たわけはいつもそうだな、私のことなんだと思ってるんだ!?   作:織葉 黎旺

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阪神JF『だってお前は』

 ──12月2週目の日曜日。

 小さく白息を漏らしながら、エアグルーヴとトレーナーは阪神レース場に降り立った。

 早朝にも関わらず、レース場の周りにはちらほらと人影が見られ、G1という肩書きの重みを感じさせる。

 

 ──或いはそれは、それだけ注目に値するウマ娘が出走する証ともいえる。

 

 

「『女帝』出走の話題性はでかいからな、たぶんマークされてるだろ」

 

 既にオープン戦は何戦か勝ち取ってきた。手の内のすべては明かしていないが、ある程度の実力・スタイルは晒している。客観的に見ても、エアグルーヴは今年の出走馬の中ではトップクラスである。

 

 

「おーい、エアグルーヴさん? なんか静かだけど、もしかして初重賞で緊張とかされてます?」

 

 茶化すようにトレーナーが笑う。それを聞いたエアグルーヴは、固く結ばれていた唇を開いた。

 

 

「たわけ、武者震いだ」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 昼下がり。出走の二時間前ともなれば、阪神レース場は観客の熱気に包まれていた。売り子が右往左往と飲食物を売って回り、会場外の屋台も忙しなく回転していた。

 

「まさにお祭り騒ぎ、って感じだな。美味ぇ」

 

「おいたわけ、何をつまんでいる」

 

「え? そこで買ってきたイカ焼きだけど」

 

 出走前のアップとして、レース場から五分ほどの公園で体をほぐしていると、どこかに消えていたトレーナーが袋を抱えて戻ってきた。「食べる?」と一切れ差し出す。

 鼻をつく海鮮の香りに顔を顰め、エアグルーヴは手で振り払うようにした。

 

「いらん! レース前にこんなもの嗅がせるな!」

 

「あ、ゴルシ特製焼きそばとかのがよかった?」

 

 そういう問題ではない。エアグルーヴは話にならんと嘆息して、ウォーミングアップを続けた。

 

 

 

「まったく、こんなことをしている暇があるなら情報収集など──」

 

「6-7-3」

 

 トレーナーが淡々と数字を告げた。

 

「信頼できる筋からの予想だ。意味はわかるだろ?」

 

「……番号での着順か」

 

「そ」

 

 エアグルーヴは無意識に、枠番に手を伸ばした。縫い付けられた数字は7、つまり二位として予想されているわけだ。

 

「根拠は何だ?」

 

「第一に、注目されているがゆえのマーク。まだ出切ってはないけど、たぶんお前が一番人気だろ。血統なんかのネームバリューもあって間違いなく邪魔される。第二に調子だな」

 

「そこまで悪くはないが」

 

「でも絶好調じゃねえじゃん。最近生徒会が忙しかったのもあって、まあ普通かなー? って程度だろ? 対して二番人気のビワハイジは、見た感じ多分絶好調だ。レースに対する勢いだけ見るなら、今は不利だ」

 

 ウマ娘に限らず、アスリートであれば皆そうだが、いかに本番にベストコンディションで臨めるかどうかに勝敗の有無がかかっているといっても過言ではない。素の能力がいくら高かろうが、それを本番に合わせられなければなんの意味もない。80%の力しか出せない者と120%のパフォーマンスで動ける者、その差は歴然である。

 

「だがまあ、所詮予想は予想。むしろそれがあるからこそ、ひっくり返す立ち回りを予想できる」

 

 トレーナーはニヤリと、獲物を見つけた猛禽類のような微笑を浮かべた。

 

 

「心配すんな、冠は絶対取らせてやる」

 

 

 

 ◆

 

 

 

『晴れ渡る空の下、この阪神レース場に十六名の優駿たちが集まりました』

 

 冬の乾いた空気、突き抜けるような蒼空。文句無しに良バ場だった。地下バ道を抜け、ファンファーレと共に歩くウマ娘たちは、あるものは真剣な表情、緊張の面持ち、あるいは不敵な笑みでゲートを見つめる。

 

『一番人気は七番エアグルーヴ』

 

『調子はまずまずといったところでしょうか』

 

『二番人気は六番ビワハイジ』

 

『いい仕上がりですね。これは入賞も期待できそうです』

 

『三番人気は──』

 

 集中したエアグルーヴの耳に、それ以上の言葉は入ってこない。頭の中にあるのは先程組み立てられた作戦だけ。大きく息を吐いて、ゲートの前に立つ。

 

 ファンファーレが止んだ。

 

 

『さあ、スタートです。ゲートが開きました』

 

 音を立ててゲートが開いた途端、エアグルーヴは勢いよく飛び出した。

 G1とはいえジュニア級故か、何人か出遅れてのスタートとなる。エアグルーヴはぐいぐいと足を伸ばし、先頭についた。

 

『第一コーナー曲がって先頭は七番エアグルーヴ』

 

『彼女の脚質には合っていません、これは作戦でしょうか』

 

「はっ、はっ……!」

 

 短く呼吸を繰り返す。自分が先頭を走るというのは、一見レースのペースを作りやすいように見えるがそんなことはない。常に背後から迫られるというプレッシャー、ペースが乱れているか否かを判断する指針(ライバル)の不在、それらによる乱れは、走者を身体的にも精神的にも蝕んでいく。

 そもそも、エアグルーヴの脚質的にも性格的にも、あまり逃げは適していない。

 

