからか、酷くぐちゃぐちゃしていた頭の中が雲が晴れるみたいに、少しずつ鮮明になり、ぼんやりとしていた果穂の意識も、だんだんと戻ってきた。
まだぼんやりが残る視線で、くらくらしながらも、声の聞こえた方に視線を向ける。
ひっぱられた手の先に居たのは、果穂より身長が小さい男の子──果穂の同級生の男子と同じぐらいか、少し小さいぐらいの身長の少年だった。
「お前あと少しで倒れそうだったぞ、立てるか?」
「うんっ……よいしょ」
重い荷物を持ったまま、すこしよろつきながらも果穂は立ち上がる。
果穂の顔を見た時、少年は少し驚いたように呟いた。
「お前……確かコミヤカホ……」
「え? あっ、うん。あたし、小宮果穂! もしかして、アイドルのお仕事見てくれたの?」
「え? あぁ……まあ、そんなところだ」
「そっか、ありがとう! ……えっと、君は?」
「ああ、俺は……」
名前を言いかたところで、少年がほんの一瞬、思考するように止まった。名前を言おうとしたけど言えなかった。そんなふうに果穂には見えた気がした。
「……俺はアキナ、アキナだ」
「えっと、助けてくれたんだよね? アキナくんありがとう」
「……俺はたまたま通りかかっただけだ。気にすんな」
目の前の少年は「別に大したことはしてない」と言外にほのめかすような、ぶっきらぼうな言葉を果穂に返す。
「それよりお前、かなりふらついてたけど、もう大丈夫か?」
「うんっ、もう大丈夫!」
事実、さっきまで感じていた体の重みや違和感は、灰が風に吹き飛ばされたみたいに消えていた。
そう言われても心配なのか、アキナは果穂がふらついた時に落としていたカバンを片手で持ち上げる。
「え、持ってくれるの?」
「また倒れたりしたら危ないだろ。保健室?とかに行った方がいい」
「うん! ありがとう。でも本当にもう何ともないんだよ? だから大丈夫!」
さっきまでの気持ち悪さも、1人で立てないほどふらついていた事も
じゃあね、と少年に手を振って、果穂は重い荷物を持って再び歩き出す。
「……じゃあいいけどよ、そんな大荷物持って、どうしてこんなところに来たんだよ。ここから先、屋上しかないぞ」
「え? あっ……そっか。この先って屋上だった」
思い出したように気づく。3階にあるのは数個のあまり使われてない教室と、屋上に繋がる階段だけで、両手を塞ぎ、ランドセルが破裂しそうになるほどの荷物を持っていく場所なんて特にはない。
「
果穂は少し怪訝に思いながらも、まあいいかと、忘れたように踵を返した。
「ばいばい」と言って去っていく果穂の背中を、アキナが見送ってからしばらくして、少年のズボンのポケットで、入れていたスマホが細かく震えた。
液晶の画面を覗けば、そこに映るのは『友達』と書かれた画面。
電話の着信だと気づいて、受話器のアイコンをスライドさせた。
『もしもし、昨日ぶりですね。ウルトラマンゼロ』
スマホを耳に当て、嫌いな食べ物が給食に出たみたいな顔をして、ため息を一つ吐いたあと、独り言のように少年は喋りだす。
「あいつ……カホの記憶をいじったのはお前か?」
『ええ、魔導の真似事で、私は簡単な事しかできませんが、上手くいったようで安心しました」
あたりに誰も居ない、
『どうです? 私の要求を聞いてくれる気になりましたか?』
「勝手に人の記憶弄といて……ふざけてんのか?」
『ええ、言ってみただけです。頼みを聞いて欲しいのは事実ですが』
「用はそれだけか? 切るぞ」
『それは残念です。また後日伺いますね』
通話が切れて、スマホからピーと音が鳴った。
スマホの電源を切ってポケットの中にふたたび入れて、ゼロはそのまま屋上に続く扉を開ける。
じめっぽい夏の空気が充満した屋上で柵を掴みながら──昨日の戦闘で三面怪人ダダを吹き飛ばして、ひしゃげていたはずの、新品同様の柵を掴んで、学校の通学路と、広がる街を見下ろした。
「昨日の戦い、知られたくないのか? ……あの野郎、いったい何を企んでやがる」
子どもから老人まで、さまざまな人間が歩いている。この街の普通であろう景色。きっと誰も宇宙人が蔓延っているなんて、怪獣が眠っているとも思って生きてはいないだろう、平和な地球。
━━その平和を嘲笑うみたいに暗躍していた、いつか戦った、異星からの侵略者の姿が、
見上げた夏の大空で、思い出すのは、山奥の木洩れ日、太陽の光、笑顔の少年と、少女と、現れた黒色。
眼科の街は太陽で、たくさんの建物がきらきらとオレンジ色になっていく。
「──今度は好きにはさせねえぞ」
平和の下に隠れた脅威を睨むように、少年の姿をしたウルトラマンは、夏の大空を見上げた。
ヒーローインザスクール