『二バ身離れて六番、十番。大きく離れて三番、十三番、一番と続きます』

 

 

 

 疲労は通常の比ではない。それでもこの策を選んだのは、トレーナーの予想があった。

 

 

「マークされている以上、差しは厳しい。先行でくるウマが多いだろうし、早めにスパートをかけるか大外から回る羽目になる」

 

「なら先行でいいんじゃないか」

 

「いや、恐らく読まれてる。っていうか先行でくるウマが多いんだから、バ群に飲まれて足を削られるだろ。そこを狙ったビワハイジに差される未来しか見えないね」

 

「論理はわかる。だが、だからといって逃げを選ぶのは少々奇を衒いすぎではないか」

 

「そうでもないさ。だって──」

 

 

 

 ◇

 

 

『順位を振り返っていきます。先頭は依然七番エアグルーヴ』

 

『少々掛かり気味でしょうか、果たしてスタミナが持つのか否か』

 

『続いて六番、十三番、一番、八番』

 

『全員虎視眈々と前を狙っているようです。さあ、最終コーナーに差し掛かります』

 

 ──ここだ、とエアグルーヴは、一歩強く踏み込んだ。

 

『七番エアグルーヴ、ここでスパートをかける。まだ直線は長いが大丈夫か!?』

 

『後ろの娘たちも慌てて加速していますね』

 

 足音が徐々に、女帝を捉えんと迫ってくる。後続は競り合うことで、より速度を増して先頭を狙う。

 

 

『一バ身二バ身と差が縮まっていきます。対して先頭のエアグルーヴ、ペースが落ちているか!?』

 

『ここで六番ビワハイジ並んだァ!』

 

『残り400mを追加、競り合っています』

 

 外から飛び出してきた青鹿毛のウマ娘が、エアグルーヴを追い越してふっと微笑を湛えた。苦しい表情の彼女に、勝利を確信したのだろう。ハナ、アタマ、と差が広がっていく。

 

「もらった……!」

 

 徐々に遠くなる背中、そして迫り来る足音。二つに挟まれたエアグルーヴはより強く芝に踏み込む。

 

「ふっ……!」

 

『おおっとここでエアグルーヴ、再び加速したァ!!』

 

『徐々に先頭との距離が縮まっていきます!!』

 

「な……!?」

 

 同時に走っていた誰もが、そんな馬鹿なと驚愕した。

 確かに抜群の末脚はエアグルーヴの持ち味の一つだ。だが誰が、二段構えのスパートなど予測できる? 

 

 

『エアグルーヴ差を伸ばそうと走る、だが、後続が必死に追いすがる!』

 

『残り100m、このまま逃げ切れるのか!』

 

 逃げ切れるか、では無い。逃げ切るしかないのだ。

 フォームは美しいまま、表情は厳しいまま、全身全霊でゴールへと向かう。

 

「うおおおおおお!!!!!!」

 

 背後から、先程までよりも激しく足音が迫る。しかしもう重圧などはない。あるのは、勝利への渇望だけ──! 

 

 

 

『エアグルーヴ、逃げ切ってゴォール!!!!』

 

『堂々たる走りぶりでした、まさに女帝!』

 

 一つ大きく呼吸してから、客席に向けて軽くポーズを決め、手を振る。沸き立つ観衆の脇、地下バ道の傍にて、不敵に微笑むトレーナーの姿があった。

 

 

 

 

「二回逃げる? たわけ、そんなの無理だろう」

 

「いや、お前ならできるよ」

 

 競馬というかスポーツの定説に喧嘩を売るような真似だ。あくまでこれが通るのは格下相手であって、普通に考えればスタミナの消費も、ペースの配分も、すべて割に合っていない。

 しかしそれを覆せるなら、あるいは余りある利点があるなら──

 

 

「一回目の逃げはどうやっても捕まえられる。当然だ、そもそも合ってない戦法だからな」

 

「だから二回決めると?」

 

「まあそうだな。流石にちゃんと戦略はあるぞ。要はさ、逃げの際にスタミナを残せばいいんだよ」

 

「当たり前のことを言うな」

 

 それはそうだ。それができるから逃げウマなのだ。

 

 

「いや、お前が逃げるなら絶対残せる。だってお前は、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 故に、周りは様子見に徹する。あるいは放っておけば直に潰せると見逃す。故に、()()()()()()()()()()

 

 

「とはいえ、それでは条件は周りも同じだ。エアグルーヴをペースメーカーに足を貯めた状態になる。だから、もう一度──というか0.5度くらい、スパートをかける。早めに」

 

 

 早めにスパートをかけることで、それに釣られた後続のウマ娘たちのスタミナを削る──()()()()()()。そうして残した分の力を用いて、最後に差をつけて勝つ、というプランだ。

 

 

「狙いはわかる。だが、そんなに上手くいくとは限らんぞ」

 

「限る。だってお前は女帝だから」

 

 論理になってない論理。恐らくスタミナが持つかどうかについて問うても、まったく同じ回答をするのだと思う。

 

 

「いいだろう」

 

 

 信頼の表れだと、そう思うことにした。どの道、厳しい戦局になるのは見えている。ならば奇策に乗るのも一興だと、そう思った。

 

 

 

「勝ったぞ、たわけ」

 

 女帝は小さく呟く。その杖は、当然だろ? と言わんばかりに笑っていた。

 

 

 

 

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